3.息の吸い吐き
美濃の国の集落を義明の式神で出た後に、二人は隣国の尾張の国に来ていた。
とはいっても、式神で空を飛んで移動し夜だったこともあり、宿をとることが出来なかったので、二人は河川敷で横になった。
夏の若草が茂っており、地べたほど寝心地は悪くなかったが、虫や雑草の感触が気持ち悪く、義明は寝るのに一刻をようした。
翌朝、川でアユをを釣り、焼いて朝食とした。
義明が持っていた塩を少しまぶしたら非常に美味であった。
それから、食事を終えた二人はというと。
「吸って」
「すー」
「吐いて」
「はー」
「違う」
義明が座禅を組んで岩に座るせいらんと向かい合って、このようなやり取りをずっと続けていた。
というのも、法術の秘訣と称して、まずは呼吸からといわれたのである。
せいらん曰く、
「気は無気、浄気、穢気の三つからなる。人間は浄気を吸い、穢気に変えることで肉体の活力にします。これは生き物の話。妖はというと、万物に宿る精霊から活力を得ます。いまから教える呼吸法を身に着ければ無気と穢気からすら活力を得ることが出来、火の中、水の中であろうと、術を掛けることなく息が苦しくなくなります」
という話だそうだ。
義明はというと、この呼吸法の修行を始め、少しづつ上達しているそうだが、身の内に秘める本能はどのようにしようかと揺れていた。
というのも、
(速くできればほめてくださるであろうが、できない子といわれ、けなされるもまたよい。だが、出来なさ過ぎれば捨てられる。ううむ、悩ましい。私はどうすればいいのだろうか)
などと変態的な葛藤をしながら、この修行に打ち込むのであった。
最初はああ、おそばにいてくださればできる気がいたしますぅ、などと抜かし、耳元に顔をよせられ、後ろから回された手は胸と丹田にあてられるといったなんとも官能的な状態で修行をしていたが、「効果ないね」ということで、今の形になった。
「次のお身体は何処にございますか?」
「このあたりの林の中。まぁ、おそらく地主の土地であるから不用意に入るのはまずいけど、いざとなったら逃げればいいからそこは問題なし」
(したたかでなんと素敵な心意気であろうか)
この男、いちいち心の中で感動しないと気が済まないようである。
付近の村により、かの林についてのうわさ話などがないか訪ねるが、とくにそのような話はないようで、義明が本当に妖が住んでいるのか、不安になって訪ねたが、大丈夫の一言であった。
かの林はもみじなどが生えており、秋に来たなら大層美しい紅葉であっただろうに、と悔やまれるものであった。
「妖と戦う前にいくつかお尋ねしたいのですが」
「なんだい?」
「なにゆえ、あなたのバラバラにされた肉体は妖に守られているのでしょうか?」
「妖どもがよっぽど私を恐れたか、人が私を恐れたか、どちらかでしょうね。理由は貴方も心あたりがあるのではございませんか?」
義明は答えることが出来なかった。
「あなたが気に病むことではありません。私はあらゆるものからおそれられるが、私のそばには貴方がいる。それで十分ではありませんか」
「そうですね」
「いくつか、といいましたね。ほかに尋ねたいことは?」
「せいらん様の肉体を守っている妖は、なにやら普通の妖とは異なっている印象を受けますが、なにかご存じでしょうか?」
「ごめんね。そのへんの記憶は少し曖昧です。肉体を取り戻し、思い出したら教えてあげます」
そのような会話をしていると、せいらんは動きを止める。
義明も妖か、と思い見回してみたが、それらしき気配はない。
「あの大きな木」
せいらんが指したほうを見ると、大層太い紅葉の木があった。
「おそらく休眠状態でしょう。私が近づいたら起きる仕組みになっていると思われます」
「なるほど」
確かに感覚を研ぎ澄ますと、独特の命の気配をしている
「ここから狙いますか?」
「届く?」
せいらんのその問いに、義明はただ、行動で示した。
刀を逆手に持ち架空の弓を引くと、雷が自然と弓矢の形をし、放たれた弓は電光石火にて巨木の木偶を射抜く。
