第六話 勇者の名乗り
アトロはグルブドに投げ飛ばされた女性を抱えたまま森を抜け、テオールの町に帰ってきた。
見れば、街路の中央に人だかりが出来ている。
「――お願いです。助けてください。この子を、私たちの娘を」
何かあったのかとアトロが覗くと、人だかりの中央には、先程グルブドが連れてきた傷だらけの女性とその女性に魔法を掛けているレイラがいた。
「息があるから命は大丈夫だと思うけど、かなり酷い傷……」
レイラの手から放たれる淡い光は回復魔法の一種だ。それが傷だらけの女性を包み、少しずつではあるがその傷を癒している。
と、その様子を見ていると横にいた老人がアトロの顔を見る。
「お、おいアンタ。何もんだ、剣なんか持って。それにその女……マヤじゃねえか」
その老人の声で、先程までレイラに向いていた人々の視線がアトロに集まる。
そしてそれは、レイラも同じで。
「……アトロ」
ただ小さく、そう呟いた。
「この女性は、無事です。どなたか、代わりにこの方を」
「俺に任せてくれ」
アトロは女性を下ろして、任せてくれと言った先程の老人に女性を預けた。
「で、でもよぉ兄ちゃん。この子は、マヤはグルブドに投げられて……どうやって助けたんだ」
「走って助けました。ギリギリでしたが、何とか。それより、レイラ。グルブドはもう行ったのか」
アトロはレイラの元に駆け寄りながら、そう尋ねた。
「え、ええ。さっき離れたばかりだけど、今日はもう来ない筈だから大丈夫よ。それより」
「ああ、分かってる」
レイラの返答を受けて、アトロも直ぐに傷付いた女性に回復魔法をかける。
先程の女性を助ける際に結構魔力を消費したが、この程度ではまだ尽きない。残りの魔力を全て注ぐつもりで、アトロは回復に徹する。
「すごい」
誰かがそう呟くのが聞こえる。
その声の通り、先程までは微々たる回復しかしていなかった女性の身体は、アトロが加わった事で、ハッキリと変化が分かるくらいに回復していっている。
勇者であるアトロは、剣術だけで無く魔法にも長けている。それこそ、魔法使いの実力だけで言えば上位に食い込むレベルだ。
「よし、これで取り敢えずは外傷も塞がっただろう。お疲れ、レイラ」
「うん。ありがと、アトロ」
レイラが満足げに微笑んだ。その表情は、今までアトロが見てきたレイラの表情の中で一番生き生きとしていた物だった。
きっと、彼女にとってもこの女性を救ってあげられたことに喜んでいるのだろう。
「ああ、ありがとうございます。私たちの二人の娘を救ってくださって」
アトロが振り返ると、そこに居たのは先程グルブドの前で頭を下げていた夫婦だった。
二人の娘と言うのは、この傷付いた女性――ミラと、先程アトロが助けた女性――マヤの二人だろう。
「はい。何とか助けることが出来て良かったです。レイラの助けも合って」
「お二方の尽力には感謝の言葉しかないです。ですが、失礼ですが貴方はどなたなのですか? この街では見ない顔のようですが」
夫婦のうち、婦人の方がアトロにそう尋ねる。その問いかけに対して、アトロは一瞬間を置いた。その脳裏に浮かぶのは出会った際のレイラの苦悩だ。
勇者が魔王に殺されたせいで、人類は魔族の支配を五年もの間受け続けてきた。
そしてそれによって多くの命が奪われ、多くの人が傷ついたと。更にその片鱗を間近で見たことで、アトロの心には波紋が広がっている。
だが、それでもアトロは街の人たちに聞こえるような声で、
「俺はアトロ……勇者です。この街を、救いに来ました」
真摯にそう答えた。
その言葉に住人たちはざわつき始める。
しかし、住人たちのその表情は何処かはっきりとしない曇っているものだ。
やはり、勇者といったからと言って素直に受け入れられるような状況ではないのは、レイラの反応から知っていた。
それでも、この街を救うためにも名乗るべき名前は冒険者のアトロではなく、勇者のアトロである。
快い反応は期待していない。ただ、心に留めて置いて欲しいだけだ。
「……そ、それは誠ですか?」
住人の一人がアトロに尋ねる。見れば、その人物はグルブドが来た際に街路の真ん中で一番に頭を下げてグルブドと会話をしていた、四十代くらいのあの男性だった。
「はい。そうです」
しかし、アトロは多くは語ろうとせずに短い返事をした。
きっとレイラと同様に、信じてくれないのだろうから。例え、二人を救って登場したとはいえ五年越しに現れた勇者を誰が祝福するのだ。
それに、アトロには彼らを長い間ここまで苦しめた責任がある。
アトロの返事を受けた男性は深く俯いた。
「そうですか……った」
「――」
「よかった……勇者様が来てくれたんだ。この街を、救いに来てくれたんだ」
男性はその場に座り込んだ。喜びの声は少し掠れ、その目からは涙がこぼれていた。
「ゆ、勇者様だ。俺たちを助けに来たんだ」
「ようやく……解放される」
「私たちも、報われるのね」
アトロを囲んでいた住人たちが皆、涙を流していた。
感嘆の声を上げるもの、その場に腰を落とすもの、互いに抱き合うもの、形は違えど皆が勇者であるアトロの来訪に喜んでいる。
その光景は、アトロの胸に深く刺さった。
「あ、あの信じてくれるんですか?」
アトロは声を上げた。
レイラの時と反応が大きく違う。そのことに戸惑っているのだ。
