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児童会ハック!

作者: 徒耀子

 わたしの手には一枚の紙。児童会だよりの下書きだ。

 もう一度、「エコ・リサイクルのお知らせ」の欄を見直す。

 わが千寿小では、今年から、ペットボトルのキャップを集める活動をはじめた。

 八〇〇個で一人分のワクチンになるらしい。

 収集ボックスを設置して、一九六〇〇〇個が集まった。

 で、来月の児童会だよりでは、その運動の報告をしているのだが――


 一九六〇〇〇個のキャップが集まりました。

 一九六人分のワクチンが買えます。

 みなさん、ありがとうございました!


 えーっと。

 一九六〇〇〇割る八〇〇だから、二四五だよな。

 一九六人分だと、一九六〇〇割る一〇〇〇だ。

 わたしは、頭のなかで、おさらいする。

 うん。

 まちがいない。

「谷原さん」

 わたしは、呼びかけた。

 谷原さんは、わたしの一学年下、五年生である。

 丸顔がかわいい、少しふくよかな女の子だ。

 ふり返った谷原さんは、上目づかいに、わたしを見上げる。

「これなんだが、『二四五人分』じゃないかな?」

 わたしが聞いたとたん、やわらかそうな頬がくしゃっとなる。

「ごめんなさい……」

 谷原さんは、大きな瞳をうるませ、うつむく。

 ああっ!

 泣いた、泣いちゃった!

 なぜだっ?

 わたしは無表情を保ちつつも、内心では大あわて。

 こういうこと、最近、よくあるんだ。

 何が、いけないんだろう……

 下級生から見ると、わたしって、怖いやつらしい。

 いったい、何がおそろしく見えるんだ?

 一六七センチの身長か?

 無表情だからか?

 声が低いからか?

 去年までは明るく、生徒たちの笑い声にあふれていた(本当にそうだったんだっ)児童会室は、今では、まるで受験会場のように張り詰めた雰囲気。

 みんな、無駄話をするどころか、クシャミさえしないように気をつけている。

 ホーリィ先輩が会長だった頃とは、えらい違いだ。

 その原因は……

 わかっている。

 現会長のわたし、三島佐井子(みしまさいこ)が怖がられているせいだ。

 傷心を抱えて、帰路につく。

 わが家は、千寿小から徒歩十分の距離にあるマンション、キャニオン・ガーデンの七階だ。

 心の中ではよろめく足どり、実際には、しっかりと大地を踏みしめ、マンションの前へ到着した。

 おやぁ?

 運送屋のトラックが、マンション前の道路に停車している。

 お引っ越しだ。

 そろそろ七月になろうかという時期に、めずらしい。

 エントランスのガラス扉は、青色のプラスチック・ダンボールで保護されている。家具を運びこむときに、傷がつかないようにするためだ。

 たくましい肉体のオジサンたちが汗を流し、ベッドを運びこんでいた。

 よそへ引っ越すのではなく、新しい入居者がやって来るようだ。

 おそらく、部屋は、九一四号室だろう。

 二ヶ月前から、郵便ポストには「チラシ投函不要」のプレートが差しこまれていた。このマンションで、この措置がとられるのは、未入居の部屋なのである。

 わたしは、ダンボールのレッド・カーペット(赤色ではないが、まぁ、いいじゃないか)を踏んで、郵便ポストの棚に向かう。

 そこに、スウェット姿の女の子がひとり、立っていた。

 色素の薄い瞳で、ぼんやりと、宙を見つめて。

 わたしは叫び出しそうになる。

 松笠(まつかさ)アザミだ!

 二年ぶりだが、見間違えようもない。

 ふわふわした猫っ毛のロングヘアー。小柄で細っこく、身体の厚みもこれまた薄い。内臓がきちんとそろっているか、心配になるほどだ。

「アザミ」

 わたしが呼びかけると、アザミは夢から醒めたかのように、その大きな目をぱちぱちと瞬いた。

「さっちゃん」

 アザミは、長いまつげにふち取られた目で、わたしを見上げる。

 あいかわらず、ティーン・モデルのような愛くるしい顔だちだ。

 うーん、なつかしい。

 が、しかし。

 なぜ、ここにいるんだ?

 しかも、クリーム色のスウェット上下という、だらけたファッション。たぶん、室内着だろう。

 わが三島家が引っ越しという一大イベントを迎えたのが二年前のこと。県内だったが、学区は変わり、わたしは大和小から千寿小へ転入した。

 アザミは、大和小の頃の友人だ。一年生から四年生まで同じクラス、そして家も近かったので、毎日一緒に登校していた。

 しかし、わたしが引っ越してからは、今日まで一度も会うことはなかった。

 わたしは遊びたかったのだが、アザミには「面倒くさい」だの「今は忙しい」だのと断られてしまい、なんとなく誘いづらくなり、そのまま。

 そのアザミが、マンションの玄関ポーチにいる!

 わたしに会いに来てくれたのだろうか?

 ……室内着のような、クリーム色のスウェット上下で?

「アザミよ、教えてくれ。なぜ、ここにいる?」

「ぼくんち、引っ越したんだ」

 おお!

 神様のいたずらとも思える運命に、わたしの心は震える。

「これからは、ご近所さんだよ」

 アザミは、くちびるを横に引き延ばして笑った。

 ディズニー映画の『不思議の国のアリス』に出てくる、チェシャ猫のような笑い方だ。全然かわいくない。

 美少女なんだから、もっと普通に笑えばいいだろうに。

「九一四号室だろう?」

「アタリ」

 アザミはまた、ニヤリとする。

 わが家の二階上だから、朝、迎えに行くときには、エレベーターではなく、階段を使ったほうがいいだろうな。

 ……なぁんて、無意識に考えてしまった。いかんいかん。

 もう二年前ではない。アザミは、もう、わたしとは一緒に登校しないかもしれない。

 そもそも、学校すら違うという可能性もある。

「アザミは、学校はどうするんだ? 大和小へ通い続けるのか?」

 われわれは六年生だし、おまけに、まもなく七月になろうかという、中途半端な時期だ。

「こっちに転校するよ。明日から」

 ゆるみそうになる顔の筋肉をグッとひきしめる。

 わたしのにやけた顔など、アザミの笑顔よりも不気味だ。

「となると、同じクラスになる確率は二十五パーセントだな。千寿小の六年生は一五二人。公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律により、四クラスに分けられている」

「あいかわらず、重々しいね、さっちゃん」

 とたんに、さっきの出来事がフラッシュバックする。

 ああ! 谷原さんのおびえた表情!

 わたしはよろめいた(心の中で)。

 ……早く帰ろう。

 今日のおやつはカステラ。そのしっとりした上品な甘みで、傷ついた乙女心をいやすのだ。

 アザミに「じゃあ明日な」と別れを告げて、エレベーターへ向かう。

 二基あるエレベーターのうち一基が、ちょうど、一階に止まっていた。ボタンを押すと、すぐに戸があいた。

 ふり返ると、アザミが後ろについてきていた。お見送りしてくれるようだ。

 エレベーターの戸が閉まる寸前、アザミは、

「さっちゃん」

「なんだ?」

 アザミは、スウェットパンツのポケットに手をつっこんだまま、胸をそらした。

「……明日、ぼくのこと、迎えに来て」

 な、なんだとっ!

 また、わたしと一緒に登校してくれるのか!

 顔では無表情、心の中では感動の嵐。

「あ、ああ。しょ――」

 返事の途中で、エレベータの戸が閉まる。

 くそう。重々しくも力強く、「承知した」と言うつもりだったのに。

 まあ、いいや。

 誰もいないエレベーターの中で、わたしは人知れずニヤけた。

 そして翌日。

 いつもより早めに自宅を出て、二階分の階段をのぼり、九一四号室の呼び鈴を鳴らした。

 ああ、動悸(どうき)がする。

 まぁ、アザミは、すぐに出てこないだろう。

 やつは、朝にたいへん弱い。

 アザミのご両親は多忙で、毎朝六時台には家を出ていた。わたしが転校する前、一緒に登校していた頃には、わたしの鳴らす呼び鈴がアザミの目覚まし代わりだったんだ。

 よし、もう一回鳴らしておくか。

 と、ボタンに指を伸ばしかけたとき、

「はい、松笠です」

 まちがいなくアザミの声が、インターホンから聞こえる。

 ええっ?

 わたしは驚きながらも名乗った。

「佐井子だ。約束どおり、迎えに来た」

「今、出る。待っててー」

 すぐに玄関が開いて、アザミが出てきた。

 淡い水色のワンピースに、白のパーカーをはおっている。小花柄のショルダーバッグを肩からクロスがけして、準備万端。

 な、なんということだ……!

 少なくとも、二十分間は待つことになるだろうと予想していたのに。

 二年前のアザミとは、ひと味ちがうということか。

 昔は、始業時刻になっても、ベッドにおこもりしていたのに。

 わたしの知らない間に成長したんだなぁ。

 なにやら感慨深いものがある。

「さっちゃんってさ、今の身長、何センチなの? すっごくデカイけど」

 わたしがしみじみ浸っていると、アザミに聞かれた。

「四月の身体測定では、一六七センチだった」

 ちなみに、千寿小の生徒のなかで、わたしが一番大きい。

「交通機関では、小学生のうちは半額の子供料金だろう。肩身狭いんだよな」

「へえ」

 興味のなさそうな相づち。

 まあ、年齢よりも幼く見えるアザミには、関係ない話だろう。

 わたしたちは信号待ちをして、横断歩道の前で止まる。

 アザミはふり返って、背後にあるパン屋のショーウィンドウをじっと眺めた。

 お腹が空いているのか?

 だが、アザミが見ていたのは、ガラスに映った姿だった。

 目をすがめ、不服そうに言う。

「さっちゃんのおかげで、ぼくが余計に小っこく見えるよ」

「どういたしまして。アザミは何センチなんだ? ちっとも伸びてないように見えるが」

 あ、しまった。失言だったか。

 とたんに、アザミがすごみを聞かせて言う。

「女の子にそんなこと聞いちゃ、ダメ。絶対」

「同性なんだから、いいじゃないか……」

 ショーウィンドウに映った二つの影には、頭一つ分以上の差がある。

 一四〇センチもなさそうだ。

 わたしは言ってあげる。

「成長期はこれからだ。心配しなくても、だいじょうぶ」

「余計なお世話だよ」

 アザミはふきげんな顔になり、わたしの向こうずねを蹴る真似をした。

 朝一番のホームルーム。

 六年一組担当教諭の森屋先生は、明治時代のお嬢様といった雰囲気をかもしている。色白で、全体的にふっくらしていて、しゃべり方ものんびり。

 まだ二十代と若いが、おだやかな表情のままで悪ガキどもを操る手腕は、なかなかのものだ。

 その森屋先生の横に、ちょこんと立つ小柄な少女。

 クラス中の視線は、アザミに集まっていた。

 黒板を背景に立つ姿は、ますます小さく、か細く見えた。

 わたしの心臓は、口から飛び出そうなほど、ドッキドキと高鳴っている。

 がんばれ、アザミ!

 応援しているぞ!

 アザミは教室を見渡してから、澄んだ声で言った。

「松笠アザミです。今までは大和小に通っていました。三月二十五日生まれ。血液型はA型です。六年生の途中からですが、よろしくお願いします」

 ぺこり、と頭を下げるアザミ。

 森屋先生はにっこりして言った。

「はい、ありがとう。松笠さんに質問したい人はいるかな?」

 わたしの心拍数はぐぃーんと上昇する。

 ああっ、だめだ。

 アザミは、そういうの、苦手なんだ! 

 顔では無表情を保ちつつ、内心ではあせりにあせっていると、元気印の原君がパッと手をあげる。

 ひえぇぇ。

 やめてくれーっ!

「趣味は、何ですか?」

 どんな暴言がアザミの口から飛び出すかと、わたしはハラハラする。「あんたに関係ある?」とか何とか、言いそうなんだよなぁ。

「コンピュータ・プログラムを作ることです」

 アザミはいたって、穏便に答えた。

 わたしは胸をなでおろす。

 ところで、アザミにそんな趣味があったとは初耳だ。

 離ればなれになっていた間に始めたんだろうなぁ。

 原君は驚いて、

「えっ? ゲームとか作れるの?」

「簡単なものなら、できますよ」

「すげー。今度、なんか、つくって」

 間。

 なんで、ぼくが、あんたのために働かなくちゃいけないわけ?

 とか何とか、答えそうだな……

 しかし、アザミは抑えた声で言った。

「考えておいてあげます」

 おお!

 なんとなく上から目線だが、上出来だ!

 きちんとした時間に起きられるようになったばかりか、人見知り(攻撃型)まで克服したようだ。

 すばらしい。

 アザミの成長は、わたしにとって、サプライズ・プレゼントだった。アザミは、給食の時間にも、クラスメイトたちの質問攻めにあったが、お行儀良くおしゃべりしていた。

 わたしは陽気に浮かれて一日を過ごした。

 しかし、授業が次々に終わり、放課後が近づくにつれて……

 取り憑かれたように両肩が重い。

 しかし、行かねばなるまい。

 責務を放棄しては、いかん。

「さっちゃん、帰ろ」

 アザミは、ショルダーバッグを肩に掛けて、帰り支度を整えている。しかし、わたしは首を横に振った。

「悪い。児童会活動があるんだ。一人で帰ってくれ」

「児童会?」

 アザミの眉間にしわが寄る。

「そう、三島ちゃん、会長なんだよ」

 クラスメイトの真矢ちゃん(姓・鈴木)が、にこにこしながら言う。

「ええーっ」

 アザミがすっとんきょうな声をあげた。

 まあ、無理もない。

 昔のわたしからは、想像もできないだろう。

 わたし自身、狐に化かされたような気持ちなんだ。

「アザミ、すまない。悪いが、一人で帰ってくれ」

 わたしはもう一度あやまった。アザミの口は、心なしか、への字に曲がっている。

「あたしといっしょに帰ろうよー。ね、アザミちゃん」

 真矢ちゃんが明るくフォローしてくれる。

 彼女は、わたしが千寿小へ転校して、初めてできた友達だ。いつでも笑顔で、まるでお日様みたいな女の子だ。

 わたしは、ひそかに感謝の念を送る。

 と、そのとき。

 真矢ちゃんが「あ」と声をあげた。

 そして、なぜか、手をふる。

 わたしは、真矢ちゃんの視線を追って、ふり返った。

 教室の戸の近くに、静かにたたずむ男子生徒がひとり。

 いかん。待たせてしまっていたか。

 わたしはあわててバックをつかみ、アザミたちに別れを告げる。

「さらばだ、二人とも。また明日な」

「ばいばーい」

 真矢ちゃんはニッコリ、アザミは仏頂面。

 わたしは教室を出て、待っている彼の前に立つ。

「山吹君、おまたせ。行こうか」

 彼はうなずいて、足音をたてずに歩きだす。

 黒絹のようなサラサラの髪に、一重まぶたの和風顔。

 おとなしく、滅多にしゃべらないことで有名な座敷童(ざしきわらし)――じゃなくて、児童会副会長の山吹奏生(やまぶきそう)君だ。

 わたしは、彼と同じクラスになったことはない。しかし、五年生のときから、山吹君は副会長、わたしは臨時委員で、児童会室では何度も顔を合わせている。が、彼が話しているのを聞いた回数は、片手で数えられる。

 全国でもっとも寡黙な小学六年生は山吹君であろう。

 と、わたしはひそかに考えている。

 ちなみに、児童会の選挙の演説では、騒がしい友人たちがしゃべりまくっていた。

 わたしたちは、いつもどおり、一言も交わさずに廊下を進む。

 児童会室の前に到着すると、わたしは預かっている鍵を取りだして、戸の鍵穴に差しこむ。

 電気をつけて、右端のカーテンを開ける。

 山吹君は静かに、左端のカーテンから開けていく。

 間もなくして、五年生副会長の奥山さんがやってきた。銀縁の眼鏡をかけた、クールな雰囲気の子だ。

 谷原さんは、いつも一緒にやってくるのに、今日はいない。

 わたしの心を見透かしたわけではないだろうが、奥山さんは、眼鏡の奥の細い目でわたしを見つめ、

「谷原さんは、今日は用事があるそうです」

「そうか」

 平静をよそおったものの、心の中では大嵐。

 谷原さんは、わたしと顔を合わせたくなかったのかもしれない……!

 児童会室の沈黙は、いつもにも増して気詰まりに感じられる。

 みじめな気持ちで、バッグからペンケースを取りだした。

 わたしは、にぎやかな児童会が好きだったのに……なぜ、こんな状態になってしまったんだろう?

