#1 Leaders
遅くなりました!
第2章開幕です。
【SIDE 相楽奏】
午前9時32分。天気は快晴。
街の中には、いつも見るはずの学生やスーツを着込んだサラリーマンの方々の姿はない。いつもの朝の騒々しさがない。代わりに、犬を散歩させる老人や朝のジョギングをしている奥様方がまばらにいるだけで、街を歩く人はあまりいない。
今日のような暖かい日は過ごしやすいだろうな。天気はいいし、気温もちょうど良い。
だが、今の俺はとても暑い。全身から汗が流れ落ち、シャツは体にびったりとくっつき気持ちが悪い。
別に朝のランニングとかではない。しかし俺は今走っている。全力で。
「架乃! 言い訳考えといてくれ!」
「……分かりました」
「何? まだ怒ってるの?」
「いえ、特には」
「…………」
絶対怒ってるな、うん。
現在絶賛遅行中の我々、相楽兄妹はようやく青信号になったのを確認し、横断歩道を渡った。
「兄さま。ここの抜け道を使いましょう」
渡りきった後に聞こえた澄んだ声に耳を傾けると内容は、幼稚園を突っ切って行けとの事だった。架乃の指先は確実に園児たちが遊んでいる幼稚園を指していた。
「マジ?」
「この際やむを得ません。このルートで行けば3分ほどの短縮ができるでしょう」
「……了解」
しぶしぶといった感じで方角を左から右前へと変える。門に向かって足を踏み出すが2メートルほどの高さは俺では不可能と判断する。それに今日は足枷がついているし。
「架乃! 一旦降りろ!」
「……何故?」
「2人分の体重の俺が超えられるわけないだろ!」
「……はい」
そうして足枷を外すと俺は門の横のレンガの壁に目をつけそれに向かって飛びついた。壁に付いているクマの顔の形をした突起物を左足で踏みつけレンガの壁に向かって思いっきり飛ぶ。そして跳び箱のように両手を塀の上につき、そこを支点として飛び越える。ギリギリでとんだせいか着地で足が少し痛んだが関係ない。
後ろを振り返ると架乃も同じように飛んでいる最中だった。…………ちょっ、パンツが。
今見た事は先方に感づかれてはないようだ。
「きゃっ!」
「おおっと!」
着地でバランスを崩す架乃を受け止める。重力加速度のついた妹は少々腰にくるな。
「怪我ないか?」
「あっ、は、はい」
「じゃあ行くぞ」
落ちていた架乃の鞄を拾い上げ、園児たちの不思議そうな視線を感じながら敷地を突っ走る。
「あら? 奏くんに架乃ちゃんじゃない。どうしたの? というか学校は?」
「へ!?」
建物から聞こえた声は、園長の…………。
「兄さま、あの人は園長の小田薫先生ですよ。忘れてしまわれたのですか?」
そうだ! あれは俺たちが3年間お世話になった小田先生だ!
「あっ、ども、お久しぶりです! ちょっと今急いでるんでまた今度ゆっくり話ましょう! では!」
「えっ? ちょっと!」
すいません先生! 今はそれどころじゃないんです!
裏門が見えた。かなり低いな。
「よっと!」
「はっ」
ドアノブを足場にして飛び越える。幼稚園を後にした俺たちは前方にそびえ立つ、私立梨園学園を目で捉えた。
「では兄さま?」
「はいはい」
背中に重みが。てか、背中に当たってるんだけど?
