第四話 辿り着いた町
「ここが、魔物に支配されているって言う……テオールの町」
アトロの視界のに映るのは、どことなく寂れた雰囲気を醸し出す町の風景だ。薄汚れている家屋が連なり、その間を通る街路は所々で舗装が剥げている。
アトロが以前訪れた時とは似ても似つかない風景がそこにはあった。
魔物に支配されていると言われれば、その通りだと頷ける。
「レイラ、下がっててくれ。何処に魔物が潜んでいるかは分からないが、何か起きたらすぐに俺が対処する」
そう言いながらアトロは腰に携えている勇者の剣を引き抜く。
真剣な眼差しであたりを伺うが、いまだに魔物の気配は無い。しかし、いつ襲ってくるか分からないからこそ、油断は禁物である。
アトロは剣を構えながらレイラの前に立って、慎重な足取りで進んでいく。背後にいるレイラにも注意を払って、ゆっくりと進んでいくが――、
「ふふっ、そんなに警戒しなくても大丈夫よ。見た目は大分変わったけど、それでも町の人達は元気だし、魔物もあの城の中にいるだけで最近は頻繁には来ないから安心して良いわ」
振り返ると、レイラは笑顔を浮かべながら平然とそう言った。
そして彼女の指差す方向には、確かに大きな石造りの建物があった。城と言わればそうだと分かるが、ただの巨大な塔のようにも思われる。どうやらあれが魔物の住処だそうだ。
その城を注意深く眺めながら、町の中に足を踏み入れるのを躊躇うアトロを気にせずに、レイラは一人で町の中に入っていく。
レイラのその軽やかな足取りは、警戒とは無縁のようなものだ。アトロには、あんなに慎重だった自分が恥ずかしいと思えるほどに。
「取り敢えず、行く当ても無いんだったら私の家に来る? その格好で町を歩いてたら、変に目立っちゃうと思うし」
振り返りながら、そう尋ねるレイラ。
彼女の金髪がふわりと風になびく。
「あ、ああ。それじゃあ、頼むよ。悪いな、案内して貰ったのに家にお邪魔して」
「大丈夫よ。私の言葉、聞いてくれたし。それに、あの子のためにも」
「あの子って?」
レイラは、少し暗い顔でそう言った。
「私の弟。レオっていうの。レオは、魔物が町に来てからずっと心を塞いでいて……でも、アトロならあの子の心を開いてくれそうな気がするの」
レイラが翡翠の瞳を、真っ直ぐとアトロに向ける。その表情から察するにレイラにとって、彼女の弟であるレオは大切な人物なのだろう。
魔物によって、心を塞ぐ。
アトロも仲間たちと冒険する中で、そのような人たちはたくさん見てきた。
そして、アトロはそのような人たちを何度も救ってきた。それは、アトロが単純に力で魔物を倒して救ったわけではない。
アトロ自身の心の力で、その人たちを救ってきたのだ。そして、レイラがアトロに頼むなら勿論引き受ける。
町まで案内してもらって、家にお邪魔になるのにそれを拒むなど、アトロは決してしない。
「任せてくれ。これと言った根拠は無いけど、俺に出来ることなら何でもする」
「ありがと、アトロ。そうね、レオは冒険者に憧れてたから、そう言った話をしてくれると喜ぶと思うわ。だけど……勇者の話だけはしないであげて」
レイラの表情が明るくなる。それにはアトロも安心する。
ただその次の勇者の話はしないで、という言葉が少し気がかりだ。しかし、アトロはそれ以上は何も詮索はしないでおこうと思った。
「ん、ああ。分かった。お世話になるんだから、それくらい喜んで引き受けるよ」
そう言って、アトロはテオールの町へと足を踏み出した。
*
「ただいま」
レイラが家の扉を開き、中に入る。アトロもその後ろに続いて「お邪魔します」と、家の中へ入っていく。
この家は、木造の一階建ての家だ。外から見た感じては、大きくもなく小さくもない。至って普通といった印象がうかがえる。
「――お帰り、姉ちゃん。あれ? その人は」
中に入ると、一人の少年が姿を現した。金色の短髪に、翡翠の瞳。背丈はアトロの胸くらいで、年齢は十歳くらいだろうか。