 奥山さんが、緊張した面持ちで、わたしに一枚の紙を差し出す。

「来週から実施するアンケートです。最終チェックをお願いします」

 用紙の最初には、でかでかと、「あなたの夏休みの予定について、聞かせてください」と書かれている。 

 先々週の会議で決定した、全生徒対象のアンケートだ。

 質問する項目は、すでに話し合って、決まっている。

 直すような箇所はないだろう。

 わたしは、サインのための赤ペンを持ち、ざっと目を通した。

 あっ!

 表記が間違っている!

 「一日づつ」ではなく、「一日ずつ」が正しい。

 しかし、わたしは、指摘するのをためらった。

 これは、致命的なミスではない。細部にこだわるから、わたしは怖がられ、煙たがられるのかもしれない。

 ……しかし、気になる。

 気になるんだーっ!

 わたしは、気まずさを感じつつ、赤字を入れた。

「『づつ』じゃなくて『ずつ』だ。細かいようだが、気をつけてほしい」

「すみません」

 奥山さんがあやまる。

 児童会室は、しーんと、静まり返っている。

 わたしたちのやりとりは、すべて筒抜けだ。

 これでまた、児童会メンバーとの溝が深まったような気がするぞ。

 考えすぎだろうか……

 むかしむかし、二年前のこと。

 転入したわたしは、新しい環境になじめなかった。

 同級生たちは優しく接してくれたが、今ひとつ、うちとけられなかった。

 わたしも、アザミに負けず、けっこう人見知りなんだ。

 おまけに口下手。

 話しかけられても、言葉が見つからず、モゴモゴとにごしてばかりいた。

 その結果、わたしは友達付き合いを嫌う、一匹狼タイプだと誤解された。

 同級生たちは、気を利かせるつもりで、わたしに構わないようになった。

 あの頃は、毎日、寂しかったなぁ。

 わたしは、一匹狼ではない。寂しくて死んでしまうウサギだ。

 と、恥ずかしい台詞を心の中でつぶやきつつ、日々を過ごしていたっけ。

 そんな、ある日。

「あんた、今、ヒマ?」

 昇降口で、男子生徒に、呼び止められた。

 ジャニーズ系アイドルのような、甘い顔だちの美少年だった。

 そのうち、女の子たちに騒がれるようになるだろう。

 いや、もう、モッテモテかもしれない。

 まあ、わたしには、どうでもいいことだが。

「帰宅するところでした」

「用事があるのか?」

 かっこいい顔を困ったようにしかめて、ズイッと迫ってくる。

「いえ。特には」

 何なんだ、この人。

 名札のカラーから察するに、一学年上のようだが。

「おれ、児童会の副会長やってるんだ」

 そのときのわたしは、児童会というものがあることだけしか知らなかった。具体的に何をしているのか、わずかな知識も持たなかったのである。

 ジャニ副会長(仮名)は続ける。

「この児童会だよりを各クラスに配布できるように、人数ごとに仕分けなくちゃいけないんだけど……あんた、手伝ってくれない? 後生だからさ」

 後生だから、か。古いことを言う。

「いいですよ」

「やった! ありがとな」

 人なつこい笑顔を浮かべた。わたしは、なんとなく、毛並みの良い秋田犬を連想する。

「児童会室はこっちだ」

 実を言うと、わたしは、その日まで、児童会室の存在すらも知らなかった。

 ジャニ副会長のあとを追って、階段をのぼり、校舎のはずれの教室へ入った。

 窓からは、葉桜が見えた。

 横長のテーブルには、プリントアウトした用紙が山積みにされ、国語辞典が重しとして乗せられていた。

 ジャニ副会長は、わたしに、各クラスの人数が記された紙を渡した。

「おれは一年生から始める。あんたは六年生の分から、そろえて」

 われわれはテーブルを挟んで、パイプ椅子に座り、作業を始めた。

 ジャニ副会長はプリント用紙を数えつつ、わたしに気さくに話しかけてきた。

「あんた、四年生なのに、でかいよな。身長を伸ばすコツとか、あるの?」

 わたしの身長は、四年生にして、すでに一五〇センチ台後半だった。

「これは、自然に伸びてしまったのです。故意ではありません」

「そっかー。遺伝かあ」

 残念そうに、しかし、ほがらかに、ジャニ副会長は続ける。

「うちの親って、平均的な体格なんだよ。だから、おれも、一七〇センチぐらいで成長が止まりそうなんだ。おれ、バスケやってるからさ、身長を高くしたくてさ」

「はぁ、そうですか」

 わたしの気の抜けた相づちに水を差されることもなく、彼はしゃべり続ける。うるさい感じはしなかった。特におもしろいことを言っているわけでもないのに、わたしはなんとなく、耳を傾けてしまう。

 チャイムが鳴った。

「やっべ。部活が始まっちまう」

 ジャニ副会長はあわてて立ち上がった。

 そして、床に置いてあったスポーツバッグをつかむ。

「残りも同じようによろしくな」

 わたしは、ポカンとした。

 まさか、全部、押しつける気じゃないよな?

 しかし、ジャニ副会長は、脇目もふらず、教室から飛びだしていく。

 えーっ?

 だが、すぐに、ジャニ副会長は戻ってきた。

 胸をなでおろしたわたしに、彼は、キリッとした表情で言った。

「言い忘れた。この教室の鍵は、開けっぱなしでいいよ。仕分け終わったら、帰って」

 な、なんと、図々しい!

 あんたは一クラス分しか、やっていないじゃないか!

 だが、わたしが断る前に、規則正しい足音とともに、ジャニ副会長は去っていた。

 この強引男こそ、翌年の児童会長となるホーリィ先輩(本名・堀内俊介)だった。

 ……今にして思えば、放置して帰っても、よかった。

 だが、わたしは図体は大きいけれど気は小さいため、理不尽な思いを抱えながらも、作業をセコセコと続けた。

 さて、ここで問題です。

 仕事を引き受けた御礼に、ホーリィ先輩はわたしに何をしてくれたでしょう?


 回答:さらなる仕事を押しつけた


 そうなんだ。

 ホーリィ先輩は、児童会の仕事を与えられるたび、わたしのところへ来て、手伝いを要求した。

 何の臆面もなく!

 さも当然の顔をして!

 あんたは、それで、まともな大人になれるのかーっ!

 あれよあれよという間に、一ヶ月が過ぎた頃、

「三島、おまえ、今日から『副会長補佐』だからな。しっかりやれよ」

 ホーリィ先輩がニコニコしながら告げた。

 なぜそうなる。

 わたしは大阪人の血を継いでいないが、ハリセンを使って、思いっきりツッコミをいれたい気分だった。

「なぜ、会長を差し置いて、副会長、しかも五年生のホーリィ先輩にだけ、補佐がつくのですか。意味がわかりません」

「だって、おれ、バスケ部のほうも、忙しいし」

「児童会長の冬子さんも、書道部の長として、ご多忙かと思いますが」

「いいか、三島」

 ホーリィ先輩は、ビシッときめた表情で、わたしを見すえた。

「会長の補佐をおこなうのが、副会長だ。だから、会長には、補佐はいらないんだ」

 そりゃ、そうでしょうとも。

 カッコイイ顔で何を言っているのかね、このお人は。

「……わかりましたよ。やればいいんでしょう、やれば」

「ありがと。助かるよ」

 ホーリィ先輩の笑顔は、さわやかだった。

 それからというもの、わたしは、放課後のほとんどを児童会の活動に捧げた。足しげく児童会室へ通い、本来ならホーリィ先輩のやるべき雑務を片付けた。

 うーん。

 事実だけを語ると、わたしはパシリにされた可哀相な子だが……

 楽しかったんだよな。

 児童会室は日当たりが良くて、明るかった。いつでも人がいて、にぎやかだった。あそこにいると、あっという間に、時間が過ぎていった。

 わたしは、ようやく、居心地のいい場所を見つけたんだ。

 仕事の量は多かったし、時には怒られたりもした。

 でも、楽しかった。

 あそこは、本当に、わたしにとって憩いの場所だった。

 それが、今はもう、ない。

 わたしの手に転がりこんだとたん、壊れてしまって。

 みんなは、すでに帰ったあとだ。

 夕日が差しこむ児童会室には、わたし一人。

 壁の時計を見上げると、下校時刻の二十分前だった。

 そろそろ、帰るとしよう。

 わたしは机の上を片付けたあと、パソコンの電源を切ろうとした。

 あ、そうだ。

 アザミに、児童会サイトのログインIDを発行してやらねば。

 わが千寿小の児童会は、独自にサイトを運営している。名前はコトブキ・コミュニティ。縮めて、『コトコ』と呼ぶことが多い。

 校内イベントや児童集会のお知らせを掲載している。

 掲示板を設置しているので、児童会メンバーでなくても、情報を発信することが可能だ。

 また、クラスごとの掲示板もある。時間割の変更などを、念のため、ここに書きこむ先生もいるようだ。

 トップページへアクセスすると、校門を入ってすぐの場所に立つ、桜の大木の写真が出てくる。その下に、IDとパスワードを入力する欄がある。ここでログインしなければ、サイトの閲覧はできない。

 さきほどの「夏休みの予定」のような校内アンケートも、このコミュニティ・サイトでおこなう。こういった仕組みも、六年前の児童会メンバーが制作したらしい。偉大な先輩たちである。

 ちなみに、各教室や図書室にはパソコンが設置されている。自宅にパソコンがない生徒も、このサイトを使えるというわけだ。

 わたしは、コトコの管理画面にログインし、新規のIDを作った。IDとパスワードをプリントアウトし、バッグの中にしまう。

 おっと、下校時刻十二分前だ。

 わたしはパソコンをシャットダウンし、電灯を消した。

 児童会室を出て、鍵を閉めた。

 ――盗むものがない場所に、鍵をかける必要はない。

 それがホーリィ先輩の信条であったが、凡人のわたしとしては、「鍵のかかる場所では、鍵は閉めねばなるまい」と思う。

 わたしは、マンションのエントランスで、腕時計を見た。

 時刻は、十七時三十六分。

 松笠家では、アザミのご両親の帰宅が二十一時過ぎになるため、夕食の時間は遅い。

 訪問しても、まだ、だいじょうぶだ。

 せっかくだから、コトコのログインIDとパスワードを渡しておこう。

 コトコのサイトには、部活の紹介ページやわが六年一組の掲示板もある。

 わたしは九一四号室へ向かった。

 チャイムを鳴らす。

 ……応答なし。

 もう一回だ。

 ……うーん。出ない。

 十分ほどねばって、わたしはあきらめた。

 自宅へ帰り、アザミの携帯電話番号を書きつけたメモを取りだす。

 わたしは、電話をかけた。

 トゥルルル――

「何だよぉ」

 アザミの声がした。

「こんばんは。佐井子だ」

「わかるよ、そんなの。ケータイの電話帳に、さっちゃん()家電(いえでん)、登録してあるもん」

 どうしたんだろう?

 アザミのやつ、なんだか、機嫌が悪そうだ。

「今、どこだ?」

 わたしが聞くと、「家だよ」とぶっきらぼうな答えが返ってくる。

「さっき行ったんだが、誰も出なかったぞ」

「チャイムをしつこく鳴らしてたの、さっちゃんだったんだ」

 アザミは納得してから、

「ぼく、訪問者が予測できないときには、返事しないんだ。これ、アザミ・ルール第十四条だよ。忘れちゃったの?」

 そういえば、あったなぁ。

「いや、覚えている」

「じゃあ、第六条を言ってみて」

 えーっと。

「……緑茶に砂糖は入れない。よって、紅茶にも砂糖は入れない」

「アタリ」

 アザミは、満足したようだった。

「で、何の用だったの?」

 うながされて、わたしは手短に説明した。

「千寿小には、児童会で運営しているサイトがあるんだ。ただし、ページを閲覧するには、IDとパスワードが必要になる。アザミのIDとパスワードを発行したよ。渡したいんだ」

「今から?」

「ああ。できれば、実際に閲覧しながら、サイトの説明もしたい。時間は、そうだな、三十分くらいだ。ダメなら、明日でもいい」

「……来ていいよ」

 よしっ!

「五分後に、お邪魔する」

 わたしは電話を切った。

 手みやげを探して、キッチンの戸棚を開ける。

 きなこねじりが一袋ある。

 今、わたしが一番はまっている甘味だ。

 きなこのふくよかな香り。もっちりとした歯ごたえ。噛みしめたときに口の中にひろがる、素朴ながらも豊かな味わい。

 日本、万歳!

 しかし、アザミは和菓子よりも洋菓子が好きだ。

 いくら幼なじみとはいえ、わたしの趣味を押しつけては、いかん。

 何か、ないかなー。

 わたしは冷蔵庫を開けた。

 前方に、長方形の箱を発見!

 ふたを開けると……おお、ロールケーキだ!

 これがいいだろう。

 味噌汁の冷めない距離だから、保冷剤も必要ないな。

 適当な紙袋を出して、ケーキの箱を入れる。

 わたしは、心のなかでスキップしながら、家を出た。

 玄関を開けたアザミは、室内着に着替えていた。

 モコモコした布地のパーカーとショートパンツ。

 長い髪は、二つに分けて結んでいて、普段にも増して幼く見える。

 しかし、かわいくて、いいと思う。

 わたしはスニーカーを脱いで、松笠家の新居に足を踏みいれた。

 初訪問だから、ちょっと緊張しているぞ。

 リビングルームは、シンプルにまとめられていた。

 白のレザーソファ、ダークブラウンのローテーブル。それに、四十インチはある液晶テレビ。

 見覚えのある家具家電が、見覚えのある配置で、置かれている。

 なつかしいなー。

 引っ越しする以前は、ひんぱんに松笠家へおじゃまして、ゲームをしたり、映画DVDを見たりした。

 あ、もちろん、勉強したときだってあったんだぞ。

「ノートパソコンを部屋から持ってくる。座ってて」

 言われて、わたしはソファに腰かけた。

 アザミが廊下へ出て間もなく、扉にはまった半透明のガラス越しに、小っちゃなシルエットが見えた。

 わたしは立ちあがり、扉を開けた。

 アザミは、細い腕にふさわしい、小ぶりのパソコンとマウスを抱えていた。

 ローテーブルにパソコンを置いて、電源を入れる。

 起動するまでには、少し、時間がかかる。

「おみやげだ」

 わたしは、アザミに紙袋を渡した。

「ありがと」

 アザミは受け取って、袋のなかをのぞきこんだ。

「あーっ! 堂島のロールケーキだっ」

 一気にテンション上昇。

「喜んでくれて、何よりだ」

「実は、違うものが入ってるっていう、オチじゃないよね」

 アザミはつぶやき、ふたを開ける。いつになく、真剣な表情だ。

 信用ないなぁ。 

「ほら。ちゃんと、ロールケーキだろう」

「うん」

 アザミの表情が、ふにゃーっとゆるむ。

「今のアザミの反応には、少なからず、傷ついたぞ。わたしは、そんな低レベルなことはしない」

「さっちゃん宅では、トラップがいっぱいあったんだもん。デメルのザッハトルテの箱に、かりんとうが入ってたり」

 それは、世界の合い言葉・MOTTAINAIの精神ゆえだ。

 しかし、箱のブランドまで、よく覚えていたな。

 恐ろしきは、食べ物の恨みということか。

 アザミはとたんに活動的になり、いそいそとキッチンへ向かった。皿を二枚、フォークを二本、さらに包丁を持ってくる。

 一本のロールケーキは、真っ二つにされた。

「わたしは、その半分で、いいよ」

「そぉ?」

 アザミは聞き返しながらも、ためらわず、片方をさらに二等分する。

 かくして、アザミの皿には四分の三ロールケーキ、わたしの皿には四分の一ロールケーキが取り分けられた。

「無理して完食するんじゃないぞ。お腹がいっぱいになったら、冷蔵庫にしまっておいて、明日の朝に食べなさい」

 わたしは忠告したが、アザミは、見る間に平らげていく。

 あっという間に半分だ。

 毎回、ふしぎに思うのだが……その薄い胴体のどこに収納しているのかね?

