初めてのお付き合い
ずっと好きだった人に告白されて、無事に彼氏彼女になったわけですが。彼氏が素敵すぎて、会う度にドキドキしてしまいます。
「………あれ?」
どうしよう。道を間違えたんだろうか。でも、いつもと同じ道を通ってきたはず……なんで?
何回瞬きしても、目を擦ってみても、そこにあるものは変わらなくて。いつもの書店に来たはずなのに、なぜか私は知らない喫茶店の前に立っていた。
受験日の少し前から来てなかったから、約一ヶ月ぶりだけど……こんなに変わる?
混乱しながらウロウロと様子を窺っていると、ドアが開いた。カラン、と鳴るベルは、かつてと同じ音。
「ごめん、伝えるの忘れてた。とりあえず、入って」
店から出てきたのは、付き合い始めたばかりの彼だった。笑いを堪えるようで、堪えきれてない顔をしている。これは私の言動が面白かったときの顔。
彼に手を引かれるまま、店内へ足を踏み入れる。ふわりと漂う、コーヒーの香り。
見知らぬ店だと思ったけど、書店だった面影というか、店の奥に書架が並んでいる。喫茶スペースはそこまで広くなくて、むしろ書店に喫茶を後付したような気がした。
「僕が告白してオッケー貰った話をしたら、じいさんが店を改修したんだ。書店からブックカフェにするってさ。書店だとユイちゃんを雇う必要は無いけど、喫茶店ならウェイトレスが必要になるからって」
カウンターに私を座らせて、彼が言う。
「大学生になったらバイトしたいって言ってたろ? 同じ職場なら安心できるだろうって、バイトできる環境を作ったんだよ。もちろん、僕も賛成した」
カウンター越しに作業してた彼がカフェオレを出してくれた。私の大好きな、ミルクたっぷりのカフェオレ。
「私のために、そこまで?」
正直、ちょっと話が大きすぎて混乱する。私が働けるように、喫茶店にしてくれたってこと? 改修って、そんな気軽にできるようなことなの?
「前にも言ったろ。この店はもともと、じいさんが道楽でやってる店だ。だからじいさんがやりたいことを、やりたいようにやるんだよ」
カウンターを回り込んで、私の隣に腰掛けた彼が、顔を緩めた。その綺麗な目に見つめられて気恥ずかしくなった私は、カフェオレのカップに手を伸ばす。ミルクがたっぷり入ったカフェオレは、ほんのり甘くて美味しかった。
「ま、ブックカフェって言いながら、喫茶店なんだけどな」
「カフェと喫茶店、何か違うの?」
「営業許可が違うんだよ。喫茶店営業許可しか取ってないから、アルコールは提供しない。その方が安心だろ?」
私の彼氏と、そのおじいちゃんが過保護すぎる。そもそも、喫茶店とカフェが違うことも知らなかったです。本当に、私が働くためにお店を改修したんだ……。
「オープンは来週だから、それまでに少し研修しようか。メニューも多くないし、たぶん客もそこまで来ないだろうから、ユイちゃんなら三日くらいで覚えられると思う」
私のことを過信しすぎな気もするけど、実際やってみると本当に三日で覚えられてしまい、私のことを私以上に把握されてるなぁと、彼のすごさを実感した。
「それで、バイトすることになったの」
晩ごはんを食べながらお姉ちゃんに報告すると、顔に浮かぶ文字が間延びしていく。これはちょっと驚いた顔。わかる、私も最初は驚いたもん。
「ユイのために、店を?」
「なんか、アルコールを出さないために、喫茶店にしてくれたんだって」
カフェと喫茶店だと出す料理なんかも違うんだよ、と受け売りそのままで報告すると、間延びしていた文字が、緩やかに柔和になっていく。
「大切にされてるねぇ。有言実行の男、悪くないじゃん」
柔和な文字が丸みを帯びる。これはニンマリしてる顔。からかいを帯びた声色に、顔が熱くなる。きっと私の顔は、真っ赤になっている。
「そうなの。素敵な人なの」
俯く私の頭を撫でながら、お姉ちゃんの顔には優しい文字が浮かんでいた。
喫茶店のオープンから程なくして、私は大学に入学した。高校を卒業したらたくさんアプローチしようと思っていたので、彼と同じ大学だ。
学部は違うけど、同じキャンパスなので、一緒に過ごす時間が増えて嬉しい。講義を受ける棟は違うけど、図書館や自習室などは一緒に使える。受験勉強、頑張って良かったな。
ピカピカの新入生である私を、三回生の彼がサポートしてくれた。カリキュラムの組み方なんかは、とても参考になった。サークル勧誘なんかも上手く躱してくれて、本当に助かったのだ。
講義の空き時間には、二人で図書館や自習室で過ごした。たまに私の講義に彼が一緒に並ぶこともあった。大学って何でもありなんだなと驚いた。
三回生になると就活で忙しい、とお姉ちゃんに聞いたことがあるので尋ねたら、彼は大学院へ進む予定だから就活はしないと答えてくれた。
詳しいことはよくわからないけど、大学院へ進むなんてすごく頭が良いんだな、ということだけわかった。私の彼氏、素敵すぎる。
だいたい彼の講義の方が先に終わるので、いつも待たせてしまっているのが申し訳なくて。講義が休講になった初夏のある日、私が彼の学部へ迎えに行った。
学部が違うから当たり前だけど、随分と空気が違って驚いた。すごく視線を感じるのに、歩いているとなんだか、人が私を避けているような……?