すると、野太い叫びが森に響き渡る。
せいらんのほうを向いて頭をなでてもらおうとしたが、思わず、義明は両手で耳を塞ぐ。
せいらんはというと、何事もないように巨木を睨みつけていた。
(ああ、りんとしておられr
などと煩悩を浮かべていたらせいらんから思いっきり襟首をつかまれ、振り回される。
何事かッ⁉、と驚いていると、大地より黒い蔦が生え、義明とせいらんの足を絡めとろうとした。
「近づきにくくなっちゃったね」
「であれば、蔦が私を捕らえる前に奴の目の前に駆け、あの木偶を切り飛ばして見せましょう」
そういうと、義明は、刀と足に気を集中させる。
集中した気は雷となり、義明の全身を駆け巡る。
地面を蹴り、木々を、攻撃のために生やしてきた蔦を蹴り、巨木に肉薄し、雷を宿した刀剣によって、その巨木を両断する。
仕留めたと思い、投げられたお手玉を口にくわえた犬のように、せいらんの元へ駆け寄ろうとする義明だったが、その足がなにかに縫い留められ、せいだいに転ぶ。
石に躓いたかと思い、よく見てみると、黒い蔦であった。
そう思ったつかの間、地よりあらたな蔦が、いや蔦と呼ぶにはあまりに太いものが生え、義明を殴打しようとする。
しまった、と声を出せず硬直し、目を塞ぐと、一陣の風が義明を横切ったかと思うと、蔦がバラバラに引き裂かれた。
目を開けると、そこにいたのは、先ほどまで離れた所にいたと思われたせいらんであった。
先ほどまで着ていた服と草履は内より破れ、狼の足のような手足をしていた。
新たな脅威を前に、巨木の妖は、せいらんを絡めとろうとするが、狼のような足で駆けるせいらんはめにもとまらぬ速さであった。
そのまま狼の爪を用いて巨木の妖を貫くと、蔦は急速に正気を失った。
「この妖は、中核となる部分を破壊することで活動を停止します。頭や心の臓腑がそれとは限りません。覚えておくこと」
「はい」
せいらんはそう言って、巨木の妖が陣取っていた下の地を掘り起こす。
かつて泉の底にあったような箱が出てきた。彼女の右腕の閉じ込められているそれを狼の爪を以て破壊し、右腕を肉体に統合する。
身体の調子を確かめながら、せいらんが言うには。
「なるほど、この妖の肉を使って服を作るのもよさそうだ。余分な肉が応用できる」
そう言って、せいらんは服を脱いだ。
義明はお身体を凝視しようと目を見開いて焼き付けようとする。
巨木の妖の体、また、役目を終えて腐り落ちる体の一部に「内なる輪廻に記さるるは生あるものの図が云々」と祝詞を唱えると、その肉が黒を基調とした巷で聞くくのいちが着ているような服に早変わりした。
「生き物は小さき肉片よりなります」
せいらんはくのいち風の服を着ながら、言う。
「その小さき肉片には要の玉があり、さらにその中に内なる輪廻があります」
それは、この世のどんな法術書にも書かれていない知であった。
「内なる輪廻はその生物の全てが記されています。生き物の種から、顔の形、身体が大きくなりやすいかなどですね」
「あなたの力は、それを自在に書き換えることに御座いますか?」
「そう。先ほどもそのくらい察しが良ければよかったのですがね」
くのいちの服を纏った姿は大層美しかった。
「さて」
せいらん曰く、
「あと五つ、全て揃えて、私が何者で、何をすべきか、知りにいこうか」
そして、そんな二人を離れより見ている男がいた。
烏帽子に狩衣を着て、梟を肩に乗せているその男もまた、術師であった。
『やはり蘇りおったか…』
梟が喋る。
『いかがなさいますか?』
『知れたこと、再び漬物にするのみ。この程度のこと、我らの手で片付ける。漬物にする際に博士の助言が必要なだけであろう』
『同伴しておる術師については…』
『どうでもよい。所詮は淫売にたぶらかされたあわれな男。多少の腕はたつようであるが、あの女の目的を果たすには役不足、否、あの女の目的を果たすに足る術師などこの世に存在しない。それは貴様も分かっているであろう』
『かしこまりました』
その男は木の葉を散らしながら消え去っていった。