18.筋トレの成果
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秀貴が特訓を始めて五日目。
竜真に「兄弟のように接すれば良いから」と言われても、秀貴には兄弟が居ないので、よく分からないでいた。今まで読んだ本には兄弟がたくさん出ていたが、物語に登場する彼らはどこかよそよそしく、他人行儀なところがある場合が多い。
まさに、今の秀貴そのもの。
だが、“その逆”が正解かというと、そうでもない。そもそも、“逆”すら分からない。そんな秀貴は、とにかくつぐみを観察した。彼女に「あんまジロジロ見んじゃねーよ!」と怒鳴られもしたが、その甲斐あって、なんとか自然に喋れるようになってきた。
高等学校という場所は、相当恐ろしいらしい。喋り方ひとつ取ってみても、今のままでは“生き残れない”というのだから、秀貴にとっては異界のような場所だ。
(おかしいな。俺が読んでた本にも高校って出てきたけど……勉学とスポーツに励む場じゃねーのかな?)
胸中でひとりごちる。とはいえ、スポーツの現場もよく知りはしない。
竜真から”スポ根マンガ”も借りて読んでみたが、確かに、暴力的な表現や荒々しい言葉遣いのキャラクターが多かった。
(スポーツ自体は人との接触が多いからする気はねぇけど、やっぱ体は鍛えといた方が良いんだろうな)
ひとりで納得し、借りている漫画を机へ置く。
次の巻を手に取って、腹筋を再開した。
「なぁ兄貴。秀貴の事なんだけどよ」
つぐみが煎餅をボリボリ咀嚼しながら頬杖を突く。
「どうかしたのかな?」
兄はいつも通り、にこやかに続きを促した。
つぐみは煎餅を飲み、更にお茶で流し込む。
「多分、兄貴の思い通りなんだろうけど、何か洗脳じみてねぇか?」
「何? 今頃気付いたの?」
何を今更、という反応。もちろん、そこに悪意がないことは分かっている。だが、つぐみはじっとりと瞼を半分落とした。
兄は続ける。
「テレビのニュースにしても、親から子への教育、学校の教育だって、ある種の洗脳だよ」
「そりゃ……そうかもしんねーけどさ……」
つぐみは納得していない様子。
「つぐみだって、ノリノリだったでしょ。秀貴君、飲み込みが早いからね。教える側としては楽しいよね」
竜真は笑いながら茶を啜る。湯呑を置くと、つぐみに言った。
「秀貴君に伝えたいことがあるから、呼んで来てくれるかな?」
つぐみは怪訝な顔をしつつも、立ち上がった。
秀貴に貸している部屋を訪れると、彼は両手でマンガを持って読みながら腹筋をしていた。
両足首に二十キロのウエイトベルトを着けて。
(こいつ、マジで真面目だな)
オヤジギャグにもとれる事を考えてしまい、小さく吹き出した。それに気付いた秀貴が、上体を起こして振り返る。
「どうしたんだ?」
今の秀貴は、初めて会った時とは見違えるほど逞しくなった。肩まであった髪をうなじで切り揃えたのもあるだろう。
だが、身長まで高くなった気がする。いや、『気がする』ではなく、確実に高くなっている。
(まだ一週間経ってねーんだよな?)
疑問に思う。
筋肉のつき方も早いように感じる。どんなに筋トレを本気でやったとしても、たった五日でこうはならないだろう。
真冬だというのに、半袖Tシャツにハーフパンツ。“筋肉がついた”といっても、ボディビルダーのような筋肉ではない。例えるなら、マラソンランナーのような筋肉だ。
元々痩せすぎだった秀貴に、竜真は高カロリーなものをよく与えていた。まずは脂肪をつけさせた。だから、動くことによって筋肉がついた。それは分かる。
(分からねぇのは、筋トレだけでこんなに早く筋肉がつくか? っつーことだ)
考え込んでいると、いつの間にか秀貴が目の前に居た。
「えー……っと……つぐみ?」
つぐみの背は低い。学年で一番低い。この数日で、秀貴を見上げる為に頭を反らせる角度が大きくなったのは明白だ。
自然と表情が険しくなってしまう。
「お前、筋トレの他に何かやってんのか?」
ヤバイ薬か? と思ったが、その線は薄いだろう。土地勘がつくまで、秀貴の外出時には竜真かつぐみが共に居る。
兄である竜真が“何か”与えているのならば話は別だが、それも確率としては低い。竜真は不正を嫌う。
つぐみの問いに秀貴は「別に何も……」と答えかけて言葉を止めた。
つぐみが口を尖らせて「何だ、言ってみろよ」と続きを催促する。
「竜真さんから教わったんだ。こう……電気を血液と一緒に全身に巡らせるイメージを持ったまま、トレーニングをしたら良いんじゃないかって」
「それで全身の筋肉が活性化したって?」
つぐみは半信半疑で呟く。
「本当にそうかは分かんねーけど……なんかここ、二、三日疲れにくくなった気はするな」
自分の手を見ながら、秀貴も呟くように言った。しかし、その手を顎に当て、少し表情を曇らせる。
「困った事もあんだよなぁ……」
「何だ?」
「なんか……すげー腹が減る」
「あー……」
つぐみにも心当たりがある。この前、火事を鎮火した時も、空腹になるのが早かった。普段から、朱雀の力を使うと腹が減る。それらは単純に、力の消費量が多いから、体力……もしくは精神力や、他の神経を消耗しているのだろう。
相応のカロリーも消費しているはずだ。
「秀貴君も、体内での電気や磁気の発生量をもっとうまく制御できるようになれば、お腹もすきにくくなるよ」
突然聞こえた竜真の声に、ふたりは少しばかり驚いた。足音が全く聞こえなかったからだ。
つぐみがあからさまに顔を歪める。
「兄貴、気配消して近付くのやめろよな。心臓に悪ぃだろ」
心臓を悪くすることなど有り得ないつぐみが睨むと、竜真は肩をすくめた。
「ごめん、ごめん。だってホラ、イイ雰囲気だったらいけないと思って」
「なるかンなモン。秀貴はあたしの弟分だぜ?」
相変わらず、秀貴はつぐみから年上だと認識されていないらしい。秀貴もそれに慣れてしまったので、何も言わない。
「そもそも、つぐみが秀貴君を連れて降りてくるのが遅いのがいけないんだけどなぁ」
と、竜真は苦笑いだ。
自分の名前が出たからか、秀貴が小首をかしげた。
「何か用か?」
「うん。お仕事についてね」