遠巻きにされながらベンチに座って本を読んでいると、名前を呼ばれた。顔を上げると、彼が駆け寄ってくる。
「どうしたの? 講義は?」
「休講になったから、今日は私が待ちたかったの」
「だからってこんなところで……もっと涼しいところで待ってたら良いのに」
「いつもタカトさんが待ってくれるでしょ? 講義が終わって、待ってくれてるのを見ると、嬉しいから。タカトさんにもしてあげたくて」
読みかけの本に栞を挟んで立ち上がると、頭を撫でられた。
「ありがとう。すごく嬉しい」
ゆるりと柔和な笑みを浮かべる彼につられて、私も笑う。一緒にいると、自然と笑顔になってしまう。
移動しようと二人並んで歩きだすと、知らない声が彼を呼ばう。
「タカト」
振り向くと、知らない人が立っていた。遠目でもわかるくらい、周りより大きなシルエット。私たちが立ち止まったのを確認すると、こちらへ歩いてくる。一歩が大きいから、すぐに彼と並んだ。
「講義の資料。タカトが出たあとに教授が思い出して、配布した」
「あぁ、助かった。ありがとう」
何枚かのプリントの束が受け渡しされる。
二人が並ぶと、本当に壁のようだ。背の高さは同じくらいだけど、タカトさんは細身なのに対して、この人はがっしりとした体つきをしている。何かスポーツをやってるんだろうか。
じっと二人のやり取りを見つめていた私に、気づいた彼が紹介してくれる。
「ユイちゃん、こっちは鈴木。専攻は違うが同じ学部だから、入学した頃からの付き合いだ。鈴木、この子は彼女の三島ユイちゃん。」
「初めまして。鈴木 良太です」
やや無骨な男らしい線の、柔和な文字が浮かんだ顔。良い人そうなオーラを端々から感じる。
「は、初めまして! 三島 ユイです」
ぺこりと頭を下げると、小さく笑う気配。
「しっかりした良い子だな。しかも小さくて可愛い。タカトが隠したがるのもわかる」
「別に隠してるわけじゃない。彼女だと声を大にして言いたいくらいだ。でも、あまり見られると困る。いらぬ横槍を入れられたくない」
「そうだな。棟内では既に、可愛い子がベンチで座ってると話題になっていた。今も遠巻きに話しかけたがってるやつらが、そこいらに居るぞ」
「厄介だな……」
小さく溜息を吐いた彼が、私を抱き寄せて周囲を一瞥した。
「彼女が可愛いと、たいへんだな」
「苦労だとは思わないが、まぁ厄介だとは思うよ」
私は可愛いがよくわからなくて、彼らを見上げながら二人のやり取りをぼんやりと聞いていた。
晩ごはんを食べながら、お姉ちゃんが学校について聞いた。
「大学はどう? もう慣れた?」
「うん。タカトさんが、すごく良くしてくれるよ」
「有言実行の男、すごいな! めちゃくちゃ大切にしてくれてるから、もう文句とか何も言えないわ」
お姉ちゃんの顔に浮かぶ文字が、薄くなった。これは、ちょっと呆れてるときの顔。
「何か心配とかある? まぁ私が聞くまでもなく、タカトくんが解決してくれそうだけど」
頼りになる彼氏がいるとトラブルも起きないよね、と笑うお姉ちゃん。……思い切って、相談してみようかな。
「実は、ちょっと悩んでることがあって……」
「え、何? タカトくんに相談できないやつ?」
ぐっと身を乗り出したお姉ちゃんが、声を潜める。私もつられて、声を潜めてしまう。
「あのね、タカトさんはかっこよくて素敵だから、他の人もタカトさんのことを好きになっちゃうんじゃないか、心配なの。二人で構内を歩いてても、よく見られてるし……」
お姉ちゃんの顔に浮かぶ文字が、はっきりきっちりしたものになった。これは、真顔のとき。なんで?