 アザミがあいかわらず大食いだということを確認し、わたしもフォークを取る。

 スポンジにくるまれた、たっぷりのクリームは、濃厚だが、くどくなく、牧場で飲む牛乳の味がする。

 ところで、パソコンは、とうの昔に起動していた。

 放置し過ぎて、スクリーンセイバーが起動してしまった。

 アザミは、ノートパソコンにマウスを接続し、キーボードをたたいた。ケーキをもぐもぐやりながら、右手でマウスを操作し、インターネットブラウザを立ち上げた。

「で、学校のサイトのURLは?」

 わたしは、ズボンのポケットから、折りたたんだ紙を取りだす。

 アザミはそれを広げると、手元のキーを確かめることなしに、URLをリズミカルな音をたてて打っていく。

 おお、ブラインド・タッチ。

 たちまち、サイトのトップページが表示される。

「これが千寿小の児童会で運営しているサイトだ。名前は『コトコ』」

「トップから、もう、ログイン画面なんだね」

「ああ。生徒以外は、利用できないようにな」

 アザミは紙に目を戻し、IDとパスワードを入力した。

 ログイン成功。

 わたしが説明しなくても、アザミはスムーズに操作していく。

 かつて、転校したばかりの頃、わたしはアワアワしながら、真矢ちゃんに手取り足取り教えてもらったのだが、アザミは大丈夫なようだ。

 なんだか、少し、寂しいなぁ。

 アザミは、気ままにマウスを動かして、ページ内のリンクをたどっていく。

「ふうん……」

 目を細め、パソコンのディスプレイを凝視する。

「ここで、校内イベントや児童集会のお知らせをするんだ。全生徒向けの掲示板もあるし、クラスごとの掲示板もあるんだよ」

 六年一組の掲示板へアクセスすると、原君が通学路にある自動販売機の商品ラインナップを書きこんでいる記事が最新だった。

「缶しるこが消えたとか、どうでもいいけどね。……つまらないカキコミばかりだね」

 わたしはあわてて言った。

「部活動の紹介ページもあるんだ。入部先を決めるのに便利だぞ」

 すると、アザミはまばたいた。

「千寿小って、部活動しないとダメなの?」

「いや、強制ではないが」

「だったら、ぼく、どこにも入らないよ。面倒だから」

 な、なんだよぉ。

 あいかわらずのクール&マイペースじゃないか!

「意外とバラエティに富んでいるんだ。農業クラブとか、切り絵クラブなんていうのもある。アザミが気に入る部活もあるかもしれな――」

「いやだってば。さっちゃんのおせっかい」

 ガーン!

 わたしは、一日も早く、千寿小になじんでほしいと思って……だが、おせっかい、なのか?

 アザミは涼しい顔で、パソコンに向き直り、ページをスクロールした。

「この掲示板は、どこのサービスを利用してるの? コピーライトが見あたらないけど」

「六年前の先輩たちが作ったんだよ」

 だから、コピーライトが抜けているのだろう。入れたほうがいいとは思うが……

 まぁ、アザミに言われるまでは、気づかなかったな。

「へえ。もしかして、ウェブ・サーバも自家製だったりする?」

「サーバ?」

「この画面のファイルとかが入っているコンピュータだよ。どこにあるの?」

「児童会室にあるやつだ。おそらく」

「さっちゃんってば、いい加減だな。現状をきちんと把握していなくて、会長といえるわけ?」

 ガ、ガーン!

 今度のショックは、さっきよりも大きいぞ。

 わたしは言葉もなく、黙りこむ。

 アザミも、何も言わない。

 沈黙がしばらく続いたが、アザミが先に口を開いた。

「舟和のいもようかんがあるけど、食べるよね?」

 アザミはキッチンへ行き、箱詰めのいもようかんを持ってきた。

 普段だったら大喜びするんだが、今は、ちょっと気分が……

 と思いながらも、思わず、手が伸びてしまう。

 ああ、美味しいなぁ。

 一本目を食べ終えたところで、ふと目をやると、アザミのやつは児童会メンバーの紹介ページを見ていた。

 げぇっ。

 現会長のわたしは、最初に紹介されている。うれしくないことに。

 そして、やはりうれしくないことに、プロフィールに加えて、顔写真なんかも掲載されている。

 それが、ものすっごく、目つきが悪いんだ。

 自分でも、ギョッとするくらい。

 うう。

 アザミってば、部活紹介のページは見ないんだから、こんなページも見ないでくれよぉ。

「この写真は映りがいいね。まさに『悪の会長』って感じ。気に入らない生徒は、体育館裏に呼びだしてシメそうだ」

「そ、そんなことはしてないっ! 断じて!」

 わたしはブンブンと首を横に振る。

「濡れ衣だ!」

「わかってるよ」

 アザミは冷めたまなざしで、取り乱したわたしをながめた。それから、ふいと視線をそらす。

「……なんで、児童会長なんて、やってるの? 大和小では、さっちゃんって、もっと地味なポジジョンだったじゃない」

「それは、前の会長が」

 わたしは、もごもごと答えた。

 児童会は楽しかったから、六年生でもやりたいと思っていたが、会長なんて考えもしなかった。

 わたしは、会長の器ではない。 

 なのになのに、ホーリィ先輩が……(回想はじまり)

「次期会長には、三島、おまえを推薦するからなー。覚悟しておけよ」

 児童会選挙の差し迫ったある日、児童会室で、ホーリィ先輩は唐突に言った。五月の風のように、さわやかな笑顔で。

「な、なにゆえですか?」

「引き継ぎが楽だから」

 あっさりと、隠しもせずに言いやがった。

「ふざけないでくださいよっ」

 ホーリィ先輩はキリッとした顔で言った。

「おれはいつだって真剣だ」

「どこがだーっ!」

 わたしの叫び声で、児童会室の窓ガラスはビリビリと震えた。

 推薦枠として児童会選挙に出されたわたしは、当選してしまった。

 そして、今に至る(回想終わり)。

 アザミは眉をひそめて、つぶやいた。

「……なに、そいつ」

「うん。アザミは、嫌いなタイプだと思うよ」

「なんで、さっちゃんは、そんなやつの言いなりだったんだよ」

「わたし自身も楽しかったんだ。だから、児童会の一員として活動していた」

 けれど、今は。

 うまくいかなくて、毎日、押しつぶされそうだ。

「どうしたらいいのかなぁ。ホーリィ先輩みたいに、うまくできないんだ」

 つい、弱音を吐いた。アザミの目つきが険しくなる。

「さっちゃんは今のままがいいよ。そんなアホなやつ(註・ホーリィ先輩のこと)みたいになったら、ぼくは絶交する。会話もお断りだし、視界からも排除する」

 そ、そこまでっ?

「やりたくないなら、やめればいい。ぼくなら、そう選択する。やりたくないことは、やらない」

 アザミは、まるで、毛を逆立てる仔猫のようだった。

「会長をやめた人なんて、いないよ」

「ぼくが手伝うよ」

 アザミは本気らしい。大きな瞳がギラギラしている。

 わたしは、うつむいた。

 本当は、やりたくないわけじゃないんだ。ただ、うまくいかないから逃げたいんだ。わたしは……ダメなやつである。

 翌日。

 空は晴れ渡り、実に気持ちのいい天気だ。

 わたしは松笠家の前に立ち、チャイムを鳴らす。

 しかし、応答がない。

 もう一度。

 ……だめだ。

 わたしは、大あわてで階段をおりて、自宅へ戻る。

 アザミの携帯電話へかけた。

 呼び出し音が続き、そして、留守番電話に切り替わる。

 わたしは電話を切り、ふたたび電話をかけなおす。

 壁の時計に目をやると、すでに八時十三分。

 朝のホームルームは、八時三十分から始まる。このマンションから学校までは徒歩十分。すなわち、八時二十分には出発しなければ間に合わない。

 アザミは、きっと、爆睡している。

 仕事をこよなく愛する松笠夫妻は、帰宅が遅ければ出社も早い。おそらく、すでに家には、いないだろう。

 アザミーっ!

 起きてくれーっ!

 わたしは留守電に切り替わる電話を切り、再コールしながら、テレパシーをも送った。

 それらをくり返すこと、十回あまり。

 時計の針は、八時十九分を差している。

「……おはよぅ」

 アザミの声が受話器から聞こえた。

「今、起きたんだなっ?」

「まあね」

 こいつめ、全然あせっていない。余裕のよっちゃんだ。

「早く着替えろっ!」

「もう八時二十分じゃない。急いだところで間に合わないよ」

 アザミは冷静に分析したあと、いきなり、情熱的な口調になって言った。

「ぼくのことはいい。見捨てて、行ってくれ!」

 まるで瀕死の重傷を負った兵士のように、芝居がかった台詞。

 このギリギリの時刻に、ふざけている余裕があるとは……

 ひょっとして、遅刻癖は治っていないのか?

「……わかった」

 わたしは、不本意ながらも、そう答えた。

 本音を言えば、待っていたい。

 だが、わたしは会長だ。他の生徒の模範となる行動しなくてはいけない。

 要するに、遅刻は厳禁。御法度だ。

「先に行く。アザミも、ちゃんと来るんだぞ。森屋先生には伝えて置くから、一時間目の途中になっても、気後れしないで教室へ入ってきなさい。いいね?」

「はいはーい」

 アザミの返事は、元気がよく、そして軽かった。

 うー……嫌な予感。

「松笠さん、今日は一日、お休みだったね」

 森屋先生は、教卓の上で、たばねたプリントの角をそろえた。

「おうちに電話しても、どなたも出なかったのだけど、大丈夫かな。体調が悪いわけじゃないのよね?」

 わたしは気まずさを感じながらも、「はい」と肯定した。

 過去の事例から推測するに、アザミは、わたしとの会話が終わったあとに、二度寝している。

 んで、次に起きたら正午過ぎで、「あと二時間ちょいで終わりだなー。今さら行っても意味ないよねー」みたいなノリで、今頃はゲームでもやっている。十中八九、間違いない。 

 森屋先生はほほえんだ。

「昨日が初日だったから、緊張して、今日は疲れちゃったのかなぁ」

 そういうふうに優しく受けとめていただけると、ありがたいです。

「このプリント、松笠さんに届けてほしいの。算数の問題なんだけど。前の学校でまだ習っていない範囲でも、教科書を見れば解けるはずだから」

「承りました。アザミに伝えます」

 わたしはプリントを受け取った。

 今日も児童会の活動があるが、早めに切り上げて帰宅しよう。

 アザミは勉強が嫌いだから、見ていないと、このプリントに手をつけないはずだ。

 わたしは教室を出て、急ぎ足で児童会室へ向かった。

 無意識のうちに恐ろしい表情をしていたのか、にぎやかに話していた下級生らがビックリした様子で口をつぐむ。

 うう。泣き面に蜂とは、このことだ。

 わたしは、さらに歩調を速めた。

 自然と、小さな溜息がもれる。

 アザミのやつ、二年前から、ちっとも変わっていない。

 引きこもりアザミのまんまじゃないか……

 アナグラムという言葉遊びがある。

 文字の順番を入れ替えて、別の単語や文をつくり出すというものだ。

 ひらがなの並べ替えで例を挙げると、強弱(きょうじゃく)乗客(じょうきゃく)世界的(せかいてき)適正化(てきせいか)といった具合だ。

 怪盗紳士アルセーヌ・ルパンのある作品では、エルロック・ショルメという探偵が登場する。これは、シャーロック・ホームズの名前を並び替えて作った名前だ。

 阿津坂正美(あつざかまさみ)は、並べ直すと、まつかさあざみ――松笠アザミ。

 偶然だろうか?

 否!

 わたしは息を切らせて、マンションのエントランスに駆けこんだ。エレベーターのボタンを押すが、一基は六階で止まっていて、もう一基は上階へと昇っている最中。

 もどかしくなって、その場で足踏みする。

 ようやく降りてきたエレベーターへ飛びこみ、九階のボタンを押した。

 通路をつっぱしり、松笠家の呼び鈴を鳴らす。

 案の定、返事はない。

「わたしだ、佐井子だ。アザミ! いるんだろっ!」

 静まり返っている扉の向こうに向かって、大声を張りあげた。

 ええい、押しまくってやる。

 やけになって、ピンポンピンポーンポンピンとやっていると、インターフォンからアザミの声がした。

「会長さん、うるさいんだけど」

「開けてくれ」

 わたしは、ありったけの迫力をこめて言った。

 玄関扉が開く。

 アザミは、あきれたことに、まだパジャマ姿だった。ピンクと白の縦縞模様。

 普段と変わらない調子……いや、なんだか、機嫌がよさそうだ。

「あがってよ」

 わたしは「お邪魔します」と断ってから靴を脱いで、リビングルームに入った。

「コトコにある掲示板に、奇妙なカキコミがあった。アザミ、おまえの仕業だろう」

 それ以上は、言う必要がないと思った。

 アザミは口辺に笑みを浮かべている。

「なんで?」

「投稿者の氏名を並べ替えると、松笠アザミになる」

「だから、何?」

 腕組みをしたアザミは、わたしよりずっと小さい。なのに、見下ろされている気がした。

「シラを切っても無駄だぞ。わたしは確信しているんだ」

 アザミはふいに背を向けて、キッチンへ向かう。何事かと思ったら、揚げ煎餅の入った袋を持ってきた。

「おやつだよ。さっちゃん、これ、好きでしょ?」

 歯を見せてニイッと笑い、封を開けた。個包装された一枚を取ると、わたしに残りをくれた。

 アザミは煎餅を口にくわえたまま、大きなクッションに腹ばいになって、ゲームのコントローラーをにぎる。

 見れば、液晶テレビには、薄暗いダンジョンが映しだされていた。奇抜なファッションのゲーム・キャラクターは、アザミの操作に従って、崩れかけた通路をひた走っている。

 むぅ……

 無視されたって、帰らないんだからな。

「あのサイトは、いったい、何なんだ?」

 わたしが聞くと、アザミは煎餅をバリバリ噛んだ。毛足の長いカーペットのなかに、煎餅のクズが落ちていく。

「なぜ、柳葉君やわたしのアカウントとパスワードが表示されたんだ?」

「クロス・サイト・スクリプティング」

 煎餅を食べ終えたアザミは、ごく簡単に言った。

 最初から、シラを切りとおす気はなかったのだろう。

 しかし……

「何の呪文だ、それは」

「質問に答えたんだよ。わかりやすく、大げさに言うと、サイト攻撃の一種ってこと」

 な、何だとっ!

 わたしは言葉をなくし、口をぱくぱくさせる。

「クッキーってわかる?」

「クッキーぐらい食べるが……」

「違うってば。ウェブページを利用したとき、自分のパソコンに情報を保存する仕組みのことだよ。コトコにも使われてるよ」

 アザミは、コントローラーのボタンを押し、ゲームを一時停止させた。身体を起こし、わたしのほうを向く。

「一度ログインしたあとは、インターネット・ブラウザを閉じたりパソコンの電源を切ったりしても、ログイン画面を表示すればアカウントとパスワードが勝手に入力されて、ボタンを押すだけでログインできるでしょ。クッキーがあるから、そういうことができるんだ」

 アザミの言葉が、右から左に抜けていく。

 ショックすぎて、わたしの脳は機能停止していた。

「あのサイトでは、コトコのクッキーを盗んで、画面上に表示しているんだよ。サイト攻撃としては初歩中の初歩だね」

 攻撃?

 そんな単語がアザミの口から出るなんて。

 しかも、その標的になったのは、わたしが大事にしている児童会なんだ!

「嫌だなぁ。さっちゃんてば、ビックリしすぎじゃない?」

 アザミは、ニヤニヤしている。チェシャ猫みたいに。

「なぜ、そんなこと……したんだ」

「警告だよ」

 アザミは少しも悪びれていない。

「コトコは、表面上では、問題なく動作している。だけど、セキュリティ対策は、ひどいもんだ。クッキーには、ふつう、パスワードまで保存しないし。――でも、単なる説明じゃ、ピンと来ないでしょ? だからね、実演してあげたんだよ」

 善意ゆえの行動らしく言っているが、そうではないことは、ゆがんだ口許からわかる。

 わたしは、アザミに嫌われたんだろうか……?

「ぼくの個人情報が、脆弱性のあるサイトにあるなんて、耐えられないからね。しっかり対策してよ、会長さん」

「ああ」

 わたしは力なくうなずいた。

 アザミはゲームを再開した。リアルなCGキャラクターが、巨大な画面上を動きまわる。

 ぼんやり見ていると、アザミは急にイライラしたふうに言った。

「揚げ煎餅、ちゃんと食べてよね。ぼく、それは、あんまり好きじゃないんだから」

 だったら、買うなよ。

 わたしは心の中でツッコミを入れる。

 アザミのご両親はほとんど留守にしているから、この家にある菓子はすべて、アザミのセレクトだろうに。

 あいかわらず、よくわからないお姫様だ……

 と思ったとたん、気づいた。

 わたしのために、用意してくれたのか?

 うぬぼれだろうか?

