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恋愛もの

Lunchtime on Sunday

作者: 腹黒ツバメ



〈Lunchtime on Sunday〉



 自分の腹の虫で目を覚まして、あたしは緩慢な動きでこたつから半身を起こした。

 クリスマスを直前に控えた日曜の昼下がり。特に予定のなかったあたしは、リビングで母の作った朝食をたいらげた後、こたつに潜って二度寝をしていたのだ。

 目尻を擦りながら、カーテンの隙間から空を見上げる。数日前まで粉雪を蓄えていた灰色の雲は細かく千切れ、穏やかな青空には太陽が燦然と輝いていた。

 眠っていても肉体はせっせと活動していたらしく、今朝補給したばかりの胃の中はもう空っぽだ。

「お母さん、ごはーん」

 座ったままで台所に向かって声を張るが、返事はない。普段の母ならば、もう昼食の準備が終わる頃なのだが。

 しばし首を傾げていると、ふと思い出す。そういえば両親は朝から日帰りの温泉旅行に出かけていたのだ。ふたりきり、夫婦水入らずで。もう四十路になるというのに、お熱いこと。

 ……ともあれ、自宅に母がいない以上、昼ご飯を用意できるのは自分だけだ。

 倦怠感が肩に圧しかかるが――元来食い意地の張った性分だ――空腹には敵わない。

 仕方なくあたしは蝸牛じみた動作でこたつから這い出た。

「めんどくさ……」

 ぼやきながら戸棚へ。もう適当に口に入れてしまおう。パスタか、うどんか――

 顎に右拳を当てて思案していると、視界の端にあるものが止まった。途端、脊髄に蔓延っていた気だるさが吹き飛ぶ。


「これだー!」


 瞳を歓喜に輝かせたあたしは、それ――薄切り食パンを袋から出して表面に頬ずりした。ただのパンと侮るなかれ、こいつは工夫次第でご馳走(っぽいお料理)にも変身できるのだ。

 メニューが決まると行動も早い。

 腹の音に急かされながら、冷蔵庫の中身から目当ての食材を物色していく。玉ねぎ、ピーマン、ウィンナー……そして、トマトケチャップ。

 いざ調理開始――といっても、エプロンなんて立派なものは必要ない。それだけ簡単なお仕事だ。

 さっきの野菜とウィンナーをまな板に放り出し、歯応えが残る程度に薄く切る。使用するウィンナーはシャウエッセン、これが常日頃から買い置きされているのは、我が家のささやかな贅沢である。

 続いて平皿に置いた食パンの表側に、ケチャップを小山になるまで垂らし、ナイフで全体へ伸ばしていく。平生の倍近くの量かけてしまったが、まあ育ち盛りの女子高生にとって、調味料なんて濃ければ濃いほど美味いものだ。折角なので、タバスコも普段より多めに振りかける。

 さっき刻んだ野菜たちをその食パンの上へ適当に散らし――

「お?」

 野暮ったい部屋着のポケットの内側で、携帯電話が鳴った。LAST ALLIANCEの『スロースターター』。

「あたしの優雅な昼食タイムの邪魔をするとは……いい度胸じゃない」

 着信音をこの曲に設定している人物はただひとり。

 愚痴を漏らしながら、しかし無視するのも交友関係に支障を与えるので、手を洗って通話ボタンを押す。

「もしもし」

『あっ、ハルコ? 暇なら遊ばない?』

「嫌」

 電話越しの陽気な声音とは対照的なテンションで即答。いくら親友相手でも、愛するランチタイムは譲れないのだ。

 頬と右肩の間に携帯電話を挟んで両手を空ける。意地でも調理の手は緩めない。

『あー、もしかして昼飯中だったか』

 口調からいろいろと察したらしく、彼女――リサが苦笑混じりに尋ねてきた。さすが親友、あたしが機嫌を損ねるような状況を熟知している。……予想できるなら、この時間帯にお誘いなんてするなと言いたいが。

