4話
それから数日後のことだった。
すっかり夜も眠れるようになった自分は、朝何処か寒さを感じた。
目を覚ましてみると、男の姿が見当たらなかった。
ひょっとして何処かに逃亡でもしてしまったのだろうか?
自分は男が捕まってしまう恐怖よりも、男がここからいなくなることに猛烈な恐怖を感じた。
『何処?何処?』
自分は子供が親を捜すかのように男を捜し始めた。
リビングに行ったが姿はない。
その時、階段から足音が聞こえた。
自分がとても安心してることに気がついた。
『起きたのか。勝手にすまないな』
『勝手に部屋から出ないでくださいよ』
『えっ』
男は驚いた顔をした。
『いや、すまん。家から出たわけじゃないんだから、それぐらい、いいだろ』
男は苦笑しながら言った。
『すみません』
自分は何を言っているのだろうか。
最近の自分は理解出来ない。
そのことにさえも、恐怖を感じた。
『今日までにお金を持っていけば、予定通りの日に手術が出来るんですね』
『ああ』
男は暗い調子で言った。
『やっぱり俺が行く』
『そんなことをしたら、成功するものも失敗してしまいます。事件から何日経ったと思ってるんですか?
あなたに対する警備は厳重になっているでしょう。特に病気の母がいるとなれば、病院には警察が張り込んでるに決まってます』
男は、自分の言葉を聞くと項垂れた。
最悪の事態を想像したのだろう。
『自分が行くので心配しないでください。自分の役回りはきちんと考えていますので、心配しないでください。
自分は絶対に捕まりません』
どちらが犯人なのかわからないような台詞を吐いて、自分は人通りのないことを確認しながら、外へ出た。
もう何年もこの家には帰っていない。
そんな自分がいきなりこの家から出て来れば、目立ってしまう。
こんなところで気づかれては、もともこもない。
自分は少しだけ変装をしていた。
マスクをつけ、伊達眼鏡に、ニット帽を被った。
大通りに出れば、タクシーを拾えるだろう。
そこまでの道で誰とも出会わなかったからか、自分の警戒は緩んでいた。
やっと大通りに行くと、スーツを着た男が近づいてきた。
『失礼ですけど、お名前を聞かせていただけませんか』
『あなた誰ですか』
うかつだった。
こんなところで失敗してはいけない。
慎重に言葉を選びながら、同時に策も考えた。
『これは失礼しました。私はこういうものでして、ある女の子の捜索をしているんですよ』
男は警察手帳を見せると、今度は手帳の中を確認しながら、丁寧に言った。
『本屋での強盗事件は知っているかな?その時に人質として連れて行かれた子の容姿や、体格が、あまりにも君にぴったりでね』
『そうですか・・・私は事件のことを知らないんで、協力とかできることないんです。すみません』
私と言ったのは、何年ぶりだろうか。
『そうかい。実はね・・・人質の少女の身元も、マダ割れていないんだよ』
自分はその言葉に、思わず驚きそうになった。
ここで表情を変えれば、絶対に怪しまれる。
『大変ですね・・・』
早くこの男は離れてくれないだろうか。
『悪かったね。引き止めて』
『いえ』
やっと解放される。
自分が安堵すると・・・
『ところで、今から何処に行くのかな?』
男は更に質問をしてきた。
『友達のところです』
『そうかい。それじゃあ気をつけてな』
男が離れると、タイミング良くタクシーが来た。
安心したようにタクシーに乗り込んだ。
病院に行く前からこんなことでは、先が思いやられる。
タクシーに乗りながら、あらゆる事態に備えての策を考えた。
タクシーを乗ってしばらくのうちに、嫌な予感がした。
後ろを振り返ると、数十分前に見たものと、同じ黒い車が後ろにいた。
もしかして・・・
自分は少し焦りながら考えた。
今ならマダ道の変更は出来る。
適当な繁華街に行って、ゲーセンにでも入れば、怪しまれることもないだろう。
自分が後ろを振り返ったのは、一つ目の信号のときと、今だけだ。
車の存在に気づいたとは、相手も思わないはず・・・
それから数分してから、運転手に行き先変更を告げた。
病院まではこの道からでは真っ直ぐ行けば到着する。
