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女神様の過失が10割

作者: SET

 気づいたら、知らない家の、畳の上にいた。

 もう昔の映像でしか見たことのないちゃぶ台が目の前にあり、その上には急須や、湯飲み茶碗や、茶菓子が並べられている。

 そしてそのちゃぶ台の向こう側には、黒い巫女服のようなものを着た、俺と同じくらいの――二十代くらいの女が座っていた。

 会社からの帰り道を歩いていたはずなのに、なぜか、いぐさと緑茶の混ざり合ったにおいの真ん中に放り込まれ、女と向かい合っている。

「初めまして。わたしは、みさぎ地区担当の、みさぎ神と言います。みさぎと呼んでくれても構わないよ。……あ、やっぱり、呼び捨ては不愉快だから、みさぎさん、かな」

 みさぎはそう言うと、頭を下げた。

「まず、万里ばんりくんに謝らなければいけないことがあるの」

「え?」

 戸惑いすぎて言葉が出ない俺に対して、

「あなたは、死んでしまいました」

「え? いや、その……え?」

 俺は顔を上げたみさぎとしばらく見つめ合ったあと、かぶりを振った。

「何言ってんだかよくわかんないんですけど」

 喉が渇いた、と思うと、みさぎが、急須に手を伸ばした。黒い袖口からぴょこんと出た小さな手でふたを押さえ、湯飲み茶碗に緑茶を注ぐ。

 それを、俺のほうに押し出してくる。そのときに袖口で自分の湯飲み茶碗を倒し、脇によけ直した。

 俺はひとまず、ほどよい熱さの緑茶で喉を潤した。

 みさぎはその様子を微笑を浮かべながら見てくる。どこか居心地が悪くて視線を外して、ちゃぶ台のかすかな亀裂を眺めながら緑茶を飲み干した。

「あのさ」

 俺の気持ちが少し落ち着いたのを見て取ったのか、みさぎが、静かに話し始めた。

「たぶん、いまの下界で安全な乗り物はいくつかあると思うんだけど……どんな乗り物でも、けっして事故が起きないとは言い切れないよね。どんなに安全性を高めた乗り物でも、事故が回避できるのは九十九.九パーセントまで。どうしても、事故は起きてしまう」

「あの、ちょっと」

「ん? なあに?」

「なんですかいきなり、ぜんぜん話が見えないです」

 そう言うと、みさぎはばつが悪そうな顔になった。

「えーっとね。つまり、どんなにすぐれたシステムでも、数万回に一回くらいは、事故が起きてしまうというか……」

 事故。

 そう聞いた俺の脳裏に、『危ない!』という声がよみがえった。

 俺、ここに来る直前に、たしか……。

「ごめんね、本当は、万里くん、強風で落ちてきた看板に、潰されて死ぬはずじゃなかったの。寿命よりずいぶん早いから、助けておこうってことになってたんだけど……間に合わなくて」

「つまり、俺が死んだのは、みさぎさんが何かミスをしたから?」

 うぐ、と言葉に詰まるみさぎ。

「聞いていいっすか、みさぎさん」

「いいよ」

「神様に、助けるのが間に合うとか、間に合わないとかあるんですか?」

「あー……うん。ちょっと揚げ物してて手が離せなくて」

 あからさまに目を泳がせながら、みさぎが言った。

「揚げ物って、あの揚げ物?」

「うん。ちょっと、にんじんとごぼうのかき揚げをね……」

「え……俺の命って揚げ物以下だったの?」

「揚げ物以下って……。そういう当てつけがましい言い方はどうなの? 地区の神様の家が燃えたらどうするの? みさぎ地区の存在ごと宇宙から消滅しちゃうんだよ? 万里くん、責任取れる?」

 みさぎは開き直り気味に言った。神様なのか、本当に。

「神様なんだから結界とかなんかで燃えないようにしておけよ……」

「偏見だよ……わたしみたいな末端神まったんしんにそんな特殊能力備わってないよ……」

「さっき、俺を助けるとかどうとかって」

「わたしができるのは、何秒か周りの時間を止めてその人にふりかかる危険を回避させるとか、自分の身体年齢を自由に変えられるとか、そのくらいだよ」

「何そのしょぼい能力……」

「しょぼくない! なら、やってみてよ。三秒間、世界を止めてみせてよ」

 茶化すように、子供っぽい神様が言う。

 俺は相手にするのをやめてそっぽを向いた。

 するとみさぎは俺の前にやってきて、目の前で手を振ったり、顔を覗き込んで来たりした。

 それでも俺が無視していると、

「わかった。わかったよ。わたしに落ち度があったことは本当だから、せめてものおわびにこれを……」

 みさぎの手からぽわぽわと飛び出した光が、俺のポケットにぶつかった。ポケットのなかが温かい。

 手を入れてみると、スマートフォンが光っていた。

「いつも君がやってるYEファンタジアのアプリを開いてみて」

 言われるままに、画面をタップし、開いてみる。

 するとなぜか、死後の世界のはずのここで、YEファンタジアのトップページにつながった。

「なんで死後の世界で繋がるんすか」

「だってWi-Fi環境整ってるよここ? わたしが電波も届かない田舎に住むわけないじゃん」

 なんでもないようなふうにみさぎが言う。

 俺は頭を抱えたくなりながら、画面に目を落とした。

 すると、有用なアイテムやキャラクターが獲得できる「ガチャ」を回すのに必要な「魔石」が、九百九十九万九千九百九十九というわけのわからないことになっていた。魔石は十個で三百円もする。

