されど龍水は何をみせるのか
雄介が水龍退治の再開を提案したのは夕食の時間の時だった。
食堂でテーブルを挟んで向かい側に座る宗助は唖然とした表情をして雄介の顔を見つめている。彼の隣の真理でさえも宗助と同じような表情で「言っちゃったよコイツ…」とでも言いたげな顔をしていた。
「い、一体何を言い出すんだ。君は昨日の事を…」
「勿論忘れた訳じゃありませんけど、宗助さん達はどうするんですか?」
「どう……って」
「喪に服すことも確かに悪いことじゃあない。しかし、ここで水龍を倒さないといつこの辺りがやられるか……」
正論を突かれた宗助は急に押し黙り、雄介から目を逸らす。
確かにそうだ。生存者がたったの二名、その帰還だけでも儲けモノなのだが元を絶たねば同じことの繰り返し、いやそれ以上の惨劇が起こり得る可能性もある。そのままでは埒が明かない。
ならば取るべき道は一つ。
「水龍を倒す。ただそれだけだ」
鞘に納めた刀を目線の高さに持ち上げた。刀を見据える雄介の眼は一切の曇りもなく、視線は真っ直ぐ刀に向けられていた。
どうやら本気らしい。そう感じ取った宗助は雄介の度胸を素直に称賛したが、やはり思う事もある。
「しかし、例え少数で挑もうと死んでしまっては変わらない。それは君だって理解している筈だろ!」
声を荒げた宗助の言葉に、雄介はやはり考えを改める事はしなかった。
その時、一人の男があわただしい様子で食堂に入り宗助を見つけるなりいきなり声を上げた。
「宗助さん!戻って来た二人が意識を取り戻しました!!少しだけなら話は聞ける状態です」
その男のその報告に、宗助は「わかった」と短く返して、雄介と真理を残して後を追う。
臨時の医療スペースとなっている遊戯場に宗助が向かって行ったのを見て、雄介は刀を手に宗助とは別の方向へと歩き出す。水龍をやるつもりだ、と真理は確信して無言で彼の後を追う。
「……勝算、あるの?」
半目で雄介に真理が言った。しかし、雄介がどう応えようと真理は彼に付いて行くだろう。これまでもそうだし、これから先もそうだ。四聖銃はその為の物だ、飾りじゃない。
医療スペースの仮設ベッドの上には片足や片腕を無くした宗助の仲間が横になっており、時折呼吸が荒くなっていた。痛みが激しいのか、その呼吸は休まる兆しは見せない。
宗助は彼の汗を拭いながら話を聞き出した。
弱弱しく語るその男は、記憶が鮮明に蘇ると共に過呼吸を引き起こしながらも必死に言葉を紡ぐ。
「や、奴が出た瞬間……俺たちは一斉に引き金を引いた。ああ、引いたんだ!だけど……!!」
「まさか、特殊鉄鋼弾が効かなかったのか?!だとしたら、どれ程強靭な体表なんだ…」
切り札とも言える武器が効かなかったことに唖然とし、原因を思案する宗助だったが、そうじゃないと男は直ぐに否定する。では何なのか。真相は何だったのか。神妙な面持ちで語る男の真相に、宗助の表情は段々と険しくなっていく。
語り終えた男は憑き物が落ちたかのように眠りについた。安らかな寝顔の男とは反対に、宗助は苦い顔をしたままだ。信じていた予想は大きく覆ったのだ。
その時だ。宗助の仲間の一人が、雄介と真理が水龍退治に向かった事を伝えに来たのだった。
袋田の滝はダイゴタウンの名物の一つ。四季折々の違った美しさを見せるこの場所は、水龍の登場と共に地獄と化した。
夜である事を差し引いても、周辺の民家や宿屋、更には土産物店には既に人はいない。所謂ゴーストタウン状態のここに足を踏み入れたのは、ホテルから抜け出した雄介と真理の二人だ。
「さてと、ここまで来たんだ。腹を括るしかないな」
「うん、そだね雄介」
