第十七話 燃え盛る炎
アトロがグルブドを倒してから、一週間の日数が経った。
グルブドを倒した後、アトロはこのテオールの町の町長の家にレイラとレオと泊らせてもらった。
そして最初の三日間は眠り続け、起きた後も一週間はベッドから出られなかった。
それほどの疲労が全身に溜まっていたのだ。
その間、レイラに回復魔法を掛けてもらったり、住人たちの感謝をたくさん受け取ったり、アトロが救ってあげたグルブドに投げ飛ばされた少女――マヤから求婚されたりもした。勿論、断ったが。
そんなこんなで気持ち的には休めない時もあったが、魔王城へ向かっていた五年前に比べれば十分過ぎる程の休養を頂けた。
そしてベッドから無事に起き上がった後は、特に無理をすることも無く、町の修復作業を手伝ったりしていた。
動けるようになったとはいえ、魔力の回復と戦闘できるほどの状態への回復はまだ不十分だったからだ。
レイラの家を含めてグルブドに粉砕された家を建て直したり、穴だらけの街路を修復したりと意外と大変だったが、町の人たちの顔を見れば、皆がやりがいに満ち溢れたいい顔をしていた。
その顔を見ながら、アトロも彼らと一緒に町の復興に尽力した。
そんなテオールの町の復興の最中、レオは一人町の中を歩いていた。
レオもまたアトロと同様に、魔力の消費と疲労により数日間は町長の家で休養を取っていた。その間、レオはアトロの傍にずっといた。
アトロから冒険の話を聞かせてもらったり、レオの憧れる冒険者の話をしたりと有意義な時間を過ごしていた。
しかし、レオの心にはずっとグルブドの言葉が浮かんでいた。
『俺様がこの街に来た時に、俺様に挑んできた愚か者共だ。最初は必死こいて突っ込んできたくせに、俺の一撃を見ただけで戦意喪失しやがったんだ。仕舞には、謝罪しながら命乞いだ。とんだ腰抜け共だ!』
という残酷な言葉をだ。
今までレオは、自分の父と母をはじめとした冒険者たちを誇りに思っていた。いつか自分も彼らのような勇敢な冒険者になりたいとそう思っていたのだ。
しかし、グルブドの言葉はそんなレオの希望をいともたやすく壊したのだ。
グルブドの言ったことが事実か虚偽かはもう分からない。そして、レオはそれが虚偽であってほしいと願うことしかできないのだ。
アトロと楽しい話を交わしても、その心の底にはそんな疑念で溢れていた。
そんなことを思いながら歩いていると、そこでレオの足が止まった。
レオの今たどり着いた場所は、かつてはグルブドの城であった瓦礫の山である。そして今、その瓦礫の山が勢いよく真っ赤な炎を上げて燃えていた。
その燃え盛る瓦礫の山の手前には、同じく炎のような真っ赤な髪が特徴の勇者――アトロが座り込んでいた。
「……アトロ、こんな所にいたんだ。何で、それ燃やしてんの」
「ああ、レオか。これは火葬だよ。この場所で勇敢な死を遂げた冒険者たちの。そして、この町が救われた記念の狼煙を上げる為でもあるな」
アトロはただ真っ直ぐにその炎を見つめていた。その炎の先に何を見ているのか、レオには分からなかった。
しかし、アトロが冒険者たちの火葬をしてくれていることをレオは嬉しく思った。
「ありがとう、アトロ。きっとお父さんたちも喜んでるよ」
レオはそう言いながら歩き、アトロの隣に座り込む。
「そう言ってくれると助かるよ。実は俺、これ無断でやってるから、大丈夫か心配だったんだよ」
アトロが笑みを浮かべて、レオを見つめる。それに対して、レオは拙い笑顔を浮かべた。
「ん? どうしたレオ。なんかあったのか?」
レオの笑顔のぎこちなさを感じ取ったアトロがそう尋ねる。
それと同時に弱まってきた火力を見かねて、アトロは魔法で炎を放った。
瓦礫の山が再び燃え盛る。
「……グルブドが言ってたんだ。ここで亡くなった冒険者たちは皆腰抜けで、ビビッて命乞いをしたって。ねえ、アトロ。お父さんたちはそんな訳ないよね? 最後まで勇敢に戦ったんだよね?」
レオは必死な顔でアトロに問いかける。
レオはアトロの同意が欲しかった。自分だけではない、アトロも「そんな訳ないだろ」と間髪入れずに肯定してくれる。そんな望みを持って問いかけた。
しかしその問いかけにアトロは少し沈黙を置いた。そして、風が吹いて炎が勢いを増した時にアトロは口を開いた。
「それが嘘か本当か、俺には分からない。確かにグルブドを間近で見たら、戦意喪失してしまうのも無理はないだろう。でも――」
レオはその言葉に俯いた。やはり、アトロが言うのだからそうなのかもしれないと、自信が崩れかかる。
だが、最後の「でも」といった言葉が引っ掛かった。それが気になり、レオは顔を上げた。
すると、アトロが足元から手のひら位の大きさの瓦礫を拾い上げ、それをレオに投げて渡した。
何の変哲もない瓦礫だ。
石で作られており、壁にしては薄い。地面に使われていたモノだろうか。
そして、その瓦礫の片側の中央には、小さい変な跡があった。
「その瓦礫。見てみて何か気づかないか?」
