眉目秀麗との遭遇
自習室から眺める外の、強そうな日差しに季節の流れを感じる。
それだけ彼と一緒に過ごしたということで、つまりずっと一緒に居るということで、改めて考えると、少しくすぐったい。
「わからないところ、あった?」
さっきからペンが進まない私を気にした彼が、私を覗き込む。目の前に大好きな顔がドアップに迫り、一瞬息が止まる。
「ユイちゃん?」
「あ、ごめんなさい。外を、見てて」
「外?」
「日差しが強くて、季節が変わったんだなって、思って。タカトさんとここに来始めた頃は、日差しはもっと柔らかかったから」
私の言葉に、彼はゆるりと口角を上げた。
「そうだね。それだけ一緒に居たことになるね」
「学部は全く違って、カリキュラムも違って、でもこうして一緒に居られて、嬉しくて」
そっとノートを撫でる。入学した頃は新品だったこれも、この半年ほどでそれなりに使い込んでいる。
「これからも、こういうのを、積み重ねていきたいなって……」
彼の顔を見上げると、ほんのりと赤くなっていた。
「……それは、僕の台詞だよ」
伸びてきた彼の手が、優しく私の頭を撫でる。髪がくしゃくしゃにならないよう、気をつけてくれるところとか、本当に優しい。
「夏休み、結局花火以外はデートらしいことしなかったけど、良かったの?」
「うん。だってタカトさんと会えるのが、デートだよ。ほぼ毎日デートだったの、すごくない?」
「僕の彼女は、もう少し我儘を言っても良いんだけど……」
困ったように笑う彼は、だけどなんだか嬉しそう。
「毎日デートなんて、たいへんじゃない? 結構な我儘だと思うけど」
「それが我儘なら、なんて可愛い我儘だろう」
やっぱり嬉しそうな彼につられて、私もへにゃりと笑う。ほぼ毎日一緒に居たので、私の表情も随分とバリエーションが増えた気がする。そのほとんどは、彼に教えてもらったもの。
「可愛い我儘なら、大歓迎」
耳元で彼がそんなふうに囁くから、私は真っ赤になってしまった。
構内は学祭へ向けて盛り上がっていた。私も彼もサークルに入ってないし、彼はゼミの展示もないと言っていたので、二人揃ってフリーである。
正直、人の多いところは苦手だし、そもそも学祭に出なくても良いのでは? と、思ってた。
しかし。
「えっ、学祭行きたい」
「お姉ちゃん、お祭り好きだもんね」
「うん。楽しいイベントは、大好き!」
お姉ちゃんのリクエストにより、参加することが決まった。お姉ちゃんの学祭にも呼んでもらってたんだし、私の学祭にも呼ぶのが筋ってものだよね。
「ミスコンとかあるんじゃない? 出ちゃおうかな〜」
「そしたらお姉ちゃんが優勝だよ」
「いや、そこはユイが迎え撃つところでしょ?」
「まさか! 出ないよ。人前、苦手だし」
「残念。姉妹対決とか楽しそうなのに」
お姉ちゃん、お祭りの楽しみ方が本気すぎる。
「タカトさん、学祭ってミスコンある?」
二人で自習室に居るとき、気になって聞いてみると、彼がなんとも言えない顔をした。
「あるよ。ユイちゃんも出たい?」
「全然。でもお姉ちゃんが出ようかなって」
「あぁ……なるほど。お姉さん来るんだっけ」
彼が納得したように笑う。
「お姉ちゃん、お祭り好きすぎて、姉妹対決しよう! なんて言うの。困っちゃう」
「それは……、ちょっと見てみたいかも」
「こっ、困ります!」
