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14話② アナスタシア 〜私と彼の9年間(前)

2


「国王陛下、王太子殿下、お初にお目にかかります。ハイリッジ公爵家第三子、アナスタシアにございます」


 七歳の私は、王宮の謁見の間で玉座に並んで座る国王陛下と王太子殿下を前に、小さな体の膝を精一杯折りまげた。


 この国の王太子と公爵家令嬢の私との間に婚約が締結されたので、私は両親とともにお目通りするため、この社交シーズンに領地から出てきていた。

 心臓の音が皆に聞こえてるんじゃないかと思うくらい緊張してたけど、それは偉い人たちの前だからだけじゃなく、こうして私の悲運が一歩ずつ近づいてくるからでもあった。


 私には前世の記憶があった。

 前世で殿下の名ばかり婚約者であった私は、心変わりした彼の邪魔をしてしまい、十七歳で婚約破棄を突きつけられた上に馬に蹴られて死んでしまった。でも私の魂は、その記憶を抱えたまま七歳の自分の体に宿り直していた。


 やり直せると僥倖に喜んだのもつかの間、悲運の始まりであるこの婚約イベントがすぐにやって来た。


 殿下が、前世の記憶どおりの取り澄ました子だったらと思うと、気が重い。

 私は、今生では彼と仲良くなろうなんて不毛なことは諦めて、どうにか婚約解消に持ち込む手を探そうと決めていた。どうせ心変わりされるなら、互いに醜聞にならないようとっとと手を切った方がいい。


 緊張のあまり、陛下や両親の言葉は耳を上滑りしていった。それでも殿下の様子は見極めないといけなかった。


 王太子の白い礼服に身を包み、きちんと居ずまいを正し、同じ七歳にしてもう気品がある。陛下と同じ黒髪と緑の瞳。表情は明るく、目には好奇心の光が…え、そんな好意的な顔だったかな?


 陛下に促され、殿下は私に向かって話しかけた。


「アナスタシア嬢、よく来てくれた。あなたに会えて嬉しい。これから僕たちはまず親しい友人になろう。よろしく頼むよ」


 台詞もこんなに温かくなかったような気がする。


「は、はい、ありがとうございます。殿下のご期待に添え…いえその、ふつつかですが、あの…」


 戸惑いすぎて失敗した。期待に添ったらまずいのでは、いやこの人なら違う未来かも?と混乱してへどもどしてしまった。周囲は幼い少女の失敗と許し、笑いに包まれた。殿下もくすくすと笑っていた。


 おかげでその夏は、私は公爵家のタウンハウスに派遣された王宮付きの教師から、淑女のマナーをみっちり叩き込まれた。合間には殿下と交流の時間を持たされた。


 彼はいつもそつなく機嫌良く、好奇心をもって私に接した。そういう関係性なんだから当たり前かもしれないが、前世ではすぐに切り上げたり手紙で済ませたりと義務で対応してるのが丸わかりだったから、あまりの違いに面食らった。

 聞けば同年代の友人が乏しく、特に女の子の友人は初めてだったらしい。見世物じゃないんだけど、と言ったらしゅんとした。


「君は僕にあんまり丁寧じゃないよね」

「そうかしら」


 そうかもね。こんな突っ込みを受けたら即座に「申し訳ございません! 大変なご無礼をいたしました!」とか平謝りすべきなのよね。でも私は婚約解消したいの。マナーでも矯正できないこの態度じゃふさわしくない、って思ってくれたらラッキーなの。


「取り繕ったって仕方ないもの。私がこの先どうなるかは決まってる」

「どうなるの?」

「死ぬのよ」


 彼は私の台詞を冗談だと思ったらしい。一瞬の沈黙の後笑い出した。


「あはは! それは皆そうだね! 絶対当たる予言だ」


 彼には、年齢にそぐわない利発さがあった。「私と婚約するってどういうことか分かってる?」と聞いてみたら、意外な返答が返ってきた。


「それは分かってるよ。昔は他の国の王族ともらったりもらわれたりをしてたけど、今のガレンドールはしっかりしてるから必要ない。早いうちに君のところみたいな国内の貴族と婚約することで、よそから貰う意思がないって示してるんだ」


