15話⑤ <私は彼に答えた>
* * *
アーノルドの目が開いた。
懐かしい、緑の瞳。
「アーノルド」
呼びかけると、覗き込む私に焦点が合った。
「…シェヘラザード」
彼は上体を起こした。
「ここは…オアシスか」
「ええ」
「何だか、体が変だ」
彼の体にも揺らぎが生じていた。
「オアシスは、一度撤去したの。あなたが入ろうとしたので、ほんの少しだけ復旧させたのよ。あまり動くと崩れるわ」
「そうか」
それだけ言うと、アーノルドは私を素早く引き寄せて抱きしめた。
「君を、迎えに来たんだ」
私も彼の背に腕を回し、すがった。
応えるように彼の腕に力がこもっていく。
ああ、だめだ。
この腕の中はだめだ。
体の力が抜けて身を預けたくなってしまう。
胸の中のさざ波が一気にせり上がり、再び私の目から溢れ出た。
アーノルド。
アーノルド。
会いたかった。
生き返ってくれてよかった。
彼は私が泣いていることに気づくと、いつか私がしたように私の瞼を唇で拭いた。
彼の唇は涙に添って頬を伝い、そして私の唇を塞いだ。
その瞬間は永遠のようだった。
不完全な空間で時おり存在感も揺らぐ中、私たちは互いの中に存在する気持ちを確かめ合った。
「シェヘラザード、よく聞いてくれ」
彼は唇を離すと、改めて両手で私の涙を拭いながら言った。
「お願いだから勝手に姿を消したりしないでくれ。俺たちはまだ十分話し合ってない」
「えっ…?」
「君が何者かに囚われているせいで、図らずも俺を振り回す羽目になったという話はわかった。だが、俺を巻き込んだからには、もう一人で思い詰めるな」
「えっ? …えっ?」
「俺をちゃんと頼ってくれ」
「…アーノルド。…私が話したこと、ちゃんと理解できてるの…?」
「君は天上の主で、君が仕事をするには俺が不可欠だったんだろう? 『類稀な逸材』だったな。そんなに惚れ込んでくれたのは嬉しいが、だったら俺たちはもう運命共同体だ。二人で解決するべきだ」
「え…はあ。そういう、ものかしら…?」
「そういうものだ」
「…はい」
アーノルドが力強く言うので、何だか気圧されてしまった。
住人が私とオーバーロードとの関係に関わって何かを変えられるとは思えないけど、そうも断言されると一体何が問題だったのか、よくわからなくなってきた。
「じゃあ、君を囚えている何者かについて話してくれ。君をどう苦しめているんだ?」
それを話せば、アーノルドの記憶は後で消されるかもしれない。…いや、まだ実装されていない。大丈夫だろう。
「…私の本当の仕事は、人の運命の糸を操り物語を織り上げることだと説明したわね」
「ああ」
「その私を創ったのがその者たち、『オーバーロード』という存在なの」
「『オーバーロード』」
「物語を作るには、登場人物が必要だわ。その人物たちが暮らす世界も、世界観も。彼らは私にたくさんの物語を書かせるためにたくさんの世界を用意させた。私はそれらの世界を整備し、人々を配置し、運命の糸を巡らせて生まれた物語を書き留める。その一連の作業をさせるために、オーバーロードは私を創ったの」
「…話の半分は、君が天上の主だって知ってるから驚くに当たらない。しかしそのオーバーロードとやらは、何のためにそれほど物語を求めているんだ」
「娯楽のためよ」
「娯楽!? …目的に対してやってることが大掛かり過ぎるだろう! 竜の叡智の無駄遣いとおんなじだ」
アーノルドは呆れた。
「つまり、俺がいろんな女性の厄介事に関わったり異世界で冒険したりしたのは、つまるところそいつらに娯楽を提供するためだったというわけだな?」
「…ええ、ごめんなさい。彼らはあなたを気に入っていた。私が側にいたら、これからも同じように振り回させられるわ」
「だから君は俺の前から消えたのか」
「ええ」
「その仕事は、辞めるわけにはいかないんだな?」
「私はそのために生まれた存在よ。辞めることはできないわ。人が息をするのと同じように、自動的に世界を動かして物語を書き続けるようになっているわ」
「君を生きてる間じゅう酷使するとは、連中はとんでもない人でなしだな」
私は面食らった。オーバーロードらをそんな風に客観的に考えてみたことはなかった。人でなしかどうかなんてことに思考を及ぼすのは、重大な違反行為に思える。
「ともかく、俺に迷惑をかけるのが気になるなら、その要因を潰していこう。…ふむ」
彼は腕を組んで少しの間考えると、おもむろに言った。
「まずは、君が俺の婚約者になればいい。そうすれば依頼は終わるから、これにかこつけて君が女性の厄介事を持ち込むことはなくなるな」
「え?」
「それでも何らかの形で変な事件に巻き込んだり、異世界に連れて行こうというなら」
そして確固とした意志を込めて告げた。
「受けて立とう。もう慣れた」
「アーノルド!?」