彼がちょっと本気っぽい声で言うから、私が焦ってしまう。
「そうだね。ユイちゃんが有名になりすぎると、僕も困る」
私の焦りを宥めるように、大きな掌が頭を撫でてくれる。
「私、人前に立つの向いてないし、苦手だから」
ぐりぐりと掌に頭を押し付けると、彼が小さく笑う。
「お姉さんが参加するなら、当日の飛び込み枠だね。話題を総浚いしそうだ」
「あの……お姉ちゃんが勝って大丈夫なの?」
正直、構内の人全員を見たことないからわからないけど、でもお姉ちゃんより綺麗な人が居るとは思えない。
「飛び込み枠と通常枠は、システムが違うから大丈夫だよ」
「良かった。私、正直、お姉ちゃんより顔が整ってる人、構内に居ると思えなくて。本気でグランプリ狙ってる人とか居たら……って考えると、申し訳なくて」
「なるほどね。ユイちゃんは良い子だね」
緩く口角を上げた彼の笑顔は、とても優しいものだったけど。
「良い子では、なくない? だって、お姉ちゃんが優勝すると思ってるよ?」
「正直は美徳だよ」
なんだか、私への評価が甘い気がする。
学祭当日、私は彼と二人で広い構内を歩いていた。
普段はこうして歩いてると、チラチラと視線を感じるのが気になるけど、今日は学祭というイベントだからか、いつものような視線は感じなかった。気楽だ。
「すごい人だね……」
「そうだね。僕もこうして歩くのは初めてだから、正直驚いてるよ」
「初めてなの?」
「うん。店番も何も無いから、学祭に行こうなんて思わなかった」
並んで歩く彼が、にっこりと笑う。
「こうして一緒に歩く人も居なかったからね」
それは言外に、私と一緒だからこそ学祭に来たのだと言ってるようで(事実そのとおりなんだけど)少しだけ、気恥ずかしい。
「人混み好きじゃないのに、我儘言って、ごめんね」
「こんなの、我儘に入らないよ」
彼は本当に、私に甘いと思う。
大学まではお姉ちゃんと一緒に来たけど、構内で彼と合流してミスコン本部へ案内すると、さっさと申込を済ませて、あっという間に人混みへ消えてしまった。
「案内ありがとう! あとは適当にうろうろするから、ユイはタカトくんとのデートを楽しんで!」
お姉ちゃんの顔に浮かぶ踊るような文字は、完全に私を揶揄っていた。いや、きっと親切心もあるだろうけど。なんだか素直に受け取りにくい……。
「お姉さん、本当にミスコンに出るんだね」
「冗談かと思ってたら、本気だった……」
「サクッと優勝しそうだね」
「あはは……」
そんなことないよ、とは言えなかった。実際、九分九厘お姉ちゃんが優勝すると思ってるので。
休憩にベンチで座っていると、聞き覚えのある声がした。
「タカト」
振り向くと、鈴木さんだった。何やら大きなものを抱えてこちらへ歩いてくる。
「どうしたんだ、鈴木」
大きな体で大きな荷物を抱えて、のっしのっしと表現するのに相応しい動きが、少し微笑ましい。
鈴木さんが抱える大きな段ボールには、見慣れない書類の束や、ビニール袋に入ったたくさんの紙コップ、筒状になったポスターらしきものと、何に使うのかよくわからない道具たちが、ぎっしりと詰まっていた。
「実行委員会の手伝いでな。手が空いてるなら、少し手伝ってくれないか?」
「構わないよ」
「私も手伝います!」
私が挙手すると、鈴木さんは驚いた様子だった。なぜ?
