14.つぐみの中にはアレが居るらしい
「俺の言った事、しっかり頭に入れたか?」
暗い倉庫の中、木箱に座っている影が言った。その前には、黒い人影が二十ほど並んで背を低くしている。
人影たちが各々頷くのを確認すると、木箱の上に座っている人物も大きく頷いた。
「町中探せ。見付けたらすぐ俺に報せろ。以上、解散」
◇◆◇◆
まだ外は薄暗く、霜が降りている。並んでいる多くの家には明かりが灯り、朝食を準備しているであろう、いい匂いが漂っている。
そんな早朝に、賑やかな家があった。
「つぐみ、これの続きはどこにありますか?」
「ちっげぇぇえ!! その場合は『つぐみ、この続きはどこにあるんだ?』だろうが!!」
秀貴は夜通し、つぐみのスパルタ教育を受けていた。といっても、竜真の愛読書のひとつである『ヤンキー突風隊』を読んでいるだけなのだが。
敬語を使うと、つぐみの容赦ない蹴りが見舞われる。
蹴られた腰をさすりながら、秀貴は次巻を受け取った。
「えっと、ところでつぐみ。訊きたいことがあるんだけど」
「かなり進歩したけど、今のは『訊きてぇことがあんだけど』の方がしっくりくるな。で、何だ?」
粗暴な言葉遣いを教えつつ、自分も漫画を読んでいたつぐみが顔を上げた。
「竜真さんには六合が“憑いている”っていうのは分かったけど、つぐみには何が憑いてるんだ?」
「お、今のはかなり良かったぞ! ん-っと、そうだな。あたしは朱雀だ」
超ビッグネームが飛び出し、秀貴が瞬きを繰り返す。
朱雀。四方位の守り神としても有名な一柱だ。
「朱雀、出せるんですか!?」
「おい、その場合は『出せるのか?』だ。出せねぇよ。っつーか、あたしが朱雀みてーなモンなんだよ。空だって翔べるんだぜ?」
話が呑み込めず、秀貴が首をかしげる。
「っつーか朱雀を出したら、あたしゃ死ぬからな」
「しぬ……」
理解できないことを連続で告げられ、秀貴が固まった。
「あんま深刻な面すんな。逆に言うと、朱雀が体内に居る間は、あたしゃどんな怪我をしたって死なねぇんだ。秀貴も見てただろ? 煙を大量に吸ったって平気なんだ。この体ならな」
確かに、昨夜のつぐみは煙が立ち込める屋内へ入ったが、ピンピンしていた。その後、体調を崩すこともなかった。
すると、つぐみが立ち上がり、机の引き出しから何か取ってきた。おもむろに、ソレを手の甲へ突き刺す。
カッターナイフだ。
引き抜くと、血があふれ出た。
「あ゛ー痛ぇ! でも見てみろ! もう傷が塞がって――」
つぐみが血まみれの手の甲を見せた時、秀貴は気を失っていた。
「お前、マジかよ」
「すみません……僕、人が血を流しているところを見たの、初めてで……」
秀貴は蒼い顔で委縮してしまっている。
そんな彼に、容赦ないダメ出しが喰らわされる。
「そこは『悪い、俺は血を見るのが苦手な弱い人間なんだ』とでも言ってやがれ!」
地団駄を踏むつぐみの手を見れば、傷痕すら残っていない。
「すごい。本当になんともない……」
「いや、マジでスゲー痛いんだぜ? でもまぁ『あっ』っつー間に治るんだ。じゃあ、今のお前の言葉、言い直してみろ」
「『すげぇ。本当になんともねぇ』……ですか?」
最後のがなけりゃ良かったよ、と笑われた。
ふと時計を見やれば、もう六時だ。
「そろそろ朝食……の準備をするか」
「なんかおかしいけど、良いんじゃね?」
と、また笑われた。
正直、荒々しい言葉遣いに良い印象は持っていなかった。伯父のイメージが強いのかもしれない。
罵声と暴力を受けていた頃の自分を思い出し、秀貴の気分が少し落ち込んだ。
それも、つぐみの明るい声を聞くと不思議と薄れていく。
「今日は何の味噌汁だ?」
「ほうれん草はどうだ?」
「んじゃ、それに溶き卵入れてくれよ!」
朱雀は鳥の姿をしているはずだけど、鳥の卵も普通に食べるんだな。と秀貴は思った。
「あたし、卵好きなんだ! 秀貴、玉子焼きとか作れねーのか?」
「あー、本で読んだことはあるけど、巻くのが難しそうだなって思うよ」
「……今の喋り方は兄貴寄りだな」
先生が半眼で告げる。不服そうだ。
「厳しいな……」
ぽつりと呟いたら、また笑われた。
つぐみは、とにかくよく笑う。彼女が笑うと場の空気が一気に明るくなる。
「そういえば、つぐみは何歳なんだ?」
秀貴の質問につぐみは、まだ言ってなかったっけ? と間抜けな声を上げた。
「クリスマスイヴが誕生日で、十四になったぜ!」
「ひとつ下だったんだな。ぼ……俺も十二月生まれなんだ」
間髪入れず、何日生まれなのかと質問が飛んでくる。
三十日なのだと答えると、つぐみは「すっげー! 誕生日近ぇじゃん!」と手を叩いて喜んだ。
