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シザーゲート  作者: 大枝 岳
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 ターミナル駅から少し離れた路地裏のラブホテル。女は「古臭いのが良いのよ」と主張し、ここへ泊まる事となった。酒を呑み、身体の温もりを感じ合った後、枕元で女が同級生だった友人への愚痴を延々と零していたのだが、私は酩酊する意識の中でその声を子守唄にしながら眠りに就いた。

 朝方、空調の回る音で目が覚めた。くすんだシェードランプの黄色味を帯びた薄灯りに、剥き出しになった女の白い背中が照らされている。私は目の前で横たわる女を生まれて初めて見たような奇妙な錯覚を覚え、毛布を掛けるフリをしてその肩口にそっと触れてみた。

 あ、これは何度となく触れた事のある肩だ。まるでいつもと変わらない女の肩に、静かに息を漏らす。体内に残るアルコールの匂いが自分でも分かる。

 先程の名前のない奇妙な錯覚に気付かないまま、女は死んだように横たわっている。


 昼前にホテルを出た。歩道に打ち付けた真っ白な光に目が眩んだ。女は朝も夜も関係ないような口調で言った。


「今使ってるマスカラ、水には強いんだけど発色が弱いのよ。使い勝手もなんかイマイチだしさ。この辺ドラッグストアないかな?」

「あぁ、駅の方に向かって行くと確かマツキヨがあったよ」

「そうなの?ちょっと寄って行くね」

「俺も買い物ある」

「ヒロトは何買うの?」

「ドリンク剤。昨日飲み過ぎたんだよ」

「二人で丸々一本空けたもんね。お酒、自分で思ってるよりずっと弱いんじゃない?」

「そうかもな」

「酔ってる時のヒロト、嫌いじゃないけど」

「そう?酔うと俺、どんな風になってる?」

「なんかね、凄く情けなくなる。だけどそれが私にとって心地良くもあるし、嫌いじゃないよ」


 その時、心が苦虫を噛み砕いたようになってしまい、私は女から目を逸らし、曖昧に笑って誤魔化した。そんな私を見た女は冷めた目つきで「ほどほどにしなよ」と放り投げるように言った切り、真夏の中で黙り込んでしまった。

 何故だろうか、女の奥底にある感情に敏感になる事よりも真っ先に、前を歩く女の小振りな尻ばかりが気になってしまった。

 雄だな。

 そう思うより他は無く、記憶として全てが存在する今でさえもその時の光景は女の尻のままなのである。


 ライブハウスの開演時間まで暇つぶしをしようと、友人の島崎とチェーンの喫茶店へ酔った。彼は顎に手を置きながら、現実のレーザー兵器が無色透明である事に対し憤りを感じているようで、嫌悪感丸出しの表情でこう呟いた。


「あのさぁ、本物のレーザービームに実は色が無いならウルトラマンとかガンダムとかさ、今までのあぁいう偉大な作品のロマンが無くならないか?バババーッ!て色つきの光線が飛んで行くから「必殺!」って感じが出るんだしさ、見えないビーム撃つとかってさぁ、なんかスゲー狡い奴みたいじゃない?」

「ウルトラマンもガンダムも元々嘘の話なんだから、それはそれって考えとけば良いんじゃないの?」

「俺は村瀬みたいに、そんな風に割り切れないんだよ。これから先は作品観るたびに「本当は色なんかついてないんだよなぁ」って思わされるじゃん、マジ裏切りじゃね?」

「思わされる、っておまえ馬鹿かよ。大体、作品は一々おまえの事なんか考えて作ってねーよ。俺らもう二十三だぜ?それが現実なんだから仕方ないよ」

「現実、現実ってさぁ。大人になるとそんなんばっかだよな、くっだらね」

「んなもん昔からじゃないの?学校に行かなきゃいけない、宿題しなきゃいけない現実とか」


 下らない話に聞き入っている間にアイス珈琲の氷が溶け始め、途端に味が薄くなり始めた。最初から氷を珈琲で作ってくれていれば、こんな事にはならないはずだ。煙草との相性がひどく悪くなる。これだから薄利多売のチェーン店は好きになれないし、店員も心なしかブスに思えてくる。