二人の目の前には袋田の滝を臨む観瀑台に続いているトンネル入り口。もう一つの入り口がある滝のすぐそばのつり橋に通じる道は、先の襲撃の際の備品や装甲車の残骸で塞がっていた。とても人が通れるとは思えない。恐らく、その奥には死体が多く転がっている事だろう。
その道は通らず、二人はトンネルの中を進んでいく。
入った途端僅かながらではあるが死臭が漂っており、奥の凄惨さが容易に想像できる。
ペンライトを片手に奥へと進む。
トンネル内には等間隔に設置された蛍光灯が淡く点灯していたが、トンネル全体を明るくするには足りなず、奥の方は暗く判断がし辛くなっていた。
「やっぱペンライト用意して正解だったね」
先を歩く雄介の背中に向けて真理が言った。備えあれば患いなしとはこの事だとよく言われるが、実際にその通りだと彼女は改めて実感する。
「文字通り一寸先は闇だけどな」
歩みを進めながら前方だけを見る。奥に進むにつれ血生臭さが鋭くなっていき、自然と鼻を腕で覆い隠す格好になってしまう。
第一観瀑台に近付くにつれ、視界に人間だった肉の塊が段々と入ってくる。壁や天井にべったりと血が染みついており、蛍光灯にも血痕以外に僅かながら肉片すらも付着していた。ここが再び観光地に戻るには水龍を倒したとしてもかなりの時間が必要になるだろう。
そして、赤い肉の塊の山と月の光に照らされた袋田の滝が二人の前に現れた。
酷い死臭に耐えつつも、雄介は鞘から刀を抜き真理は玄武と白虎を構え警戒を怠らずに周囲を、特に滝周辺を見回した。
静かに滝の音しか聞こえないこの空間に嫌に重たい空気が漂い始めた。
すると突然、滝の方から流れる音とは違う獣の様な鳴きごえが轟いた。
滝壺から勢いよくそれは現れた。けたたましい鳴き声が辺りを振るわせ、月の光も相まってその美しさをより引き立てていた。何より注目すべきは、その異形の身体だった。東洋龍のように細長い身体に、これまた細長くともしっかりとした形の腕。そして、身体全体が水で出来ていた。
これこそが、袋田の滝に住まう水龍。全身がその滝の水で形成されているにも関わらず、眼光は相手を射殺さんとばかりに鋭く輝き、遠くまで響く様な高い鳴き声が雄介と真理の前に現れる。
「な、なな……何なのよさコイツはぁ!!」
叫ぶと同時に引き金を引く。真理が放った弾丸は岩と風を纏いながら水龍の眼を撃ち貫いた。が、撃ち貫かれた筈の眼は元の形に戻っていた。
お返しとばかりに水龍の口内から細い水の線が吐き出された。間一髪避けることが出来た二人は、それまで自分たちが立っていた場所を見て一瞬だが背筋が凍ったかのように感じた。壁や床が水で湿っているだけでなく、刀傷の様に一直線に斬られていた。
「全身が水で構成されているから水龍って訳かよ!ならどうやって切り捨てる…」
「考えてないで隠れるんだよぉぉっ!!」
水龍が追撃の動作を見せた所で、真理が水龍の対策を考え込む雄介の襟首を強引に引っ張って、第二観瀑台へ通じるエレベーター方面の物陰に逃げ込んだ。分厚いコンクリートではそう簡単に流水カッター(真理命名)は通らないだろうと踏んでの事だ。
水で出来た身体では例え切り刃物で付けても、銃弾などで撃ち抜いても、恐らく爆破してもすぐに元に戻るだろう。ならばどう対処すべきか。問題はそれだけなのだが、下手をすれば流水カッターを受けて骸の山の一部になるだろう。しかし、いつまでも物陰でじっとしていては宗助にああ言った手前水龍を倒さなければ元も子もない。対処法さえあっても、即座に倒せると言う訳でもない。
思考を巡らせ、如何に水龍を討伐するかを思案する雄介の肩を真理が小突く。顔を向けると、彼女は雄介の握っていた刀に顎をしゃくってみせた。視線を向けると『幽』の字が強く光り、『水』の字が淡く光り輝いていた。