「何かって、真ん中に何かを刺したような跡があるくらいで……後は普通、だけど」
そう、瓦礫には何かが突き刺さったような跡がある。
貫通はしていないが、かなり深くまで届いているもので、横幅の狭い溝が出来ていた。じっくりと眺めないと気づかないほど小さいが、気づくものといえばこれくらいだ。
「じゃあその傷は、何でできたんだと思う? ちょっと考えてみてくれ」
その言葉に従って、レオはよく考える。
グルブドの身体の大きさでは、こんな小さな傷を作るのは逆に難しいだろう。となれば、グルブドに連れ去られた女性たちが作ったものか。
色々と考えたが、レオの頭には納得のいくような回答は思い浮かばなかった。
「ダメだよ。全然分かんないや」
レオは瓦礫を地面に置いて、「はぁ」とため息を吐く。すると、笑いながらアトロは立ち上がって、また一つ瓦礫を拾ってきた。
「出来れば答えてほしかったけど、ちょっと難しかったな。それじゃあ正解発表だが、答えはこれだ」
アトロは腰から剣を抜いて、拾ってきた瓦礫に剣先を刺した。
カツン、と音が鳴り、剣を抜くと確かにそこには先程の瓦礫と同じ跡が出来ていた。その光景になるほどと、レオは納得した。
しかし、冒険者たちとこの瓦礫の跡に何が関係しているのか、レオには分からなかった。
「その跡のでき方は分かったけど、それがお父さんたちと何が関係するの?」
「……剣を使う人は、剣を大切に使うんだ。それこそ今は敢えてやったが、よっぽどのことがない限り普通はこんな風に剣を地面とかに刺さない」
アトロはグルブドとの戦闘中に、吹き飛ばされた身体を静止させるために剣を地面に刺したが、あれはよっぽどのことがあった場合だ。普段は滅多にしない。
「よっぽどのことがない限りって、じゃあ、何で瓦礫にそんな跡があるの?」
「その理由は俺の想像も入るけど、こんな感じだと思う。まずこの跡を作ったのは、グルブドを倒しに来た冒険者の誰かだ。それは間違いない。そしてその人物は、グルブドと戦闘することになる。このテオールの町を救うために、仲間と鼓舞し合いながらこの城に来た。巨大なグルブドの姿を見て、恐怖を抱いただろう。でも、戦った。戦うためにここに来たから。冒険者たちは数で見たら有利だったけど、それを上回るくらいにグルブドは強かった。だから、その人物も倒された」
アトロは淡々と言葉を紡いでいく。
それはレオが憧れていた冒険者たちの、名前も姿も知らない一人の話だ。そして、その内容はレオが目を背けたかった事実で、残酷な現実だ。
いくら強くて、かっこよくて、勇敢な人でも、敵わないものはあるのだという現実に、レオは心を閉じたのだ。
それは父親であり、母親であり、よく遊んでくれた町の冒険者の人たちであった。
彼らの最期の勇姿を見ることが出来なかったレオには、彼らの幻想に縋るしかなかった。
縋って、縋って、救われたはずなのに、その幻想を手放すのが怖かった。
ボロボロになったその幻想が消えてしまったら、彼らとの楽しかった思い出が消えてしまう気がしたから。
そんな思いを抱いて、レオはここに来た。
ボロボロの幻想をアトロは繋ぎとめてくれる気がしたからここに来たのに、アトロの言葉がさらにヒビを刻んでいく。
もう聞きたくないと、そう思って耳を塞ごうとした、その時だった。
「――だけど、その人物は起き上がったんだ」
熱の籠ったアトロの声が、レオの心に響いた。
「死にゆく仲間たちを振り返ることなく、その人物は起きて、グルブドに立ち向かった。何度挑んで何度倒されても、その人物は起き上がった。そして、次第に自分の力だけでは起き上がれなくなった。だけど、その人物は諦めなかった。諦めたくなかったから、この町を最期まで救おうとしたから、剣を地面に突き刺して、支えにして起き上がったんだ。その時に、この傷が出来た。そんな誰かの勇姿を、この傷は物語ってるんだと俺は思うよ」
「――」
「これはとある剣士の話だが、他にも探せばいろいろあるんじゃないかな。それこそ、魔法使いの魔力痕とか」
そのアトロの言葉がレオの幻想に干渉する。紡がれたアトロの数々の言葉たちが、レオの幻想にヒビを入れて遂に打ち砕いた。
だけど打ち砕いた後で言葉たちは、レオの抱いていた「冒険者たちは最期まで諦めずに戦ったはずだ」という幻想から、「冒険者たちは確かに最期まで諦めずに戦って、自分たちを救おうとしていたのだ」という事実へと昇華してくれた。
そのことが、レオにとって何よりも嬉しかった。
「だからさ、俯かないでもっと胸を張っても良いと思うぜ。この町を守るために命を懸けた冒険者たちは、確かに英雄だったんだからさ」
そう呟いて、アトロは再び瓦礫に炎を加えた。
名前も知らいない英雄たちの、弔いの炎が燃え上がる。
長く長く続いた苦しみが煙となって、空に散っていく。
そして、新たな思いがきっと何処かで芽生え始めるのだろう。
炎の下に積もる灰は養分となり、新たな生命を育むのだから。