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7.家電は犠牲となった

 

「あーもう! ほら、泣きやめよ! ラーメン伸びちまうだろ!?」


 つぐみが、ティッシュを引き抜いて秀貴の鼻へ持っていく。


「君が今までどんな生活を送ってきたか詳しくは知らないけど、僕らは一緒に住む家族になるんだから。辛い事や嫌なことがあったら言ってね」


 竜真も優しく声をかけてくる。そんなふたりの言葉に、涙が余計に止まらなくなる。

 ティッシュが白い山となり、ラーメンの(かさ)が随分と増した頃。ようやく落ち着いた秀貴は、顔じゅうを真っ赤にしていた。


「すみません……」

「だから、謝んなっつーの。それより、ラーメン伸びちまっただろ? 勿体ねーからちゃんと食えよな」

「はい……」


 すんっと洟をすすり、ずずっと麺をすすった。少し太くて柔らかくなっているが、これはこれで美味しいなと思った。

 少しの間、繰り返し麺を口へ運んでいた秀貴が手を止める。


「あの……」


 ふたりの目が、同時に秀貴へ向いた。


「“家族”とは、何ですか?」


 血縁者、配偶者。つまり“身内”のことをいうのだと、秀貴も知識としては知っている。

 自分の血縁者といえば、先日他界した父。数日間自分を監禁していた伯父。どちらも、自分に対して『家族』と言ったことはない。わざわざ口に出すようなものでもないのかもしれないが、秀貴にとって“家族”と呼べる存在は女中の春江のみ。しかし彼女は、別の場所に“家族”が居る。彼女ももう年だ。新しい仕事はせず、“家族”と仲良く暮らしているだろうか。そうだと良いな、と思う。