「今までの分をいつの間にか勝手に安っぽい娯楽にして横流しされてたのには思うところがないわけじゃないが、でももうそれは俺の人生だ。俺にとって必要だった経験がたくさん詰まってる。今後もそういう経験がもたらされるんなら、俺にとっても価値がある。Win-Winになるなら喜んで使われてやろう」
「ア、アーノルド、平気なの!?」
「シェヘラザード、君は俺の扱いについては真相を知らなかったんだろう? ただ何とか依頼を果たそうとして俺に尽くしてくれた。だから、そんな君に俺も尽くしたいんだ」
アーノルドは、私の膝の上にある両手を包み込んだ。
「運命共同体だと言ったろう?」
「…アーノルド…」
「とにかく、こういうのは建設的に考えなくちゃだめだ」
「建設的」
「さもないとどんどん暗くなって、悲観的な結末しか思い浮かばなくなる」
…確かに、私はつい先程までうんざりするくらい鬱々と思いつめていた。黙って頷く。
「まあ正直、異世界の冒険なら結構面白かったから、必要ならまた行ってもいい。王太子の仕事をあんまり空けるわけにはいかないけどな。どうせ肝心な時は君が恩寵で助けてくれるんだろう? 俺が死んだら君の仕事にも差し支えるからな」
頷くのは早かったかもしれない。
そんなに気楽に当てにしないでほしい。私も万能ではない。
そうだ、それどころではない。
「待って、あなたは王太子よね。私があなたの婚約者になる前提で話しているけど、私には無理よ」
「身分は大した問題にならないだろう。君は友好国の元首の娘だ」
「私に王太子妃は務まらないわ」
「…それは俺も思わなくはないが、君は天上の主の権能で何でも知っているんだろう? 王太子妃教育の内容も容易く把握できるに違いないし、それっぽく振る舞うこともできるはずだ。誰も見たことないダンスをいきなりこなせるくらいなんだから」
「…よく観察してるわね」
アーノルドは絶対に引き下がる気はないようだ。
「他には?」
「繰り返すけど、私はこの仕事を辞められないわ。王太子妃の生活との両立はできないわ」
「妻のライフワークを辞めさせるような狭量な夫にはならないさ。両立させる道はあるはずだ。一緒に考えよう」
「あの…アーノルド。さっきからずっと調子のいい返事ばかりだけど、安請け合いしてるわけじゃないわよね?」
「そんなつもりは毛頭ない。後々抱えきれなくなって破綻するから安請け合いになるんだ。言ったことを守りきればいいだけだ」
アーノルドは握った手に力を込め、きっぱりと言った。
「誓う」
「…負けたわ」
私は思わず呟いた。
彼が「誓う」と言えば必ず守る。その決意を表明する重い言葉だ。
「シェヘラザード、君を愛しているんだ」
彼は包んだままの両手を胸元に寄せ、熱っぽく訴えた。
「君は不思議だ。占い師だと思ったら正体は天上の主で、簡単に異世界にまで俺を連れて行く。この宇宙の支配者かと思ったらさらにその上がいる。一つ謎が解けたと思ったら、すぐさま次の謎が現れる。
最初は台詞も棒読みで取り澄ましてたのに、突然愛らしくなった。俺をその目で射抜いておきながら、それは演技の嘘っぱちで、俺が思いを伝えようとしても、先に自己完結して泣いてる。一つ君を理解したと思ったら、すぐさま違う君が現れる」
そして手に口づけた。
「シェヘラザード」
彼の眼差しが私を包み込む。
「君は、まるで読み尽くせないページみたいだ。君をもっと知りたくて、どこまでもどこまでも手繰ってしまう。君を解き明かす権利を、俺にくれないか」
「…アーノルド」
私は答えた。
「私は…あなたに出会うまでは、感情というものを自覚していなかった。でもあなたに関わるうちに、様々な気持ちを味わったわ。
あなたが喜べば私も嬉しかったし、あなたが辛い目に遭えば私も悲しかった。落ち込んでたら何とか励ましたいと思ったし、疲れていたらいくらでも癒やしたいと思った。からかわれたら腹が立ったし、喧嘩をしたら仕事が手につかなかったし、でもあなたの顔を見たら、そんなのどうでもよくなった。
私は、こんなに色々な気持ちになる自分を知らなかったわ。あなたに関わるほどに、新しい自分の気持ちを発見するの。
あなたの言葉を借りれば…私のページが増えてゆくのはあなたのせいなの、アーノルド」
彼は聞き終えると、我慢できないとでも言うように私をもう一度強く抱きしめた。
「もう話は終わりだ。シェヘラザード、俺の妻になってくれ…!」
そしてまた、ぱっと身を放して少しばつが悪そうに言った。
「あ…すまん。あとで正式にプロポーズさせてくれ」
今の問答で十分だ。これ以上私たちにふさわしいものなんてない。
私は、潤んでくる目元を両手で抑えながら彼に告げた。
「それよりも、まだ解決してない重大な問題があるわ」
あと4回で完結します。
***
2023/1/7 サブタイトル変更
2023/2/1 サブタイトル変更
2024/8/1 修正




