・96・欲情
にこにことした、幸せそうな表情で、キムはキスした左手に頬ずりした。
その感触もまたミーの身体に痺れを呼んで、小刻みに身体が震える。
なんだかよく分からない感覚が忍び寄って来て、ミーは恐くなった。
トロトロとおぼつかない頭で、キム、と呼びかける。
「……なに?」
答える声はしっとりと低く、耳を溶かすような熱を持っていた。
それにもコワイ、コワイ、と怯えながら、ミーは言葉を続ける。
なに、今の。
「……何って?」
焦らすようにキムが問い返したのに、むくむくと膨らんだよく分からない感情を抑え込むように、ミーは俯いた。
「……ミー?」
囁く声が持つ熱がミーの耳を侵食していくのが恐くて、ミーはたまらず腕を引いてキムから離れた。
コワイよ、キム、どうしたの……、とこぼす。
自分を抱きしめてキムを怪訝に見れば、驚いたような顔で、透明な紫がミーを見上げていた。
その口がアワアワと開閉し、ばっと手で顔を隠すと、キムは顔を背ける。
じっと様子を見ていれば、しばらくして、
「…………本当に、ごめん」
重くキムが言った。
あの不可思議な熱はなくて、良かった、と知らずミーは安堵する。
手を下げ、緩慢に振り向いたキムは泣きそうな笑みを浮かべていた。
瞳は、キム本来の色素の薄い茶色になっていた。
六角瞳の時、つまりヘキサである時だけ、キムがおかしい。
その事に気づいて、ミーはその理由に思いあたる。
それすなわちーーミーが食べたくて仕方がないのではないだろうか、と。
とてもとても、複雑な気持ちが浮かんだ。
これはヤバいんじゃ、とも思う。
昨日ーーつい昨日の夜、キムはミーを食べる事は絶対にない、と明言した。
その気持ちが本物である事を、ミーは疑っていない。
しかし、キムはミーがおいしそうだと思う事は否定していなかった。
食べたくなる事も、同様にだ。
その上で食べない、食べる事はないと宣言したが、それはあまりにも困難なもののように思えてきた。
なぜなら、キム本人の気持ちはどうであれ、ヘキサになっている時、おそらくキムは自身をコントロールできないくらい、ミーに惹きつけられているのだろう。
だから、一瞬ミーに気かつかず、人間瞳に戻すと正気を取り戻す。
もしかすれば、気を抜いてしまうと自然に六角瞳になってしまう可能性すらある。
ミーとキムは、外でいるよりも、部屋の中で二人きりでいる時間の方が多い。
それゆえ、キムは頻繁に六角瞳状態にいて、ミーは紫の瞳の方が見慣れていた。
それが、昨日から、キムは一切六角瞳にしていなかった。
思えば、その時点でおかしかったのだろう。
サブタイトル:欲情(もちろん、食欲的な意味で)