そうして架乃を背中に乗せて校門に向かって走った。
「で? どうして遅刻したわけ? 代表して奏、答えなさい」
「えっとぉー、登校してたら園児たちにつかまりましt」
「……おい?」
「はいっ!」
場所は生徒会室。時は放課後。ソファーの前に座るのはスラリと伸びた長い足を組んだ、美女。毛先は大きくカールして胸の所まである金髪は綺麗な彩光を放っている。パッチリと大きく開いた翡翠色をした瞳は右側だけ開いており片目だけで俺を見下す。所謂、ジト目。胸には金色の王冠の形をしたバッジが輝き、右腕には生徒会の腕章。
「というか帰ってきてたんですね会長」
「うん。ただいま」
ニコリと笑って答える金髪美女、名は桐生紅葉。生徒会長。クラスは3年S組――S特進科。
遅行した事が会長の耳に入ったらしい。誰だよリークした奴。
「今回の商談はどうでしたか?」
「…………で?」
「で、と申しますと?」
「梓」
「奏くん、オレはこんなことはしたくない。だけど逆らえないから早く答えた方が身のためだよ」
そう言って俺の前で竹刀を構えるのは、茶色の髪を所々ツンツンとはねさせ、どんな女性も心を惹かれるほどの美男子、生徒会副会長――永坂梓。
3年S組、つまり会長と同じ。鼻はスッと高く、顔のパーツが完璧な位置に配置されている。男の俺でも心が動かされそうな時があるほどだ。……あ、勘違いしないで欲しいが。
それよりもう誤魔化せないっぽいな。
「分かりましたよ。つまりですね? ‥‥‥」
そうして俺は今日の遅刻の理由を会長たちに話し始めるのであった。
事件の発端は昨日の俺が放った睡眠爆弾だ。
『おやすみドッカン』は通常、8時間ほどで眠気が取れるが、それは精神状態が安定している人に対してであって、興奮していたり発狂している人には過剰に反応してしまい一時間ほど効果が長引くようになっている。
その為、起きたのが8時25分。母さんは今日は仕事が早くて帰ってきておらず起こしてくれる人もいなかった。
真緋は遅刻の後の会長からの尋問に対する恐怖から俺たち兄妹を裏切り先に行ってしまった。無論、俺たちは真緋のような超人じゃないのでどうやっても間に合わない。そして遅刻に至った、というわけであった。
「‥‥と、いうわけでございまして‥‥」
「ふーん。なるほどねぇー」
説明を危機終わった会長は次に架乃の方を向き問う。
「そういうことで架乃は怒ってるのかしら?」
先ほどから頬をぷっくりと膨らませ俺の説明を隣で聞いていた架乃は会長を涙目で見つめながら答える。
「会長! 兄さまはわたしの好意を土足で踏みにじったのですよ!? 酷いと思いませんか!? その上、遅刻させられて!」
瞳に涙を溜め。身を乗り出して会長に助けを求める架乃。
今朝、架乃をおんぶしていたのは、この怒りが生み出した俺に対しての罰だったのだ。
「いや、あの時はああするしかなかったんだ。あのままだったら俺の体は食われてた。パックリいかれてた」
兄妹だからね俺たち。義理とは言えど。
「もう諦めなさいよ奏。既成事実の1つや2つどうってことないでしょ」
「ですよね会長!」
「便乗してんじゃねえよ架乃。会長もやめてください茶化すのは」
「まぁまぁ奏くん。こんな可愛い妹から言い寄られてるんだからいう事聞いてあげたら?」
「そういうわけにはいきませんよ梓先輩。兄としての貞操は守るべきです」
場の空気は3対1で架乃派の勝ち。多数決の原理である。
俺の味方をしてくれなかった梓先輩には、少しイジワルな質問をぶつけてみようか。
「じゃあ梓先輩が会長に欲情されたらそのままいう事聞きますか?」
「えっ!?」
さーっ、といつもの爽やかなイケメン顔に汗が滴る。
視線はただ一点から動じず、普段の冷静さはもう無い。
そんな梓先輩の異変に気づいたのか、会長は顔を覗き込む。
「どうしたのよ梓。そんな蝋人形みたいな顔して」
いやあんたが原因だ、っとツッこみたい気持ちを心にしまう。てか蝋人形ってなんだ。比喩するの下手だな。
声をかけられて正気を取り戻した副会長は慌てた様子で答える。
「……えっと……オレ? オレが紅葉に襲われたら?」
「言ってませんよそんな事」
……もう頭が完全に意識しちゃってんな先輩。
「あっ……そうだっけ?」
「欲情されたらの話です」
「ああっ! そうだったね! ……欲情されたらかぁ…………うむ」
顔を限界まで伏せて思考するイケメン。そんなに嫌なのか。
「梓、正直に言っていいのよ? 私たち将来を誓い合った仲じゃない? そんな事象これからいくらでも起こるわよ」
「…………っ……くっ…………ひっく…………うぐっ」
(泣いてる!?)
