4 一休み
「別々に動こうか」
突如として、そう言われ、義明は最初、言葉の意味をうまく取れず、足りない頭で考えてようやくわかった。
「嫌ですうううううッ‼‼離れとうございませんッッッ‼」
そう言いながら、おみ足に縋りつこうとしたが、ひらりとすり抜けられ、腹を足で小突かれる。
至福である。
「大方そのようにおっしゃって私を置いていくおつもりでございましょう。至らぬ点は精進いたしますうえ、どうか…どうか…」
「落ち着いて。妾のような声で泣かない」
通りがかった旅の者からはなんとも奇異かつ汚物をみるような目で見られたが、そのような目で見られた程度でめげるような男ではない。
「というのも、一つにまとまって身体を集めるのは時間が掛かる。さっきの戦いも君一人で何とかなっている。速めに記憶を戻したいから、こっちのほうが都合がいい」
「はぁ」
「加えて、教えている呼吸法は実地で覚えるほうがよいと判断しました。百聞は一見にしかずとは言いますが、一度の経験もまた、おなじように言えるでしょう」
「でも…」
更に言いよどむ義明に対し、せいらんは声音を柔らかくして言う。
「これはお使いです。私の代わりに私の肉体を取ってきてもらうから、受け渡しの場が必要だから、そのように方便をつけておいていくなどという物語の男女の別れのようなことをすれば私が困る」
「分かりました」
とは言え、義明としては、せいらんと離れることがなによりも耐え難いことであった。
夫が別の女のところに通い始めた平安時代の女もこのような気持ちであったのだろうか。
彼女は地図を広げ、身体があると思われるところに印をつけていき、それを義明に渡す。
「私はここより東海道を、あなたは中山道を回りなさい」
そういうとせいらんは両手で印を結び、袖を二羽の梟へ形を変える。
「呪符を張れば式神として使えます。私の体の位置はこの子たちが教えてくれます。集めたからだはこの梟の胃の中に入れなさい」
いわれた通り、式神の形代の呪符を張ると、たしかに動き出した。
また、羽毛の色を変え周囲に紛れるなど、思いがけないこともできた。
「それでは、四日後に地図に記したところで合流しましょう」
そういうと、せいらんの体は露のように霧散し、無数の烏となって飛び去ってしまった。
手を振るなどして一時とはいえ、別離を惜しむ間すらなかった。
懐紙と筆を取り出し、歌を詠む。
黒烏飛び立つ君は遠くなりしばしの別れに袖を濡らさん
義明は寂しさからその日はどうにもやる気が起きず、近くの泉や山を見ながら一日中物思いにふけって歌詠みなどをしていた。
人が見ていないところでは、徹底的に自分に甘い男であった。
さて、義明が一日を不意にしている間、せいらんはすでに行動を起こしていた。
しかし、その顔は義明と共にいたときの顔ではなかった。
体重、容姿、筋力すら、彼女は意のままに操れる。
最も、その場所はその地で信仰を集める神社で、周囲は妖の黒い血が一面に飛び散り、箱を持っていない左の手は蛇と姿を変え、神主を縛り上げていたが。
鉄の箱に特定の操作をし、硝子と漬物となっている肉体を露出させ、それを無造作に投げ、右の手もまた、蛇に変化させ、丸飲みにさせる。
箱と硝子の残骸が蛇の輪郭が崩れると同時に排出されていき、もとの女性らしいほっそりした手に再構築されていく。
さらに、肉体を作っている
「うん、要件はとりあえず終わり。私は復讐者、か。悪くない。だが、こんなことまでしていたとは…我ながらちょっと引くな」
「ハッ、お前のちんけな記憶が戻ったところで何だというのだ」
記憶をかみしめるように口に出していると、吐き捨てるような声が横から聞こえる。
「神に仕えるみであるなら、もう少し言葉を慎むべきだ」
「貴様のようなものに慎むもクソもあるか牛馬の娼婦め。牛馬のなにはさぞ太く、気持ちよかったかッ⁉」
「なつかしいね、その呼び方も。君とは直接の面識はないが、そう言われるのは心外だ」
「貴様の愚行は百年の時を超えても語り継がれておるのだ。光栄に思えよ」
せいらんは無視して問い、曰く、
「『姫の遺産』に関する書は何処にある?」
「貴様なんぞに教えるか売女がぁ‼貴様のちんけな復讐は絶対に遂げられん。肉体を分離した際に魂も分離し、無様に敗北した記憶をなくした貴様にはわからんであろうがなぁ‼‼」
「もう少しいい子になってもらおうかな」
せいらんはさくらんする神主を冷静に見つめながらそう言い、左手に意識を集中させる。
「獣装術・蜂針」
その言葉と共に、神主を縛っていた蛇からほっそりとした手が吐き出され、人差し指の先は蜂の尻のようになっていた。
それを、神主の首に刺す。
「『姫の遺産』に関する書はどこにある?」
同じ質問だったが、結果は明確であった。
神主が示した仏像を破壊すると、下にいくつか、乱雑な文字で書かれた書が出てきた。
神主を拘束する蛇の変化
「『交配による病に強い稲の作り方』、『田畑城』、『意のままに雨を降らせる雨ごいの術』『屋根の下で術式により作った光をあて、風雨寒暖に関係なく米を作る』...全て写本か…おそらく飢饉が起きた際に売り込んだな」
「貴様は…不可能、だ、、今度こそ、死ぬ」
「驚いた。人の認識を衰えさせる薬を注入してそこまで喋れるとは」
感心の言葉には一切の感情はなかった。
「さて、ここにこれ以上の重要書類はないだろう。写本だけであるなら、まぁ焼けば問題ないだろう」
せいらんの手と籠手が変化する。
それは虎の前足であった。
彼女の術は肉体を自在に変質させること。獣の爪や牙を振るうのは確かに脅威であるが、万象の理を我がままに振るう他の陰陽師に比べれば心もとないだろう。
だから、変質させた獣に五行の属性を付与させる。
理知と本能。相容れぬ二つを相容れさせる、新時代の陰陽術。
「獣装術・烈火虎爪」
横薙ぎの一閃は炎を帯び、神聖なる神の社は業火に焼かれる。
焼け落ちる神社を出て、せいらんは再び身体を複数の烏となり炎という後を残し、その場を飛び去ってった。