「そうか。タカトが一人なわけなかったな。タカトに隠れて見えなかったよ」
鈴木さんはそうフォローしてくれたけど、全然フォローになってないし、改めて私が小さいという事実を突きつけられて、とても凹んだ。
しかし私は自分の矮小さも理解しているので、怒ったりしない。ショックだけど。正直ものすごくショックだけども。
「あの、何をお手伝いすれば良いですか?」
こんなときは話題を変えよう。私が小さいのは事実だけど、引きずったりしないぞ。
「紙コップは委員会本部に予備として届けて欲しいのと、書類は学生課に提出して欲しい。ポスターは道中の掲示板に貼ってもらいたくて、この小道具一式はミスコンに使うらしいんだ」
予想してたより、がっつりとしたお手伝いだった。
「じゃあ紙コップと書類は僕らでやっておくよ。ついでにポスター貼りも」
「悪いな、助かる」
私が紙コップの入ったビニール袋を受け取り、彼は書類とポスターを抱えた。
「僕たちもミスコンを見に行くんだ。あとで合流しよう」
「そうなのか? ならミスコン本部近くで待ってる」
小道具の詰まった段ボールを抱えた鈴木さんに手を振って、学生課への道のりを歩く。
「タカトさん、私、ポスター持てますよ」
「僕が持ちたいから、見逃して」
途中の掲示板に、ポスターを貼り付ける。私がやろうとしたんだけど、高さが足りなかった。ショックだ。
もしかしなくても、彼はこれがわかってて、私に持たせないようにしたのかも。優しさが沁みてしまう。
学生課に書類を提出したら、次は委員会本部へ紙コップの配達だ。
「ユイちゃん、袋もらうよ」
彼がそう言って私からビニール袋を取り上げた。
「これじゃ私、何もお手伝いしてないよ」
むっと唇を尖らせてみるけど、彼はそんな私を見ても、柔らかく笑うだけ。
「僕に元気をくれる係だから、胸を張ってください」
両手の空いた私の右手を、彼の左手が攫う。ぎゅっと握られて、そのまま歩き出す。
「今日、本当はずっと、こうして手を繋ぎたかった……って言ったら、幻滅する?」
「まさか。私もずっと繋ぎたかったよ」
「良かった」
途中、通りかかった掲示板に、またポスターを貼る。手持ちのポスターを貼り終える頃には、委員会本部に着いた。
「これ鈴木から」
慌ただしく人が出入りする本部に、彼がビニール袋を差し出すと、一番近くに居た人が出てきた。
「須藤! 助かるよ。鈴木にもよろしく。あとで顔出せって伝えといて」
その顔には、やや傾いた線の柔和な文字が浮かんでいる。ちょっと味のある文字だけど、なんだか良い人そう。
小さく会釈すると、その人は驚いた様子だった。
「えっ、何、噂の彼女?」
ほんとに小さいな〜、という言葉は、聞かなかったことにした。
「そうだ。自慢の彼女だから、ちょっかいは出すなよ」
彼が私をぐっと抱き寄せてから、本部の方を一瞥する。なんだかざわざわしてる。
「こっわー……鈴木からも聞いてるし、そんな命知らずなことしないって。本部の連中にも、言って聞かせとく!」
恐らく、にっこりという表現がピッタリであろう柔和な文字を浮かべて、その人は笑った。やっぱり、すごく良い人そう。
「須藤、もうちょっと手伝ってくれない? 大きな荷運びがあるんだけど、手が足りなくてさ」
「僕一人で足りるなら」
「マジで助かる! 彼女は立ちっぱなしも悪いし、この椅子に座って待ってて」
「わかったよ。ユイちゃん、ちょっと待ってて」
私を本部内の端にある椅子に座らせて、彼が手伝いに行ってしまうと、受付らしいスペースに、私一人が残された。私は部外者だけど、良いんだろうか……。
「失礼」
ぼんやりと行き交う人を眺めていたら、知らない声が降ってきた。はっと顔を見上げると、そこには見たこともないような、流麗で精巧に整った文字があった。
「ミスコンはどこで開催されるんだろうか」
私が初めて見る史上最高に美しい文字に気を取られてる間に、その人が目的を告げる。もしかして私、本部の人と間違われてるのでは……。
