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シザーゲート  作者: 大枝 岳
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2 転移

 埋葬。泥の中に埋もれながら、乾いたままでいる事が出来るものだけが行える儀式。これは誰かの死後に関しての形式的な行事の話ではなく、心と行動が愚かな者だけが想える心象風景の話だ。

 積み方を誤った思い出は、破棄した後に埋葬されるべきである。夢の壊れた場所に植えた希望が、芽吹く事なく死ねるように。


 左右で若干異る女の胸は、太陽の下ではその正体を隠してしまう。女はそれを決して言葉にする事は無く、欄干に手を掛けて隅田川を眺めていた。夜には独白するように、そして昼には他人事のようになってしまう女の悩みに歪んだものさえ感じ、私は性的な興奮を覚えた。


「ヒロト、花火大会ってこの辺かな?」

「隅田川の?」

「うん」

「この川沿いの、多分どっかだよ」

「あぁ、まぁそうだろうけど……」

「行きたい?」

「人混みは勘弁。そりゃ、ちょっとは見たいけどさ」

「テレビでも観れるぜ」

「知ってるよ。けどね、それで喜んだり満足出来る人間にはなりたくないの」


 橋の下を眺めるとピンク色の小さな靴が浮かんでいるのが目に見えた。微かに、ほんの微かに、無意識に、それは持ち主がわざと川に投げ入れたものである事を願った。生臭い川の匂いと、女のつけている人間離れした香水の混ざった匂いが、私を穏やかな気分にさせたのかもしれない。

 川の向こうから運ばれて来る蒸した風。左右で若干大きさの事なる乳房の先端、そこを転がされる時の女の吐息の熱さを無性に思い浮かべ、私は許可を得ずに女の唇に自ら塞いだ言葉達を重ねた。欲望に言い訳をつけたのなら、それこそ本物の愚か者になってしまいそうだった。


 異端の怪物となれば人は偉大な者になれるかもしれない。けれど、現実には怪物になれずに精々化け物かゲテモノかその程度の者で終わるものが大半を占める。

 束の間の離れ離れになる為、駅へ向かって女と共に歩く。その道中、無言のまま女の尻に手を伸ばし、つねった。


「あっ」


 女は小さくそう呟き、身を捩る。しかし、抵抗は見せない。その様子を見て私は安堵と至福の感情を抱いた。赤子を抱き締めたのなら、きっと同じ感情に支配されるだろう。

 そう思わせるのが女の私に対する余裕なのだろう、そしてそれは女にとっての至福なのかもしれない。

 転がされるのはいつ、どう見ても、男なのだ。

 目尻が下がり、欲の熱を見つめ出した女の目は決して潤ったものとは限らない。寧ろ、怯えているようにも感じる。それは男を通して自身の中の欲を見つめているからなのだろう。目線でその答えを返そうとした矢先、私達の目の前で小太りの中年男性が突然崩れ落ちた。

 女は目を見開き、息を呑んだ。私は咄嗟に駆け寄ろうとしたが大柄な男性二人が中年男性を羽交い締めにした。


「確保!確保!」


 あぁ、なるほど。痴漢か盗撮か何かやらかしたのだろう。男はあっという間に顔を押さえ込まれ、腕を背後に回された。しかし、その目は私の隣に立つ女に向かって真っ直ぐに向けられていた。私に尻をつねられた女はショートパンツ姿で、長い足を露わにしていたのだ。

 刺し殺すような勢いで向けられた視線は、何の混じり気のない死を覚悟した欲望を浮き彫りにさせていた。

 勃起しているのだろうか?そう思うと何故だろうか、私は猛烈に腹立たしくなって男の顔面を蹴り飛ばしたくなった。負けた気がしたのだ。盗まれた気がしたのだ。

 現実を現実として受け入れる前に、私は女の手を取り改札へと急いだ。そして、追い出すようにして女を改札の向こうへと送り出した。帰り、私が乗り込んだ電車は人身事故で止まった。


 小学校時代から旧知の仲である男達と三人であるテレビドラマを観ていた。帰ってきたウルトラマンだ。子供向けのただの特撮ものだと思っていたのだが、観てみたらそれが完全なる人間ドラマだったのだ。


「メイツ星人の話し、観る?」


 友人の嶋田にそう訊ねられると、私と原田は目を見合わせて頷いた。子供騙しの番組だろうが、暇よりはマシだった。

 しかし、実際には違った。

 街で宇宙人と噂される少年は日々、夢中で穴を掘っていた。やがて少年は街中の中学生からイジメじみた行為を受けるようになり、パン屋でパンを買う事すら拒否されてしまう。

 少年の暮らす廃墟の二階には寝たきりの老人がいた。その老人こそが宇宙人だったのだが、街の人間達は少年を殺す為に大挙してその廃墟を訪れた。

 そして、事もあろうに少年を庇おうとする老人を警官が射殺してしまう。

 その後は宇宙人である老人の力で封印されていた怪獣が街を破壊し始める。街の住人達は主人公に怪獣を倒すように訴えるが、主人公は複雑な思いを抱く。


 なんというドラマなんだろう。私はそのビデオを観た後、しばらくの間虚無感に襲われたのだ。

 ウルトラマン、されど、ウルトラマン。舐めて掛かったら大変な目にあった。力のない指先でライターを擦り、ふとある人物を思い出して口にしてみた。


「そういえばさ、島崎ってどうしてんのかな?」

「あれ?ヒロちゃん知らないの?」

「何が?」

「出家するとか言って実家出て、そのまま行方不明になったって」

「へぇ……真理に向かって突っ走ったんかね」


 ビームに色がついてないと必殺技じゃない、と彼は言っていた。同級生だったが特に仲が良かった訳でもなく、ライブハウスで数度顔を合わせるようになってから時折飲みに出掛けたりしていた。

 それだけだ。

 生きてようが死んでようが、既にどっちでも良かった。

 メイツ星人の話のおかげで精を失くした私の感情。目を閉じると浮かぶのは、女の欲望を見詰める時の怯えた表情だった。


 その週末、温泉へ行きたいと言っていた女の為に私は車を借りて女の住む街へ向かっていた。国道沿いが混んでいるとラジオで言っていた為、迂回しようと山手の道に入った。

 死んだ紅葉が積み重なった道路の脇で、大きな何かが転がっているのが目に映った。

 私はすぐに車を停め、その物体の転がる場所へと足を動かした。

 轢かれた鹿だった。

 口を半開きにしたまま、鹿は死んでいた。その目線の先を辿ると、山中のラブホテルの古びた看板に行き着いた。

 黄色の背景にピンク色の文字で

「ニュー・マンハッタン」

 と描かれていた。

 悲しさより先に笑いが込み上げて来る。私は鹿の袂で、額に手を当てて噴き出していた。

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