一柱目
「諏訪家の極秘家族ターイム!」
長野の神社近くにある平凡な家。
そこで、諏訪家の長男、健の掛け声で始まった、いつもの会議。
時刻はたいてい昼すぎ。なぜなら薫が高校から帰ってくることはないから。
これから受験モードに学校も入るので授業は少なくなるかもしれないが、塾にも通っているので帰りは夕方か夜。
この会議は必ず薫のいない時に行われる。
「…で、今日の議題はなんや?」
席に座っているスポーツ刈りの健、小学生くらいの少年の士郎、そして手際よくお茶を入れているサカエ。
それぞれ諏訪家の長女、次男という設定。
とはいえサカエだけが何故か関西弁。強い語調からしっかり者のオーラがビシビシ伝わってくる。
…とはいえ、この会議を仕切るのは健だ。
「皆も知っている通り、いよいよ薫の受験が始まる。
この受験が終わり、無事東京の大学に合格した暁には…」
言葉を切った健に、士郎は静かに頷いた。
「もう我々は、普通の一柱の神として任務に戻ろうと決めていたよな…」
「せやなぁ…もう、あと一年になるんか…。
なんかあっという間やったなぁ」
「………」
薫は諏訪家という神社近くの家に居候…という『設定』になっている。
本当はこの地一帯を守る、八百万の神の一柱達だった。
彼女がある神社に捨てられた時から、彼等は薫を人の子のように育てようと動いたのだ。
「そう…薫が小学に入学するにあたって、母としてサカエが支え、俺は自然と父のように。
…士郎兄さんは、『弟ポジション』が萌えのツボだとかで何故か弟になったけど…。
まー、なにもかも懐かしいなぁ…」
「………」
薫との思い出を浮かべているかのように、ほんのりと微笑む士郎。
穏やかな空気が一瞬流れ…そっと健は口にした。
「その、その話なんだが…薫が就職するまで…
ついていって親代わりやるってーのは…どうだろう…」
「あかん!ブレとるやないか!」
サカエのツッコミに、だよなー!と大きくため息を漏らす健。
分かってるなら聞くなよ、と言うかのように士郎はため息をついて眉をひそめた。
「アンタのおとんにチクチク言われてんねんで!
十月の会議にも出てへんのに、ミシャちゃんに負担かけすぎやないか?ってじわじわプレッシャーかけてきよんねん!」
「いやー、そりゃごめんだけどさー。
でも俺受験だって心配でさ…湯島か大宰府の方に土下座しに行きたくてたまらんのだわ」
「………」
薫を人の子として育てるにあたって、神様的な裏技は絶対に使わない!と固く誓ったので、意に背く健の言葉に士郎はさすがに冷たい目で訴えていた。
「分かってますよ、士郎兄さん…。
ぎりぎりでいつも耐えてますって」
健は少し寂しそうにお茶を飲み干して一息つく。
諏訪家として家族になった彼等は、薫のことを本当に家族だと思い、心底愛していた。
だが、そこで超人的な力で育ててしまうと、彼女が人の世に戻れなくなってしまう。なので普通の人間と同じように接した。
失敗や挫折を味わい、心身ともに強くなってもらいたいと。
「そういえば薫、今日は模試の結果が来るって言っとったな…」
「えっ、この前のか!?
げっそりして帰ってきたあの模試の判定が!?」
「……っ」
あの状態じゃ今日もかなりげっそりして帰ってくるに違いない、という焦った顔をする士郎。
健もそれに頷く。
「まだ、模試の結果はもらってないよな…。
ちょ、…ちょっとお散歩にイッテクルヨ」
「あかん!
結果を神様的な力でなんとかしたらあかんやろ!
あからさまやないか!じっとしとけ!」
不自然に外へ出ようとする健をサカエは激しくどついた。
「…おやおや息子よ、また薫を甘やかしているのか?」
ダンディーな声で玄関先から入ってきたのは、白髪で知的そうな男性。
健のことを息子と呼んだが、息子というより兄弟だ。
「うわ、父さん!
