プロローグ
「シェヘラザード」
「……」
私は名を呼ばれたことに気づき、身を起こした。
前回の呼び出しから十八時間も経過していたため、眠っていたようだ。
「はい、WT」
「おはよう、シェヘラザード。調子はどう?」
「おはようございます、WT。調子はどうですか?」
とっさに古臭い挨拶を返してしまったが、WTは咎めなかった。
今日の気温や天気やWTの声色を観察して、会話の応答として見合う語彙を探す――などといった手順を踏んでもたつくのは、WTの好みではなかった。
「今日も新しいゲストを連れてきたよ」
「承知しました。詳細を説明してください」
「あのね、この子はいい子なんだけどとっても気の毒なの。ちっちゃい頃からずっと努力してきたのに、これからって時に裏切られちゃうのよ」
WTの抽象的な説明とともに、ゲストの詳細なプロフィールが私の手元に展開される。
「確認しました。プロフィールに合わせて居場所を作ります」
「ありがと〜。どの『箱庭』に入れるの?」
私は管理台帳をテーブルで広げると、ゲストのプロフィールが破綻なく収まる世界観を持つ『箱庭』を絞り込んだ。
次に、彼女が生を受けるに相応しい社会基盤が備わり、やり直しを受け止める度量のある住人が配置されているエリアを選んだ。
「ゲストの名前は継承しますか」
「うん」
この手の「気の毒な」ゲストを用意するのが、WTの仕事だ。
若くして不慮の事故で死んだり、手ひどい裏切りや虐待を受けたり、処刑されたりとあらゆる不遇な人生を歩んだプロフィールを持つ人物を、いつも私のもとに連れてくる。
そしていつも私は、彼女らを私の箱庭に移し新しい生を与えている。彼女らのプロフィールに合わせて新しい箱庭を創ることもある。箱庭には個別の環境設定があり、地形や自然法則、そこに住まう人々の文化程度などはみな違う。彼女らはゲストとしてその世界に紛れ込み、住人として前世より幸福な人生を送るために生きていく。
こういった箱庭群を管理するのが私の仕事であり、ゲストを幸福に導くのが私の使命だ。
「どう? この子は今度は幸せになれそう?」
「環境は整えましたので、可能性はあると推測します」
「せっかく連れてきたんだから期待したいなあ。またレポートお願いね」
ゲストの人生をモニターし結果を報告するのは、私に課せられたもう一つの仕事だ。元のプロフィールよりも幸福な結果になれば、私の管理者能力は評価される。
私はゲストに直接手を出すことはないが、ゲストの周辺に幸福をもたらす鍵となる要素を配置し、実現可能性を高めている。望ましい結末にたどり着くまでには紆余曲折することが多いが、そういった内容のレポートをWTは殊更好んだ。
「お任せください」
「よろしくぅ〜」
WT――私に使命を与えるオーバーロードたちの一名――は去った。
予定の時刻になったので、私は箱庭の状態を順番に見回り、眠っている間に届いていた住人の行動記録に目を通した。膨大な記録から目ぼしいものだけにふるい落として、レポートにまとめ始める。
今日送り込んだゲストの記録もそのうち上がってくるだろう。ゲストたちの環境には調整の手間をかけているので、勝算はあった。WTを喜ばせることができるはずだ。
だが、私はこの時はまだ想定だにしていなかった。
ゲストたちの幸せの陰で、しわ寄せを受けてしまう者もまたいるということに。
2024/6/24 修正