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10話① オアシスにて

 そこは、静謐な空間だった。


 闇の中でその場所だけがぽつんと淡い光の中に浮かび、俺たちを迎えた。

 この場所を、俺たちは「オアシス」と呼んでいる。


 俺たちが世界を越境する時に、魂を退避させておく仮の場所としてシェヘラザードが用意したのだが、それをサイードがオアシスと呼んだのでそのまま採用した。

 以降、異世界の冒険を終えて次の異世界へ移動するまでの僅かな間、ここで首尾を報告したり天上の主の悪ふざけに文句を言ったり、父上に申し訳程度の手紙をしたためて彼女に託したりしている。


 オアシスは、初めはか細い格子の足場があるだけの曖昧な空間だったが、名付けられてからは簡素ながらもある程度具体的なイメージへ整えられていった。


 石の床を敷いた広間の奥の面は古代的な円柱と壁で区切られ、壁の中央に両開きの扉がある。左右は半分ほどずつ壁が立てられ、それぞれの奥には俺たちの寝台が用意されていた。

 この場所では時間が経たないらしいので休む必要はないのだが、俺たちが眠っている間に、新しい世界に馴染むようにシェヘラザードが体の仕組みを作り変えているのだそうだ。意識があるままだと悪酔いするので、この方法になった。


 広間の中央に、シェヘラザードが立って俺たちを待っていた。


 彼女は、俺たちが異世界で冒険している間は姿を現すことはなかった。サイードはたまに連絡を取っているようだが、それでも俺たちの前に生身で現れたことはない。

 だからか、異世界を訪ねている期間の長さに関係なく、ここで会えるとひどく懐かしいような気持ちになる。どれだけ不手際や悪ふざけがあろうとも、元の世界からの馴染みの顔を見られるのはほっとする。


「姉上」


 今回はサイードも同じ気持ちが強かったようだ。

 シェヘラザードがいつものように「お帰りなさい」とも言う前に、あいつは彼女の首に腕を回して抱きついた。故郷では彼女はサイードの実の姉を名乗っている。今回、並みじゃない苦労をしたあいつが家族にすがりつきたくなるのも頷ける。


「姉上…」

「お帰りなさい、サイード」


 シェヘラザードはサイードの背に手を添えると、ようやくそう言った。


「アーノルドも」

「ああ」


 サイードが彼女から剥がれると、彼女は俺たちを等分に見た。


「あなたたち、今回はとても疲れているようね。まずは少し休んだらどうかしら」

「それは…」

「大丈夫、休むだけよ。何も話していないのだもの、まだどこへもやらないわ」

「わかった。シェヘラザード、君には聞きたいことがたくさんあるんだ」

「ええ」


 それで俺たちはそれぞれの寝台へと別れた。

 俺の寝台は、元の世界で王宮の俺の部屋で使っていたものとまったく同じだった。サイードのもおそらく、同様に実家のもののレプリカなんだろう。

 服のまま寝台に身を横たえてほどなく、シェヘラザードが脇に立った。


「…シェヘラザード」

「はい」

「君には今回、散々世話になった」


 俺は、彼女に真っ先に伝えたかったことを言った。だが彼女の反応は素っ気なかった。


「私はずっと見守っていただけ。一切出番はなかったわ」

「…詠唱魔法を使った時、君に祈りを捧げるといつも支援してくれた」

「それはあなたの解釈ね。詠唱魔法は、自分の神に祈るの。エルフが詠唱すれば、彼らの神が助けてくれていると思うでしょうね。あなたは天上の主を私だと思っているから、私のイメージを感じたのよ」