『幽』の字から放たれた光は骸の山へ線状に繋がった。すると骸の山から人魂が生まれ、雄介達に近づいてきた。日光で『幽』の字の力を手に入れたあの時と同じ現象だ。あの時はバジリスクに食われた女性の魂と会話できたことから、『幽』の字の力は死者との会話なのだろう。
『あの水龍はただ闇雲に攻撃を仕掛けても無駄だ。一瞬だったが本体らしき物体が見えた』
更にその人魂が言うには、本体は滝壺から竜の頭まで移動する上に、本体の色が青い色をしている為特定がし辛いのだ。この事は宗助たちが保護している負傷者も知っている。
『我々がその本体に気が付いた時には既に戦力は半分以下に減っていた……』
「え、じゃあ……」
たった二人でここに来たことは無謀だったと言う事なのだろうか。だが無謀だろうと二人は最後までやり遂げるしかないのだ。
しかし、勝算が無い訳でもない。死霊使いと九尾の時、刀身に少し触れただけで該当する字に封印された事がある。否が応でもそれしか道はない。
「朱雀で蒸発、白虎で吹き飛ばすからね」
「頼む……」
玄武を朱雀に取り換え残弾を確認しつつ減った分だけを補填。その銃身が僅かながら月の光を反射して煌めく。
刀は死者との交信を終えると今度は『超』の字が淡く輝きだす。試しに振るえば刀身は実体のある残像を生み出した。
準備は万端だ。水龍の鳴き声で震える空気をこの身に感じながらも、二人は立ち上がる。
「エレベーターが無理なら……」
「正面突破だ!二手に分かれるぞ!」
「あいさー!」
言ってすぐに二人は行動に移した。二人の姿が水龍の視界に入ると、まず水龍が狙ったのは雄介だ。狙いを定め、水龍が流水カッターを吐き出そうとしたその瞬間、真理の撃ちだした白虎の弾が口に、朱雀の弾が喉元を撃ち抜いた。風と炎の弾丸は当初の予想通り、着弾箇所は破壊され頭部は失われた。
仕留めたか!ニヤリと笑みを浮かべながらそう思い込んだ二人だったが、直ぐに苦い表情を浮かべる。
頭部を失ったはずの水龍は息絶えるどころか、逆再生するかのように頭部は元の状態に戻ってしまったのだ。
「何なのよさー!」
叫びながら朱雀と白虎の引き金を引きながら頭部は勿論人間でいう喉元を重点的に何度も何度も狙い撃つが、蒸発しても吹き飛ばされても直ぐに元の状態に戻っては何度目かの咆哮を上げる。
「落ち着け、さっき聞いたろ本体を潰さなければ倒せないんだよ!」
「だってだって、水龍口からびゅーって、びゅーって水吐き出すから!!」
「だからそこに本体があると思ったんだろ?ならハズレだなっ!」
またも壁に隠れてやり過ごす事にする二人。先程からこれしか出来ていない気がして来て苦い表情を浮かべる雄介。何か策はあるか、と思案しているその時、雄介のマナーモード中の携帯に着信が入った。画面をのぞき込むとそこには見知らぬ番号が表示されていた。
「誰からだこんな時に……はい」
『雄介君か?俺だ宗助だ』
「そ、宗助さん?!何で俺の……いや、今はそれよりも…一体どうしたんです?」
『生存してきた俺の仲間から水龍の弱点を聞いた!奴には本体がある!しかし、重要なのはそれじゃないんだ!』
曰く、水龍の本体は流水カッターを吐き出す時にだけ頭部に移動していると言う。つまりは一番危険な状態が一番の弱点と言えよう。
しかし、たった二人のこの状況にそれを踏まえた上で倒す事は困難極まりないだろう。
『だから一度ホテルの方で作戦を練ろう!今こちらに戻れるか?』
「分かりました!真理、一旦離脱するぞ!」
「あいさー!」
一応真理にも電話越しの宗助の声が聞こえていたのか、特に反論するでもなく即座に返事をして撤退行動に入った。
獲物に逃げられた事を悟った水龍は苛立ちを秘めた咆哮を何度も上げ続けるしかなかった。
続く