8話⑥ レベルアップ
* * *
「……」
床の軋みと衣擦れの音に、俺は枕の下を探った。
上掛けが持ち上がると同時にナイフを抜こうとしたが、鞘を中途半端に構えたまま動きを止めた。
「…ジル」
先程酒場で大喝采を浴びていた彼女が俺のベッドにかがみ込もうとしているのが、壁際の小さなランプでも十分見えた。つくづく夜這いの好きな女だ。
サイードがまだ帰ってないからと、鍵をかけなかったのが仇になったようだ。夜はそれほど深くない。俺が酒場からこの定宿へ早めに帰ってきただけだ。
「君との話は、もう終わったんじゃないのか」
「名残惜しくてね。…もっと『話』をしないかい?」
俺の全身に鳥肌が立った。俺は勢いよく起き直ると、後ろへ下がった。それがまずかった。ジルはベッドに手をついて寄ってきた。寝る時シャツを脱がずにいて助かった。
「だめだ。出ていってくれ」
「ねえ、恥をかかせないでよ。あたいは明日にゃいないんだよ。誰が気にするって言うんだい」
「俺が気にする」
悪手の返事だ。
「へえ、気にしてくれるのかい」
そらな。
「なぜこんなことをする」
「感謝だよ、そう言ったろ。あたい頭が悪いからさ、他に感謝の伝え方がわかんないんだよ」
「さっき十分受け取った。それに、こんなことをしてたら結局何も変わらないだろう?」
「人の指図じゃないよ。あたいが自分でそうしたいんだ。あたいをあんたに捧げたいって思うんだよ」
「やめろ!!」
「アーノルド」
「呼ぶな」
「ねえ」
ジルはなかなか引き下がらなかった。いやな汗が湧いてくる。蛇に睨まれた蛙も同然だ。食われたくはない。
その時、誰かが廊下を駆けてくる音がした。助かったと思ったが、飛び込んできたのはサイードではなかった。
「アーノルドさん!!」
「フィオナ!?」
ジルが舌打ちして身を起こした。俺はわけがわからなかった。
「何でこんな時間にここへ来る? 君との話も終わったはずだ」
「あたし、粗々だけどアイテムができたので嬉しくて、一刻も早く報告したくて探してたら、酒場でサイードさんから聞いて、そしたらジルさんが先に行ってるって…」
あの野郎、飲んで気が緩んだな。
俺は頭を抱えた。
「…経緯は分かった。だが深夜にうろつくのは君自身が危ないんだぞ」
フィオナは入口から中へと踏み入ってきた。
「大丈夫です。ずっとアイテムを付けてたので、ここまで誰にも絡まれてません!」
そういう問題じゃない。アビリティがなくたって夜は危ないんだ。
「お邪魔だねえ。あたいたち、これから大事な話をするとこなんだよ」
ジルが割って入った。俺は急いで手を振った。
「へえ。そんな風には見えませんけど? そういう大事な話なら、あたしもぜひアーノルドさんにしたいです」
フィオナは『ぜひ』に力を込めて言うと、とうとうベッドに腰掛けた。何だこれ。何かおかしな状況になってないか。
俺は二人から距離を取ろうとして、壁に背を押し付けた。
フィオナが熱っぽく話し始めた。
「アーノルドさん、あたし、アーノルドさんに本当に救われました。アーノルドさんは、紳士的で、優しくて、本当に不思議な魅力を感じる人です。あたし、あなたのことこれからもっとよく知りたいんです。そりゃいざとなったらジルさんの方を皆好きかもしれないけど、あたしアーノルドさんなら」
「待て。待て、待て! 君まで一体何を言おうとしてるんだ!?」
本当に何が起きてるんだ? せっかく嫌われもせず穏便にやりおおせたと思ったのに、どうしていい話で終わってないんだ?
前の世界と違いすぎる。
俺は普通にしてたはずだ。世界なんか関係なく、ずっと俺自身の価値観で動いてた。なのに前はさっぱり結果が出ず、こっちでは過剰なくらい感謝されてる。おまけにろくな手順も踏まずにベッドにまで乗り込まれる始末だ。
俺が今までしてきたことは、実は間違ってなかったのか?
俺は悪くなかったのか?
おかしいのは令嬢たちのほうなのか?
この世界の彼女たちのほうがまともなのか?
「アーノルドさん、あたしじゃダメですか?」
「アーノルド、あんたじゃなきゃダメなんだ」
俺は言い募る彼女たちを交互に見た。
こんな顔で見つめられたことなんか、ついぞなかった。
彼女たちはまるで、旱魃でひび割れた地に急に湧き出した水みたいだ。
「アーノルドさん」
「アーノルド」
俺の胸の中で、打算と本音と渇望が激しく吹き荒れ、代わる代わる俺を揺さぶった。
だが最後には誇りが勝った。
ここで流されたら俺は卑怯者になる。どっちの世界の女性も貶めることになる。
「…出てってくれ」
俺は片手で顔を覆うと、低い声で言った。
「俺に構うな。俺は、君たちが自由になる手助けをしただけだ。下心なんかなかった。俺は君たちを求めてない」
俺からも自由になってくれ。
喋るうち、俺の顔は膝に沈み込んだ。
二人は黙ると、ベッドから立ち上がった。
「今度こそ話は終わりだ」
彼女たちは部屋から出ていった。
入口で、けりが付くまで待っていたサイードの気配があった。
お前がどんな表情をしてるかわかってる。
お前は俺の従者じゃないんだから、何も言ってくれるなよ。相棒らしくしててくれ。
俺は顔を伏せたまま大きく息を吐いた。
旱魃地には、少しだけ滴が落ちた。
<『魅了耐性』がLV7にレベルアップしました>
<『魅了耐性』がLV8にレベルアップしました>
第八話終了です。
今後はこういった前書きが必要になるようなエピソードはありませんので、改めて続きをお楽しみいただければと思います。
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2023/1/7 サブタイトル変更
2024/7/9 修正