「……ここは学祭本部ではなかっただろうか」
反応の無い私に怪訝な声がかかる。整った顔の人は、声まで美声なのか。
「す、すみません。ミスコンでしたら、こちらが会場です」
構内地図を指差して伝える。道案内くらいなら、別に部外者とか関係ないし、良いか。
「ありがとう。助かったよ」
さっきより少し柔和な文字になった。たぶん、微笑んだと思う。なんかもう文字を構成する線から装飾品のような美しさだ。すごい。
「いえ。楽しんでください」
私が淡々と返答すると、相手はやや間延びした文字になって、驚いた様子だった。整った文字だと、間延びしても整ってるんだなぁ。なんて思いながら、整った文字の人を見送る。お父さんより綺麗な顔した男の人、初めて見た。
きっとあんな顔のことを、眉目秀麗って言うんだろうな。
「おまたせ」
それから程なくして、彼が戻ってきた。
「そろそろミスコン会場へ向かおうか」
「うん。あのね、さっきすごく整った顔の人を見たよ」
「え? ユイちゃんが見て整ってたの?」
「あんな整った顔の人、初めて見たからびっくりしちゃった」
「ドキッとした?」
「まさか。綺麗な文字だなぁって思うだけだよ」
「……僕、本当に幸運な男だなって改めて思うよ」
「そんなこと言ったら、私だって幸運だよ。好きな人が彼氏なんだから」
私が唇を尖らせると、彼は困ったように笑ったあと、嬉しそうな顔になった。
「僕も好きな人が彼女で居てくれて、すごく嬉しい」
ぎゅっと強く繋がれた手は、とても温かかった。
ミスコン会場に着くと、大勢の人で混み合っていた。みんなミスコン好きなんだな……。
「鈴木」
背の高い鈴木さんは、人混みの中でもよくわかる。つまり逆説的に、彼も鈴木さんからはすぐに見つけられる。
「タカト。あれこれ任せて悪かったな。助かったよ」
二人に挟まれると人混みの中なのにとても安定感があって、潰れる心配はしなくて良さそうだ。見た目の圧迫感がすごいけど。
「委員会本部にも顔を出せって伝言された。忘れるなよ」
「あぁ。そのうちな」
そろそろミスコンも始まるし、見えやすい位置に移動した方が良いのでは……と思っていたら、鈴木さんがあっさりとミスコン本部内へ入れてくれた。
「手伝ってくれたお礼。ここなら正面からは見られなくても、参加者全員を間近で見られる」
鈴木さんはそう言ってミスコン本部横のスペースに案内してくれたので、三人で並んで見ることになった。ミスコン本部の人に会釈すると、二度見された。どうして。
首を傾げていると、彼が人の視線を遮るように立った。壁が……目の前に壁があります。
「あんまり目立たないでね。ユイちゃんがミスコンに出てないの、ちょっと話題になってたから」
「えっ」
「そうなのか? でも三島さんがエントリーしてくれたって、ミスコン委員会がざわついてたけど」
「それ、お姉ちゃんです……」
「お姉ちゃん?」
鈴木さんが驚くのもわかる。いくら飛び込み枠があるといえど、まさか学外の人(しかも血縁者)が堂々と参加するとは予想もしなかったに違いない。
「お祭りが大好きで、全力で楽しむタイプの人です」
説明しながら眉が下がってしまうのは、見逃してほしい。ミスコン委員会さん、ざわつかせてしまってすみません。
やがてミスコンが始まり、参加者たちが私たちの前を横切ってステージへ上がっていく。お姉ちゃんは私に気づくと、小さく手を振ってくれたので、私も小さく振り返した。
予想した通り、やはりお姉ちゃんより整った顔の人は居らず、これはお姉ちゃんが優勝だなぁ、と思っていた。
最後の参加者の顔を見て、びっくりした。
さっきのすごく整った顔の人だった。男の人だったはずだけど、女装?
でもびっくりするくらい似合っていて、たぶん普通の人なら違和感なく女の人に見えてるのではないかな。私はバッチリ男性名が見えてるので、違和感すごいけど。
さっき見た整った顔の人だと教えようと、彼を見上げると、見たことない顔をしていた。な、なんだこの顔。どんな感情?
