・87・ミーはおいしい
リリはすっとミーに近づくと、その両手をとった。
「――ね?だからいいでしょ?アタシ、かなり我慢したよ?」
小首を傾げ、ねだるように聞いてくる。
全然よくない!と思いながらも、ミーはただ弱々しく首を振る事しかできない。
誰が食べられようとして、いいよ、なんて受け入れるのか。
恐い恐い嫌だ、と心は叫ぶが、身体の震えは大きくなるばかりだ。
リリはミーの首元に顔を寄せると、スーッと深く呼吸する。
「あー、ほら。こーんないい匂いさせてて、オアズケなんてできないよ!」
言うと同時に、ミーは左腕にピシリと衝撃を感じた。
まるで紙で皮膚を切ってしまった時のような。
目を向ければ、左の二の腕がにすぅっと赤い線が長く引き、次の瞬間にぱくりと開き、紅い液体が噴き出してミーの頬を濡らした。
……切れてる。
血が、出てる。
そう認識した途端、ぶわぁっと腕が熱を持つのを感じた。
いや、あまりの痛みに熱いと錯覚しているのだろう。
ダラダラと出血し始めたそこに、リリはそっと口をつけた。
ミーは未だ事態に追いつけない頭で、彼女のアッシュブラウンの髪を見下ろす。
――と、次の瞬間、リリはミーの血を啜った。
ジュルジュルと。
まるでジュースでも飲んでるかのように。
ヒッ……とミーは短く息を呑んだ。
傷口を震わす振動の意味が理解できなかった。
いや、したくない。
とても現実の事とは思えなかった。
リリが、ミーの血を飲んでいる。
聞こえる音は、獣が獲物を食らう様を彷彿とさせる。
なに、してるの……?とミーは心底不思議そうに尋ねた。
すると、ピクリと体を揺らしたリリがゆっくりと顔を上げる。
緑の眼は爛々と食欲を湛え、血液で紅く濡れた唇は恍惚に笑みを描いている。
その陶然とした様子に、ミーは悟ってしまった。
自分でした問いの答えを導き出してしまった。
あぁ、リリは私の血を啜っているのだ。
私を食べ物として見なしているのだ。
私を味わって、美味しいと感じているのだ、と。
そして同時に理解したのは、キムを悩ませた事柄について。
リリがこんな、満たされた表情を見せる程美味らしいミーの、誰よりもそばにいただろうキム。
キムが時折見せたあの苦しげな、泣きそうな感情は、ミーを守りたいという思いと、ミーをおいしそうだと思うヘキサとしての食欲との葛藤だったのだろう、と。