驚(きょう)のわんこ
犬と猫、どちらが好きかと聞かれたら、僕は迷わず前者を選ぶ生粋の犬派だ。
毎日動画共有サイトにアクセスして、ごまんとあるラブリーなわんこ動画を漁るのが、日々のルーティンワークである。
さあれども、実際に自分でわんこを飼った事は、今までに一度もなかったりする。
だって、直にわんこに触れるのは怖いからね。
かてて加えて、よしんば、わんこを撫でてこねくり回せる所まで辿り着けたとしても、わんこの抜け毛が衣服に付きまくっちゃうし、犬くさい口で僕がペロペロと舐められちゃうかもしれないだろう? それってばっちいじゃないか。
以上のような理由から、僕は映像だとか、或いは散歩中のわんこを離れた場所から視界に入れるだけで、いとも容易く満足感を得られちゃう人間なのだ。
さてさて、僕のご近所に一匹のウェルシュ・コーギーを飼っている家屋がある。そこのコーギーは外飼いである為に、そのお宅の玄関前へ行きさえすれば、いつだって見物が可能である。
勿論、よそ様の敷地なので中に入る事はせずに、飽くまで僕は見るオンリーだ。
ここのコーギーは非常に大人しい性格で、誰かにけたたましく吠えている姿なんて見た事が無いし、僕の理想のわんこだと言えよう。因みに、散歩中のコーギーに遭遇する事もちょくちょくあったりする。
こんな感じで、いざコーギーと視線が合った時などは、自ずと僕が「どうも」と言いつつ、コーギーに軽く会釈をするのが定例行事となっている。当たり前だが、あちらさんはきょとんとした表情を見せるだけなのだがね。
そんなある日のこと、コーギーはいつものように、御家の庭先でゆったりとくつろいでいる御様子。なので、僕も普段通りにペコリと頭を下げて通り過ぎようとすると、「よう、兄ちゃん」と何者かに声を掛けられたのだ。
周囲に人の気配は無く、僕がその場であちこち見回していたら、「おい、こっちやがな、兄ちゃん。ワシやワシ。ワシやがな」と言われる。
声のする方向に顔を向けると、何とボイスの主はあのコーギーであったのだ。
そりゃもう、最初はエラく驚いたのではあるが、僕の中に潜むツッコミスキルが瞬時に発動し、「と言うか、なんで関西弁やねん?」と、僕も負けじと関西弁で応戦した。
すると、件のコーギーは答える。
「そないなもん、ワシなりの照れ隠しに決まっとるやんかいさ。ネット上の某巨大掲示板サイトやと、頻繁に見られる現象なんやで。知らんけど」
なんのこっちゃ。意味不明。あんたとはやっとれんわ。もううええわ。
構わずに、コーギーはこう続ける。
「あんな、ワシら犬っちゅう種族はの、余命幾許も無くなった時にやね、「人間の言語で親しい者とだけ会話をする機会が与えられる」みたいなんよ。ごく稀に神様のお許しが出んねんて。ホンマありがたいこっちゃで。せやけど、ワシも15年もの長きに渡って生きてきたさかいにな。……そうやなあ~、恐らく明日辺りには、ポックリ逝くやろうで、ナハハ!」
……ですってよ。なにわろとんねん。なにがおもろいねん……。
「兄ちゃんがワシに挨拶をしてくれとった事とかな、地味に嬉しかったんやで。……まあ、今日でお別れじゃけぇ、今までありがとの。げに、楽しかったわ。……元気でな、兄ちゃん。じゃあの」
と、コーギーは僕にさようならの言葉を述べた。
どうでもいいけれど、「最期の方は広島弁になっとるやんけ」と、心の中でツッコミを入れながら、僕は涙した。
そうして、その翌日からは、昨日の宣言通りに、もう二度とコーギーの姿を見る事は叶わなかった。
だがしかし、それから一週間も経たぬ内に、再び別のわんこがあの家に迎えられていたのだ。まだ子犬のウェルシュ・コーギーである。
僕は声に出して「いや、そら早すぎやって!」と、思わずその子犬のコーギーに、超神速でツッコミを入れてしまった。
まだ先代のコーギーが召されて間もないと言うのに、とっとと新たなコーギーを受け入れて不謹慎だとか、そうした感情から出た台詞では断じてない。
これなる子犬のコーギーが、「よう、兄ちゃん」と声を発したからだ。