序章
絶好の入学式日和といえる。
微かに冷気を含んでいるものの、太陽に温められた風は心地良い。
土の敷かれた校庭に散るピンク色が、ふわふわと跳ねた。小さな花弁は風に乗って吹雪のように舞い上がり、青く澄んだ空を賑やかす。
春の空気を突くように、機械で拡張された声が近所に響いた。
「新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます」
学び舎に加わった生徒を歓迎する声だ。祝福の拍手も贈られる。
体育館を埋めるようにパイプ椅子に座っているのは、主役の新入生とその保護者、そして教員。
在校生の席は黒、茶、金と頭髪の色もまばらで、空席も目立つ。姿勢を崩し、あくびをしている者も多い。
いや、新入生の中にもあくびをした後、涙目になっている者が複数確認できる。それは校長の話が始まっても変わらず、厳格な式になるはずの場にしては空気が緩い。
しかし、それを咎める雰囲気もなく、式はだらだらと進んでいく。
市長からの祝辞も、在校生代表の激励も、真剣に聴いているのはひと握りしか居ないだろう。
残すは新入生代表による挨拶と校歌斉唱のみ。このまま、つつがなく終わるのだと誰もが思っていた。
「続きまして、新入生代表あいさ――」
ガターンッ!
体育館じゅうに響き渡ったパイプ椅子の倒れる音が、ある者の鼻提灯を割り、ある者の警戒心を上げ、ある者の好奇心を誘った。
椅子を蹴り飛ばしたのは、髪がギシギシに傷んでいる金髪の男だ。眉は細く、体は大きい。隣に座っている生徒は小さくなって震えている。
「何なんだよ! もっと自由に暴れられる学校だっつーから入学したってのによぉ! センパイも先公もイイコに座ってんじゃねーよ!」
そう、不良だ。
自由な校風につられて、こういう輩が多く入学してくる。そして、ひとりが立ち上がると金魚の糞――もしくは芋蔓かというように、他の不良も雄叫びを上げながら後に続く。
壇上に足をかけるヤンキー。
慌てる教師、狼狽える保護者、怯える生徒。誰もが「ニュース沙汰だな」「新聞の何面に載るかな」と思った。
金髪が笑いながら、中央にあるマイクを手に取った瞬間、閃光が走った。確かに、その場に居た者たちにはそう見えた。
だが、それは光ではなく人間だったらしい。
さらさらの金髪が壇上を照らすライトによって発光しているように見えている。不良のものとは違い、天然の金髪。パーツが整っている顔は、造形師が命を吹き込んだ人形のようでもあった。
しかし、身に着けているものは制服だ。しかも、学ランのボタンはみっつ開いているし、その隙間から見えるのはカッターシャツではなく、深い緑色のTシャツだった。
身長は、マイクを掴んでいる不良よりも頭ひとつ分小さい。その男はマイクを掴んでいる不良男を睨みつけると、マイクを奪い、スイッチをオンへスライドさせ、口へ近付けた。その際、制服の袖から、瑠璃色の数珠が覗いて見えた。
「立ってる奴は席につけ」
よく通る声だ。
何人かはそそくさと自分の席へと戻って、バツが悪そうに背を丸めて肩を小さくしている。
それでも、先陣を切って立ち上がった連中は怯まない。壇上に居る金髪不良男は、握りしめた拳を目一杯振りかぶった。
「その綺麗な顔を、ボッコボコにしてやんよ!」
叫ぶ声と共に振り抜いた拳を手のひらで受け止められ、そのまま手首を掴まれてしまい、不良は言葉を失う。
気を取り直し、琥珀色の眼に当てるつもりでもう片方の拳を突き出すも上半身のみの動作で躱され、反動で、握られている手が捩じれ、自分からキマリにいってしまった。
「まだ何かあれば式の後、俺の所へ来てくれ。早く挨拶済ませてぇから」
気付けば、立っている者はいなくなっていた。
それを確認し、マイクを持っている少年が一礼した。その所作につられて、全員頭を下げる。
「柔らかく暖かな風に舞う桜とともに、私たちは活麗高等学校の入学式を迎えることとなりました。本日は私たちのために、このような盛大な入学式を挙行していただき、誠にありがとうございます」
先程の喧騒がなかったかのように静まった壇上で、唐突に新入生代表の挨拶が始まった。
カンペなしですらすらと語られる、感謝と入学してからの抱負。
もう挨拶も終わりかという時、少年は一瞬、琥珀色の瞳を保護者席へ向けた。一度目を閉じ、再び保護者席へ目をやり、ほんの少し、声を低くして言った。
「あー……服装の乱れは心の乱れっつー言葉があるけど、俺は、人に迷惑をかけなきゃ制服を着崩そうが、髪を染めようが、体にピアスを通そうが、自由にすりゃいいと思ってる。ただ、今みたいに人の邪魔をするのはアウトだ。文句がある奴は授業中以外なら相手をするから俺んところへ来い」
ひとつ呼吸を挟み、続ける。
「新入生代表兼風紀委員長、成山秀貴」
秀貴はマイクをスタンドへ戻し、未だに蹲っている不良に手を伸ばした。
「悪いな。手首、ちょっと見せてくれ」
おずおずと出された手首に秀貴が触れる。不良は目を丸くして、それを見ている。ものの数秒で、炎症を起こしていた腫れが引いた。
不良は信じられない面持ちで、自分の手首をさすっている。
「骨に異常があるかもしんねーから、ちゃんと病院行けよ。んで、早く自分の席へ戻れ」
不良はそそくさと壇上から去り、自分が倒したパイプ椅子を元に戻して座り直した。
新入生代表は各方面へ頭を下げ、平然と自分の席へ戻る。
彼は後に“学校の万能薬”と呼ばれることとなるわけだが――。
これは、彼が高校入学に至るまでを記した物語である。