「この人は、アトロ。冒険者の人よ。森で迷ってて、見過ごせないと思ったから連れてきたの。アトロ、この子が私の弟のレオ」
レイラがアトロと少年――レオの間に入って、互いの紹介をする。
それはありがたいのだが、内容が冒険者にしてはダサい。まあ、間違っていないのだが。
アトロは一歩、前に出てレオの目の前に右手を出す。そして、
「俺はアトロ、冒険者だ。よろしくな、レオ」
と、慣れた挨拶をする。できれば勇者と言いたかったが、レイラに口止めされているからそれは言わない。
「うん、よろしくアトロ。僕はレオ。ねえアトロ、冒険者って本当?」
アトロの差し出した手に、レオも右手を出して握手を交わす。そして、早速冒険者という肩書に食いついてきた。
レイラの言った通り、冒険者にあこがれているというのは本当らしい。
「ああ、本当だよ。良かったら、俺の冒険譚を後で聞かせてあげようか」
すると「うん、聞きたい」と、レオは笑顔を作る。
「それじゃあ、立話しもなんだからちょっと早いけど、お昼にしましょ。レオ、パンと飲み物用意して」
「わかった」
レイラの提案とお願いを受けて、レオは奥の部屋へと駆けて行った。その姿は、正しく元気な少年だ。
去っていくその背中を眺めながら、アトロは安心する。
「レイラに聞いていた印象よりも、大分良かったな。心配してたけど、これならやってけそうだ」
正直にいって、最初の会話も弾まないかもしれないと思ったが、そんなことは無くて双方で好印象といったところだ。
「アトロのお陰よ。普段は、もう少し暗い顔をしてるわ。でも、レオは冒険者って名乗ったアトロに出会えて嬉しいはずよ」
「そう言ってくれると、助かるよ。でも、俺が勇者だって言った方がレオももっと喜んでくれるんじゃ無いか?」
アトロは軽い気持ちで、そう尋ねた。レオくらいの年齢なら、冒険者っていうよりも大抵は勇者の方が印象がいいのだ。
しかし、
「それだけは……だめ。あの子は、勇者が嫌いだから。嘘でも、話に出したらあの子、きっともっと落ち込んじゃう」
レイラのその言葉はアトロの想像よりも、重苦しい物であった。
*
アトロとレイラが奥の部屋に入ると、レオが魔法を使っていた。簡易的な水を生成する魔法だ。そして、それを器用に操って机に置かれたコップの中に入れる。
これくらいの年齢で、これだけ魔法を扱えるのは素直にすごい。鍛えれば、優秀な魔法使いになれるだろう。
「レオ、準備ありがと。さあ座って食べましょ」
「うん。アトロもほら座って食べて」
レオが端に置かれた椅子をもってきて、机に並んだ二つの椅子に付け加えるように置く。
「ありがとな、レオ。それじゃあ、頂きます」
用意してくれた椅子にアトロは座り、レオとレイラの二人も椅子に座る。机を三人で、囲む形での食事だ。
肝心の食べ物は、レイラのとってきた果物と、拳くらいの大きさのパンが一人二つずつだ。アトロはそれを見るや否や、身体が急に空腹を訴えるのを感じる。
『頂きます』
レイラとレオが挨拶をし、アトロはパンを一つとる。触った感じは少し硬い。
それを小さく千切って、口の中に入れる。歯ごたえも少し硬いが、硬い方がアトロは好きだ。
咀嚼するたびに、凝縮された旨味が口の中に広がっていく。一切れを食べ終わると、直ぐに追加で千切って口へと入れる。
食べ終わると同時に、また口の中が寂しくなる。そして、またアトロは千切って口へと入れる。
「うん、普通に美味しいな。頂いて食べるのが、申し訳ないよ」
「良いの。でも、意外ね。アトロはもっと物足りなさそうに食べると思ってたけど」
見ればレイラたちも、果実と一緒に慣れた手つきでパンを食べている。
「最近……て言っても、五年位前は基本的に保存食とか携帯食とかが主で、まともな飯は少なかったからね。こうやって食卓を囲んで食べるのは本当に久しぶりだよ」
魔王城を目指して本格的に冒険を始めたあたりから、アトロたちは野宿や外での食事は普通になっていった。