 いいや、昨日の芋ようかんがあることも、おかしかった。

 アザミは、和菓子よりも洋菓子を好む。

 あの芋ようかんが手に入るのは、このあたりでは西武百貨店の食品街だ。そこには、洋菓子の店もある。わざわざ、芋ようかんを購入する必要はない。

 間違いない。

 昨日、アザミは、わたしを家に呼ぶつもりだったんだ。

 コトコの掲示板へのカキコミも、最初の動機は、「セキュリティに対する警告」なんて大層なものではなくて、単なる嫌がらせではないか? で、その理由は――

「すねているのか?」

 わたしが聞くと、アザミは勢いよく起き上がった。

 手応えアリ、か?

 よぉし。もう一押し、してみよう。

 わたしは、わざとニヤリとした。

「隠したところで、お見通しだぞ。アザミは、わたしが児童会のことばかりだから、すねているんだろう?」

 とたんに、アザミの白い顔が真っ赤になった。

 くちびるをかみ、何を言ったらいいのか、戸惑っている様子だ。

 図星であったか。

 ……かわいいやつ。

 アザミは、顔を赤らめつつ、眉間にしわを寄せた。

「さっちゃん、時代劇の悪代官みたいな笑い方してるよ」

「ふっ。チェシャ猫笑いをするやつに何を言われようと、痛くもかゆくもない」

「チェシャ猫ぉ? 何だよ、それ」

 不機嫌そうな声を出したアザミの頭のてっぺんに、わたしは手を置いた。

 そのまま、思いっきり、なでてやる。

「今日は、髪すらも、とかしていないだろう。こうしてくれるっ」

「わーっ! やめろよっ」

 わたしに、髪型をぐしゃぐしゃにされて、アザミはわめいた。

 さて、と。

 これから、どうしよう。

 アザミは、生まれついてのお姫様。気に入らないことがあると、破壊行為に走りやすい。わたしのことでやきもちを焼いているのなら、放置するのは危険だ。

 だが、わたしには児童会の活動があって、昔のようにはアザミについていられないし……スパイラルだなぁ。

 あ。

 ひらめいちゃったぞ。

「アザミ、おまえ、児童会へ入れ!」

「はあっ?」

 乱れた髪を手櫛で整えていたアザミは、露骨に眉をひそめた。

 ふっふっふ……

 我ながら、名案ではあるまいか。

 コトコのセキュリティ対策うんたらかんたらをアザミにまかせる。そうすれば、わたしは児童会の活動を続けながら、アザミと一緒にいることができる。

 悪を抱きこむ作戦だ!

 翌日の放課後。

 わたしは職員室をおとずれた。

 児童会の顧問・木村先生は、三十路の男性教師である。六年二組の担任で、いつも白衣を着用している。その下はスーツ。

 穏和そうな顔だちで、黒縁の眼鏡をかけている。

 なんだか、全体的に、医者みたいだ。

 毎日スーツを着ている先生なんて、校長先生のほかは、木村先生ぐらいのものだ。

 わたしは、木村先生に、松笠アザミを臨時委員とする届けを出した。

「知らない子だなあ」

 木村先生は、くせ毛の髪をくしゃっとかきまぜて、わたしの書いた文字を見つめる。

「転入生なのです。パソコンに詳しいようなので、コトコの運営をしてもらうつもりです」

「お。いいねー」

 木村先生は届け出用紙に判子をくれた。

 会長になってからわかったのだが、この届け出が、却下されることはほとんどない。

 わたしは御礼を言って、職員室を出る。

「お待たせ、アザミ。お上の許可がおりたぞ」

 押印された用紙を見せたが、アザミはそっけなく言った。

「全然うれしくない」

「そんな態度をとっても、わたしはだまされないぞ。内心は楽しみにしているんだろう。さぁ早く、児童会室へ行こうか」

 アザミが何かをつぶやいた。「ウ」で始まり、「イ」で終わる三文字の言葉だったようだが、空耳にちがいない。

 児童会室には、すでにメンバーが集まっていた。

「今日から、臨時委員として参加する松笠アザミだ。みんな、仲良くしてやってくれ」

 紹介している間に、アザミは油断のない目つきで室内をぐるりと見わたす。

 わたしはうながした。

「では本人から、児童会に加わるに当たって、抱負を一言」

 アザミはつんとして、あごをそらした。

「無理に引っ張ってこられたんだ。あるわけない」

 あ、愛想がないなぁ……

 教室でも、真矢ちゃんが話しかけくれたのに、やけに冷たくあしらっていたっけ。

 初日は猫かぶりしていたな、コイツ。

「アザミには、コトコの管理をしてもらおうと思ってる」

 柳葉君がビシッと挙手する。

「会長! 質問ですっ」

「何だね」

「昨日の事件のことも、松笠さんが調べてくれるんですか?」

 アザミが仕掛けたイタズラだから、もう調査する必要はない。しかし、わたしは、他の誰にも、真相を明かす気はなかった。

 よって、柳葉君の質問を肯定するしかないのであった。

「そうだな」

「すげえ」

 柳葉君は異様に興奮している。

「松笠さん! おれ、何でも手伝います。犯人をつかまえて、制裁をくわえてやりましょうっ」

 はははは……

 わたしは内心の動揺を隠すのに必死だ。

 しかし、柳葉君って、こんなノリだったっけ?

 山吹君の領域には遠く及ばないまでも、おとなしい子だと思っていたのだが。

 ひょっとして、わたしが怖くて、今まではおとなしくしていたのかなぁ?

 新しい一面をのぞかせた柳葉君を、アザミは眉をひそめて、軽蔑したように見た。

「ドラマじゃあるまいし、そんなに簡単に見つからないよ。だいたい、キミさぁ、その攻撃に具体的にどんな害があるか、わかってるの? わかってないよねえ」

 柳葉君の熱血の表情がひきつる。

 しかし、アザミは気にせず、片隅のパソコンデスクに目を留めて、そちらに向かう。

 児童会には二台のパソコンがある。そのうちの一台は、児童会メンバーがよく使うが、残りの一台は誰もさわらない。

 なぜなら、殴り書きしたような汚い字で、「電源を切るべからず!」と書いた張り紙が貼ってあるから、敬遠してしまうのだ。

 ブゥゥンという低いモーター音がする。モニター画面は真っ黒で、何も映っていない。

 アザミは椅子に深く腰かけて、モニター画面のボタンを押す。黒い画面に白文字のアルファベットが浮かびあがった。

 アザミは、すばやい手つきで、キーボードを打つ。

 黒いモニター画面に、白い文字が流れる。

 何をしているかは、わからないが……

 なんだか、すごい。

 柳葉君が「おお」と感嘆のうめきをもらす。

「やっぱり、これがコトコのサーバだね」

 わたしはアザミの真後ろに立って、モニター画面上の文字に目をこらす。

 ……さっぱり、だな。

 わたしはすなおにたずねる。

「何をしているんだ?」

 アザミは手の動きを止めずに答えた。

「掲示板のプログラムを修正してる。今の状態だと、簡単なプログラムを投稿できるからね。スクリプトっていうんだけど」

「まずいのか?」

「ものすごーくね。掲示板を表示しようとしたとき、そのスクリプトまで実行されてしまう」

「わかったぞ。阿津坂正美の投稿したリンクも、スクリプトなんだな」

「アタリ」

 アザミはわたしを見上げてニヤリとした。

「今時の掲示板は、たいてい、投稿内容の入力チェックをしてるよ。一部の文字を変換して、スクリプトが動かない状態にするんだ」

 なるほどな。

「できた、と」

 黒一色の画面が消えて、見慣れたデスクトップ画面になる。

 アザミはインターネット・ブラウザを立ち上げて、コトコの掲示板にアクセスした。

「どこが変わったんだ?」

 思わず質問してしまうほど、何の変化も見あたらない。

「じゃあ、テストしてみようか。阿津坂正美が投稿したスクリプトを投稿してみるよ」

 アザミはすばやいタッチでキーボードを打つ。

 投稿ボタンを押すと、すぐに記事が並ぶ画面へ移った。

 一番上に、今投稿した記事がある。

 あっ……

 スクリプトがそのまま表示されている。

「これなら、作動しない。ばっちり安全だよ」

 頼もしいぞ、アザミ!

 まあ、全部おまえがやったことだが……

 アザミが児童会メンバーに加わって、四日目。

 今日は月曜日だ。

 放課後、わたしと山吹君とアザミの三人で、連れだって児童会室へ行くのも、慣れてきたな。

 児童会室の前の廊下では、柳葉君が待っていた。

 廊下にしゃがみこんでいた彼は、ぴょこんと立ちあがった。

「すまない。今開けるから」

 わたしは鍵を開けて電灯をつける。われわれ三人がカーテンを開けていると、アザミは悠然と片隅のパソコン・デスクへ向かう。椅子をひいて座り、操作を始めた。

 タイピング音がリズミカルに響く。

 黒一色の画面に文字が流れていく様は、SF映画の一コマのようだ。

 通学用のリュックを置いた柳葉君は、アザミの後ろに立って、ディスプレイをながめていた。

「すげぇー」

 興味津々といった顔でつぶやく柳葉君。

「こういうの、どこで覚えるんですか?」

 アザミの大きな瞳がスッと細くなる。

 い、いかん。

 わたしはヒヤッとした。

 あわてて口をはさもうとしたとき――

「ザコ・キャラが気安く話しかけるな」

 柳葉君は凍りついた。

 しかし、アザミは涼しい顔で、パソコンのキーボードを打ち続ける。

 静まり返った室内に響くタイピング音は、なにやら、とっても寒々しい。

「こ、こら、アザミ。なんてことを言うんだ」

 わたしが注意しても、そっぽを向いたまま。

 あーあ。転校初日に被っていた猫は、どこへ逃げてしまったんだろう……

「会長ぉー」

 柳葉君が情けない声をあげる。わたしに向かって、ヨロヨロと歩いてくる様は、まるでゾンビ。

「おれ、ザコじゃないですよねっ?」

「もちろん、君は有能だとも。……そうだ。早速だが、これを頼むぞ」

 彼の気をそらせようと、わたしはあわてて、仕事をふる。

 柳葉君は「ハイッ」と元気のよいお返事。

 静かに宿題をしていた山吹君の横で、作業をはじめる。

 それから十分とたたないうちに、奥山さんと谷原さんがやってきた。

「遅くなりました……」

「今日、何するんですか?」

 わたしへの態度は、以前にくらべれば、ぎこちなさが取れてきた。

 アザミが加わってから、変わったみたいなんだ。

 奴はあのとおりの性格で、ムードメーカーになるどころではないのに、おかしなことだ。

 アザミはアザミで、割り当てられた役目を愉しんでいるようだった。椅子の上にあぐらをかいた格好で、首だけを回してわたしを見る。

「ねえ、アバター機能をつくろうと思うんだけど、いいよね?」

「好きにしていいよ」

 答えると、アザミは満足げにうなずき、ディスプレイのほうへ顔を戻した。

「会長ぉ、これ見てもらえますかー」

 柳葉君がニコニコしながら、用紙をかがけてブンブンとふる。

 ああ……

 なんだか、今、とっても幸せかもしれない。

 と、そのとき。

 いきなり、児童会室の戸が開いた。

 ツインテールの女の子が飛びこんできた。

 はなやかな顔だちの、美人さんだ。

 名札の色からすると六年生。つまり、わたしと同学年なのだが、知らないなぁ。

 相当怒っているらしく、顔が真っ赤になっている。

 彼女はわたしをにらみつけた。

「あなたが会長の三島さんよねっ」

「いかにもそうだが……」

「どういうことか、説明して!」

 彼女はズンズンと近づいてくると、わたしの顔めがけてグーに握った手をつきだす。

 うっ!

 殴られるっ!

 わたしは思わず、身体を後ろに引く。

 しかし、取り越し苦労だったようで、彼女の手は、わたしの顔にふれずに止まった。

 わたしの目の前には、犬のぬいぐるみのストラップがついた携帯電話がある。

 折りたたみ式だが、今は開かれて、ディスプレイには文字が並んでいる。

「このメールは、何なのよっ?」

「えっと……」

 状況がサッパリつかめない。

 わたしは急いで、モニタ画面に映る文字に目を走らせる。

『件名:シークレット情報、あげるよ!』

 心臓がドクンとはねた。

 いやな予感。

 わたしは彼女の手から携帯電話を引ったくり、メールの全文を読みあげた。

『友達や好きな人のことは、もっと知りたいよね。わたしたちに連絡をくれたら、気になる人のアンケート回答結果をこっそり教えちゃうよ。詳しいことはコトコの特別ページで説明してるから、ぜひチェックして!』

 メールにはリンクも添えられていた。

 頭がクラクラしてくる。

「何なんだ、これは……」

 わたしが茫然としていると、目の前から携帯電話が消えた。

 ハッとしてふり向くと、アザミだった。

 やつは、奪った携帯電話を片手にパソコンの前へ戻り、インターネット・ブラウザにアドレスを入力してエンターキーを押した。

 薄紫色のページがパッとあらわれる。

 わたしだけでなく、他のメンバーたちもパソコン・デスクに群がる。みんな、息をひそめて、ページの内容を読んだ。


・次のフォームに、あなたの名前と知りたい人の名前を入力してね。

・一人につき、五〇〇円だよ。

・お金は封筒に入れて、校庭の梅の木にかかった目安箱へ投函してね。

・その後で、あなたのメールアドレスに情報を送るよ。


 わたしは信じられず、何度もページを読み直す。

 ツインテールが目をつりあげて、つめよってきた。

「どういうことなのよ。こうやって悪用するためにアンケートをしてたわけ? 今すぐ説明しなさい!」

 そんなこと言われても、わたしだって、何がなんだか……

 相手のまなざしは、ますます、きつくなる。

「ごまかすわけっ? それなら、いいわよ。あたし、先生に直接言う!」

 彼女は鼻息荒く、回れ右をしようとした。

 そのときだった。

 山吹君が彼女の腕をつかんだ。

「と、止めても無駄なんだからね!」

 山吹君の意外な行動力に、わたしを含め、メンバー全員が驚く。

「なんで黙ってるのよっ? なにか、言いなさいよ!」

 しかし、山吹君、無言。

 一重まぶたの瞳で、わたしをちらりと見る。

 わたしは深呼吸すると、わめいているツインテールの前に出た。

「待ってくれ。わたしたちは、このようなことは知らない。シラを切っているわけでもない」

「嘘つき! じゃあ、どうして、コトコにこのページがあるのよ!」

「それは……」

 わたしがうろたえると、彼女は声を荒げる。

「あなたがもし無関係でも、児童会の誰かがやっているのは間違いないのよっ!」

「間違いない、だって? 残念だけど、そうとは言い切れないんだよね」

 そう言ったのは、アザミ。

「確かに、このページは、コトコのサーバにある。ちなみに、これがページのファイル」

 アザミは言いながら、一つのファイルを開いてみせる。

「だけど、これがあるからといって、ここにいる人間の仕業とは決められないさ。コトコのサーバのセキュリティは低かった。外部の誰かが、このサーバのパスワードを暴き、ネットを通じてサーバ内に侵入し、ファイルを置いた。……という可能性は充分ある」

「この部屋に入らなくても、できるの?」

 彼女が驚いて聞くと、アザミはまばたきした。何を聞かれているのか、わからないといった顔をしている。

「当たり前じゃないか」

「きっと、阿津坂正美だ!」

 柳葉君が唐突に叫んだ。

「だれよ、それ」

 ツインテールが聞くと、柳葉君はいまいましそうに言い放つ。

「児童会の敵だよ!」

「て、敵がいるの?」

 柳葉君はグッとこぶしをにぎる。苦悩の表情だ。

「やつは、おれたちをおとしいれようとしているんだ」

 ち、ちがうぞっ。

 阿津坂正美は、アザミのおふざけだったんだ!