 だが、変わった点と言えばそれだけだ。

「みさぎさん……」

「どう? これで機嫌直してくれる? いまからガチャ回しまくれば、貧乏で課金できなかったあなたもあっという間にトッププレイヤーの仲間入りだよ?」

 胸を張って言う彼女に、

「こんなのいいから、蘇らせてくれよ」

「え? ちゃんと見た? 魔石の数! 九百九十九万だよ!? やりたい放題だよ!?」

「いまさらゲームとかどうでもいいよ」

 俺は自称神様の相手に疲れて、その場で膝を抱えた。

「死んだら、何にもなんねえだろ」

「え、じゃあ、何してほしい? えっと……すっごくおいしいコーヒーあるよ? 飲む? 飲みたくないの? なら、天国に昇っちゃうくらいおいしい……あはっ、ここ天国みたいなもんだね、あははっ……柿の種とか……。いらない? うーん……じゃあ、肌年齢が十歳若返っちゃうお風呂とか……え、これも興味ない? じゃあじゃあ、笑い死ぬ程おもしろい漫画とか……あ、君死んでるね、ふふっ……え、なんでそんなに機嫌悪くなってるの? 冗談だよ冗談……神様だって冗談くらい言うよ」

 ひとりで喋ってひとりで笑う神様は、言葉の軽さとは裏腹に、なんだか必死に俺を慰めようとしているように見えた。

 その取り繕うさまが、俺は本当に死んだんだという、動かしようのない事実を突き付けてきていた。

 俺が何も言わずにじっと見ていると、なぜかみさぎは、目に、涙を浮かべはじめた。

「舌が溶けちゃうほどおいしいカレーも、冷蔵庫にあるよ。昨日作っておいたんだけどね。寝かせた方がおいしいから。ずっと目が離せなくなっちゃうドラマとかも見られるし、あとね、あとね」

 とうとう泣き出してしまった彼女は、ちゃぶ台の上にぽとりぽとりと涙を零しながら、

「下界への通り道をあけられる手袋があるよ」

 と、言った。彼女は

「わたし、五百年くらい前に末端神になってから、同じことをずっと繰り返してて……最近は、命とか、あんまり大事に思えなくて。ひとつくらい寿命より早く消えても、別にいいやって。あなたのことも、そうやって、見殺しにした。めんどくさいから、家に呼び出したりしないで、あなたが今生こんじょうから離れるまで、知らない振りをしようって思ったんだけど」

 懺悔するように言葉を募らせた。

「それでも少しは後味悪くて、下界に行く用事のついでに、あなたのお葬式を覗いたら、あなたのお母さんが一人で立てなくなるほど泣きじゃくってるの見た。お兄さんとお父さんがそれを支えてるのを。家族以外の人は、ちょっと悲しんでるくらいだったけど、四人くらいが、心から、泣いてて。女の人も……。だから、ごめんなさい。本当にごめんなさい」

 ちゃぶ台から離れ、額をこすりつけるようにして、みさぎは謝った。嗚咽に紛れたみさぎの声はよく聞き取れなかったけれど、自分の葬式で、何人かの人が本気で悲しんでくれたらしいことは分かった。

 俺はいつ死んでもいいと思ってきた。そのはずだった。

 けれど、泣きじゃくるみさぎにつられ――本当につられただけだけれど、涙があふれてきた。

「俺、死んだのか」

 ぽつりとつぶやいてからは、子供の頃に兄と大喧嘩をして以来の大粒の涙が、次々にあふれ出していった。

 畳にくずおれて、みっともなくうめく俺の背中を、小さな手が、何かを訴えかけるように強く、なで続けていた。


 二人とも、腫れぼったい目で、なんだか居心地の悪さを感じながら向かい合っていると、先に視線を外したみさぎが立ち上がった。

 みさぎはこなれたすり足で歩いて行き、畳からフローリングに変わる敷居をまたいで、台所と思しき場所に向かった。

 冷凍庫を開け、何かをお皿に載せて電子レンジに入れるその背中を、眺めるともなく眺める。

 やがて音が鳴り、戻って来たみさきの手には一枚の皿があった。皿の上に、黄色の衣で着ぶくれしたかき揚げが載っていた。

 何も言わずに、俺のほうにその皿を差し出す。

 箸は出てこないみたいだった。俺は手づかみでかき揚げを口に運んだ。

 俺の命と引き換えに作られたらしいかき揚げは、やけに油っこくて、あまりおいしくなかった。にんじんとごぼうより、衣の味の方が強い。みさぎの料理の腕前は俺以下のようだ。