 私も人のことは言えないが、七歳の口から出る内容とは思えない。

 もうちょっとこう、気持ちの問題的なことを聞きたかったんだけど。いや、これはこれで婚約には気持ちは関係ないって言ってるみたいで、今まで当たりがよかっただけに急にいけ好かなく感じてきた。


 気づくと、彼が私の顔を覗き込んでいる。


「きゃっ!?」


 いきなり手が伸びてきて眉間を触られたので、変な声が出た。


「アナスタシア、ここにすごく皺が寄っていたよ。大丈夫かい?」

「平気よ! もう、乙女の顔に気安く触れないで!」


 皺を伸ばすふりをしてさすがに赤くなる顔を隠しながら怒ると、彼は明るい笑い声を上げた。


 …私もあどけなさを装って、聞いてみてしまおうか。


「…どうして私でないといけなかったのかしら」

「え?」

「どうして私が選ばれてしまったのかしら? 同年代で同格の女の子はいっぱいいるのに」


 本当は彼に言っても仕方ない。大人たち、特に国の要の偉い人たちが、私たちには及びもつかない高度な理由で決めてしまうものだから。八つ当たりなのを察してか、彼の返事も少しとげとげしくなった。


「…君には悪いけど、僕が選んだわけじゃない」

「私だってあなたを選んでないわ」


 でも私の不敬きわまる言い様には、怒り出さずに吹き出した。


「君は、僕が相手なのが不満なの?」

「自分の意志で選べないのが不満なの。殿下は嫌じゃないの? 他人が決めたことなのに、責任は自分が負うのよ。いつか本当に選びたい人が現れたら困るわよ」

「…きついなあ。僕は、誰より我がままを言っちゃいけない立場だって教わってるよ」

「ごめんなさい」

「でも、君に不満があるなら…、こうしよう。いつか自分の意志で選べる時が来たら、その時ちゃんと選び直そう」


 ありがたいけど驚いた。自分で何を言ってるか分かってるのだろうか。ただの安請け合いじゃないとしたら、七歳にしてその胆力は凄すぎる。いけ好かないなんて思ったのは撤回する。


「けど、友人でいるのは構わないよね? 初めに言ったよね、親しい友人になろうって」

「それはもちろんよ! ありがとう、殿下」


 彼の、何の含みもない笑顔が眩しかった。だから私も、曇りのない笑顔で返した。


 この彼となら、きっと前世とは違う生き方ができると思えた。


* * *


 十二歳になるまで、私は領地で過ごした。

 殿下とは、手紙をやり取りしたり、社交シーズンに王都で会ってお茶やお忍びに出かけたり、時には彼が領地へ遊びに来たりして交流を続けた。


 領地に来たとき皆で木苺狩りに行き、ちょっとしたいきさつで彼をひどい目に遭わせてしまったことがある。全身を蛾にたかられた彼は、三日ばかり寝込んだ。


 彼が手を付けた木は育ちが悪くて実の味も今ひとつだったから、お腹が減って私の籠に手を出しても仕方ない。その程度の罪に対して与える罰としては重すぎた。せっかく摘んだのだからと、その成りの悪い実で作ったジャムを渡したが、あんまりありがたくなさそうだった。


 後日、王都に戻った彼から滞在のお礼として蝶のブローチを贈られた。螺鈿(らでん)細工で、銀と緑と青の不思議なグラデーションが綺麗だったのはまあいいとして、メッセージカードには、「苦い思い出の記念に」とあった。

 (とお)にもならないうちからこんな増せた語彙力を磨かなくちゃいけないなんて、王子様も大変だ。


 十二歳になる頃、父が宰相へ就任したのを機に私も王都で暮らすことになった。学園に入学するには一年早いものの、王太子妃教育が本格味を増してきた。

 その内容は手(すさ)びの淑女の教養を越えて、国を動かす者としての自覚と見識を培わせるもので、過去数十年の内政と外交を立体的に知ることができた。ただの貴族令嬢だったら学園でここまで学べるのか、女性でここまで教われるのかわからない。立場が与えた恩恵をどう使おう。