食べたものも、買いだめしていた保存食が基本で、カイに教えてもらった食べれる雑草とかキノコも食べたりしていた。
そんな生活でも、オリバとフィオの女性陣二人は空間魔法なんか使ってまともな食事をとろうと奮闘していたのも、いい思い出だ。
「冒険者って、やっぱそうなの。じゃあさ、アトロはその時とかどんな敵と戦ってたの?」
そんな思いに浸っているアトロへ、レオが目を輝かせながら聞いてきた。やはり、冒険者について興味があるようだ。
レイラとの約束もあるので、アトロはパンを飲み込んでレオの方を向く。
「敵だったら、そうだな。魔人って知ってるか?」
「知ってるよ。人間の姿をした魔物でしょ」
「ああそうだ。俺が冒険していたある日、俺と仲間は、野宿している最中にいきなり四人の魔人に襲われたんだ。それで――」
アトロはその戦いを熱心に伝えた。
レオもアトロの不慣れな説明に嫌気を見せることなく、楽しそうに聞いている。
その様子を、微笑ましそうにレイラが見つめていた。
実際の戦闘を思い出しながら、アトロは丁寧に説明していき、気づいたら十分くらいかかっていた。そしてようやく、記憶の中の戦闘にも終わりが見えてくる。
「んで、最後に俺がこの剣で、空を飛んで逃げようとした魔人を倒したんだ。どう、面白かった?」
「うん、面白かった。すっごいよ。魔人を四体も倒すなんて」
目を輝かせながら、レオがアトロを見つめる。それには思わずアトロも照れる。
「魔人を倒せたのは、俺だけの力じゃ無いさ。俺の仲間も皆んな強かった……だから、レオも大切な仲間を見つけるんだな。一人じゃできないことも、仲間となら何でも出来るからね」
アトロはこの戦いをただ自慢げに話していたわけではない。
レオを楽しませるためにも、そして今はつらいだろうけど、いつかレオが冒険者になったときに大切な仲間に出会って欲しいという思いも込めていた。
「分かった。でも、アトロがそんだけ強いんだったら、グルブドも倒せるかもね、姉ちゃん」
振り返るレオの視線の先では、レイラが食事の片づけをしていた。
アトロの話の最中にすでに、食事は終わっていたので、レイラは二人を邪魔しないように片づけをしていたのだ。
そんな時に急にレオから話を振られてレイラは、少し戸惑っている。
レオは知らないだろうが先程、レイラはこの町を支配する魔物、グルブドにはアトロは勝てないとそう言っていた。
そして、もう何も期待はできないのだと。
だが――、
「そ、そうね。アトロなら、もしかしたら倒してくれるかもしれないわね」
レイラは暗いトーンでそう言った。その様子から、アトロは感じた。
恐らくレイラは、レオの前では頼れる姉を演じているのだろう。
その為、こうして笑顔でアトロに期待をしてくれるレオに合わせるような態度をとっているのだ。
そう思うと、アトロは何とも言い表すことのできない気持ちになる。
それでも、何とか雰囲気を変えようとアトロが口を開こうとした時だった。
『――ドンッ! ドンッ!』
突如、家の外から謎の大きな音と振動が伝わってきた。いや、これは――大きな足音だ。
「大変だ……グルブドが来た。姉ちゃん、早く外に出ないと」
すると、先程までの明るい表情から一転、レオが何かに怯えるような顔をして慌てている。
見れば、レイラもレオと同様に怯えている。
「アトロ、机の下に隠れてて。何があっても、勝手に外に出たらダメよ。グルブドに、殺されるから」
そう言い残して、レオとレイラは二人そろって険しい顔をしながら外に出て行ってしまった。
「な!? お、おい」
アトロの呼び止める声もむなしく、二人はもうすでに家にはいなかった。
しかし、二人のあの慌てようにこの足音、グルブドという魔物は想像していた物よりも少し手ごわいのかもしれない。
だが、だからと言って怖気ずくアトロでもない。
「向こうから来てくれるなら歓迎だ。それじゃあ、この町を救おうか」