「当たり前だろ! 勇者が殺されたんて、ありえないって思ってたぜ。だから勇者が来てくれたなんて、これ以上うれしいことがあるかよ」
その言葉がアトロに響く。
町の寂れた様子に、魔物に服従を示す住人達、女性を傷つけられて感謝を述べる、皆の瞳から希望が消え、虚空を見つめるそれにアトロは後悔していた。
自分がもっとしっかりしていれば、あの時魔王を倒せていれば、こんな苦しい思いを彼らが味わうことはなかったと。
五年もの長い年月が経って今更現れた自分に、誰も喜びはしないとそう思っていた。
だけど、違った。
彼らの喜ぶこの光景を見て、アトロの胸が熱くなった。
「ありがとうございます、勇者様。どうか我々を救ってください」
その言葉がアトロを強くする。その言葉がアトロに勇気をくれる。
だからアトロは、その瞳に光を宿して、曇りなき表情で口を開いた。
「――任せてください。必ず俺がグルブドを倒します」
その決意に住人たちが沸いた。
「勇者様、グルブドの野郎はこの町を巡回しているから、ここを抜けて向こうの方に行った。アイツの城はこの街の中央にあるから、待ち構えるのがいい」
一人の住人が指さす方向には、大きな石造りの城があった。
それはここに来た際にレイラが指し示してくれた城だ。形状は歪であるが、グルブドの体の大きさに合う巨大な城である。
また彼の言葉からグルブドはこの街を巡回しているらしい。確かに町中で戦闘を始めるより、巡回中の今のうちにあの城で待ち構えるのもいい手だろう。
「馬鹿おめえ、勇者様はマヤを救ってミラにありったけの魔法使ったんだぞ。今日は休まなきゃだめだべ」
「そうよ。助けて下さるのは何も今すぐじゃなくても十分よ」
住人たちが思い思いの言葉を述べて、アトロに協力してくれる。先程までの暗い雰囲気が吹き飛ぶくらいに皆が笑顔を取り戻してくれた。
「――それじゃあ、今日は一旦休みます。だいぶ魔力が減ったんで、明日に備えるために」
「おうよ。勇者様、俺たちは応援してるぞ」
住人たちと一通り挨拶を交わして、アトロはレイラの元へと向かった。
「レイラ、悪いけど一泊だけさせてくれないか。何度もお世話になってばかりで申し訳ないけど」
「ううん、大丈夫よ。私のしたことと、アトロにしてもらうことじゃ大きさが違うもの」
レイラが小さく微笑む。しかし、アトロはその微笑みに少しだけ違和感を感じた。
「……そんなことはないよ。レイラには十分感謝してるさ」
「ありがと。それじゃあ、家に行きましょ」
「ああ」
そう言い残して、アトロとレイラは並んで住人たちの集まる場所を離れた。
レオの姿は見えなかったが、きっと家にいるのだろう。
「にしても、レイラって回復魔法が使えるんだな。すごいじゃないか」
この世界の人々は簡単な魔法を使えるものは多いが、攻撃や身体能力を向上させるなど応用した魔法を使えるものははっきり言って少ない。
そして、回復魔法なんて言えば並の魔法使いの内、十人に一人のレベルでしか実用には向かないレベルで難易度が高い。
見た感じでもレイラの回復魔法は戦闘に十分に役に立つ。それこそ、冒険者として活躍するのも難しい話ではないくらいに。
「お母さんに教えてもらったの。いつか、守りたい人が出来た時に何かしてあげられるように、って」
「いいお母さんだな。じゃあレオが器用に魔法が使えたのも、お母さんのおかげか」
「ううん、レオはお父さん。お母さんは回復専門の魔法使いで、お父さんは攻撃専門の魔法使い。昔は一緒に冒険者として、旅に出てたんだって」
その言葉を語るレイラの表情は、何処かうれしそうで、何処か悲しそうだった。
彼女たちの両親が冒険者だったからこそ、レオはきっと冒険者に憧れていたのだろう。
「そうか。いい両親だな」
「うん。毎日が楽しかったわ。でも、そんな日々ももう戻ってこないの。お母さんとお父さん、亡くなっちゃたから」
アトロは、レイラの顔を見ることが出来なかった。
自分から振った話だが、きっと彼女は今、辛い顔をしていると思ったから。
森にいた時にレイラが言っていた。たくさんの冒険者たちがグルブドを倒しに来た、そして誰も帰ってこなかったと。
きっとその中にはレイラたちの両親も居たのだろう。そして、二人はグルブドの手に掛けられたのだ。
「ごめんね。アトロの前でこんなこと」
「いや、俺の方こそ悪いよ。なあ、レイラ……レオが勇者を嫌いなのって」
「……ええ、そうよ。あの子は、勇者が好きだった。でも、勇者が魔王に負けたことで、グルブドがこの街に来て、お母さんたちが殺された。それであの子は勇者を恨んでいるの」
レイラが話し終わったと同時に、レイラの家についた。
最初に来たときは、昼間だったので明るかったが、今は夕方にさしかかろうとしているため、少し暗い雰囲気を醸し出している。
アトロはレイラの言葉を受けて、レオとどう接すればいいのか分からなかった。この街の住人のようには快い対応はしてくれないだろう。
レイラに勇者について話さないでという口止めに従うべきか、それともいずれバレるなら今のうちにレオの言葉を全て受け止めてあげるべきか。
「ただいま」
「お邪魔します」
レイラが扉を開いて、それに続くようにアトロも家の中に入っていく。
「お帰り、姉ちゃん……それにアトロも。……さっきのこと聞いたよ。アトロって、勇者だったんだね」
玄関を開けた先に、レオがいた。
だがアトロを見つめるその瞳は、明らかに敵意を孕んでいるものだった。