 王都にいるので殿下と会う機会も増えた。時々アーニーとアナになってお忍びにも出かけた。

 彼は護身用にとバトンアーツを習っていたので、私も一緒に習った。家族はあんまりいい顔をしなかったけど、自分を護ってくれる連れがいないと出歩けない暮らしは窮屈だった。護身術を覚えたところで、貴族令嬢の嗜みで侍女を連れ歩かなければいけなかったけど、自分の身は自分で護れるという自信が欲しかった。

 自力で暴力を(はじ)くのは勿論、護るという名目で行動を制限されたくない。自分の体の支配権は自分のものだ。


「ところでアナスタシア、気づいてないかもしれないけど、君は僕を名前で呼ぶ権利があるんだよ」


 ある時、殿下が思い出した風を装って言った。その権利は知ってる。


「婚約者の特権なら、別に行使したくはないけど」

「友人の特権だよ」

「…本当かしら? あなたの、間もなくご学友になる皆さんもお名前を呼んでないじゃない」


 学園入学を目前にして、殿下には友人が増えていた。経緯はそれぞれだが、裏で大人たちが何らかのレースを勝ち抜いた結果であることは察せられた。私も彼らを紹介されたが、打ち解けているようでも、王族の学友としてふさわしくあらねばとか、大人の期待に応えねばという彼らの気負いが、そこはかとない壁を作り出していた。


 殿下は友人が欲しいのに、彼らは臣下であろうとする。そのすれ違いが少し気の毒だったが、受け入れなければいけないのは殿下の方だ。そして私もまた、臣下であらねばらないことはわかってる。


「彼らも馴染めば変わるさ。アナスタシア、僕は君を一番親しい友人だと思っているけど、君はどうなんだい?」


 確かに私も付き合いの長さなら一番だし、他に交流のある令嬢たちよりは関わりが深い。

 彼に友人として力になれることがあれば惜しまないと思うが、でもそれ以上の心は開けない気がした。


 殿下は柔らかく私を見つめてくる。

 …負けた。友人の願いくらい叶えよう。


「ええ、私にとってもあなたは大切な友人よ。アーノルド…殿下」


 私は初めて、彼に対してその名を呼んだ。

 前世でも呼んだことはなかった。許されなかったからだ。

 今目の前で、自分からせがんだくせに、はにかみながら笑う彼を見ていると、またその記憶との違いが際立った。


 やり直しの人生は五年経ち、前世の記憶もまだらになっていた。

 でも、急に不安になった。あの殿下の名は「アーノルド」だったかしら…?


 面影を思い出す。黒髪と緑の瞳。印象は似ている。でもこの彼とは明らかに性格が違う。

 もしアーノルド殿下が心変わりしたとしても、前世のような振る舞いをするようになるとはとても思えない。懐が深すぎて、誰かを憎めるような人じゃないのだ。


 そうだ、両親だって前世とは違い明るく親しみやすい人たちだ。ご学友の面々も、人物配置は覚えているけど名前や人柄が一致しているか自信がない。もしかしたらここは、巻き戻った過去ではなくて、よく似た別の世界なのかもしれない。


 だとしたら大変なことだ。私は思い込みで、前世とは無関係なお人好しの王子様にひどいことをしていた。彼を愛しても構わなかったのだ。


 ああ、でも馬に蹴られる運命までも異なるかはわからない…。


「アナスタシア」


 彼の手がひょいと伸びてきて、親指でまた私の眉間を伸ばそうとした。


「もう! だから、年頃の乙女の顔を気安く触らないでって言ったでしょ!」


 私の剣幕にさっと青ざめた彼を愛するかどうかは保留しとこう。

 私は今はただ、彼の気のおけない友人でいてあげたい。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

今回で20万字を超えました。

引き続きよろしくお願いいたします。

***

2023/1/7 サブタイトル変更

2024/7/26 修正

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