5話
事情聴取も済み、自分は結局何の罪にもならず、警察署から出て行くと、またぶらぶらと歩き出した。
もうあの家には二度と戻れない。
また元の生活に戻ってしまう・・・
この数日間の出来事が、まるで夢のように思えてきた。
何もなかったんだ・・・
今までと同じ。
過去の出来事など、心の中から追い出してしまえばいい。
ふらふらと歩いた。
今自分が何処を歩いているのかも、自分が今歩いていることさえもわかっていないような・・・
自分の心が遠くに行ってしまったのを感じた。
『あら?あなたは』
後ろから声をかけられて振り返ると、小走りで看護婦が近づいてきた。
横を見ると、自分は病院の前まで来ていた。
『あなたのおかげで手術は大成功よ。西東さんも元気になられたわ。良かったら会っていかない?』
自分の足は、素直に病院の方に向かった。
過去のことにして、心の中に収めるつもりなのに、男の母親に会ってどうする気なのだろうか。
『ここよ。西東さん。入りますね』
看護婦は明るい声で言った。
『それじゃあ、帰るときに受付で声をかけてね』
『はい・・・』
自分は何故ここに来たのだろうか。
そう思いながら、部屋の中へ入った。
『あなたね。ありがとうね』
優しそうな母親だった。
『いえ・・・』
自分は今、意図的に感情を押し殺している。
『司郎のお友達?あら、それとも彼女かしら』
母親は嬉しそうに言った。
自分の感情が、また溢れてきそうだ。
『ただの知人です・・・』
『そうなの。あなたは優しい子ね。どうか、司郎と仲良くしてあげてくださいね』
母親は笑顔で言った。
事件のことは何も聞いていないのだろうか。
『あの・・・』
自分は何をしようとしているのか。
母親は不思議そうに自分の顔を見た。
『いえ・・・司郎さんは、とても優しい人ですね。あなたに似て・・・よっぽど良い家庭で育ったって、よくわかります』
自分は何を言っているのだろうか。
もう、何も興味を示してはいけないのに・・・
『嬉しいわ。あなたの家族も優しい人たちなんでしょうね。あなたを見てるとわかるわ。とても優しくて、可愛い子だわ』
『優しい人ですよ。それじゃあ、また・・・司郎さんと来ますね』
自分は何を求めているのか。
他人に気を使うことも、何年ぶりなのだろうか。
いや、こんな気何か使ったことはない。
受付に向かうと、看護婦が笑顔でこちらに来た。
『少し外に出ましょうか』
『はい・・・』
何か理由があるのだろう。
きっと手術費用のことに違いない。
『あなたはどうして、西東さんに優しくするの?あの人には会ったことないんでしょ』
看護婦の問いかけは、自分の想像とは違った。
『優しくしたつもりはありません』
『なら・・・どうして病院までお金を運んできたの?』
『それは・・・』
あの男と一緒にいたかったから・・・
『人間はね。一人じゃ生きていけないのよ』
『えっ』
『一人で暮らせてきたつもりでも、その間は何も楽しくなかったでしょ。人間は、人間と触れ合って、初めて楽しい人生を送れるのよ。
あなたもそれを見つけたんでしょ』
この看護婦が、自分の何を、どこまで知っているのかはわからないが、何もかも見透かされている気がした。
『だけど、また一人になりました。私は結局一人なんです・・・一人で生きていかなければならない人間なんですよ』
自分は苦笑混じりに言った。
『あなたには仲間が出来るわ。素敵な仲間が・・・あなたが他人と関わらないようにしていたって、きっとまた西東さんのような人が現れるわ』
看護婦の言葉には、信憑性が感じられた。
近い未来にそんなことが起こるのかもしれない。
だけど、自分の心には、司郎さんと一緒にいたいという気持ちがあった。
彼にどんな思いを抱いて、自分はあの人に執着したのかはわからない。
ただ一人が寂しかっただけなのかもしれない。
『あなたは自分にとって、特別な存在の人しか一緒にいたいとは思わないと思うわ。あなたの心を奮わせるような、あなたの心を温めてくれるような、
きっとそんな人しかあなたは求めていないわ』
まるで心の中を読まれたかのようだ。
看護婦の言葉は本当なのかもしれない。
自分は何故かそう思った。
あれから数ヶ月が経って、私は高校生になった。
自分が今までいた場所は、自分が今まで他人を避けていたのは・・・
私には友達が出来た。
あの惨劇が起こる前と同じように、あたしは友達と笑顔で言葉を交わせるようになった。
こんなこと、もう二度と出来ないと思っていた。
自分はこれからもずっと、一人ぼっちなんだって思っていた。
でも、それは違っていた。
『レイ、おはよう。昨日さ彼と出かけたんだけどね』
『相変わらず仲良いね。羨ましいなあ』
『何言ってんのよ。レイにもいるんでしょ?約束してる人が』
『そう、だね』
あたしが高校に行く気になったのも、あたしが他人と笑って話せているのも、全部あなたのおかげです。
今は生きていることが楽しいって感じられます。
今日を過ごすのも、明日が来るのも楽しみで仕方がありません。
あなたは私に素敵なものをいくつも与えてくれました。
何も出来なかった私だけど、あなたが戻ってきたら、私はきっと素敵なお返しをします。
あたしは今も、いや、今は、そしてこれからも家族と共に過ごした家で暮らそうと思っている。
いつか、彼が帰って来たら、あたしが笑って出迎えてあげられるように・・・
心配してくれていた彼に、もう何も心配することはないと、友達と共に安心させてあげられるように・・・