 なんだか、話がおかしな方向へ流れている。

 しかし、当のアザミは、おもしろがってニヤニヤしている。

「そんなことを言って、あたしをごまかすつもりじゃ……」

 ツインテールは疑わしげに言う。

「ちげぇよっ! ばかっ!」

 柳葉君の言葉に対し、ツインテールは、長いまつげに縁取られた目を見開いた。

「なんですって。下級生のくせに生意気ねっ」

「バカに年齢は関係ないっ!」

「あんたこそ、バカでしょっ?」

 ああ、泥沼。

 奥山さんがメガネを押しあげながら言う。 

「会長、もう、わたしたちの手には負えない気がします。先生方に相談しませんか」

「いやっ。だめだ!」

 わたしはブンブンと首を横にふる。

 このままでは阿津坂正美が犯人にされそうだ。彼女の正体がつきとめられたら、アザミが……

 後ろ暗さをさとられまいと、わたしは柄にもない熱血口調で言った。

「売られたケンカは買うぞ。われわれで犯人をつき止めるんだ」

 柳葉君だけが「ハイッ」と元気よくお返事した。

「さっちゃんは、心配性なんだよな」

 わが家のリビング・ルームで、アザミは、イチゴのカップアイスを食べながら言う。

「絶対に、ぼくが阿津坂正美だなんて、わかりっこないよ」

「そうやって高をくくっていると、つかまるんだぞ。悪役は、もっと謙虚になりなさい。石橋は叩いてから渡るくらいの気持ちで」

 アザミは「だれが悪役だよ」とツッコミをいれてから、

「確かに、サーバにはアクセスした履歴が残るけどね。IPアドレスという住所みたいなものがあるんだ」

「じゃあ、それで、ばれるじゃないか」

「IPアドレスはごまかせるんだよ。他のコンピュータに侵入してから、目的のコンピュータにアクセスすると、侵入したコンピュータのIPアドレスが残る。これを二重三重におこなえば、解析はほとんどできない」

 アザミの言っていることはさっぱりだが、いやな予感がするぞ。

「同じ理由で、今回の犯人も、見つけられないだろうね」

 アザミは言って、スプーンを口に入れた。

「もし、IPアドレスのなりすましをしていなくても、IPアドレスから割り出せるのは、だいたいの住所と、契約しているインターネット・プロバイダぐらいだよ」

 当てがはずれて、わたしは途方に暮れる。

 ファイルを作るという痕跡を残しているのだから、犯人を簡単につきとめられると思っていたのだ。

「これ以上の情報を抜き出されないよう、サーバのセキュリティを強化するべきだね。探偵ごっこより、そっちのほうが現実的だ」

「すでに盗まれた情報はどうなる?」

「あきらめるしかないってば」

 アザミはさばけた口調で言う。

 しかし、わたしは、簡単に割り切れない。

 児童会のおこなったアンケートのために、傷つく人が出てくるかもしれないのだ。

 非公開だという安心感のもと、寄せられた回答もあるだろう。なかには、他人には決して知られたくないものも、あるはずだ。

「メールの送信元は、どこなんだ?」

「それがさ、コトコから送信されてるんだよ」

 わたしは腕組みをして、頭をフル回転させる。

「コトコの存在を知る人間はあまり多くないはずだ。犯人はおそらく、千寿小の関係者だろう」

「さっちゃん、認識が甘いな。ネットにつながっているということは、世界中のどこからでもアクセスできるってこと。まったく関係のない誰かが、たまたまコトコに行き着いて、情報を盗みだす可能性もゼロじゃないよ」

 アザミはくちびるの端をつりあげて、いじわるそうに笑う。

「しかし、代金の渡し場所は、校内だ」

 わたしが指摘すると、アザミは「あっ」とつぶやいた。

 こいつ、変なところで抜けている。

 千寿小の校内には、「目安箱」と呼ばれるポストがいくつか設置されている。学校のことで意見があれば、誰でも、どのような内容でもいいから、適当な紙に書いて投函するシステム。無記名でもかまわない。児童会のメンバーがそれを読み、今後の活動に反映させるというわけだ。

 アザミはあきれた顔で言う。

「コトコがあるっていうのに、アナログなことをしてるね」

「ずっと昔からあるものだから、いちおう、続けているんだ」

 わたしは指を折りながら、目安箱の場所を言う。

「全部で六つある。昇降口、図書室、三階の廊下の突きあたり、それから、桜の木の脇、体育館の入口、校門を入ってすぐの花壇横。以上だな」

 秘密のやりとりの場として指定されたのは、梅の木。

 それは、児童会が設置した目安箱ではない。

「目安箱の数と位置を把握している生徒は、ほとんどいないだろう。見慣れない箱が増えても、誰も気に留めないはずだ」

「なるほどねぇ」

 わたしはパッとひらめいた。

「ニセ目安箱を監視すればいいんだ。犯人はかならず、箱の中身を回収しに来る!」

「でもさ、情報を買う予定の子がいないとダメだよね」

 アザミの冷めた声に指摘され、わたしは一瞬気落ちした。

 しかし、すぐに復活する。

「彼女に協力してもらおう」

 わたしは放課後、六年三組の教室をおとずれた。

 目当ての人物はすぐに見つかった。

 ツインテールを揺らし、友達とおしゃべりしている。

 ちょうど帰るところらしく、バッグに教科書を入れていた。

円井(まるい)さん」

 名簿から調べた名前を呼ぶと、彼女はふり返った。

 笑顔だったが、わたしを見たとたん、眉間にシワシワが刻まれる。

「何しに来たの?」

「お願いがあるんだ。これから、児童会室へ来てくれないか」

 円井さんは胡散臭そうにわたしを見る。

 あのメールが児童会のしわざだと、まだ疑っているな。

「あたし、今日は塾があるんだけど」

「長くは、かからないよ」

 円井さんはしぶしぶうなずいた。

 廊下を並んで歩きながら、わたしは作戦を話した。

「コトコのなかに作られていたページから申し込みをしてほしいんだ。そうすれば、犯人はかならず、ニセの目安箱にやって来る」

「いやよ」

 白状すると、断られることをあまり考えていなかった。なので、わたしは、思わず「えっ?」とすっとんきょうな声を出してしまった。

 円井さんは、わたしをキッとにらみつける。

「あたし、人のことをコソコソ探る人間じゃないわよ。お金を払って、友達のことを探ったりするもんですか」

「いや、違うよ。ふりをするだけで……」

「あたしが申し込みをすれば、犯人は、あたしがそういう人間だと思うわ。そんなの我慢できない」

 な、なんか、プライドが高いなぁ……

「そこをなんとか頼む。君が協力してくれたら、犠牲者を減らせるかもしれないんだ」

 円井さんはわたしから目を反らし、正面を向いた。

 彼女は、しばらく黙りこんでから、大きく息を吸いこんだ。

「一つ、条件があるの」

「なんだ?」

「あたしの頼みを一つ、聞いてほしいの」

 だから、その頼みとは、何かね?

 しかし、円井さんは「それは、あとで言うわ」と答えるばかり。

「その頼み事とやらがわからないと、わたしも約束できないのだが……」

「たいしたことじゃないのよ」

「だったら、今、言ってくれてもいいだろう」

「じゃあ、あたし、協力しないわ」

 円井さんは、とがったあごをツンとそらす。

 ここにも、横暴お姫様がいたぞ……

 まあいいや。

 そんな無理難題をふっかけてはこないだろう。

「わかったよ。約束する」

 円井さんは、うれしそうな顔になった。

 美人だけあって、花が開いたような、かれんな表情。

 思わず、見とれてしまうなー。

 いったい、頼み事って、なんだろう?

 しかし、詮索すると、また怒られそうだ。

 わたしは口をつぐみ、たどり着いた児童会室の戸を開けて、円井さんを先に通した。

 室内には、アザミ、奥山さん、柳葉君、山吹君、谷原さんがいる。

 片隅のパソコンの画面は、すでに、例の依頼フォームだ。

 円井さんはパソコンデスクに座って、「依頼者」の欄に自分の名前を打ちこんだ。次に、「知りたい相手」の欄にカーソルを移したものの、そこで手が止まる。

 誰の名を入力したものか、迷っているのだろう。

 するとアザミが脇から手を出して、キーボードをすばやく打つ。


 知りたい人物:三島佐井子


 そして、送信ボタンをクリックした。

「あーっ。松笠さん、ひでぇ」

 抗議の声をあげたのは、わたしではなく、柳葉君。

「いいじゃない」

 アザミはケロリとしている。

 まぁ、この作戦を言い出したのはわたしだから、仕方ないだろう。

 ページが変わって、「依頼、受けつけました」というメッセージが表示される。

 その下には、五桁の数字。

 注意書きを読んだアザミは、感心している。

「封筒には、この数字を書けってさ。いわゆる、注文番号だね」

「細かい気配りだな」

 わたしが思わず言うと、柳葉君がハキハキと、

「犯人は、A型の可能性が強いですね!」

「それに、誕生日の予測もついたわね。神経質な蟹座だと思うわ」

 と、円井さん。

 ええっと……二人とも、本気で言っているのかね。

 それとも、ツッコミ待ち?

 わたしは当惑したが、アザミの冷たい視線に気づいて、あわてて叫ぶ。

「封筒を!」

 奥山さんがあたふたと封筒を持ってきた。わたしは表面にディスプレイの番号を書きつけて、千円札をいれる。

「準備万端だ。二人とも、行くぞっ」

 わたしが熱血口調して命令すると、柳葉君はキラキラした顔で立ちあがった。円井さんは勝ち気な表情を浮かべている。

 児童会室を出るとき、アザミがあきれたように笑ったのが、わたしの視界の端に映った。

()が高い」

「ハイッ。すみません!」

 柳葉君は小声ながらも活力にあふれた返事をして、身体を低くする。

 今われわれ二人は、獲物を待つ猟師さながらにツツジの茂みに身をひそめていた。

 視線の先には、梅の枝からぶら下がる木箱。

 マジックで「目安箱」と書いてあり、その文字の下には投函するための口が開いている。

 息を殺していると、円井さんが並木の端から登場する。

 円井さんは、あたりをはばかるようにキョロキョロした後、いきなりダッシュ。目安箱に封筒を投げこむと、二拝二拍手して、またダーッと走り去った。

 なんか、わざとらしいなぁ。

「大根ですね」

 柳葉君が容赦のない感想を述べる。

 円井さんはそのまま帰り、わたしと柳葉君だけがその場に残る。

 木漏れ日がジリジリと背中を焼く。

 落ちる汗をぬぐう。

 ただ待っているだけなのに、想像していたより過酷だ。

 少し先に飼育小屋があるためか、蚊がやたらに飛んでいる。

 虫除けが必要だったなぁ。

 太ももに蚊が止まった。しかし、わたしの脚はジーンズに包まれている。わたしは振りあげた手をおろした。

「早く来いよー」

 柳葉君が弱々しくつぶやいた。

 衰弱しているな。

 このままではともだおれだ。

 腕時計で確認すると、張り込みを始めてから一時間が過ぎていた。

 彼だけは先に戻らせるか――などと考えていた、そのとき。

 背後から気配を感じた。

 わたしは、パッとふり返る。

 真矢ちゃんがいた。

 腰をかがめて、体勢を低くしている。

 ……何をしているんだろう?

 わたしが聞く前に、真矢ちゃんは明るく笑った。

「びっくりさせようと思ったのになー。気づかれちゃった。残念」

 どうやら、わたしが隠れていることに気づいた彼女は、こっそり忍びよって、驚かせるつもりだったらしい。

 真矢ちゃんって、こういう、心臓に悪いイタズラが好きなんだよなぁ。

 柳葉君は、少しばかりギョッとさせられたらしく、肩が軽く跳ねあがった。

「こんなところで何してるの?」

 真矢ちゃんはニコニコしながら、当然の質問をした。

 わたしが口ごもっていると、柳葉君が熱っぽい口調で、

「児童会の敵と戦っているんです!」

「エ? そ、そうなんだぁ」

 戸惑いながらも、うなずく真矢ちゃん。

 アザミとは違って、優しい。

 さすがはクラブ長を務めているだけのことはある。社会性が高い。

「よくわかんないけど、二人とも、おつとめご苦労さんですっ。がんばってねー」

 真矢ちゃんは笑顔で手をふって、立ち去った。

 われわれは任務に戻る。

 しかし、ニセ目安箱に視線を戻すと――

「ああっ!」

 わたしと柳葉君は、同時に叫んだ。

 箱がなくなっていた。

 ほんのちょっと、目をはなした瞬間に、回収されてしまった!

 なんという失態だ!

「作戦は失敗した」

 わたしは児童会室の戸を開くやいなや、惨敗を潔く告げた。

 背後では、柳葉君がしょんぼりしている。

 谷原さんが小声で「お疲れ様でした」と言う。

 奥山さんは、小さな冷蔵庫からウーロン茶のペットボトルを取りだすと、二つのコップになみなみと注いだ。

「どうぞ」

「ありがとう」

 わたしと柳葉君はコップに口をつけると、一気に飲み干した。

 ああ、冷えた飲み物の、なんと素晴らしいことか……!

「ふぅーっ、生き返った! もう一杯っ!」

 空になったコップを差しだす柳葉君。

「はいはい」

 奥山さんはもう一度注いでやり、それから、わたしのほうを見て「会長は?」と聞く。

 気配り上手さんだ。

「ありがとう。いただこうかな」

 わたしは椅子に座った。ずっと同じ姿勢でいたので、脚がすっかり強ばっている。

 筋肉を伸ばし、わたしは考える。

 一瞬の隙で、ニセ目安箱を奪われた。

 われわれが目をはなしたときに、たまたま、犯人が回収に来たのだろうか。

 そんな偶然が、あるだろうか……

 ここは、犯人がこちらの動向に勘づいたと考えるほうが妥当だ。

 どこかに潜んで、われわれの意識がそれる瞬間を待っていたのだ!

 敵は手強い!

 ……おやぁ?

 いつの間にか、わたしにも、柳葉君のノリが移っている!

 いかん、いかん。

 頭を冷やすぞ。

 わたしは、汗をかいているコップをにぎり、まだ冷たいウーロン茶を一口飲んだ。

 谷原さんがおずおずと片手をあげた。

 今は授業中じゃないんだから、発言するのに挙手しなくてもいいのだが。

 以前よりはマシになったが、彼女はまだ、わたしを怖がっているようだ。そう思うと、胸の奥がチクリと痛む。

 だって、女の子だもん。

「何だね?」

「あのう、山吹先輩は……? 一緒じゃないんですか?」

「任務に当たったのは、わたしと柳葉君、それから円井さんの三人だ。ちなみに、円井さんは塾だそうで、お帰りになった」

「あ、そうなんですか……いつの間にか、山吹先輩がいなくなっていたから、会長と一緒に行ったんだと思ってたんです。ごめんなさい」

「別に、あやまる必要はないよ」

「あ、はい。すみません」

 谷原さんはうつむく。

 うーん。

 どうやったら、わたしがどう猛な狼じゃなくて、神経の細いウサギだと、わかってもらえるのだろう。

 わたしは室内を見回し、山吹君の姿がないこと(ひっそりといるかもしれないから)を確かめた。

 バッグもない。

「帰ったようだな」

 これは、よくあることだ。

 山吹君は非常におとなしいので、あいさつは、頭をぺこりと下げるだけなのだ。気づかない(気づけない)ことはままある。

 今度は、奥山さんが手をあげた。

 ええい、今は授業中ではないというのに。

「はい、どうぞ」

 いつもキビキビしている彼女が、ためらいがちに口を開く。

「今回のことは、円井さんの自作自演なのではありませんか?」

 ええっ?

 どういうことだ?

「円井さんが自分でメールを書いて、わたしたちに見せたということか? 何のために、そんなことを?」

 わたしが聞き返すと、奥山さんは言いにくそうに続ける。

「円井さんは、去年は副会長に立候補し、今年は会長に立候補していますよね」

 そうだったっけ?

 候補者のなかに、円井さん、いたかな……?

 去年のことは、もはや記憶のかなた。今年は今年で、会長に当選しないようにと祈ることに必死で、まわりを見る余裕はなかったんだ。

「彼女はどちらも落選。会長を逆恨みしている可能性は充分あります」

「なんだよ、それーっ」

 柳葉君が不満げな声をあげる。

「会長の評判を下げるつもりで、でっちあげたのか?」

「今回のことが児童会のしわざだと思われたら、評判どころじゃないのよ」

 奥山さんは、お姉さんのような口調で、柳葉君に言い聞かせた。

「今のメンバーは解任、そして再選挙――たぶん、そうなるでしょうね。円井さんは、もう一度、会長になるチャンスを得られるわけです」

 そ、そんな姑息なこと、するかな?

 円井さんは、正義感が強そうだったけど……

 それに、たかが、小学校の児童会長の座を狙って?

 わたしの戸惑いをよそに、柳葉君はこぶしを固め、ワナワナと震える。

「陰謀だっ!」

「盛り上がっているところ、悪いけどさぁ」

 冷めた声で割りこんだのは、アザミ。

 部屋の片隅でコンピュータに向かっていたが、こちらの話も、いちおう聞いていたらしい。

「あの子がそのつもりだったら、最初に、ここへ来ないんじゃない?」

 確かに……

 アザミの冷静な指摘を聞いて、わたしの気持ちも静まる。

 そうなると、奥山さんの説に対する疑問点が浮かんできた。

「わたしたちを陥れるためだけにしては、やけに、芸が細かいよな。コトコのなかに作った依頼用のページとか、注文番号とか。そこまで用意する必要はないと思う」

 奥山さんは、納得しきれない様子だったが、ひとまずは自分の考えをひっこめた。

「円井さんじゃなくても、復讐の線は薄い、ということですね」

「そうだね。これをしかけたやつは、純粋にビジネスしてるよ」

 これがビジネス?