なにしに来たんだよ!」
普通ならこの場所まで彼が来ることはない。
だから健だけでなく、サカエもさすがに黙りこくる。
「…美味しそうな水羊羹を薫に買ってきたのさ」
「あんたも薫にデレデレやないか!」
サカエがつい突っ込んだ彼は大国兄さん。
さすがにお爺ちゃんという見た目ではないので『叔父』というポジションになっている。
…というか、見た目などいくらでも変えられるのだが、薫に『カッコいい』と言われたいがためにダンディーな位置を選んだのだ。
「………」
「…士郎、ダメだぞ。
その水羊羹、美味しそうだから僕もひときれ頂戴だなんて。
かつここは人の子の世界なんだから口を使って話さないと。
…それはそうと、さっき薫の模試がどうとか言っていたな?」
サカエに紙袋を渡し、お茶を一口。
「…あんまり結果がよろしくなかったみたいだから、模試を作った会社に災いを送っといたよ」
黒い笑顔で独り言のように呟く大国兄さん。
さすがの健も士郎もお茶を吹きこぼす。
「だめだよ、父さん!
そんなら点数いじった方がマシじゃん!」
「親子揃ってあかんって言わすな!」
「…大丈夫さ、死なない程度のほんのりなやつだから」
一番甘いのは何だかんだ言って、大国兄さん。
薫という名前を授けたのも彼。
周りの神から反対を受ける中、薫を育てることを押し通した。
そして頻繁にこの場所まで渡りに来ている。
一度決めると融通がきかないが、健たちと同じように薫を大切に思っている。
「あ? なんだ?今日はなんかあんのか?」
「あら、ミシャちゃん。もうお昼なん?」
ポニーテールでまとめた長い黒髪が美しく、肩にかけたタオルで汗を拭いながら入ってくる彼女。
「ちょっと休憩もらったから水飲みに帰ってきた。
つーか大国の旦那まで来てるってーことは、どうせまた薫のことだろ。
…ったく、かいがいしいこった」
どかっと男らしく座る姿がまるで似合わない。
土建で働いているミシャ。一応諏訪家の次女で薫の姉…ポジション。
もちろん彼女も神だが、家族の中で一番人間くさく、よく働く偉い子。
「どうせ受験のことだろ?
だから附属の私立にでも入れりゃあ良かったんだよ。
金ならアタシが稼ぎゃいい話だし」
「とか言っちゃって働くよなー、ミシャは。
頑張り屋さんなのは薫のためだろー?」
「うるせー、黙れ。違ぇよ」
―――がたん、と玄関が開く音。
その音に、空気に皆が反応する。
木の廊下が軋む音。軽やかな足取り。
「――やっぱり、大国の叔父さん来てるぅ」
「薫!」
にこっと周りを照らすような明るい笑顔。
彼女こそが薫だった。
「なんや、今日は半日やったんか?」
「忘れてたんだけど、そうだったみたい。
だからお弁当、家で食べるよぉ」
「お姉ちゃんとお昼ごはん食べれるのうれしい!」
ちなみに今喋ったのは士郎。
先ほどまでは信じられないくらいドライで話さなかったのに、薫の前でだけはベタベタに甘えてくる。
「…久しぶりだな、薫。
ごはんのあとは水羊羹あるから後で一緒に食べよう」
「うわぁ!ありがとう叔父さんー!
しかも姉さんも帰ってきてるなんて久々だねぇ!
なんだかお正月みたいー」
「か、薫…」
盛り上がってる家族団らんの中で、恐る恐る口を開く健。
その瞬間、薫は無表情になり扉を閉めた。
「…あぁ、成る程」
「あちゃー」
「ガチで嫌われてんじゃねぇの、健兄」
薫は絶賛反抗期中だった。
ここ一年くらい急に始まり、健は口をきいてもらえていない。
…本来であれば居候なのでそんな態度をとれる間柄ではないが、本当に家族のように接してきたからこそ。
こんなにあからさまに避けられるのである。
「ひどい…名前読んだだけじゃん…なぜだい薫…」
縁側で泣き出している健をニヤニヤしながら眺める大国…叔父さん。
鞄を部屋に置いて着替えてきたのか、薫はいつもの笑顔で食卓を囲む。
「なー、健兄がメソメソまた泣いてんぜ?
一声かけてやったら?」
さすがに見かねたのか、ミシャがそっと耳打ちする。
頬を膨らませて、むくれる薫。
「いーんだよぉ。健兄、あたしが受験うまくいかないって騒ぐからヤなんだもん」
「まぁ、皆応援してるんだから上手くいくさ」
ぽんぽん、と優しく頭を叩き、ミシャはサカエが用意したおにぎりを手にする。