「全世界のことはもうろくしたジジイ……いえ、もうろくなされた創造神そうぞうしん様が統括なされているので、ときどき、寿命でない生物が寿命の前に亡くなるようなことも起きてしまいます。死んでしまった生物は神の力でもどうすることもできないから、老いぼれの尻拭いをする神が必要になってきます。それが、創造神よりずーっと下位に位置する、各地区担当のわたしたち末端神の仕事なんです」

 説明を始めたみさぎの言葉遣いは、丁寧なものになっていた。

 まずいまずいと思いながらかき揚げを口に押し込み、みさぎの話に耳を傾ける。

「だから、ごめんなさい、万里くんを蘇らせることは、創造神にもできない……」

 俺は衣を飲み込んで、言う。

「いいよ、それはもう。で、俺はどうなる、天国行き、地獄行き?」

 投げやりに言うと、みさぎは少し目を伏せた。

 それから、目に力をこめて、もう一度俺の目をまっすぐに見てくる。

「ひとつだけ」

 と、みさぎは人差し指を立てた。

「ひとつだけ、あなたが今生こんじょうに留まれる方法があります」

 最後のひと塊を口に押し込んでいた俺は、驚き、それを吐き出しそうになった。慌てて右手で抑える。

「わたしの補佐役として、みさぎ地区の末端神になることです」

 俺はとうとう、押し戻し切れずに吹き出してしまった。

 右手でそれ以上の逆噴射を押さえたまま咳き込んでいると、何やってんの、とでも言いたげに、みさぎが非難の視線を送ってくる。

「今回のことは完全にわたしの、ひいては神界の落ち度なので、申請すれば通るはずです。あなたが首を縦に振れば、ですが」

 みさぎは一通りの説明を終えて、口を閉じた。

 俺は胸焼けを覚えながらどうにかかき揚げを食べ終え、手についた衣のかすを皿の上で払った。

「末端神って、具体的にはどんなことしてるんすか?」

「えーっとね。最近は基本的に、メールで上の人から指示が送られてくるから、それを実行する仕事が多いかな。万里くんのときみたいに、上の人が寿命を勘違いして殺しかけた生物全般の救命措置とか、神界への回収が難しいところで死にそうになっている生物を移送するとか、繁殖してはいけないところに繁殖してしまった植物を引っこ抜くとか、悪さをしてる霊の退治とか」

「要するにパシリ?」

 そう言うと、みさぎはむっとした表情になった。

 それから、息を一つ吐いて、頷いた。

「下界にはあんまり干渉しちゃいけないから、辛いことも多いよ。悪事を見ても、必要なとき以外は手を出しちゃいけない。発狂した末端神の始末もしなくちゃならない。あと、誰かが傷ついても、誰かが殺されても、特になんとも思わなくなる……今のわたしみたいにね」

 自嘲の笑みを零したみさぎは、赤く充血した目で、じっと俺を見ていた。

「それでも、やる?」


 ごいんごいんごいん。

 やたらとうるさい鐘の音に叩き起こされ、俺は布団をはねのけ飛び起きた。

 言っていることとやっていることに妙な食い違いのある、どこか不整合な女。その問いかけに対して、あのときの俺は特にためらいもせずに、頷いた。

 結果がこの、鐘の音だ。

 慌てて制服――学ランを下手に模した、あまりよろしくないデザインの制服に着替え、窓から外に飛び出した。鉄の棒で庭の鐘を連打していたみさぎも、いつもの黒い巫女服みたいな変な服装はやめて、学ランみたいな制服に着替えていた。この変な制服はみさぎの手作りだ。

「寝すぎ!」

 いつも通りの、分かりやすい叱責だった。

「ごめん」

 とだけ言って応えると、みさぎはさっそく仕事の説明に入る。

「今日は隣の隣、雷枚らいまい地区の末端神が、人間の女に入れ込んで下界で実体化しているので、神界に連れ戻してくる仕事です。詳細は下界に行ってから……」

 今日もまた、ため息をつきたくなるような仕事だ。

 太陽の光とは違う、降り注ぐ創造神の後光を浴びながら、あくびをひとつ零す。

 説明していたみさぎも、俺につられてあくびをした。慌てて口を手で覆った彼女は、軽く睨んできた。俺のせいか。

「じゃあ、行くか」

「行きますか、でしょ。先輩に対する敬意が足りないなあ、万里くんは」

「身体年齢を二十二歳にしてる人に言われても。俺、二十四なんで。その辺をきちんとしてくれたら、敬意を払いやすいですよ」

「あ、いま、ババアって言った! 若作りのババアって!」

「言ってませんよ」

 下界に降りるための黒い手袋をはめて、その手を足元に置いた。

 すると、少し先の地面に、綺麗な円状の穴が開いた。

 俺は怒っているみさぎを置いて、先にその穴から飛び降りた。



 

(2015/9/5)

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