「そうか…。君が直接力を貸してくれていたのかと思ってた…」


 俺は真実を聞いて少しがっかりした。

 この件以外は多分クレームしかないから、先にいい話をしておきたかったのに。

 俺の考えを読んだわけでもないだろうが、彼女はフッと笑った。


「さあ、もう眠りなさい」


 彼女が両腕を掲げると、上掛けが現れて俺の上に落ち、同時に寝台がカーテンで囲まれた。

 彼女の姿は消え、俺は眠りに落ちていった。


* * *


「シェヘラザード、君に聞きたいことがたくさんある」

「ええ」


 休息の後、俺たち三人は広間に腰を下ろして向かい合っていた。

 恒例の愚痴とクレームの時間だ。


「あの世界は、なぜあんなシステムなんだ?」

「どれのことかしら」

「『冒険者は三度死ぬ』システムだ」

「…ごめんなさい。あなたたちには言えないわ」


 この回答も恒例だ。

 『なぜ』という質問、特に世界の仕組みについての『なぜ』に、彼女が答えてくれたことはほとんどない。わかりきってはいても、毎回俺も聞かずにいられない。その仕組みのせいで、いつも理不尽な思いをするからだ。


「じゃあ、あのシステムは、あの世界にとって果たして有益なのか? 逆に有害なシステムじゃないのか?」

「それはあの箱庭の住人が決めることよ」

「だが、あのシステムのせいであの世界は――冒険者たちは使い潰され、統治者にいいように利用されている」

「冒険者自身もそのシステムを前提として生きているわ。受け入れた上で、したたかに生きているわ」

「システム自体を疑う奴はいないのか?」

「わからないわ。でも現れる可能性はあるわ。…そうね、私も期待しているの。その時箱庭の歴史が大きく動くはずだから」

「…そうか」

「アーノルド、あなたはあの箱庭の住人ではないわ。あなたが経験したことは、あなたの箱庭――元の世界に帰った時に活かしてほしいの」

「…そうだな。…それが、俺の課題だったな…」


 俺は黙らざるを得なかった。

 いつも、冒険が終わるたびに聞きたいことをたくさん抱えて帰ってくるが、『なぜ』を封じられてしまうとほとんど質問できることがない。


 一体、なぜなんだシェヘラザード。

 なぜ、あんな世界ばかり創るのか。

 なぜ、あんなに様々な世界を創るのか。

 なぜ、君がその仕事をしているのか。


 だが、そのどの質問にも君が答えることはなかった。

 そして俺には、確かめられない質問ばかりが増えていく。

 君は関わるほどに謎が増える。

 解き明かせる日はくるのだろうか。


 …どうも気がそれているな。質問を変えよう。『なぜ』の対象を俺自身に向けるのだ。

 一体俺はなぜ異世界を巡ってばかりいるのか? ――いや、この問いもただの足踏みだ。彼女に聞かなくてもわかりきっている。

 必要なのは『なぜ』ではない疑問詞だ。


「シェヘラザード、この課題はいつまで続くんだ? 君が俺に焚き付けた以上、終わりの判断も君がするんだろう?」


 シェヘラザードは即答を避けた。


「ヴィンセント――この課題を出したあなたの父上は、今のあなたを見れば成果は十分出ていると、きっと思うわ。…でも」


 彼女は言葉を切り、そのつややかな黒い瞳で俺を見つめた。


「アーノルド、あなたにはまだ果たしたいことがあるんじゃないかしら」

「……」


 俺は自分の右手に視線を落とした。いくつもの冒険をくぐり抜けながら、いまだ無垢にも思えるこの手。


 確かに俺には、あと一つだけ望んでいることがあった。

 今回のあの冒険の中で、その経験が俺に足りないとはっきり自覚した。

 父上は、それが何か知っている。

 それを俺が経験してくるかどうか、俺に委ねている。

 もし挑戦しても、シェヘラザードが俺を敗北させることはないと信用しているのだろう。


 俺は手を握り込み、答えた。


「頼む」


 この期に及んでもしわがままが言えるなら、次の世界はもっと生きてるって感じられる世界がいい。

 仮り初めの死ばかりの世界では、どれだけ真剣に生きてるつもりでも、それも仮り初めになってしまいそうだ。

2023/1/7 サブタイトル変更

2024/7/13 修正

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