おいおいそこまで嫌なのか!? 怖いのか!?
すすり泣きを始めた梓先輩に俺と架乃は掛ける言葉がない。なぜなら同情するしかなかったから。
会長はそれを見るなり、梓先輩の傍に近寄り背中をさすりながら言う。
「そんなに私と結ばれるのが嬉しいの? 私も嬉しいわよ梓」
……とんだ勘違い女だな。どれぐらい勘違いかというと、ほとんどの人間がボウリングの両隅の溝をガーターだと思ってるぐらい勘違い。本当はガターだよ。
「はやく答えてやんなさいな。かわいい後輩が質問してるのよ?」
いや、もういいですこの話題。思ってる以上に空気が重いんで。
そんな会長の勘違いに気づかないふりをする生徒会室に、1人のバカが入ってくる。
「ごっめんっなさぁ~いっ! ちょっと友達と話してたら遅くなりましたぁーー、…………ん?」
俺だけじゃなく架乃も思っているだろう。
(空気読めねえのかこの女!?)
鞄を手に引っさげ乱入してきた真緋も尋常ならざる空気を察したのか静かになる。
アイコンタクトで真緋を俺まで近寄らせ耳元で囁く。
「今、会長の尋問タイムだ静かにしろ」
「やぁん奏……くすぐったいー」
「うるせえよ」
冷ややかにツッこむ。そんなキャッキャしていい状況じゃないんだよ。
「オ……オレは……紅葉と愛し合っているから……ひっく……そういう状況ならっ……うぐっ……抱きます」
はい、よく言えました。
「まぁ梓ったら情熱的なんだから」
ふふふ、と笑いながら会長はフカフカの大きな椅子がある会長席に座る。
それを見て総員、自分のデスクの椅子に腰掛けた。
会長が席に着いたということは定例会議の時間だからである。
「――それでは今日の定例会議を始める」
会長らしく、肘をデスクについて両手を組み合わせて口元を隠しながら、始まりの号令は告げられた。
生徒会の会議には三種類ある。
1つは、今行っている『定例会』である。
文字通り、定期的に行うものであり、会長が仕事で不在でも残されたメンバーで毎日行う。主に連絡事項を確認する場であるが、実際の所は毎日連絡なんてあるはずもないので、オレは毎日は行わなくていいんじゃないか、と思っている。いつか、俺が生徒会をサボる(未遂)なんて事件があったが、あれはその日に連絡事項がないと承知の上だったからであり、むやみにサボろうとしていたのではない。
2つ目は、『臨時会』。
これは、職員と各委員会のトップ(委員長)と生徒会が一同に会し、連絡をとるための会議。月に一度の頻度で催され、各委員会の予算案や事業などについて討論するのが目的。これが毎回毎回ヒートアップしすぎて困る。予算をなるべく上げたい委員長と低コストで収めたい生徒会。主に会長と真緋と架乃が熱い。対するは女性が委員長をやっている委員会で、男子の場合は口喧嘩になりそうになっても会長の恐怖の目つきや真緋のウインクなどで諦めてくれるが、女子にはそうはいかない。大抵は喧嘩になるのが常である。ちなみに前回の臨時会では、白熱の討論のあとにキレた放送委員長(女)と真緋が文房具を投げ合うというちょっとした戦争になった。ペンや定規が宙を舞う姿は珍しかった。
3つ目は、起こらないまま退任したい『特別会』。
俺が生徒会に入ってもうすぐ3ヶ月が経つが一度も開かれてない。しかし、1つ前の世代では一度だけ開かれることがあったそうだが。
開催の条件は――学園や生徒が危険に冒された時。
具体的には、不審者や他校との学校規模での喧嘩、テロリストの侵入etc……。一部の職員と生徒会のみので行われ、対処法を考え実行に移す為の会議。ありえねえ、と思うだろうが梨園学園では起こる可能性があるのだ。理由はたくさんある。まぁ、ないことを祈るが。
「今日の議題は2つよ」
珍しい事に複数個あった。
「とりあえず1つ目――真緋? あなた遅刻したでしょ?」
「はえ?」
以外な議題だった。というか議題か?
