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9 風の楽園

 門に向かって二人は進む。近づくにつれ、それは錆びてボロボロになっていることが分かる。鉄の柵の向こうには、生い茂る草木が見えた。そこにあるはずのコーヒーカップやメリーゴーランドは見えない。

「こんな風になってたんだ」

 ユリカは言った。

「入れないな」

 タケルが言う。

「無理でしょ」

 とユリカ。

「そうだね。ちょっと待ってて」

 タケルはカバンから小さく畳んだレジャーシートを取り出すと、それを広げて地面に敷いた。

「ありがとね」

 とユリカは言い、その上に腰を下ろした。タケルもユリカの近くで座ろうとしたが、すぐにそうすることができない。タケルはユリカの姿をぼうっと見て、立ちつくした。そんなタケルの様子を見て、不思議そうにユリカが言う。

「どうかした?」

「いや、何でもない」

 タケルはそそくさとユリカの横に座る。

「思い出すなあ。この感じ」

 ユリカは目を薄くしながら言った。

「何を思い出すの?」

 タケルが聞くと、ユリカは答える。

「風の楽園のこと」

「風の楽園」

「そうだよ、風の楽園。そこも、こんな感じだったんだ。遠くまで開けて、風が吹いていて、自由なの」

「自由なのか」

 楽園の話が始まる。タケルはユリカの話に耳を傾ける。

「うん。とっても自由なの。そこは。風の楽園に行くときは、いつも気が付けば背中に翼が生えていた。飛べるんだよ。空を。行ける場所が広がって、空高くから、見下ろすこともできて、とにかくすてきな場所。最初はあたし飛ぶのがすごく苦手だったんだけど、二回、三回と風の楽園を訪れるうちにこつがつかめてきたんだよね。今じゃ住人にお使いを頼まれるくらい上達したんだから」

「そうなんだ」

「昔々に住人たちが植えた木がいくつもあって、その木に果物がね、決まった季節になると実るんだけど、住人たちは忘れてしまった。あれ、どこに植えたっけって。ちょっと間抜けな話。適当っていうか、いい加減っていうか、風の楽園の住人はそんな感じなのね。自分たちの果樹園がどこにあるのか忘れてしまっているの。それでね、翼のある人だけが、それを探して、そこで実っている果実を取ってくることになってるんだ。空高く飛んで、果樹園がどこだったか探すんだよ。あたしは果実を三個も持って帰ることができた。これはなかなかすごいことなんだから」

「へえ」

「でも、上には上がいるんだよね。あたしが三個取れただけで喜んでいたら、たまたま一緒に果樹園に行ったよく知らないお姉さんは十二個も取ってた。よく知らないお兄さんは三十個。おじちゃんは八十六個取ってたし、おばちゃんは何個取ったと思う?」