「うん、ていうか今作ってるとこ」

『出たなさりげない家庭的アピール』

 リサの台詞に、今度はあたしが苦笑する番だ。なぜ長年のつきあいの――それも同性相手に女らしさを演出する必要があるのか。

『まあ冗談は置いといて。なに作ってんの?』

 そう尋ねるリサの声の弾み方は、いかにも興味津々といった様子だ。家が近所という事情もあって、彼女はよくあたしの料理を食べにくる。

「へへっ、ピザトーストだよ」

 答えながら、具材を載せた食パンに視線を落とす。完成品を想像すると、意図せず笑みがこぼれる。口から唾液もこぼれる。

『ピザ……そんなものまで作れるのか!』

「いやいやそんな立派なものじゃないから」

 なにか勘違いして言葉尻に熱が籠もるリサを軽く宥める。むしろピザトーストなんて、すこぶるお手軽な(そしてズボラな)メニューだ。過度に期待されても困ってしまう。

 会話の片手間に掴んだのは、ガーリックパウダーだ。蓋を開けると、独特の芳香がすぐさま鼻腔を侵食していく。

「いい……」

 無意識に恍惚の呟きが漏れ出た。

 巷では忌み嫌われるにんにく臭だが、同時になんとも食欲をそそる。ちょっとしたアクセントのつもりが、魅惑の香りに負けてどばどばと大量投入してしまう。ケチャップの大地を薄黄色の粉雪が彩っていく。まだ焼いてもいないのに、空腹の身体に鞭打つ残酷な香りだ。腹の虫が絶えず雄叫びを上げている。ああ、たまんない……

『――おーいハルコ、聞いてる?』

「はっ」

 耳元で呼びかけるリサの声で我に返った。顎まで涎が伝っている。まあ、はしたない。

「ご、ごめんね、ちょっと上の空だった。で、なに?」

 完全に集中力が切れていた。胃袋どころか脳みそが空っぽになっても不思議じゃない窮状。

 謝りながら冷蔵庫からスライスチーズを取り出す。ピザトーストに使うならチーズはよく溶けるものを選ぶ、これが自分の中での鉄則だ。――まあ、お母さんが普段から冷蔵庫に詰めているやつだけど。

『いや、ハルコがご飯食べてからでも一緒に買いものとかいきたいなーって。駄目?』

「あー……」

 呻き、微妙な心境で思案する。

 空腹で目が覚めるまでこたつで熟睡していた事実から読み取れるように、確かに午後も一切予定はない。このまま家に籠もっていても休日を無駄にするだけなのだが……

「ごめん、やっぱり今日は無理だ……」

 はは、と愛想笑いでごまかす。

 これを食べた後で外出なんてしたら、さすがに口臭が洒落にならない。妙齢の乙女がにんにくを堪能できる時間は限られているのだ。

『よくわかんないけど、まあ仕方ないか』

「いや、マジでごめんね! 埋め合わせは必ず!」

 平身低頭に頭を下げ、謝罪の言葉を繰り返す。うう、あたしも本当は遊びにいきたいのに……

 気を取り直してチーズを食パンの上にかぶせ、オーブンレンジに放り込む。これで作業はひと段落、後は五分ほど待つだけだ。

 恐らくあたしの今生で最も長いであろう数分間、現実に意識を繋ぎ止めておくため、しばらくリサとのお喋りに興じていよう。

「そういえばリサは今どこにいるの?」

 オーブンを居間に移動させながら問う。そして自身もこたつに足を潜らせた。

『学校近くのスタバ。本当ならアンタと遊ぶつもりだったから』

「計画性とは……」

 つまり最初からあたしの都合が悪い可能性を度外視して、あらかじめ外出していたのか。とても高校生の生活パターンとは思えない。

 呆れ返った胸中を読んだのか、リサが不貞腐れたように嘆息する。

『いいでしょ別に。あぁー、ひとりで街歩くのも寂しいし、仕方ないからコウタでも呼ぶか』

 さも渋々といった感じの、嫌そうな口調。けれどその態度がとある感情の裏返しであることは、経験上よくわかっていた。

 コウタくんはリサの彼氏で、無気力を全身に染み渡らせたような同級生だ。よい表現をすれば自由人で達観している。悪く言えば……覇気がない、思考が理解できない、オッサンくさい。