誕生日が近いのは嬉しい事なのだろうかと秀貴は疑問に思ったが、水を差すのも悪いので黙っておいた。
今日の味噌汁も、カツオ出汁の予定だ。水の入った鍋につぐみが手を添えると、数秒で湯が沸騰した。
風呂やココアが異様に早く用意できたのはコレかと、秀貴の中で合点がいった。
火のついたコンロに湯の入った鍋を置き、鰹節を入れる。ほうれん草のあく抜きはつぐみに頼み、秀貴は溶き卵の準備を始めた。多めに用意して、玉子焼きも作るつもりだ。
ふたりで朝食を作っていると、どこへ行っていたのやら……竜真が帰宅した。
「ただいまー。すごく良い匂いがしてるねー」
「兄貴、どこ行ってたんだ?」
「秀貴君のランニングコースの確認だよ」
聞き慣れない単語に、秀貴が目をぱちくりさせる。
「秀貴君は今日から、筋トレ開始だよ」
“筋トレ”が、体――主に筋肉を鍛えるための行為だという知識だけは備えている秀貴だが、今、竜真は『ランニング』と言った。昨夜盛大に転んだ記憶が蘇り、自然と体が強張ってしまう。
「そんなに気負わなくても大丈夫だよ。とりあえず、走ることに慣れて……まずは五十メートル走からかな。で、徐々に長距離のランニングに移ろうね」
竜真の口調はいつもと変わらず優しいものだが、力強さを孕んでいる。
そもそも、体を鍛えなければ高校では生き残れないのだ。小・中学校へ行っていない秀貴にとって、高校へ通うことは自分に課した試練のようなもの。
秀貴に拒否権はない。
「はい。よろしくお願いします」
「秀貴ぁ。そこは『よろしく頼む』とかで良いぜ。兄貴相手にケイゴはやめろよな」
つぐみの指導に、珍しく反論する。
「目上の人に不躾じゃないか?」
しかし、つぐみはその意見を「いーんだよ」のひと言で一蹴した。
「僕相手には、つぐみと同じように喋ってくれれば良いよ」
竜真もこう言う。となると、秀貴は頷くしかない。
食事中も、秀貴は「これで良いのか」と自問しながら、出来る限りふたりと喋った。“喋る”という行為自体は苦手ではない。生家に居た時、女中の春江と話すのは好きだった。ただ、人と接するのは、正直まだ苦手だ。距離感も分からない。そして、話すのは好きだが、話題作りは苦手だ。なので、自分から話し掛けることもあまりない。
だが、人が語らい、笑っているのを見るのは好きなので、自分は喋らなくても苦にはならない。
食後。
外へ出ると、隣の家の前にあるバケツに氷が張っていた。まだ分厚そうだ。
今日はジャージにランニングシューズ。見た目だけなら、スポーツマンのようだ。
竜真が地元の小学校に連絡を取って、校庭を使わせてもらえるようにしてくれているらしい。
学校までは体を慣らすためにウォーキング。到着後に軽いストレッチ。そして、竜真によるランニング指導へ移った。短距離を走り、フォームを直され、また短距離を走り、またフォームを直し、また短距離を数本走った。
そして、休憩。
竜真がプラスチック製の水筒を渡してきた。
「お疲れ様。水分と栄養を摂っておこうね」
こくん、と飲み下したソレは、とても甘かった。そして、もったりとネバつくようなのど越し。
「な……何ですか……これ……」
それはプロテイン。……ではなく。
「チーズケーキシェイクだよ。君、脂肪がなさすぎるから、脂肪とカルシウムをしっかり摂らなきゃね」
飲めば飲むほど喉が渇く液体。それを、秀貴は泣きそうになりながら飲んだ。
脂肪の多い牛乳じゃ駄目なのか、とか、そもそもこれじゃ水分補給にならないだろう、とか、言いたいことは多々あるが、それも飲み込む。
「秀貴君、昨日チーズケーキ美味しそうに食べてたから、好きかと思ったんだけど……」
確かに、あの騒動の後、家へ帰って食べたチーズケーキは美味しかった。シュワッと口の中で溶けるほど柔らかい生地に感動した。
だが、今飲んでいるコレはチーズケーキの味をしているだけの液体だ。味は決して不味くないが、飲み物としては遠慮したい代物だった。
しかも、昨日食べたチーズケーキより甘く感じる。それが口の中にまとわりついて上手く飲み込めず、やはり泣きそうになる。
それでも、折角用意してもらったものを拒絶することは、秀貴には出来なかった。
口の中がただ甘くなるだけの休憩を終えて始めたのが、ウォーキング。その後、ランニングに移った。校舎の周りを一周。竜真も並走した。走りながら呼吸法も同時に学び、合計五キロメートルを走った。
午前十一時になり、そろそろ帰宅しようかという時、竜真が言った。
「ところで、秀貴君の両手につけてる数珠って、取ったらどうなるの?」
秀貴の心臓が、大きく跳ねた。