「遅刻した事に関しては多めに見るわ。だけど何なのあの態度は?」
「ひっ!」
「次遅刻したらその時はあなたの大事な奏の『はじめて』を奪うわ」
「うっ! そっ……それは」
「会長? なぜ俺が……?」
「いいわね?」
「……」
会長には逆らうな。それは生徒会のメンバーがよく分かっているはずだ。まさに鉄則。
今更になってだが、桐生会長の詳しいプロフィールを示そう。
とりあえずプロフィールその1。梨園学園生徒会長――桐生紅葉は現役の女社長だ。
高校3年にして電気機器を扱う大手企業の代表取締役。社長さんなのだ。
就任した理由は、元代表取締役である彼女の父が事故で他界し、次期社長を決める際に、父親が残したもしものための遺言書に、彼女を次期社長にすることが記されていたそうだ。
会長は正直言って天才である。運動、勉学のどちらも難なくトップクラスの実力を有し、勉学に至ってはすでに高校生が履修する範囲を終えており、現在は大学3年レベルの機械・電気について自宅に大学の教授をよび学んでいる。経営学に関しては幼少から父に教え込まれたらしく、中学2年の時に全てマスターしたそうだ。このような才能から父親は彼女を次期社長に任命したのだろう。
もちろん社長なだけあって、大富豪でもある。学校にはいつも黒塗りの長い車で来る。なんたって大学の教授を自宅に招くほどだもんな。
このことがあの鉄則につながってくる。こんな金持ちを怒らしたら大変なことになるのは目に見えている。よって会長に忠誠を誓う執行部。
プロフィールその2。彼女には結婚を前提としたお付き合いをしている男子がいる。いうまでもなく梓先輩だ。
何でも街で偶然見つけイケメンで優しかったから夫にした、と会長が前にいっていた。それに架乃に聞いた話しによると、梓先輩は、付き合った後、徹底的に勉学や運動を叩き込まれた、と涙目で語っていたそうだ。自分に見合う男になれ、という会長の意志がくみとれる。
そして会長のプロフィールその3。怒らすとすごく怖い。
過去に、彼女に街でナンパした男3人衆がいたそうだ。その男たちは今、ボランティアという名目で毎週末、彼女の会社のビルの窓ふきをさせられているそうだ。給料なしは鬼だな。
その怖さを間近で過ごしてきた梓先輩はよく知っているらしく、慎重に言葉を選んでいるらしい。
また、彼女は筋金入りのドSとして有名で、梓先輩は苦労しているのだとか。お気の毒。
もうすでに結婚後が想像できる2人だが、互いに愛し合っているというのは本当。
会長は梓先輩を生涯のパートナーとして認め、梓先輩は会長を深く尊敬している。校内でも構わずイチャついていて、バカップルとして名高い。
しかし、先ほどの梓先輩の涙に関してはどうだろうか。何か過去に性行為についてトラウマがあるのだろう。
「ではお次は――……」
「ん?」
「どうされたのですか会長?」
「……残念な事に――」
「う、うん」
会長は綺麗な瞳を固く閉じ、絞り出すように言った。
「…………警視総監の1人娘が明日から我が、梨園学園に編入してくるらしいわ」
「…………」
――――あーっ、これは『特別会』も夢じゃないかもな。