 彼女とは真逆の性格のようだが、これが不思議と馬が合うらしく、もう一年以上は交際を続けている。

「……というか、普通あたしより先に誘わない?」

 定番の日曜デートってやつだ。恋人との逢瀬よりも、どうしてあたしを優先するのか。

 が、あたしの言葉にリサは「わかってないな」と息をつく。

『だってコウタと出かけても全っ然面白くないもん。聞いてよ、この間デパートで迷子になったと思ったら、あいつ休憩所でずっとねるねるねるね食べてたのよ! 十個以上! 信じられる?』

「逆に面白いよ、それ」

 まあ当事者からすれば冗談じゃないのかもしれないが。相変わらず彼は変人だ。

 とはいえ傍から聞いていれば単なるノロケ話である。ふと悪戯心が芽生えたあたしは、唇の端を持ち上げて囁くように、

「でも、そんなに文句ばっかりなら別れればいいのに。なんだかんだで仲いいよね、リサとコウタくん」

『えっ!』

 あたしの不意打ちに仰天の声。きっと電話の向こうでは顔を真っ赤にしているだろう。

『い、いや、仲いいっていうか……ねるねるねるね、ちゃんとあたしにもくれたし……』

「ははは、照れるなって、意外と純情なんだからリサは」

『だあぁもう! 彼なしのアンタに言われたくないわ!』

 かわいい奴だ、明日学校にねるねるねるねを買って持参してやろう。

 そうやって、しばらく黄色い声で姦しく雑談を交わしていると、不意に鼻腔を香ばしい匂いが刺激した。気づけば、台所はチーズが焦げる素敵な香りに満たされている。

 ついリサとの会話から意識が逸れる。

「うぐぅ……」

 忘れかけていた飢餓感が復活し、自然と鼻先がオーブンの正面に吸い込まれていく。もはや動物的に鼻を鳴らしてその匂いを堪能していると、

『……なんかブタの鳴き声が聞こえるんだけど』

「え、し、失礼な!」

 慌てて反論するが、直後に腹の虫が大きく唸り声を上げた。きっと通話口まで届いただろう……リサがぷっと噴き出すのがわかった。

『早くそのブタに餌あげな。さっき言ってたピザ、できたんでしょ?』

「……うん」

『お食事の邪魔しても悪いし退散するわ。また明日ね』

 彼女の笑い声の余韻を残して電話は切れた。ううむ、最後にしてやられた。

 が、彼女への仕返しを考えている場合じゃない。とにかく今は最愛の相手とのご対面が最重要だ。

 満面の笑顔で蒸気を浮かばせたオーブンに向き直る。

「じゃあ念願のご開帳!」

 意気揚々とその正面の蓋を開けると、内部を滞留していた真っ白な湯気と漏れていた香りが一気に解放された。顔面を直撃するそれれらに興奮を隠せず、あたしは視界を遮る煙の中に両手を差し入れた。

「あ熱っ」

 危うく火傷しかけながらも、待ちに待ったブツを取り出し、用意していた平皿に移す。


 遂に、焼き上がったピザトーストの全容が晒された。


 表面のチーズはすっかり狐色、玉ねぎは透明で、パン耳の角はやや焦げかかっている。このくらいの塩梅が最上なのだ。

 なによりこの犯罪的な香り。ガーリックとタバスコが織り成す刺激の強い芳香は、修行じみた我慢を重ねてきた胃袋には毒だ。猛毒だ。

「いっただきまーーーす!」

 三日ぶりに獲物を仕留めた肉食獣のように、一切の前座なく豪快に齧りつく。サクッと小気味いい音がひとりの居間に響く。

 真っ先にタバスコ混じりのケチャップの甘みと辛みが、口内に溶け出してきた。続いて口から鼻に強烈なにんにくの風味が広がっていく。進化を遂げた食材たちが、喉奥で壮大な重奏を生み出す。

 焼き立て直後の熱さとタバスコのせいか唇がひりひりと痛むが、そんなの気にならないくらい――


「おいしひいいいい!」


 口元とトーストの間に、伸びたチーズが橋を架ける。まるで早く食べてと催促しているように。

「頼まれなくても食べちゃうんだから!」

 昂る気持ちを抑えきれずに雄叫ぶ。ジャンクな昼食定番のインスタントコーヒーを淹れるのも忘れて、無我夢中に貪った。

 さっきまで瀕死を訴えていた体内に活力が宿り、同時に頬張った口元から笑顔がこぼれる。食事は人間を幸福にし、この世界を平和へと導くのだ。八百万の神々は知らないが、少なくとも食物には崇高な神が宿っているのだろう。

