1.泉の底の生首
不定期
三文小説
今となっては昔のことだが、土御門義明という男がいた。
陰陽師の名門、土御門家に生まれたが、妾腹の子であったので、跡目をつげなかったので、諸国を遊説して、下手な和歌を詠み、妖を退治しては村人に食い物と女をせがむような男である。
食い物に関しては十分に得られるのだが、この男、貴公子と呼ぶにはあまりに物足りない容貌にて、また、女の扱いに精通しておらず、平安貴族ぶった、いたい口説き文句を連発するため、女運には恵まれなかった。
ある日、美濃の国の小さな集落によった折、その集落では妖に困っているということを耳にした。
曰く、山中にある泉に大蛇の妖が住んでおり、数年に一度、その妖に女をささげているとのことであった。
例年ささげられる女は例にもれず村でもっとも美しい女で、己の運命を嘆いて袖を濡らしている女は大層美しかった。
(このような美人が畜生のごとき妖の餌となり死ぬなど、世の中はなんと無常なものか)
心の中まで田舎者のなりきり平安貴族流であった。
神代の時代に似たような話があり、もしかしたらその女と男女の関係になれるやもしれないと思い、義明はその願いを意気揚々と引き受けることとした。
妖の祟りを恐れた幾人かの村役人からは反対されたが、この男が構うことはなかった。
というのも、この義明という男、性格には難ありであるが、陰陽術の腕は名門の家柄ゆえに覚えがあった。
義明の術は雷を自在に操り、矢として打ち出せば電光石火の速さで相手を射抜き、刀にまとわせ、振り下ろせば落雷のように激しく、身にまとわせれば数歩の間合いを一瞬で詰めることが出来る。
義明はかの泉に無人の小舟に先日死した馬肉を乗せた後、浮かべる。
すると水面に影が出来たと思えば、勢いよく水柱が立った。
その姿が露わになると、黒い皮を持つ大蛇のようで、顔は龍のごとき髭を持ち、赤い眼をした化け物であった。
義明は一切の懼れなくそれを見て、淡々と呪を唱える。
「地走り」
その言葉と共に、妖のうちから雷がほとばしり、動きを止める。
先ほどの小舟と馬の死体には雷の呪印を施していたのであった。
怒り狂った妖は口に含んだ水を鋼鉄を裂くかのごとき勢いで放つ。
しかし、義明はこれを軽やかにかわし、今度は腰に帯びた刀を抜き、さながら弓の如く構える。
するとその動きに呼応するかの如く、雷が弓の形を取り、矢もまた雷によってなる。
「雷光矢」
その言葉と共に、義明は、普通の弓を射るようにして妻手を離すと、雷によってかたどられた矢は目にもとまらぬ速さで妖の胴を射抜く。
「四肢奮事、武御雷神如」
さらに叫び声をあげる妖に対し義明は祝詞を口にし、強化した四肢で空高く舞い上がり、その頭蓋に落雷の如く雷を帯びた刀を突きさす。
妖の頭ははじけ飛び、赤黒い血を周囲にまき散らし、水面を漂う妖の骸の上にて義明は刀の刃先を天へと向け、高らかに宣言する。
「村人を喰らう妖、打ち取ったりぃぃ‼」
その声に呼応するかの如く村人が歓声を上げるなか、義明はあることを疑問に思った。
というのも、妖というものは実態のないものであり、骸は残らず消えるものである。
しかし、現に今も骸は失った頭から大量の血を流して未だ露のごとく消えない。
(ま、いっか。飯も食えるし、かの美しき女子も...うへへへへ)
内なる下心が漏れるように顔が緩む義明であったが、そこでふと泉の底になにかあるのを感じる。
よくよく感覚を研ぎ澄ませてみると人間の気配であった。
陰陽師として訓練をしている義明は、人間と妖の区別が感覚でつくように鍛えられており、底にあるのは間違いなく人間であった。
(なにやら遮るものがあり、また、独特の気配である)
気になることは多かったが、義明は水に飛び込むため、水神の加護を得る祝詞を唱える。
唐突に呪文を唱えだし、泉に飛び込まんとする彼を村の者どもは気でも触れたかと思い、諫めようとするが、義明は意に返さなかった。
術により、水濡れを心配しなくてよく、自在に水中を動き回れるようになった義明は泉の底まで進む。
すると、青白い光を放つものがあった。
近くで触れてみると鋼鉄によって作られた人の頭ほどの箱であった。
命の気配はこれであると確信し、義明はそれを持って浮上する。
青い線が入っており、自然のものとは思えず、なにか術の装置であろうと思い、ペタペタと触っていると、中身が露わになった。
それは丸形の厚い硝子に漬物のようにつけられていた美しい女の生首であった。
「ぎゃあああ‼‼⁉」
いくら人の頭ほどと目分したとはいえ、本当に人の頭が入っているとは思わなかったので、義明は初夜の女のごとき悲鳴をあげ、義明を待っていた村の者がそれを聞いて何事かと思い、近づいてきてまた悲鳴を上げ、その声は村まで響き、就寝していた村人を起こしたほども音となった。
美しい女とはいえ、大層気味悪く思い、義明は思いきりそれを投げ、雷の矢で射抜いた。
恐怖からくる一撃であったので、かなり強力に打ったと思ったが、女の首は一切傷つくことなく硝子に皹が入ったのみであった。
硝子は地面に打ち付けられて割れ、生首が外に漏れる。
(ああ、生首とはいえもとは女子であろうに、私はなんと酷いことをしたのだろうか…ん?)
義明は物思いにふけっていると、気になることがあった。
生首がぶよぶよと形を変えてはいないか?
そう思った次の瞬間、生首は蛇の姿となり、勢いよく地を這った。
たちまち天災に見舞われたが如く狂乱した村人が蛇に一斉に矢を射かけるが、それをよそに蛇は死した妖の肉を喰らう。
義明も村の者も、その光景にあっけに取られていた。
その光景をよそに蛇となった生首は妖の死骸を喰らうと同時にその腹を肥やしていき、やがて散々膨れたところで輪郭が歪み、再び人の姿を取った。
漆黒の長い髪に悟りを開いたかの如く冷めた眼差しと笑み、一糸まとわぬ肢体はほっそりとした姿で、大人びた妖艶なる少女であった。
彼女は体の調子を確かめた後、辺りを見回し、一言、「私は…」そういって力尽きてしまった。
その美しい姿に義明は懐から筆と和紙を取り出し、
女のかばね蛇となりては人となりその妖しきに心乱るる