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開幕

 「あんらー、高橋ちゃん。カバン変えたのぉ? 」


 「あ、はい……」


 何故おばさんという生き物は、人をやたらと“ちゃん”付けしてくるのだろうか。


 僕の職場である旅館、『人生館』。

 店先には既に、黄ばんだエプロンをぴっちぴちにして身に付けた、40歳くらいのオバサンが玄関のイチョウを掃いていた。銀杏の腐った臭いが鼻を突く。


 僕は軽く会釈して、歩みを進めた。

 自然と、鞄の持ち手を掴む力が強くなる。

 

 今まで、リクルートバックに準ずるカバンで出勤してた僕が、急にスーパー帰りのお母さんがネギでもはみ出してそうなトートバックを持ってきたら、そりゃ誰だって疑問に思うだろう。

 卵は見つからないようにカバンの底へ置きたくて、でもその上から水筒や弁当を重ねるなんて出来ない。目立つけど、これでも苦肉の策だ。


 僕は苦し紛れに笑った。


 「ほら、作業着入れるので……」


 さっさと中にはいってしまおう。

 無意識に足が早くなる。

 でも僕は、それ以上進めない。

 オバサンに、太い手で強引に掴まれたからだ。


 「あぁ、そうなのぉ~。そうだそうだ、高橋ちゃん! 飴ちゃんあげるぅ! 綿尾ワタオおばさんのおススメよぉ~」



 (……この人は、要注意だな)

 


 餌で人の気を引こうだなんて……ホント悪趣味だな。

 僕は侮蔑の原液みたいな目で彼女を見る。


 オバサンは、さりげなく鞄を覗こうとしていた。



 そんなことするんだね…… 僕、ちょっとムカついちゃった。



 「……ありがとうございます…あ、あの…良かったらこれどうぞ」


 「あらぁ~! 私の大好物の梅のど飴じゃなぁ~い! 根暗なくせして気が利くわねアンタ!」


 

 へこへこ腰を折りながら、草食系な笑みを浮かべて退散する。

 僕は、オバサンに一年前にもらった飴を渡した。



 








 *









 

 卵の存在は正直負担になったけど、良くなったこともある。

 何故か最近、妻の機嫌がすこぶる良いんだ。


 「沙耶、何かいい事でもあったの? 」

 「ううん? なんでもないよ陽君♪ 」


 やっぱり何か、良い事があったんだ。

 汚れのない清潔なエプロンが、ルンルンと動く細い腰に輪をかける。ああ、可愛いよ、やっぱ可愛いよ沙耶。

 僕は思わず後ろから抱きついて、サラサラな長い髪の毛に顔を埋めた。疑問なんか、シャンプーの香りと共に溶けていく。



 それから1ヵ月は、何事も無く平和に過ごした。

 ある時は一緒に買い物に行って、ある時は旅行にも行った。


 「おみやげ、喜んでもらえるといいね! 」

 「うん、そうだね」


 そうして僕はその日、16個入りサイズのお饅頭の入った大きな箱をトートバッグとは別の袋に入れて、出勤したんだ。



 「おみやげ、この袋の中に入れておくので、みなさんで食べて下さい」



 それが、伝言ゲームのように広がっていく。

 着々と減っていくおみやげ。

 お昼休憩が一番遅い僕が休憩に入った頃にはもう空き箱になっていたので、僕はさっさと処分した。



 その後もそつなく仕事をこなし、器具を煮沸し、シンクを研きあげて厨房を綺麗にする。

 よし、ちゃんと調理器具のコンセントも抜いたな。

 最後に目視で確認をとり、僕はようやく、電気を消した。


 空が暗い、早く帰ろう。



 そして、僕はカバンを勢いよく引いた。



 (……っ?!)



 僕は前方によろめく。

 本来あるべき筈の重さがそこにはなく、余った力が空回ったのだ。

 そこはかとなく沸き上がる嫌な予感。

 


 その時だ、息も出来なくなったのは。



 無い。

 無い無い無い。

 たまごがっ……たまごがない


 ま、まさか…

 そんな…筈は――



 回る回る、視界が回る。

 僕は、ところ構わずロッカーを開けまくる。



 どうしてこうなった。

 まさかたまごをおみやげと勘違いしたのか?

 そんなバカな!

 だって人数分用意したんだぞ?!

 


 すべてのロッカーを開けても、そこは藻抜けのから。

 僕はよろめきながら旅館をさすらう。

 その行動は、無意味ではなかった。

 僕は、見つけてしまったから。



 (電気を消したはずの厨房に…… 電気がついてる)



 ふわふわと、ふわふわと。

 羽虫のように吸い寄せられる。


 モザイクガラスになっている厨房の扉。

 その向こう側に、何者かの人影を見る。

 僕は迷わない。

 ネジの錆びた扉の音が、静かに軋んだ。




 「……何、やっておられるんですか… 綿尾さん」




 醜悪な瓢箪が、僕達の卵を持っている。

 狼狽しすぎて入口でつまずく僕。

 綿尾は、あからさまに動揺する僕を鼻で嗤った。

 まるでゴミを見る目だ。



 「ダメねぇ高橋ちゃーん。あなたぁ、こないだ私に私が昔あげた飴くれちゃったでしょおぉ~?」



 ……嘘…だろ、どうしてバレて…っ


 動揺が胸の中で転がった。

 誰にもばれないと思っていた嫌がらせ。嫌な奴だとは思っていても、少なからず悪い事だと理解していた僕は、自分の矮小さを見透かされたようで、それを矮小だと思っていた奴に見下されているようで、無性に叫び散らしたい衝動と共に、どんどん焦りが脳を焦がしていく。

 やっと出た声は、自分でも目を見開くほどに、震えていた。


 「な、まさか… そんなこと根に持って……」


 「あらやだ、本当だったのぉ? オバサン、ちょっとムカついちゃったなぁー? 」


 綿尾の嫌味な視線の先には、抜いた筈のコンセントにプラグがささっていた。

 元を辿ると、そこには電磁調理機(IH)。上には鉄板。




 まさか。




 「おみやげと間違えて、なんか高橋君が大事にしてるダチョウの卵をみんなのために調理しちゃいましたぁ~! そんな感じだから怒らな……い…で?」




 「……やめろよ」




 回る回る、視界が回る。




 「ソレさえ割れなければ……僕達はいつまでも幸せなまんまなんだ…」



 「ちょ……ちょっと待ち、落ち着っ…」



 「返せ、たまごを、たまごを返せええええ!! 」




 一回、二回、熱したフライパンで綿尾を殴る。

 悲鳴をあげる前に顔面を狙う。

 血は飛び散らない。

 熱せられてるおかげで、皮膚が溶けて塞がるから。

 


 「……った、うぅっ」


 「な、やめっ…?!」





 ――それは。本当に……突然だった。





 もうフライパンを降り下ろした後に。

 必死に顔面を守る綿尾が、動く。


 綿尾は、塞がった両手を、自身の眼前に置いていた。


 何が両手を塞いでいる?

 そんなもの、一つしかない……





 綿尾は、あろうことか、脆弱な卵を、盾に、使った。





 時が、ゆっくり流れて見えた。


 降り下ろされたフライパン。

 着々と迫る、卵との距離。



 だっ、だめだ……駄目だ駄目だ駄目だ?! 

 手が止ま、止まらなっ



 止まってくれっ



 やめ、止まっ



 止っ…




 

 ――バキィイイイイ!!








  

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