 不愉快な気持ちが伝わったのだろう、アザミはうっすら笑った。

 わたしは腕組みして提案する。

「サーバへ侵入し、さらに依頼用ページを作るためには、それなりの知識がいる。校内で、そういうことができる人間をさがそう」

「ハイッ!」

 柳葉君は元気よく返事したものの、首をかしげて、

「でも、どこから手をつけますか? コンピュータ・クラブとか、ありましたっけ?」

「ないよ」

 実は、わたしも同じことを考えていた。

 しかし、わが千寿小には、コンピュータに視点を置いたクラブは存在しないのだ。

 まあ、そもそも、クラブの活動では、サーバへ侵入したり情報を盗みだしたりする方法は教えないだろうが……

「手当たり次第、情報を集めていくしかない。根気で勝負だ」

「そんなので、見つけられるかなぁ?」

 アザミが小馬鹿にした口調で言う。

「犯人だったら、できるとは言わないだろ。ってことは、犯人のまわりにいる人間の情報に頼ることになる。あてにならないんじゃないの」

 もっともな指摘だ。

 自分でも、成功率はきわめて低いと思っているし。

「松笠さんは、なんで、そんなこと言うんですかっ。犯人をつかまえる気がないんですか!」

 柳葉君は、ついに堪忍袋の緒が切れたようで、アザミに突っかかっていく。

 しかし、そんなことで動じるアザミではない。

「望み薄じゃない。ぼく、無駄な努力って、嫌いなんだよね」

 柳葉君が助けを求めるように、うるうるした目で、わたしを見つめる。

「会長ぉ……」

 君たちは、こんなところで仲間割れして、どうするつもりかね。

「確かに、無駄なことかもしれない」

 わたしが認めると、室内はシンとなった。

「だが、何もしないでいられないんだ。アザミは、これ以上のデータが盗まれないようにしてくれるんだろう? だったら、それまでに盗られたデータは、わたしが何とかしなくちゃな。あきらめるのは、とことん、やってからにするよ」

「そぉ。好きにすれば」

 アザミはそっけなく答え、コンピュータのモニター画面へ向き直った。

「ぐぐーっ! むかつくっ」

 柳葉君はうなり、一人エキサイティング。

 並んで歩いているわたしは、むずかる子犬を散歩させている気分だ。 

「なんで、会長は、あの人とお友達していられるんですか!」

「アザミは、昔から、ああいう感じだから。慣れてる」

「慣れちゃダメですよぉ」

 柳葉君は、わたしを叱った。

 彼は地声が大きいから、けっこう響く。

「快感になっちゃダメですよぉ」

「いや、別に、やつの発言に悦びを感じてはいない」

 ……ほとんどの生徒が帰宅している時間で助かった。

「だが、アザミの言うことは的を射ている。君も、それは、わかるだろう?」

 柳葉君は、不服そうではあったが、うなずいた。

「アザミは、どんなことでも、一歩引いた位置から考える。『合理的』という言葉が、アザミは好きなんだ。決して、悪いやつではないんだよ。口は、悪いけどね」

 それに、嫌いなタイプが相手だと、わざと不愉快になるような言い方をするが……

 あれ?

 ひょっとして、それって、性格が悪いのか?

 ふと浮かんだ疑惑を打ち消しつつ、わたしは続けた。

「もう少し一緒にいれば、アザミのいいところが、きっと見えてくる。だから、今は、許してやってほしい」

 眉間にシワシワを寄せていた柳葉君は、突然、笑顔になった。

 人なつこい犬のような、かわいい感じだった。

「仕方ないっすねー」

「苦労をかけて、すまないねぇ」

「おれのほうが松笠さんよりも身長あるし、ここは、大人になっておきますよっ!」

 柳葉君はニッコニコしている。わたしは力をこめて言った。

「それは、アザミの前で言っちゃ、いけないぞ」

 千寿小のことに詳しい人。

 真っ先に頭に浮かんだのは、ホーリィ先輩だった。

 しかし、わたしはそれを打ち消した。

 あの人は、もう卒業したんだ。

「この時間じゃ、校内に残っているのは先生ぐらいですよね」

 柳葉君が人気のない廊下を見回しながら言う。

「そうだな」

「先生たちから当たってみましょうっ。いざ、職員室!」

 わたしは、柳葉君の提案にうなずいた。

 職員室へ向かい、階段を下りる。その途中で、わたしはふと思った。

「なぁ、柳葉君。君が犯人だったとして、コトコのアンケートに回答するか?」

「ハイ?」

 柳葉君がけげんな顔で聞き返した。

「犯人は、回答が流出する可能性を知っている。それでいて、アンケートに答えるものか?」

 全校アンケートは、千寿小の全生徒を対象におこなうのだが、無回答でもペナルティはない。要するに、必須ではないのだ。

 柳葉君は、片足だけ下の段に置いたまま考え、それから言った。

「誰かに知られるかもしれないって思ったら、なんか嫌ですね。だから、答えないかもしれないです」

「そうか。わたしも同じ考えだ」

 コトコのアンケートに回答しない者……犯人は、その中にいるんじゃないか?

「なるほどっ」

「こじつけているかな」

 わたしは不安になって聞く。

 しかし、相手は柳葉君である。

 目を輝かせて、首をブンブン横にふる。

「いいえ。ナイスだと思いますっ。さっそく調べましょう!」

 興奮した柳葉君は、きびすを返して、階段を駆けのぼる。わたしはあわてて彼のあとを追いかけた。

 なんだか、今日は、やたらに体力を使うなぁ……

 児童会室には、アザミと谷原さんが残っていた。

「どうしたの?」

 谷原さんに聞かれても、柳葉君はゼイゼイとあえいでいるばかりだ。

 息を整えるのに時間がかかるなら、歩いて戻っても同じだったろうに。

 わたしは柳葉君よりは先に回復して、先ほどの思いつきを説明した。

「まあ、可能性の一つではあるね」

 アザミはそっけない態度ながらも、コンピュータに向かい、キーボードを打つ。

「データベースに検索をかけてみるよ。現在、千寿小に在籍していて、ここ一年間ぐらい、どのアンケートにも回答していない生徒は――と」

 エンターキーを押す。

 間もなくして、結果が出た。

「ヒットは二十七件。つまり、二十七人いる」

 うむむ。意外と多かったな。

 わたしが腕組みをしたとき、谷原さんがおずおずと手をあげた。

「あのぅ……」

「何?」

 アザミは聞き返しただけだったが、猫のようにキラリと光る目は、内気な谷原さんを気後れさせるのには充分だった。

 彼女が話し出さないので、アザミはイライラしてきたようだ。

「早く言ってよ」

 い、いかんっ。

 わたしは内心あわてて、助け船を出す。

「気づいたことがあれば、何でも言ってくれ。遠慮しなくていいんだよ」

「は……犯人は、アンケートの結果を見るだけじゃなくて、いじることもできますか?」

 その質問はアザミに向けたものだったが、谷原さんはアザミをまともに見られず、うつむいていた。

「できるよ」

 アザミが答えた。「だから何?」と続けなかったのは、いちおう優しさだろう。

「……最初は、アンケートから情報を引き出せること、知らなかったと思うんです。だから、それまでは、ちゃんと、アンケートに答えてたんじゃないかって思うんです」

 おおっ。

 言われてみれば、そのとおりだ!

 柳葉君が顔をしかめた。腕組みして、谷原さんに詰めよる。

「それって、どういうことだ? よくわかんねえ」

 アザミは「だまれ」と言わんばかりに、柳葉君をにらんだ。

「犯人のアンケートの結果は、改ざんされているかもしれない。そういうことだね」

 わたしがまとめると、谷原さんはコクコクうなずいた。

 柳葉君の顔には、まだ、クエスチョン・マークが浮かんでいる。

 わたしは、もう少し具体的に言い直した。

「今は、アンケートの結果がなくて、無回答のように見える。しかし、本当は回答済みで、アンケートの結果を他人に知られるかもしれないと知った犯人がデータを消したのかもしれない」

「ああ、そっかぁー」

 アザミはコンピュータに向き直り、キーを叩いている。勢いある音は、暴風雨が窓ガラスを打つ音のようだった。

 薄紅色のくちびるから、つぶやきがもれる。

「select * from user u,questionnaire_question qq,questionnaire_answer qa,questionnaire_answer_details qad where u.id=qa.userid and u.id=qad.userid and qq.id=qa.id and q.id=qad.id...」

「な、何の呪文ですかっ?」

 柳葉君が恐ろしそうに後ずさる。

「and qa.presence=1 and qad.q1 is null」

 ガン、とエンターキーを押す。

「こいつら、あやしい」

 アザミは日本語で言って、モニター画面に映った名前を指さした。


 井上重明

 内田和夫


「なぜだ?」

「コトコのデータベースには、アンケートの回答結果のほかに、各アンケートの回答有無も記録されているんだ。二種類のデータに矛盾が起きている。こいつらは、どのアンケートの回答結果も空っぽなのに、別のデータを見ると、いくつかのアンケートは『回答済み』となっている。変だよ」


ボランティア活動に関するアンケート

・設問

 1:未回答 2:未回答 3:未回答 4:未回答

・回答

 済み

 

 アザミは肩をすくめた。

「犯人がわざと残した手がかりかもしれないけどね。ぼくたちの目をそらすために」

「だが、その可能性は低いと思っているんだろう?」

 わたしが聞くと、アザミははぐらかして答えなかった。

「この二人のクラスは?」

 アザミのほっそりした指がキーボードの上で踊り、またたく間に、彼らの情報を引き出す。

「どっちも五年三組」

 柳葉君や谷原さんと同じ学年だが、クラスが違う。二人とも「知ってる?」「覚えないなぁ……」と首をかしげていた。

 彼らの所属クラブを見て、わたしは一瞬、停止した。


 技術クラブ


「真矢ちゃんがクラブ長だ……」

 思わず、声が出ていた。

「さっき、おれらに話しかけてきた人ですよね?」

 柳葉君がおそるおそる言う。

 そうだ。

 真矢ちゃんに話しかけられて、目をはなした間に、ニセ目安箱は消えたんだ。

 もしかして、真矢ちゃんは、この一件を知ってる?

 グル……なのか?

「ま、真矢ちゃんに、確かめてくるっ」

 いてもたってもいられず、わたしが児童会室から出ていこうとすると、アザミが大声で言った。

「ストーップ!」

 わたしはぎくりとして固まる。

「教室に戻ったって、いないよ。もう帰ってる時間だろ」

「そう……だな」

 心臓をおさえると、ドッドッと高鳴っていた。

 アザミは椅子から立ちあがると、わたしに近づいてきた。手を伸ばし、何をするかと思いきや、わたしの頬をたたいた。

 もちろん、小柄なアザミは、腕力もほとんどないから、たいしたダメージではない。

 しかし、わたしの脳は、ストップする。

 痛みではなく、おどろきで。

「落ちついてよね」

「あ、ああ」

 アザミの大きな瞳に、わたしが映りこんでいる。

「ぼくらが疑っていること、気づかれたらダメだよ。警戒されちゃう。まだ調べる必要があるのに」

 わたしは聞いた。

「完璧な証拠ではないのかもしれないが、もう充分じゃないか?」

 さっきの矛盾を突きつければ、井上君たちは白状するのではないだろうか。

 しかし、アザミも柳葉君も口をそろえて、

「さっちゃん、甘いってば」

「そうですよー」

 いきなり結託しおって。

 君たち、仲が悪いのではなかったのかね。

 アザミは胸を張って言う。

「ぼくだったら、しらばっくれるよ。もしくは黙秘権を行使する」

「いばって言うことか」

 わたしがツッコミを入れると、アザミはニヤッと笑った。

「だったら、彼らの担任の先生や、技術クラブの顧問の先生に――」

「どっちも、やつらが『知らぬ存ぜぬ』で通せば同じじゃない」

 柳葉君はこぶしをにぎりしめて熱血している。

「やっぱり、現行犯逮捕! それしかないっす!」

 刑事ドラマの見過ぎだぞ。

 わたしは彼に聞いてみる。

「しかし、おとり作戦は失敗したんだ。他にどうするというんだ」

 何の考えもなかったらしく、黙りこんでしまった。

 アザミがくるりと背中を向けた。ふわふわの髪が揺れて、柑橘系のシャンプーが香る。

 バッグを持ち、さよならのあいさつもなしに児童会室を出ていった。

 口許には、うすい笑みを浮かべて。

 翌朝。

 松笠家のチャイムを鳴らしても応答がない。

 ……アザミのやつ、まだ寝ているのだろうか。

 おばさんとおじさんは、すでに、出かけてしまっているようだ。

 一度、家に戻って、アザミのケータイにかけてみるか。

 そう思って、きびすを返したとき、ふと嫌な予感がした。

 まさかとは思いつつ……

 わたしは扉の取っ手をまわした。

 うっ!

 予感的中!

 鍵が開いているっ。

 物騒なこと、この上ない。

「おはようございまーす!」

 電灯のついていない廊下に向かって、声をはりあげる。

「三島佐井子です。アザミ、いないのかーっ? いるんだろ?」

 返事はなかった。

 わたしの声は、暗がりのなかに吸いこまれていくだけ。

 どうしよう……

 たぶん、アザミは、自分の部屋で寝ている。

 いくら幼なじみといえど、勝手にあがりこんじゃダメだよな。

 やはり、家に戻って電話をかけるか?

 しかし、このわずかな隙に、空き巣とか泥棒とか産業スパイとか悪霊とか魑魅魍魎(ちみもうりょう)とかが侵入してくる恐れもゼロではないわけで……

 心配したら、余計に心配になってきたぞ……

「おじゃまします」

 わたしは見えない人に断り、靴を脱いで玄関にあがった。

 なんとなく後ろめたさを感じつつ、玄関から数えて三番目のドアを急いで開ける。

 引っ越ししてから、アザミの部屋に入るのは初めてだ。

 ドアを押しながら、そんなことに気づいてしまう。

 あぁー、やだな。

 アザミのやつ、怒るかもしれない。

 案の定、変な部屋だった。

 真っ先に、わたしの目に映ったのは、壁際のスチールラック。巨大なモニターが置かれ、下段にはパソコンの本体部分がいくつも並ぶ。電源がつけっぱなしらしく、オレンジやグリーンのライトがぼんやりとした光を放っていた。

 本棚に入っているのは、マンガ本でも学校の教科書でもなく、パソコン関係の書籍やらソフトウェアのパッケージやら。

 机の上にはノートパソコンがあって、その横には、すでにタイトルからして理解不能な本が積んである。

 うーん、女の子らしいとか子供らしいとか、そんな次元は超越しているインテリアだ。

 電気コードを踏まないように気をくばり、わたしはベッドに近づいた。

 ベッドカバーだけは、お菓子のイラストが飛びかうファンシーな柄だった。

 アザミは爆睡していた。

 横向きになって身体をまるめ、アルファベットのCのかたちになっている。

 ……気持ちよさそうだな。

 楽しい夢でも、見ているのかもしれない。

 揺り起こそうと手を伸ばしたものの、わたしはためらってしまう。

 なんだか、アザミ、疲れているみたいだから。

 玄関の鍵さえ、かけることができれば、別に起こさなくても……

 と思っていると、アザミがいきなり起きあがった。

 糸に引っ張られたかのように、ぬうっと。

 ギギ、と音が立ちそうな動きで、首をまわした。

 ウェーブのかかった髪が乱れ、顔半分は隠れている。

「さっちゃん……」

 アザミは、わたしの名を口にしたものの、目の焦点が合っていない。

 こわい。

 アザミは、首を元の位置に戻すと、動かなくなった。

 こわすぎる……

「だ、大丈夫か? おーい」

 向こう岸に渡りかけている人を呼び戻している気分で、「おーい、おーい」とくり返していると、やがて、アザミの大きな目がまたたいた。

 アザミは身体をぎくっと強ばらせて、

「なんで、いるんだよぉっ」

 今さら、驚いていらっしゃる。

 さっき、わたしの名前を呼んだのは、何だったのかね。

 寝ぼけていたのか?

「迎えに来たら、玄関の鍵が開いていたんだ。で、心配になってな。悪いとは思いつつ、あがらせてもらった」

「そぉ……。おとーさん、鍵かけ忘れちゃったんだ、きっと」

 何にしろ、不用心なことである。

「あ、もう、こんな時間」

 アザミは壁の時計を見上げて、あわてて布団をはねのけた。

 あれ?

 今、アザミが着ている服って、昨日のワンピースじゃないか?

