・93・ヤサシイ朝
まだ完全には目覚めていないぼんやりした頭で、ミーはほかほかのおにぎりを食べていた。
中身は昆布のよくあるやつで、特に好きでも嫌いでもなかったが、普通に美味しい。
海苔は軽く炙られてパリパリだし、温かいご飯はお腹を優しく刺激する。
目の前のローテーブルには他に、もう一つおにぎりと、お揚げと豆腐の味噌汁に、胡麻とほうれん草の甘和えが並べられている。
キチンとした朝食だ。
それを作ったキムはすでに食べ終わったらしく、今はミーから対角線の部屋の隅で床に座り、スマホで音楽を聞いている。
いつも慌ただしい朝は、パンだったり間に合わせで作っていたミーは、整った朝ご飯を見た時、鈍く感動した。
ミーは、おにぎりを一旦置き、味噌汁を飲む。
塩加減は少し薄めで、しかし、出汁がしっかりと出ているのか、旨みがある。
パックで簡単に作れる味噌汁では出せないそのおいしさに、キムの女子力をひしひしと感じた。
ミーは心の隅でしみじみとしながら、そぉっとキムに視線を向ける。
長い足を片方立て、片方を伸ばし、壁に身を預けて目をつむる姿は、朝の光の中で儚い美しさを醸し出す。
ともすれば、すぅーっと消えていきそうな。
リズムに乗ってるのか、わずかに頭を揺らす様子をじっと見つめ、やがてそっと視線を目の前に戻した。
おにぎりを手に取り、食事を再開しながら、ミーはポツリと思う。
キムが優しすぎてコワイ、と。
◆◆◆
昨日、あの後ミーは血を流すためお風呂を借り、服もキムの物を借りた。
その時初めて、ミーは自分がキムの家にいる事を知った。
その間にキムも自身の服を着替え、ミーの服と共に洗濯をしてくれていた。
さらに、夕飯を作り、ソファベッドまで提供しようとした。
しかも自分は床で寝ると言って。
さすがにミーは遠慮した。
それはもう必死に。
散々、迷惑・心配をかけて、いろいろしてもらった上にベッドは使えない、と。
しかし、キムはあのほんのりとした微笑みを浮かべて、頑なに譲らなかった。
しかも優しく、けれど抗えない力でミーをベッドに寝かしつけ、寝るまでそばにいるから、と言い出した。
極めつけにゆったりと頭を撫でられると、自然と安心して身体から力が抜けてしまい、ゆっくりと眠気が近づいてくる。
過ぎる程の優しさに泣きそうになりながら、最後にありがと…、と伝えてミーは意識を手放した。
そしてーー朝そっと揺り起こされてみれば、綺麗な微笑と共に揃えられた朝食が用意されていたのだ。
ご飯に手をつけるまでを、じっと見つめていたキムは、
「……おいしい?」
と一言尋ね、ミーが頷いたのを見て、「……よかった」とほっとしたように笑みを深めた。
ゆっくり食べていいから、と伝え、それから部屋の隅で現在。
ミーが不安になるほどーーキムが優しい。
いや、キムが優しい事は今に始まった事ではないのだが。
しかし、お風呂から上がってから今まで、ミーを責めるような言葉も出なければ、あの事件に触れる事もしないのだ。
それどころか、ヘキサに関する事は一切口に出さなかった。
いつものキムなら、ミーが危なっかしい事をすれば、ミーが心底後悔するくらい言い聞かせるだろう。
または、あの綺麗な紫を浮かべて、背筋が寒くなる笑顔で、優しくミーを諭す。
それが何もない。
まるでリリに襲われた事などなかったかのような態度が、逆にミーの不安を煽る。
思考がぼんやりしているのは、寝起きなのもあるが、なんだか深く考えるのが恐いからだ。
ちらちらとキムが気になって目をやるも、本人は目を閉じて微動だにしない。
それが光に照らされて、一体の精巧な人形に見えたりするから、別の意味でも恐くなったりする。
けれど、話しかける気にもなれなくて、もそもそとご飯を食べ続けた。