女装の衝撃も忘れて彼の表情に驚いてると、会場が水を打ったように静まり返った。たぶん、あの恐ろしく整った顔の女装さんがステージに立ったからだ。
あの顔を見てしまうと、もうお姉ちゃんの優勝は無理かなって気持ちになってきた。悔しいけど、お姉ちゃんより整った顔をしていたので。
そして普通の人から見ると、たぶんあの人が男性だって気づかないと思う。背は高いけど、スタイルの良いスレンダーめのすごい美人……に、見えるはず。
お姉ちゃんもスタイル良くてバランスの良い美人だけど、あの造り物めいた美しさと並ぶと、どうしても負ける。悔しいけど。
ミスコンのスタッフによる紹介と参加者による簡単な自己紹介があり、完全に流れは女装さんが有利だった。女装さんとお姉ちゃん以外の参加者はたぶん、早く帰りたいって顔をしてた。
お姉ちゃんのあんな驚いた顔、初めて見た。たぶんお姉ちゃんも、自分より整った顔を見たの、初めてだったんだと思う。
比喩でもなんでもなく、お姉ちゃんより整った顔なんて、そうそう居ないと思ってた。だからミスコンも、お姉ちゃんが優勝すると思ってたんだし。
まさかの伏兵というかダークホースというか、こんなジョーカーみたいな人が居るとは。人生って何が起こるかわからないものだなぁ。
気づけば会場からの投票に移ったらしく、自分の投票したい参加者に拍手で投票する形らしい。公開処刑か?
私はもちろんお姉ちゃんに投票したし、彼もお姉ちゃんに投票してくれた。なんと鈴木さんもだ。会場の三割くらいだろうか、そのくらいの人数と思われる拍手で投票された。
二人とも優しいなぁ、なんてぼんやりしてたら、お姉ちゃんのあと、女装の人への投票になると、会場中から割れんばかりの拍手喝采が起こった。圧倒的だ。
やっぱり整った顔は性別すら超越するんだ……と感心していたら、隣の彼から深すぎる溜息が落ちた。
「タカトさん、どうしたの?」
小声で問いかけると、ハッとしたような顔のあと、困った顔になった。
「何から説明したら……いや、むしろ説明したくないような」
なんならちょっと頭を抱えてる。こんな様子の彼を見るのは初めてで、私も戸惑ってしまう。どうしたんだろう。鈴木さんも彼の様子に驚いてるようだ。
会場の隅っこで、三人でおろおろしていると、優勝者が決まり、惜しみない拍手が送られた。しかし私はそれどころではない。
ミスコンの参加者は、みんなそのままステージを降りて去っていった。本部横へ戻ってきたのは、お姉ちゃんと女装さんだけ。
お姉ちゃんはわかるけど、なんで女装さんまでこっち来てるの? 知り合いでも居るの?
「や〜、負けちゃったよ。完敗だわ」
お姉ちゃんがさっぱりと笑う。
「私、お姉ちゃんより整った顔の人、初めて見たよ」
「わかる〜! 私も〜!」
負けたけど全然悔しそうじゃないお姉ちゃんは、やっぱりお祭り好きだから参加したんだろうな。
「……何をしてるんだ、兄さん」
頭を抱えていた彼が発した言葉に、場の空気が凍った。
……ニイサン。にいさん。兄さん?