「もしかして、全然寝ていないのか?」

「二時間は寝たよ。あれこれしてたら、思ったよりも時間かかっちゃってさ」

 アザミの目の下は、うっすら黒ずんでいる。

 クマのようだ。

「いったい、何をやってたんだ?」

 アザミは、小さい子のように、目をゴシゴシとこする。

「コトコのサーバを移し替えてたんだ」

「ええっ?」

 わたしは、スチールラックの下段に並ぶ機器群を見やった。

 このなかに、コトコがあるのか?

「アザミの細腕で、よく運べたな。わたしに一言いってくれれば手伝ったのに」

「そういう物理的な意味じゃなくって」

 アザミは笑った。が、そういう表情のほうが、疲れていることがよくわかる。

「コトコのデータを、ぼくの運営していたサーバへ、まるまるコピーしたんだ。データベースも構築しなおして、ネットワークの設定も変更して――今のコトコは、あの右から三つ目のコンピュータのなかで動いているんだよ」

「じゃあ、児童会室にあるコンピュータは?」

「あれは、もう、ぬけがらだね」

 アザミはまた笑った。

 寝不足で、テンションがおかしくなっているのかもしれない。

「そうなのか。しかし、何のためだ?」

「元・ホンモノを使って、犯人をはめる」

 大きな目がカマボコ形になった。

「あいつらは、けっこうマヌケだよ。次に注文を受けたら、サーバが変わったことに気づかないで、きっと、児童会室のコンピュータのほうへ侵入するよ。――ぼくらは、もう、獲物がかかるのを待っていればいいのさ」

 アザミの言葉は、いつもどおり、トゲトゲしている。

 しかし、消耗しきっていることは明らかで……

「すぐに着替えるよ。さっちゃん、五分だけ待ってて」

 わたしは、起き上がろうとするアザミをベッドへ押し戻した。

「今日は一日、寝ていろ。たった二時間では、眠ったことにならん」

 アザミは目を見開き、意外そうな顔をした。

「ずる休みだけど。いいの?」

「いいよ。森屋先生には、うまく言っておくから」

 わたしは上掛けをひっぱり、アザミにかけてやる。アザミは、まるで猫のようにフニャアと笑った。 

 寝る子は育つ。

「アザミんはー?」

 背中を叩かれてふり向くと、真矢ちゃんがいた。

「今日は休みなんだ。体調が悪いらしくて」

「風邪かなあ? 心配だねぇ」

 わたしは複雑な気持ちで「そうだな」と同調した。

 真矢ちゃんは、どのくらい、関わっているのだろう?

 クラブ長だから、ひょっとしたら、主犯……?

 わたしが転入したばかりの頃、何かと助けてくれたのは、真矢ちゃんだった。教室移動のときには、かならず、誘ってくれた。わたしがクラスメイトの名前を忘れたときには、笑いながら、フォローしてくれた。

 真矢ちゃんは、明るくて、親切だ。

 どんなときでも、笑顔でいる。

 わたしは真矢ちゃんを尊敬しているよ。

 だから……この胸のモヤモヤを、一刻も早く、晴らしたい。

 何もかも話してしまって、真矢ちゃんが「ふっ。よくぞ見破ったな。わたしが怪人二十面相だっ!」なんて、ふざけるのを聞けば、どんなに楽になれるだろう。

 だめだ。

 犯人たちに、これ以上、好き勝手させてはいけない。

 何としても、証拠を手に入れる必要がある。

 自分の不安におぼれてはいけない!

 グッとこらえて、お昼休み。  

 円井さんがやって来て、廊下から、わたしに手招きする。

 さいわい、教室に残っているのは数人だった。

 そして、真矢ちゃんは、ドッジボールをしに校庭へ行っている。

 わたしは教室を出た。二人で、教室の正面にある視聴覚室へ、そっと入る。

「メールが来たの」

 円井さんは、受信メールボックスを開いた状態で、わたしに携帯電話を渡してくれた。

「メールの中身は読んでいないわ。件名を見ただけだからね」

 決まり悪そうにつけ加えた。

 彼女、実は繊細で、やさしい性格なんだろう。

「ありがとう」

 わたしは、アンケートで恥ずかしい回答をした覚えはないが、やはり、あまり見られたくないものだ。

 メールの文面に目を走らせる。どうやら、選択肢の回答よりは、フリー欄へ記入した回答を選んでいるようだ。

 いずれの答えも、自分で書いた記憶が、おぼろげながらある。

 うーん……

 ちょっと、恥ずかしいかもしれないなぁ。

 放課後、児童会室にて。

「本日から始める予定の全校アンケートだが――」

 集まったメンバーを見回して、わたしは告げた。

「内容を変更する」

 予想していたとおり、みんな、ザワザワする。

 奥山さんが眼鏡のつるを押しあげながら聞いた。

「急ですね。どういうふうに変更するんですか」

「それは、まだ考えている途中だ」

 奥山さんを含め、谷原さんも柳葉君も、ふしぎそうにわたしを見た。山吹君だけは、ふだんと同じ、静かな表情だった。

「お題から変える。センセーショナルにするんだ」

「どうしてですか?」

「犯人をおびき寄せる」

 わたしは、アザミの作戦をみんなに打ち明けた。

「なんか、実感ないですね。あれはもう、コトコじゃないって」

 柳葉君がつぶやいてから、照れたように笑った。

「まぁ、松笠さんに言われるまでは、あれがコトコだってことも、あんまり意識してなかったっすけど」

「そう、だね」

 谷原さんが小声で同意した。

 わたしは続ける。

「『夏休みの過ごし方』よりも、興味を引くようなアンケートをやりたいんだ。アノ人がどんな答えをしたんだろう、と気になるような……」

「犯人たちを繁盛させてやるということですか?」

 奥山さんの眼鏡の奥がキラリと光る。

「ああ。依頼が次から次へ来れば、彼らは浮かれて、サーバへデータを盗りに来るだろう」

 そうして、アザミの罠にはまる。

 わたしたちは、動かぬ証拠をつかみ、彼らのおこないを止めさせることができるのだ!

「でも、突然、アンケート内容を変えるなんて、木村先生の許可が出るでしょうか?」

 奥山さんの冷静な指摘をさえぎり、わたしはきっぱりと言った。

「独断で、けっこう。独断専行だ」

 いかに、放任主義の木村先生といえど、いつものように「いいよー」と言ってくれるとは思えない。

 それに、作戦は秘密裏におこなってこそ、最大限の威力を発揮するからなっ。

「ま、まずいですよ」

 まじめな奥山さんは当然うろたえた。対して、柳葉君ははしゃぎまくって、

「固いこと言うなよ。やっちまおう!」

「あんた、バッ――」

 その次には「カ」という音が続くと思われた。しかし、谷原さんにさえぎられる。

「だめです! 会長のせいになっちゃうっ」

 彼女のものとは思えない、室内いっぱいに響きわたる声。

 ちょっと、驚いた。

 柳葉君はビックリした顔で、奥山さんをふり返る。

「え、マジで?」

「当たり前じゃない! バカなんだから、もうっ」

 ようやく柳葉君をののしれた奥山さんは、息を吸いこむ。それから音量を落として、

「注意を受ける程度ならいいけど、最悪、会長が責任をとらされて解任、なんてことにも――」

「そ、そんな大事(おおごと)になるかぁ?」

「わからないでしょ」

 奥山さんがぶっきらぼうに答える。

 わたしは堂々とかまえて言った。

「承知のうえだ。わたしの犠牲ぐらいで解決できるなら、安いものだよ」

 わたしにはアザミのようなスキルはない。できることといったら、このくらいだからな。

 室内は、シーンと静まり返った。

 うっ。調子に乗りすぎて、みんなに引かれたか?

 なんとか言ってくれよーっ!

 ツッコミでも何でもいいよーっ!

 わたしは内心、大あわてで、面々を時計回りに見た。

 奥山さんは眼鏡が日光を反射する角度でうつむき、柳葉君は飼育小屋のチャボのように動きまわり、山吹君は小首をかしげて両腕を組み、谷原さんは――

 目元に涙がにじんでいる。

 室内の空気は、どんより、重苦しい。

 もしかして、みんな、本気でわたしの身を案じてくれている……?

 う、うれしい!

 涙が出そうだ。

 平成××年度・児童会会長、三島佐井子。

 このまま散っても、悔いはないっ!

 翌朝。

 わたしは、いつもより三十分ほど早めに登校した。

 アザミも一緒だ。

 昇降口を目指して、校庭を横切る。その途中、「おはようございまーす」と元気な声が飛んできた。

 校庭の片隅に設置されたジャングルジムの上段に、柳葉君が座っている。

 わたしたちは方向を変えて、ジャングルジムのそばへ行く。

 他のメンバーの姿はない。人数が多いと注目を集めそうだったので、わたしとアザミと柳葉君の三人だけだ。

「おはよう。朝早くから、すまないな」

 わたしが言うと、柳葉君はVサインを出した。

「井上君と内田君の顔は、わかったか?」

「バッチリですよ」

 柳葉君は胸をはった。

「昨日、三組へ偵察に行きましたよ。それに、あいつらの写真も拡大コピーも持ってきました。念のためってことで」

 柳葉君は手に持っていた用紙をひらひらさせる。

「見せて」

 アザミは手を伸ばしたが、届かなかった。舌打ちして、ジャングルジムの鉄棒に足をかける。

「ま、待てっ。ワンピースのくせに」

 わたしはあわててアザミを止め、代わりにジャングルジムを一段のぼって、柳葉君から写真を受けとった。

「去年の林間学校のときのですよ」

 集合写真を拡大コピーしたようだった。用紙には二人の少年の顔だけが載っている。片方はのっぺりした和風顔、もう一人は口先のとがったネズミのような顔だちだった。

「右が井上で、左が内田です」

 ほう。

 わたしはアザミに紙を渡し、ジャングルジムの鉄棒によりかかった。

 生徒がちらほら登校してくる。

 わたしたちは目をこらし、井上君と内田君をさがす。

 昇降口へ行かず、ジャングルジムでたむろしているわたしたちに、「なんだ?」という視線を向ける生徒もけっこういる。

 ……居心地が悪い。

 だが、アザミは知ったこっちゃないという顔だし、柳葉君はさらに上手(うわて)で、手をふったりしてニコニコしている。その様子を見ていたアザミがあきれたようにつぶやいた。

「まるで、猿山のサルだな」 

 さいわいにも、その感想は、柳葉君の耳には届かなかったようだ。

 待つこと、約二十分。

「あっ。きた」

 高い位置にいる柳葉君が真っ先に気づく。

 内田君と思われる少年が歩いていた。彼は一人だったが、すぐに声をかけてきた友達がいた。それが井上君のようだ。

 うーん……

 どんなふうに話したらいいかなあ?

 いろいろ考えたのだが、まだ、決まらない。

 強い態度でのぞむべきか、友好的な対話から始めるべきか……

 ためらっていると、アザミに出遅れた。

 やつが先陣では、無益な血が流れそうだ。

 わたしはあわてて早足で追いかけ、途中でアザミをぬいた。

 登校する人波にさからっているので、他の生徒たちの注目をより集めてしまう。

 この時間帯にしたのは、失敗だったか。

 しかし、この後のイベントを考えるとなぁ……今しか、なかったんだよなぁ……

 井上君たちは肩を寄せあって、ひそひそ話している。会話の切れ端がわたしの耳にも届いた。

「なにそれ、まずくね?」

「わかんねーよ」

 彼らは、お互いの話に夢中で、近づくわれわれに気づかなかった。

「おはよう。井上君と内田君、だね?」

 わたしが声をかけると、二人の両肩がビクッとはねあがった。

「はい……」

 彼らは上目遣いにわたしを見上げる。

 明らかに、おびえている。

 その理由は後ろめたさであってほしい。わたしの見た目が怖いというんじゃなくて。

「わたしは、児童会長の三島佐井子。少し話したいんだが、いいかな」

 二人は強ばった動作でうなずき、おとなしく従った。

 校庭の南側、桜の木が植えられている一角へ向かう。そこには背もたれのない小さなベンチがあり、ちょっとした憩いの場になっているのだ。また、植木の影に隠れるから、登校してくる生徒たちの視線から逃れることができる。

 移動すると、わたしは、一枚のコピー用紙を井上君たちに見せた。

「これは、六年生の円井さんに送られてきたメールだ。君たちは、心当たりがあると思うんだが」

「し、知りませんっ」

 即座に否定したのは、井上君。

 内田君は、声をうわずらせながらも、くってかかる。

「何ですか? ぼくたちのやったことだって、言うんですか」

 すなおに認めてくれるとは思っていなかったが、さて、どうしたものかと困ってしまう。

 柳葉君がせまる。

「知らないふりをしても無駄だっ。観念しろっ」

 しかし、逆効果だったようで、内田君はむきになって言い返す。

「何だよ。証拠でもあるのかよ」

 アザミが初めて、二人に向かって、言葉を発した。

「昨日は、データベースにアクセスできなかっただろ?」

 井上君たちは、ごくりと唾をのんだ。

 アザミは猫のように目を細める。

「どうしてかっていうと、コマンドの設定を変更したんだ。データベースにアクセスする代わりに、別のプログラムを実行するようにね。どんなプログラムだか、知りたい?」

 アザミは、井上君たちより身体がひとまわりも小さい。上級生には見えないどころか、下級生と思われているかもしれない。だが、彼らは完全に圧倒されていた。

 黙ったままの二人を、アザミはいたぶるように、

「おまえらが入力した文字のログをとれるようにしたんだ。で、そのログは、時間が経つと、ぼくのコンピュータに送信されてくる」

 え?

 もしもーし、アザミ姫。

 そんなことして、いいんですか……?

「ログの中には、コトコのアカウントがあった。ユーザ情報と照らし合わせたら、内田、おまえのだったよ」

「い、陰謀だっ! だれかが、ぼくを犯人に仕立てようとしたんだっ」

「そんなわけ、あるかっ。アホなこと言うなよ」

 ツッコミを入れたのは、柳葉君。

 陰謀だの何だのは、きみがいつも言っていることなのだが。

「往生際が悪いなぁ」

 アザミが笑う。楽しげに。

 こいつ、やっぱり、性格悪いのかもしれない。

「そんな態度だと、コンピュータの保存データを全部消しちゃうよ? いいの?」

「ええっ……?」

 内田君が青ざめる。アザミは含み笑いをもらした。

「いざというときのために、そういうオマケもつけておいたんだ。ぼくって、本当に、先見の明があるよね」

 げーっ!

 コンピュータ・ウイルスじゃないか!

 アザミは、バッグからノートパソコンを取りだした。

 今日は、やけに荷物が重そうだと思っていたら、そんなものを持参していたとは。

 電源は入れっぱなしだったようで、アザミがキーをたたくと、すぐにデスクトップ画面が表示される。

「いい感じに、校内のインターネット無線がつながってるねぇ」

「うっ」

「あれもこれもそれも、ぜーんぶ、消えちゃうね。でも、その悲劇が起こるのは、コトコのサーバに侵入してきたコンピュータだから、内田には関係ないんだよね。じゃあ、やるね」

 アザミはニヤニヤしながら、キーに指を置いた。

「う、うわわあああ」

 内田君、絶叫!

 泣きだしそうになって、あやまった。

「ごめんなさいっ! ぼくらがやりましたあっ」

 お仲間の井上君は、完全にびびってしまっている。

 内田君が崩れさると、一緒になって、二人でペコペコした。

 わたしは安堵したものの、内心は複雑だった。

 まさか、アザミが、そんな非道な手段をとっていたとは……

 そのおかげで、彼らに認めさせることができたのだが、いや、しかし――

「あっ」

 柳葉君が声をあげた。

 ふと見ると、真矢ちゃんがこちらに向かってくる。

 登校してきたばかりのようで、肩にはトートバッグをかけていた。

「鈴木センパイっ!」

 内田君たちにとっては、まさに、地獄に仏。干天の慈雨。

 真矢ちゃんの表情は険しかった。

 駆け足でやってきたので、息があがっている。

「こんなところで、何してるの?」

「えっと」

 わたしは思わず、口ごもった。

 柳葉君が調子づいて言う。

「あんたが黒幕だろっ。井上たちは白状したぞ!」

 しかし、真矢ちゃんは顔をしかめたまま、わたしをまっすぐに見つめた。

「二人とも、反省してるよ」

「真矢ちゃん、知っていたんだな……」

「今日、あやまりに行かせるつもりだった。こんなことを言える側じゃないと思うけど、やりすぎだよ、三島ちゃん」

 真矢ちゃんは怒っていた。

「悪いことをしたって、井上君も内田君も今ではわかってるの。ちょっと間違えちゃっただけなんだよ。こんなふうに追いつめなくても、いいじゃない」

 わたしは、悲しい気持ちになった。

 真矢ちゃんに怒られているからじゃなくて、真矢ちゃんが二人をかばっていることが……

 わたしは言った。

「悪いが、二人が反省しているとは思えない。なぜなら、彼らは昨晩、アンケート結果を盗もうとしている」

 真矢ちゃんの表情が凍りついた。内田君たちもそれに気づいて、身をすくませる。

「す、すみません……」

「もうしないって、言ったじゃない」

 真矢ちゃんの声、かすかに震えている。

 内田君はごまかすように、ヘラヘラ笑った。

「がんばっていろいろ準備したから、やめるの、もったいない気がして。依頼もたくさん来たし……」

 ブチッ。

 わたしは、とうとう、我慢できなくなった。

「がんばる方向が、ちがうだろうがっ!」

「ごめんなさい!」

 そろった二人の声は、ほとんど、悲鳴のようだった。

 真矢ちゃんもハッとして「ごめんなさい」と頭を下げる。

 よし、今がチャンス!