 島崎が隣のテーブルに座るインテリ眼鏡男が目を向けるほど大きな「あー」という間延びした声を出し、煙を深く吐き出してからこう言った。


「そういえばさ、ガキって今見たら皆んな同じような小さいガキに見えるけどさ、小一の頃とか三年生が物凄く怖い存在に思えてたよな」

「それは分かる。中学生とかもう完全に大人に見えてたな。実際にはまだチン毛も生えてないようなガキばっかなのにさ」

「そんなもんなのかな」

「え?」

「いや、なんかさ、人生ってそんなもんなんだろうなぁと思ってさ」

「何だよ、どういう事だよ?」

「具体的に何て言えば良いか分からないんだけど、多分そうなんだよ」

「先人が無意識に怖いのは変わらないとか、人の根本にある意識は実は同じ事の繰り返し的な?」

「いや、同じ事ではないんだけど、もっともっと奥の、それこそ人という単位の根本は同じなんだよな」

「それ今、俺が言っただろ」

「村瀬、違うんだよ!見てる場所が違うんだって!きっと気付かないだけで、あるんだよ、残されてるんだよ。それはずっと、これからもずーっとさ」

「……宗教みたいな話になってきたぞ。おまえ、頭大丈夫?」

「あー!あ、あ、あ!そう、そうだよ。宗教は近いんだ。それがこう、もっと真理に近付いたら哲学とかと同化するんじゃないか!なぁ?」

「さっぱり分からないよ。とりあえず俺は毎日生きて、目を開けて、見える現実を処理するので精一杯ですわ」

「真理があったら、怖くないんだろうなぁ……そうだ、そうなんだよ」


 その一週間後。駅前である宗教団体が発行している新聞を配る友人の姿を、私は女と共に目撃した。

 友人は機械のような笑顔で、辺構わず新聞を配っていた。


「ねぇ、新聞配ってるの島崎くんじゃない?あれって浅井なんとか教とかっていうヤバイ宗教じゃないの?」

「そうだよな……何やってんだ、あいつ」


 私達は彼を避けるように、なるべく距離を取りながら駅の構内へと急いで小走りで向かった。幸い、新聞を配るのに夢中な彼は私達の存在に気付いていないようだった。

 機械のような笑顔。

 アレが真理?それに少しは近づけたのだろうか。

 おめでとう、島崎。

 心の奥でそう呟き、私は女の腰に手を回しながら電車へと乗り込んだ。

 島崎はその日を境に私の中で元友人となり、一緒にライブハウスへ行く事もなくなり、携帯電話のメモリからもその名前は消え失せた。そして、それから生涯二度と顔を合わせる事は無かった。


 ある日の午後。画材を抱えた男の老人が歩道橋の下で階段を見上げ、立ち止まっていた。茶色いベレー帽に銀縁メガネと、まさに絵に描いたような絵描きの風貌だった。脇に挟んでいる大きな板のようなもの、あれがキャンバスという奴だろうか。絵に興味がない私には、ホームセンターで売っているベニヤ板の方が幾らか魅力的に思えた。ベニヤ板なら、敷けば眠れる。

 沿道の鉄柵に腰掛けながら、私は老人の姿を真横から眺めている。

 老人は「えい!」と気合いを入れたような表情になると、画材を抱えながらついに階段を上り始めた。

 視界から老人画家の姿が消えてから十秒余り。安っぽく乾いた音を立てながら、真っ白なキャンバスが階段を転がり落ちて来た。そして、私の目の前でパタリ、とくたばった。

 息を切らしながら老人は階段を下りて来ると、キャンバスに申し訳なさそうな顔をしながらそれを拾い上げる。

 そして、無関係であるはずの私に向かって、怒りの滲んだような眼差しを向け始めた。

 それで、私は胸中で老人との会話をし始めた。サイキックのつもりだった。


 何を睨んでいる?ならば、初めから助けて欲しいと頼めば良いだろう?何故それをしなかったんだ?


 これは私の命だ、人に預けるなんて事はしない!誇り高き私の命は多少の挫折なんかでは傷ついたりしない!


 自分で守れもしない命なら、人にくれてやれ。


 その時が来たら、私は自害すると決めている。


 そこまで胸中で話すと、現実の老人は実に弱々しい声色で私に向かって懇願して来た。


「あのぉ、お兄さん。手伝ってもらえませんかね?なんせ、私は足腰が弱くってね」

「あぁ、そうなんですね。なのにそんなもの買っちゃったんですか」


 私は鉄柵に腰掛けたまま、車道に向かって手を挙げた。すると、すぐに一台のタクシーが掴まった。

 老人を見下ろしながら、私は停車したタクシーを指差してその場を立ち去った。

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