「……ユイ、あの、一つ確認したいんだけど」
ちょっと戸惑ったような声。私がこくりと頷くと、お姉ちゃんが続けた。
「ユイから見たタカトくんは、どう見えてるの?」
とても慎重に言葉を選んだような問いかけ。私はその質問に、素直に答えた。
「すごく素敵で、格好良くて、私には勿体ないくらい綺麗な人」
お姉ちゃんの顔に浮かぶ文字が、ものすごく薄くなった。これは、とてつもなく呆れたときの顔。
「初恋の惚気ってこんな強烈なの? 胸焼けしそう」
そう言ってグラスを呷ったお姉ちゃんは、顔にゆるりと柔和な文字を浮かべて、私の頭を撫でた。
「あのね、こう言っちゃ何だけど、顔だけで見ると、タカトくん、一般的にはモテる部類じゃないと思うよ。そりゃ良い人だとは思うけど。ユイは彼女の欲目でフィルターがかかってるんでしょ」
「えっ?」
「ユイはタカトくんの顔しか知らないから、わからないかも知れないけど。わりと地味めな顔立ちだよ」
私の背景には雷が落ちたと思う。とても衝撃だった。
「じゃ、じゃあなんで、あんなに見られてるの?」
「それたぶん、タカトくんを見てると言うか、この地味めな男にも可愛い彼女が居るのかって見られてるんだよ」
「なんで? というか、可愛いって何?」
お姉ちゃんの顔の文字が、一瞬強張ってから、すぐに薄い文字になっていく。ぎょっとして、呆れてる? なんで?
「あー、そこからなんだよね。おっけー、説明する」
人の顔には美醜があって、だいたい同じくらいの顔面偏差値でカップルが成立することが多いらしい。それに当てはめると、私と彼だと、同等ではないから注目されるのでは、とのことだった。
「なんで? 私なんて普通だよ」
「いや、あのね。何回も説明したけど、私やお母さんと並ぶと地味に見えるだけで、ユイは普通に可愛いんだからね。パッと見ただけじゃわからなくても、よく見ると可愛いんだよ」
「その可愛いがわからないんだけど……」
「あー、だから、顔の造りが整ってるってこと! バランスが整ってると、一目見て綺麗とか可愛いってわかりやすいの」
「つまり……?」
「パッと見て地味めのタカトくんと、よく見ると可愛いユイが歩いてると、目立つってこと」
なんてこった。彼が注目されてたのは、私のせいだったのか。
「いや、逆にラッキーだと思うよ? 彼氏の顔が良すぎるとトラブルも多いし。それにユイは好きな顔なんでしょ?」
「うん」
「それなら良いじゃん。初めての彼氏で心配になる気持ちもわかるけどさ。それこそ二人で話し合っていけば、解決できるよ」
お姉ちゃんはやっぱりすごい。私の心配を吹き飛ばしてしまう。
「お姉ちゃんはタカトさん、好きになったりしない?」
「えぇー。タカトくんは良い人だと思うけど、私の好みじゃないのよね。細身すぎて。もっとガッチリしてないと」
筋肉が足りないわ! と笑い飛ばすお姉ちゃんは、どうやらマッチョ好きらしいと判明した。すごくほっとした。
私に見える顔は、自分以外だと彼の顔だけだから、美醜については判断できなかったけど。
どうやらその顔が地味めだったらしいことに、衝撃を受けました。
地味めって何? どういう基準? 私の顔と何が違うのか、さっぱりわからない。