 わたしは、谷原さんをおびえさせたときを思い出し、それと同じような角度で、井上君と内田君を見下ろした。

「今後は、そのようなことはしないでくれ。また、これまでに盗んだデータはすべて削除するように」

「面倒だったら、ぼくがキレイに掃除してあげるよ」

 アザミはチェシャ猫の笑みを見せて、ノートパソコンのキーを打つジェスチャーをした。

 内田君だけでなく、井上君もふるえる。

 脅しは充分だな。

 ちょうど、鐘が鳴った。

 朝のホームルームが終わった。

 森屋先生は教壇をはなれて、わたしを呼ぶ。

「木村先生がすぐ話したいんですって。児童会室で」

「はい。わかりました」

 わたしは教室を出て、児童会室へ向かう。

 戸を開けると、木村先生がパイプ椅子に座っていた。

 今日も、やはり白衣で、スーツは灰色。

 気むずかしい顔で腕を組み、いかにも「待ちかまえていた」という雰囲気を演出している。

「三島」

「はい」

「呼び出しの理由は、わかっているな?」

「はい」

 予想していたことだったので、わたしは落ちついていた。

「アンケートを変更したことですね」

 木村先生は、いつになく真剣な表情で、重々しくうなずく。

「そうだ。『校庭裏に呼びだしたい生徒☆ベスト五』とは、よろしい内容じゃない。『夏休みの過ごし方』のアンケートをやるんじゃなかったのか? どうして変えたんだ?」

「コトコのアンケートは、調査研究のために実施するものではありません。遊びの一環なのです。よって、おもしろいものにしたかったのです」

「おもしろいっていうのは、三島自身の好みだよな?」

「そうですね」

 木村先生はさぐるような目つきで、わたしを見る。

「急に、思いついたのか?」

「はい」

「おれは、今回のことは三島らしくないと思ってる。なにか理由があるんじゃないか?」

 むっ。

 わたしは内心の焦りを気づかれまいと、力をこめて言う。

「買いかぶりです。わたしはこう見えて、いい加減なのです」

「そうかぁ? 堀内のまじめ度がC二等級だとしたら、三島はA五等級の黒毛和牛だぞ」

「……なぜ、肉の等級でたとえるのですか?」

「今日、給料日だろ。焼き肉を食いに行こうと思ってたんだ。だから、つい」

 まだ九時も過ぎていないのに、気が早い男性教師だ。

 わたしはおのれの評価を下げようと、一所懸命、頭をしぼる。

「まじめな性格のほうがキレやすいのです。何をしでかすか、わかったものではありません。どうぞ、お気をつけください」

「それは、まわりの人間が言うことで、本人の口から出る言葉じゃないぞ。やっぱり、あやしいな」

 えーん。

 日頃の行動があだになるとは……

 ここは、黙秘権を行使しよう。

「三島?」

 ボロが出るから、もう、しゃべらないぞ。

「おーい」

 わたしは沈黙を守る。

 すると、木村先生は眉をひそめて声を落とし、

「いいか。三島が会長にふさわしくない、という意見が今日の職員会議で出たんだ。このままだと、おまえは辞めなくちゃいけないぞ」

 ……本当に、そういう事態になるんだな。

 わたしは、口ではああ言ったくせに、実際には覚悟できてなかったかもしれない。

 情けないくらい、動揺してる。

 しかし。

 ここで、ひるがえすわけにはいかない!

 突然、はげしい音がした。

 ふり向くと、児童会室の戸が開いて、息を切らせた谷原さんが立っている。

 髪は乱れ、顔は真っ赤。

「会長は、悪くない、ですっ! あたしが勝手にやったんです!」

 ええっ!

 いきなり、何を言いだすんだ?

「た、谷原……?」

 木村先生も、わたし同様、驚いている。

 あの内気な谷原さんが、わたしにいつもおびえている谷原さんが……

 かばってくれている。

 わたしは、ぼう然としていたが、あわてて我に返り、

「木村先生、ちがいますよ。今回のことは、わたしがやったことで」

「待てーっ」

 叫びながら乱入してきたのは、柳葉君!

「谷原だけでイイ格好しようたって、そうはいくかっ。先生、おれもですっ。おれもやりました!」

「バ、バカじゃないのっ」

 谷原さんが柳葉君を小声で罵倒する。

 木村先生を見たら、笑いをこらえていた。しかし、すぐに表情を引きしめる。

「三島は、柳葉をかばっていたんだな」

 変更後のアンケート案を出してくれたのは柳葉君だから、ちょっとは真実に近いかもしれないが……

 確信を得ている木村先生にまちがいを指摘するべく、わたしが閉じた口を開こうとしたときだった。

「ぼくたち全員で決めたことです。責任は、児童会メンバー全員にあります」

 耳に心地よく響く、静かな声。

 山吹君だった。

 いつものようにひっそりとたたずんでいるが、その口が動いている!

「どうしよう、山吹がしゃべるの、聞いちゃった……」

 木村先生は乙女のように両手で顔を包み、大ショックを表現している。

「今日はよくないことが起こるぞ。南無阿弥陀仏」

 何なんだ、そのジンクスは!

 遅れて、奥山さんとアザミまでが登場する。

「わたしたちも責任をとります。会長ひとりを責めないでください」

 そんな心温まる台詞を言ってくれたのは奥山さんで、アザミは「われ関せず」という顔をして成り行きを見守っている。

 しかし、わたしが呼び出しを受けたことを、みんなに知らせたのはアザミにちがいない。

 ジーン……

 わたしは感動の嵐に包まれる。

 木村先生は困ったように後頭部をかいて、話をふってきた。

「どうしようかな?」

 わたしに聞かないでください。

 放課後、わたしたちは薄紙の束を一色ずつ受け取って、職員室から出た。

 これから、紙の花を大量に生産しなければならない。

 入学式・卒業式や運動会の飾りつけによく使われる、あの花である。

 児童会メンバーだけで、今度の学芸会に使用する花を用意すること。それが木村先生から課せられた罰だった。

 もちろん、お説教もくらった。

「この程度でゆるしてもらえて、よかったですねー」

 ニコニコしているのは、柳葉君だけだ。

 他のメンバーは、みんな、暗い顔をしている。

「あんた、どれだけ大変なことか、わかっていないでしょ」

 奥山さんがため息混じりに言うと、柳葉君はムッとしたように、

「花をつくるだけだろ。毎年やってるじゃないか」

 わたしは、申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、柳葉君に説明した。

「いつもは、三年生以上の各クラスにふりわけて、合計二〇〇〇個を用意しているんだよ。それを六人でやるわけだから、一人当たりのノルマは――ええと、三〇〇個以上だな」

 柳葉君、絶句。そして、奥山さんも、

「その数字を聞くと、落ちこみますね」

「……すまないね、ホント」

 わたしが不甲斐ないばかりに。

「みんなでやれば、大丈夫だよ」

 山吹君がおだやかに言う。

 何とも、耳に心地よい美声。

 どんよりした空気が一気に払われる。まるで人間清浄機だ。

 まあ、花作りでゆるされるのは、ありがたい。

 木村先生の言った解任うんぬんは、わたしに白状させるための方便だったのだと思われる。

 児童会室へ行き、作業をはじめる。

 テーブルに薄紙をならべてホッチキスを出し、それぞれ、紙の花をつくる。

 完成した花は、ダンボール箱へ入れていく。しかし、途中で箱がいっぱいになり、仕方なく、床に置いていく。

 室内はどんどん華やかになる。

 しかし、この単調な作業は……飽きるなぁ。

 最初の落伍者は、アザミだった。

 作りかけの花を放りだして、バッグを手に立ちあがる。

 柳葉君が気づいて、騒ぎ立てる。

「あっ。逃げる気だ。ずるい」

 しかし、アザミはすました顔で、

「適材適所という言葉を知らないの? 能力のあるぼくに単純作業をさせるのは、非常にもったいないことなんだよ。というわけで、ぼくは帰らせてもらう」

 いったい、何が「というわけで」なんだね?

 柳葉君は、わたしに助けを求めた。

「会長ぉー、なんとか言ってくださいよぉ」

「アザミの分は、わたしがやるよ」

 お姫様にこらえ性を求めても仕方がない。

 アザミはやや後ろめたそうだったが、結局は「じゃあね」と児童会室を出ていく。

 わたしは、不満げに口をとがらせている柳葉君に言った。

「柳葉君も、いやだったら、やめてもいいよ。もともと、わたしが悪いんだからな」

「うう、やりますぅ」

 アザミとは違って、柳葉君は優しいのだった。

 ノックの音がした。

「どうぞ! お入りください」

 奥山さんがこたえると、戸が開けられた。

 廊下側に立っていたのは、真矢ちゃんだった。その背後には、井上君と内田君の姿が見える。

「あたしたちも、手伝っていいかな?」

「ありがとう。助かるよ」

 わたしは内心の驚きを隠しつつ、テーブルの上に出してある薄紙を指さした。

「材料はそれだ。紙を重ねて山折谷折をくり返し、真ん中をホッチキスで止めてくれ。そのあと、一枚ずつ広げれば完成」

 奥山さんが気をきかせて、左隅の棚からホッチキスを三つ取りだした。

「もとはといえば、おまえらのせいなんだからな。しっかり働けよっ」

 柳葉君は、この単調な作業に飽きていたようで、井上君たちにからみはじめる。しかし、すぐに奥山さんに叱られた。

「あんたも、余計な動きばっかりしてないで、手を動かしなさい」

「あの子たち、姉弟みたいだね」

 真矢ちゃんが笑いながら、こっそりと言う。

 今朝のやりとり以来、言葉をかわすのは初めてだ。

「ごめんね……」

 真矢ちゃんはまじめな表情になってあやまった。

 奥山さんがふしぎそうな顔で、

「鈴木先輩は、何にもしてないんですよね? どうして、そこまで気にするんですか?」

「井上君たちは、技術クラブの課題のつもりで作ったの。だから、課題を出したあたしも悪いし……」

「どういう課題ですか?」

「ウェブ・アプリケーションの研究」

 ふつう、だよな。

 井上君たちがコトコのサーバからデータを盗みだしたことは、やはり、真矢ちゃんには何の非もないだろう。

 しかし、彼女は、紙の花を作りながら、ゆっくりと言葉をつむぐ。

「技術クラブって、ものづくりなら何でもアリって感じなんだけど、前のクラブ長はコンピュータに詳しい人だったの。部品を買ってきてハードも作るし、ソフトウェアもプログラミングしちゃうって人で。だけど、あたしは、そういうの全然だめなんだ」

 真矢ちゃんは長い息を吐いた。

「前のクラブ長だったら、こんなことになる前に、二人を止められたと思う……」

 自分がダメだから、という負い目。

 わたしもその気持ち、わかる。

 ホーリィ先輩だったら、もっとうまくやれるだろう――と思ったことが何度もあった。

「それに、あたしは、井上君たちをかばうことで、頭がいっぱいになっちゃった。三島ちゃんの邪魔したりして……本当に、ごめん」

「前任が偉大だと、けっこう、プレッシャーだよな」

「だね」

 真矢ちゃんは同意し、それからこわごわと、

「これからも友達で、いてくれる?」

「もちろんだ」

「……ありがとう」

 わたしたちは視線を交わして、にっこりした。

 そのとき。

「楽しそうだなー」

 ひょいと覗きこんだ、そのお人こそ、ホーリィ先輩だった。

 何の前触れもなく、ふらりとやって来るところが、この人らしい。

 中学校の授業を終えて帰宅せずに来たようで、深緑のブレザーと同系色のチェックのズボンという制服姿だった。ネクタイをゆるめ、シャツの第二ボタンまではずしている。

 ……ビックリした。

 震度三の地震程度ぐらいには、おどろいた。

 しかし、それを気づかれるのは、なんとなく、くやしいので、わたしはそっけなく応じる。

「花作りを手伝いたければ、どうぞ。大歓迎ですよ」

 しかし、ホーリィ先輩はさわやかなほほえみを浮かべて、「やめとくよ」とあっさりと断る。

 全員がホーリィ先輩を見ていた。

 前年度の児童会会長だとわかるんだろうか。

 それとも、中学校の制服がめずらしいんだろうか。

 ……いや、どちらも、ちがうな。

 ホーリィ先輩は、なぜか、人の目を惹きつけてしまう。

 わたしには、どうやったって、真似できない芸当だ。

 心の片隅がチクリと痛んだ。

 わたしは手の動きをとめず、正方形の薄い紙を重ねながら聞いた。

「いったい、何をしに来たんですか?」

「かわいくない後輩の顔を見に来たんだよ」

「冷やかしなら、いりません」

 こんなふうにあしらっても、ホーリィ先輩は上機嫌のままだ。

 勝手知ったる顔で室内を歩きまわり、一人ずつ、気さくに声をかけている。前年度の児童会メンバーである山吹君とわたし以外は、初対面のはずだが、ためらう様子はみじんもない。

 人見知りのわたしからすれば、心臓に毛がはえているとしか思えないふるまい。

 こういうところ、見習いたいんだよなあ。

 しかし、難しいんだよぉ。

「こ、こんにちは」

 うわずった声を聞いて顔をあげると、円井さんがいた。

 なんだか熱があるみたいに、顔が赤い。

「堀先輩、おひさしぶりですっ」

 ホーリィ先輩は、一呼吸置いて、

「……ああ、うん。ひさしぶりだねー」

 絶対、覚えてなかったな。

 でも、円井さんは気づかないようで、目をキラキラさせている。

 恋する乙女の表情だ。

「きみも、児童会のメンバー?」

 ホーリィ先輩が聞くと、円井さんは細い首を力強く縦にふった。

「はい! 臨時委員になりました」

 えっ……

 知りませんが……

 円井さんがわたしに目配せを寄こす。

 もしかして、彼女が言ってた「頼み事」って、これかあ?

 ホーリィ先輩とお近づきになりたかったってこと?

 まあ、いいや。労働力が増えるのは大歓迎だ。

 円井さんは、床に手をつきかねない勢いで、

「ふ、ふつつか者ですが、よろしくお願いいたしますっ」

「三島のこと、よろしくね。助けてやってよ」

 ホーリィ先輩は、内心では「変わった子だな」ぐらいは思っているはずなのに、表情には出さないところがさすがだ。

 円井さんは、はりきって言う。

「三島さん、あたしも手伝うわ。何したらいいのっ?」

 わたしが手順を説明すると、彼女は花を踏まないように気をつけつつ、ホッチキスを取りに行く。

 ホーリィ先輩はわたしの隣に戻ってくると、にこにこしながら言った。

「いい感じで、やってるみたいだな」

「そう見えますか」

「ああ。三島なら、きっと、うまくやれると思ってたよ」

 うそつきめ。

 わたしは、ホーリィ先輩がいかに適当か、知っている。

 三島佐井子だからうまくやれる――そんな台詞は、たった今、思いついたものに違いないのだ。

 だが、わたしは、ちょっとうれしかった。 

「三島、どうだ? 楽しいか?」

「はい。おかげさまで。ホーリィ先輩がいませんから」

「おまえは、本当に、かわいくないなぁ」

 ホーリィ先輩はぼやくと、手を軽くふって、廊下へ出ていく。

 さよならも言わないところ、昔と同じだ。

 また、気まぐれにやって来るのだろう。

 わたしはそう思いながら、室内を見回した。

 みんなでワイワイと、ぐちをこぼしつつ、紙の花をこしらえている。

 にぎやかだ。

 顔ぶれは違うけれど、わたしが好きだった、あの瞬間のように。

 光がいっぱいで。



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