「しあわせ……」

 指先についたケチャップも綺麗に舐め取り、瞬く間に完食だ。

 身体も心も充足に満たされたあたしは、感無量でこたつに全身を横たえる――とは、いかなかった。

「も、もう一枚くらい……」

 震える右腕が、残された未調理の食パンに伸ばされた。曲がりなりにも女子として過食は禁物だが……


 もう辛抱なんて不可能だ。


 一度求めたら止まらない、それが食欲、悪魔が人間に与えた底なしの欲望。

「このままで食べちゃう……?」

 邪悪な囁きが鼓膜を揺らす。しかし、僅かに残された一抹の理性がその声を払いのけた。いくら暴食に身を染めても、せめて料理くらいしなくては。美味しく食べる努力を怠っては、文明人失格だ。

 意志を固めたあたしは再び台所に仁王立ち、バターをつけた食パンの表面にマヨネーズをたっぷりと塗り広げた。そしてその上に、缶詰のコーンをぶちまける。最後にまたもスライスチーズをかぶせてオーブンに投入。

 ずいぶん雑な調理だが、実はこれが尋常でなく美味い。我が家ではコーンチーズトーストと呼称している。そのまんまである。

 再び訪れる地獄の待ち時間。が、今は暇つぶしの材料なんてない。せめて万全の準備を固めてこの決戦に臨もう。

 ばたばたと台所を動き回り、孤独な食卓を整えていく。

「コーヒーよし! 追加のマヨネーズよし!」

 そして恐る恐る、部屋着の内側に手を入れる。素肌に触れた指先は恐怖に震えていた。

「は、腹肉、よし……?」

 つまめる。つまめてしまう。……が、まだ許容範囲のはずだ。最終防衛ラインは越えていないはずだ。

 ――いや、苦悩しても仕方がない。待ち受ける悲劇への対処は未来の自分に託そう。

 大方の用意を終え、絶好のタイミングでコーンチーズトーストが焼き上がる。

 先刻のピザトーストとは打って変わって、全体は黄色を基調とした優しげな色合いだ。当然香りもまろやか。しかし、光を美しく反射するコーンに見惚れる余裕などなく、あたしは大口を開けてその素朴なトーストを頬張った。

「うまい、うますぎる」

 マヨネーズとチーズの柔和な味わいが交錯する口内で、一噛みする度瑞々しいコーンの粒が弾ける。バターの染みたトーストとの対比的な食感が、類を見ない、心地よい歯応えを演出していた。

「これ危険だよぉ……! 三枚め、待ったなし……!」

 余計な味つけのないこの質実さが、更なる食欲を誘発する。

 鼻の穴から湯気を立ち昇らせながら、頭では本日三品めのトーストをどう装飾してやろうかという妄想が、あたしの脳内を埋め尽くしていた。




「ちょっと食べすぎた……かな?」

 だらしなく仰向けに寝転び、苦笑いしながら呟く。

 ずれた部屋着の隙間から覗く肌色のお腹は風船のように膨れ、限界を悠に突破したことを告げていた。いつもだと食べ過ぎた後は気分が優れないが、現在は至福の満腹感が勝っている。

 一歩も動けない。やはり断腸の思いでリサの誘いを断ったのは正解だった。今日はもうずっと自宅から出ず、無為な時間を過ごそう。

 たまには、こんな日曜日も悪くない。

 平日は学校、休日は友達と遊ぶ――至極充実した生活のようだけど、こうして無駄に休日を浪費して食っちゃ寝する穏やかなときも、長い人生の中では必要だと思う。

 要するになにが言いたいかって……だらだら、バンザイ。

「ごちそうさまでした……」

 半ば寝言のように漏らしたのを合図に、あたしの意識は食後の微睡みに溶け、暖房の利いた部屋の温かな空気が、眠りゆく身体を包んだ。







 読んでいただきありがとうございます!


 空腹時に執筆するとお腹がすくし、満腹時に執筆すると「うっぷ……」ってなるし、大変な目に遭いました。

 みなさんもお料理する物語を書かれる際はお気をつけください!


 ……自分だけかしら?


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