「えっ!」
私は彼と女装さんを見比べる。……だめだ、全然わからない。文字と顔じゃ、次元から違う。私の脳内は混乱を極めていた。
「タカトの彼女に一目会いたくて。可愛いと聞いたから、ミスコンに出れば会えると思った」
右手を腰に当て、モデルのように立った女装さんが、胸を張って言う。その姿はとても様になるが、如何せん脳がバグる。姿かたちはすごい美人オーラ出てるのに、顔にはバッチリくっきり男性名が……ほんとだ。須藤って書いてある。なんでさっき気づかなかったんだろ。
「初めまして、私は須藤 貴士。こんなに美人の彼女なら、タカトが自慢したがるわけだ」
そう言ってお兄さんが手を取ったのは、お姉ちゃんだった。
……うん、なんか、まぁ、わかるけどね。
「初めまして。三島 マイです。タカトさんとお付き合いしている、ユイの姉です」
氷のような冷たさで、お姉ちゃんがお兄さんの手をぴしゃりと振り払う。ブリザードで凍死しそう。
「……姉?」
顔に浮かぶ文字が間延びして、とても驚いたらしいお兄さんが、焦ったように彼へ振り返る。
「タカト、どうなってるんだ」
「どうもこうもない。ユイちゃんがミスコンに出るって決めつけるからだろ。しかもなんで自分で出てるんだ」
「ステージならタカトに邪魔されずに話せると思った」
「……意味不明すぎる」
また彼が頭を抱えてしまった。でもその気持ちはすごくわかる。ミスコンのステージで私と話そうと思って、女装までして参加するのは……よくわかんない。
「あの、初めまして。タカトさんとお付き合いしている、三島 ユイです」
ぺこりと頭を下げると、頭上でお兄さんが息を飲んだ。
「きみはさっきの……」
「はい。会場、わかったようで何よりです」
「さっきは助かった。ありがとう。ところでどうしてミスコンに出なかった?」
「いや、待て。さっきってなんだ?」
頭を抱えていた彼が復活したようだ。なんかちょっと、不機嫌?
「さっき本部に居たとき、ミスコン会場の場所を聞かれて教えたの。ほら、ここに来る途中に話した、すごく顔が整った人」
「……まさか、あれが」
私の話にさっきの出来事を思い出したらしい彼の顔が、みるみる歪んでいく。
「こんな形で身内の恥を晒して、そいつを彼女とそのお姉さんに紹介しなければならない僕がどんな気持ちかわかるか、兄さん?」
「さっぱりわからない」
お兄さんはなんだか、彼とは随分と違うタイプのようだ。顔は……やっぱり全然わからない。
「自動ドアに挟まったカナブンを見ているようだよ」
場の空気がビシリと音を立てて凍りつき、一瞬後にお姉ちゃんが吹き出した。
「カナブン……! しかも、じ、自動ドアに挟まった……! だめ、面白すぎる……!」
私は笑うに笑えないし、彼は不満そうな顔をしているし、お兄さんは呆然としているし、お姉ちゃんは笑い転げてるし、鈴木さんはおろおろしてる。なんだこのカオス空間。
というか鈴木さん、巻き込んでごめんなさい。
「はー、笑った。なんて男だと思ったけど、タカトくんに免じて許します。ユイはミスコンに出なくても可愛いんですからね」
笑いすぎて涙まで浮かべたお姉ちゃんが、眦を拭いながらお兄さんに釘を刺す。さらっとディスりまで入れてるの、さすがお姉ちゃん。
「ごめんね、ユイちゃん。お姉さんも、すみません。兄にはよく言って聞かせます」
「や、タカトさん、私、気にしてないから」
「いいや、甘やかすのは良くない。じいさんにも報告して、ユイちゃんのことを自慢するのは程々にするよう注意しておくよ」
おじいちゃん、いつどこでどんな自慢してるんですか。
「ユイちゃん、申し訳ない。まさかミスコンに出ないとは思わず……」
「いや、もしユイが出てもあなたが優勝したら、嫌な思い出になってたでしょ。あと気安くユイちゃんって呼ばないでください」
お兄さんが私に言い募るのを、お姉ちゃんがぴしゃりと遮る。よ、容赦ない〜!
「あの、大丈夫です。本当に、気にしてません。とにかくみんな落ち着いて……」
なんだかピリピリしてるお姉ちゃん、それを援護して険しい顔の彼、流麗な文字が弱ってしょんぼりしてるだろうお兄さん、どうしたら良いのかと困った様子の鈴木さん。と、その状況に困り果てる私。カオス。
なんとかみんなを落ち着かせて(鈴木さんには謝り倒して帰ってもらった)、自宅に帰り着くと、ソファにダイブしてしまった。つ、つかれた……。
概ね楽しく過ごしたけど、驚きの遭遇があり、最後にとんでもない衝撃的な事件が勃発して、たいへんな学祭だった。