「さあ」

「千八十八個。すごいよね」

「すごい」

「でしょ?」

「でも、ユリカさんのは特別おいしい果実だったんじゃないの。量が多ければいいとは限らないと思うけど」

「ありがとね。そう言ってもらえるとちょっとうれしい。なるべく熟れてて、おいしそうなの選んだからね。そういう意味で、ちょっと少なくなってしまっただけなのかも」

「そうだよ。量より質ってよく言うし」

「そうね」

 ユリカは少し笑って目を閉じた。

「ユリカさん、ありがとう」

 と言い、タケルはカバンからハンカチを出す。映画館で借りたハンカチ。そっとユリカに手渡し、返した。

「覚えててくれたんだね」

 ユリカは言う。

「うん、もちろん」

「これ、お気に入りなんだ。少しだけ」

 ユリカは受け取ったハンカチを大切そうにカバンにしまう。

 それから、二人は茶を飲みながら弁当を食べて、菓子を食べた。ユリカは言う。

「最近ね、鍵が見つからないんだ」

「鍵?」

「うん。右手を開いても、鍵が入っていないんだ」

 とても悲しげな顔で彼女が言うので、タケルは不安で落ち着かない。

「どうしてだろう?」

 タケルは聞いた。ユリカは答える。

「分からない。鍵がね、とにかく見つからないんだ」

 タケルは困惑した。そして、今ここで、伝えておくべきことのような気がして、草原で偶然ユリカに会ったことについて話した。

「この前、ユリカさんに会ったよ」

「え?」

「草原で、ユリカさんに会えたんだ」

「本当に?」

「うん。大きな木の下に座っていて、声をかけたら、ユリカさんは微笑んでくれた」

「え、あたしも、タケルのこと見かけたよ。どんな場所だったかよく覚えてないけど」

「じゃあ、あのときお互いに会えたのかも」

「きっと、そうだね」

「そのとき、ユリカさんが扉の場所を示してくれたんだ。草原の中に、楽園の扉がそこにあるってことを教えてくれた。それで、僕は扉を見つけることができた」

「それはよかったね」

「うん。それで試してみた。本当に鍵がこの右手に入っているのかどうか。ゆっくりと手を開けて中を見たんだ」

「どうだった?」

「あったよ。きらきら光る綺麗な鍵が。黄金の鍵があったんだ。だから、ユリカさんに言ったよ。一緒に行こうって。楽園の扉の向こうに。二人で行こうって。でも」

「でも?」

「ユリカさんの姿はもうそこになかったんだ。すっかりお互いに離ればなれになってしまったみたいで、淋しい感じがしたんだけど、目が覚めたあとは、心がとてもぽかぽかと暖かくなったような気持ちになって」

「そっか。楽園には行かなかったんだね」

「うん」

 タケルはそれきり黙った。遠くの方で、遊びにきている親子の姿があった。子供の笑い声が聞こえてくる。彼らは大きな犬も連れてきていた。親子と犬はフリスビーを使って遊んでいた。

「今日はあの鍵持ってる?」

 ユリカはタケルに聞いてきた。

「うん。あの鍵なら、あるよ」

 ポケットから出して、ユリカに渡した。

「綺麗。やっぱり、綺麗だ。これは、楽園の鍵だ」

 ユリカは空にかざしてじっくりと見つめる。その色と形に彼女の目はすっかり奪われてしまっているようだった。彼女の横顔を見てタケルは言う。

「ユリカさんの鍵、早く見つかるといいね」

「そうだね」

 静かに笑ってユリカは答えた。彼女の二つの目は鍵に釘付けのままだった。

「綺麗だな」

 ユリカは目を見開いて、少し息を荒くしている。大丈夫だろうかとタケルは不安になる。

「ランシア、お休みしてたでしょ」

 鍵からようやく目を離し、タケルの顔を見てユリカが言う。

「うん。どうかしたの?」

「パパがね、最近体調崩しがちなんだ。もしかすると、悪い病気かもしれないって」

 深刻な様子でユリカは言った。

「そうなんだ」

 タケルは答える。暖かく穏やかな広場で、やや緊迫した空気が二人の間に流れる。

「よく来るお客さんや近所の人にはお知らせしてたんだけどね。タケルには言ってなかったよね。隠すつもりはなかったんだけど」

「いいよ。そんな」

「あたしも最近、よく眠れなくて」

「そうなんだ」

「そこで、お願いがあるんだけど」

「お願い?」

「うん。怒らないで聞いてくれる?」

「うん」

「これはどうしても叶えてほしいお願い。聞いてくれないと困るんだけど」

「だから、何?」

「この鍵、あたしにちょうだい」

「え?」

「あたしにこの鍵を譲ってほしいの」

「譲る」

「そうだよ」

「ユリカさんに」

「うん。貸すとか借りるとかじゃなくてあたしのものにする。タケルはこの鍵を手放して、あたしが譲り受ける。そういうこと。だめかな?」

「そんなこと、考えてなかった」

「どうするか、今考えてよ」

「うん」

「言っておくけど、あたしはこの鍵、もらえたらとても嬉しい。また楽園に自由に行ける気がする。好きな楽園に、好きなように。いつでも行ける気がする。だから、もらえたらとても嬉しい。タケルのことも連れていってあげられるかも。今度は。とても楽しいよ。それにパパの体調もよくなる気がする。それどころか、今よりずっと元気になって、お菓子作りを頑張ってくれそう」

「うん」

「どうする?」

 タケルは言った。

「分かった。上げるよ。ユリカさんにその鍵を」

「いいの?」

「うん」

「本当に?」

「うん」

「後悔しない?」

「多分」

「多分じゃだめだよ」

「しない」

「本当にくれるのね?」

「うん」

「やったっ」

 ユリカは立ち上がって一度小さくジャンプしてみせた。それは、野ウサギが跳ねるようなとても可愛らしい跳躍だった。

「ありがとう、タケル」

 振り向いて、真っすぐに目を見つめて、ユリカはタケルに言った。

 鍵を手放すことについて、タケルは全く未練がないかというとそうではない。だが、今の彼にとって、そして、ユリカにとって、そうすることが最もよいことのように思えた。だからそうした。ただ、それだけだった。

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