 ぐるぐる考えていると、『家族』という言葉の意味が分からなくなってしまった。


「お前、難しく考えすぎ。家族っつーのは、同じ屋根の下に住んで、一緒にメシ食う間柄のことだろ」


 そう言い放つと、つぐみはカップの中にあるスープを飲み干した。

 竜真はティッシュの山をゴミ箱へ移しながら言う。


「つぐみの言い方は極端だけど、まぁ、そんな感じかな。一緒に助け合って生きてるのが家族だと思うよ」

「助け合う……」


 今まで、生きることに関して助けてもらってばかりだった。こんな自分でも、誰かを助けることが出来るのだろうか。

 そんな不安が込み上げてきたが、まだ温かい麺をすすると、不思議と不安が和らいだ。


「あ、『笑っていいだろ!』観て良いか?」


 誰の返事も待たず、つぐみがテレビのスイッチを入れる。すると、少しの()を置いて四角い箱――テレビから、爆音のような人々の笑い声が飛び出した。

 次の瞬間。

 ボンッ! パチッパチッ……しゅうぅぅぅぅ……。

 テレビが爆音を轟かせ、完全に沈黙した。ついでに、天井の照明も消えた。


「テレビ壊れた……」


 唖然としたつぐみの声に、消え入りそうな秀貴の声が続く。


「すみません……びっくり……してしまって……」


 父親の遺した数珠のお陰で人と関われるようになって、秀貴は失念してしまっていた。自分が、感情ひとつで電化製品も生物も、壊してしまう存在であることを。

 画面が割れ、煙を立ち昇らせているテレビを見て、自分に対する恐怖心が再び顔を覗かせた。


「秀貴君は磁気を発するから、家電との相性が悪いんだね」


 竜真に指摘され、秀貴の表情が強張る。竜真の顔もつぐみの顔も直視できず、俯いたまま。

 こんな厄介な体質の人間とは一緒に居られないと言われるだろうか。気味が悪いと思われただろうか。ならばせめて……、


「こ、壊した家電製品は弁償します」


 父が貯めていた金はほとんど伯父に取られたが、まだいくらかは残っている。通帳と印鑑もある。それを取りだそうと腰を浮かせた秀貴の手を、つぐみが掴んだ。


「いーっていーって。それよりメシ食えよ」

「そうそう。あんなに音量を上げてた、つぐみも悪いしね」


 竜真も笑いながら茶を啜っている。その様子からは、嫌悪も怒りも感じられない。

 秀貴は、目の前の光景が信じられないでいた。


「あぁ、でも、ビックリしただけでモノや人を壊してちゃダメだよね。抑える力も身に付けなくちゃ」

「秀貴、やることいっぱいで忙しいな!」


 つぐみは太陽のごとく輝かしい笑顔で、他人(ひと)事のように笑っている。


「つぐみも先生だから忙しいよー」


 つぐみの眉間に皺が寄った。


「あたしは残り少ない冬休みを遊び倒すのに忙しいんだよ」

「じゃあ、日中は遊んでいいから、しっかり秀貴君の話し相手になってあげてね」


 まぁそれくらいなら、とつぐみは表情を柔らかくした。


「すみません。僕のために貴重な時間を――」

「それがいけねーっつーんだよ。いいか? こうだ。『悪ぃな! 俺のために時間食わせて!』ってな。ほら、言ってみろ!」


 心の準備が整う間もなく、つぐみ先生の話し方講座が始まった。

 秀貴はうろたえながら、つぐみの言葉を復唱する。


「わ、わり……ぃな……」

「声がちっせぇ! そんなんじゃナメられっぞ!」

「いや、いきなりそんなスパルタじゃなくていいから。秀貴君ビビリ散らしてるから」


 たまらず竜真も止めに入る。しかし、つぐみは大きな目を据わらせて言った。


「兄貴。秀貴はでっけー力を持ってんだろ? そんな奴がナメられて潰されんのは、あたしは嫌だぜ」

「だからって、怒鳴らなくてもいいだろ? 今はご飯の途中だしさ」


 まだ半分も減っていないはずのラーメン。麺が伸びて量があまり変わっていない。

 ラーメンと秀貴を交互に見て、つぐみはふわふわの頭を掻いた。


「わーったよ。悪かったな。あたしはこれから友達(ダチ)ん所行ってくっから、帰ったら教科書見ながら特訓すんぞ」

「は、はい。よろしくお願いします」


 下がった金色の頭をポンポンと叩いて、つぐみは空のカップと箸と湯呑みを持ち、台所へ消えた。


「悪く思わないでね。あんなだけど、喜んでいるんだよ。あの子、弟が欲しかったからさ」

「弟……ですか」


 つぐみは随分小さく見えたが、年上なのだろうか。そう思いつつ、元の倍以上太くなった麺を吸い上げる。


「あ、僕も後で買い物に行くから、一緒に行こうか。君の服とか一式揃えたいし」


 突然の申し出に、あやうく()せそうになってしまった。

 口の中にあった麺を急いで飲み込み、顔を上げる。


「……それはつまり、まちへ……人の居る場所へ、赴く……ということ、でしょうか」


 竜真は、世の女性が見たならば、きゃあと黄色い声を上げるであろう微笑みを向けて「うん」と答えた。

 秀貴は、きゃあと悲鳴を上げて隠れたい気持ちに襲われた。しかし、優しく見える笑顔が、それを許さないように感じる。

 不安が隠れることなく顔一面に表れている秀貴に、竜真は笑顔を崩さず言った。


「大丈夫。何かあっても、僕が何とかするから」


 その声は、優しくも力強かった。

 いつもひとりだった秀貴だが、もし自分に兄が居たのならこんな安心感があったのかもしれない。

 胸の奥に温かいものを感じながら、もう冷めてしまったラーメンを残さず食べた。



 

 竜真に教わりながら食器を洗い終えると、竜真が箱と布を持ってやってきた。

 箱の中身は化粧道具。布は広げると、女物のトレーナーだった。このふたつのアイテムが持つ意味を読み解くことができず、秀貴は立ち尽くした。

 昔は自分も女児として育てられていたのだ。紅くらいならわかる。でも、何故今それが自分の前に並んでいるのか、わからない。


「外では手を繋いでいようと思うんだけど、男同士だと変に注目されちゃうからね。そんな時のための女装セットだよ」


 普段は誰が使うのだろうか……。という考えが秀貴の頭を過ったが、今はそれどころではない。

 自分のために用意されたものだと悟り、体が硬直した。

 育った環境もあり、秀貴は男としての尊厳など持ち合わせていない。女装しろと言われれば、抵抗なく行う。だが、問題がある。


「お手洗いはどうすれば……」


 公共の場にあるトイレというものは男女で分かれているのだと、本で読んで知った。そんな場所へ、男の自分が入るわけにはいかない。


「大丈夫。その時になったら僕が何とかするから、遠慮せずに言ってね」


 そう言われてしまうと、秀貴は首を縦に振るしかない。

 突然のことで驚きはしたが、秀貴は黙って厚手のトレーナーを手に取った。




 おしろいの匂いがふわりと香る。

 色を整えるだけの簡単な化粧を施され、鏡に映る自分から目を逸らせた。


「秀貴君、顔色悪かったけど、これなら健康そうに見えるね」


 そう。鏡に映っているのは“血色の良くなった自分”であり“女の子”ではない。

 女物とはいえ、トレーナーと長ズボンで“女装”になるのだろうか。竜真の考えが全く読めない。


「外は寒いから、マフラーを巻いて……と」


 誰が編んだのか――手編みのマフラーをふわりと巻かれ、竜真と手を繋ぐ。


「じゃ、行こうか」


 初めて人と繋いだその手は大きく、とても温かかった。




 



 

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― 新着の感想 ―
[一言] 思えば、ブラウン管って危険物だった。あんな真空のガラス玉(笑)。 そんな昭和。
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