ここで曲がって、後ろの車はどういう対応をするのだろうか。
あまり後ろを見すぎては怪しまれると思い、自然にサイドミラーを確認した。
黒い車は着いては来なかった。
病院で待ち伏せでもするのかと思ったが、意外なことに黒い車はUターンした。
自分の思い過ごしだったのだろうか。
そこからあえてぐねぐねした道を通って、無事に病院に到着することが出来た。
病院の前には警察はいなさそうだ。
警戒のレベルを上げながら、ゆっくりと受付まで向かう。
マスクをしてることをいいことに、自分は受付の人に近づいて、ぼそぼそと話した。
『西東陽子さんの手術費用を持ってきました』
受付の人は表情一つ変えずに、『お名前を確認させていただきますね』と言った。
病院には話しを通してないのだろうか。
自分は適当な偽名を言った。
『西東さんとはどういった関係でしょうか?』
相変わらず表情を変えずに尋ねてくる。
『昔近所に住んでて、お世話になったんです』
『そうですか。それでは現金は主治医の方に直接渡してください。今は現金払いは少ないんで、安全の為に』
看護婦はそう付け加えると、主治医のいる部屋に案内した。
『正直困ってたんだよ。手術なしに助けることは難しいからね。こんな天使が来てくれて、きっと西東さんも喜んでるよ』
病院とは、こんなにも暖かい場所だっただろうか。
主治医に現金を渡すと、自分は足早に部屋を出た。
受付の看護婦が、自分に微笑みかけてくれた。
少し胸が痛むのを感じた。
何に対して胸が痛いのだろうか。
犯罪者に手をかしていることだろうか。
それとも・・・
ここまで来れば捕まったってかまわない。
自分は半分そう思い、半分は捕まりたくないと思っていた。
今の日常がいつまでも続けばいいのに・・・
タクシーに乗りながら、自分は何故だか男との出会いを振り返った。
この世に運命が本当にあるのなら、自分と彼が出会ったのは運命なのだろうか。
男は自分に色んなものを与えてくれたように思う。
それが何なのか、はっきりとはわからない。
タクシーから降りると、自分は何故か、一抹の不安を感じた。
誰かに会うこともおかまいなしに、自分は家まで全速力で走った。
こういう時の不安は、どうして当たってしまうのだろうか。
二度目の光景・・・
家の前には数台のパトカーが止まっていて、大勢の野次馬がいた。
この家は呪われている。
そんなバカみたいなことを考えた。
男はどうしているのだろうか。
自分は迷いもなく野次馬の中を突っ込んで、とうとう先頭に立った。
あと少しでロープが超えられる。
だが、必死に警官の手が自分をロープの中には入れてくれない。
『ここは私の家です。入れさせてください。あの人は、あの人はどうなったんですか』
冷静ではいられなかった。
自分が何を言っているのかも、わかっていない。
『お願いします。入れてください』
後ろからスーツを着た男が近づいてきた。
『やっぱり君だったんだね』
さっきの警官だ。
『少しだけ君に時間をあげるよ』
男はそういうと、ロープの中に自分を引っ張った。
自分はその行動の驚きよりも、中に入れたことが嬉しかった。
扉の前まで向かった。
そこには鍵がかけられていたが、自分はここの住人だ。
迷うことなく鍵を開けると、中でまた鍵を閉める。
自分は真っ先にあの部屋へ向かった。
男が部屋の隅でうずくまっていた。
『すみません。自分が甘かったです。すでに厳重な警備だったんです。すみません』
男は顔を上げようとはしなかった。
さっきまでこの人は自分を心配してくれていた。
さっきまでぬくもりを与えてくれた。
なのに、自分は・・・
『本当にすみません』
何も言う言葉がみつからなかった。
『いいんだ』
男が呟いた。
『いつかはこうなる運命だったんだ。いや、お前がいなきゃ俺はとっくに捕まってたよ。金は運んでくれたんだろ。
あの金で手術が出来るのかは、わからねえが・・・お前には感謝してる。謝るのは俺の方だ。巻き込んですまなかったな。
お前は俺に脅されて金を運んだって言えよ。お前が罪を被る必要はないからな』
男は顔を上げて、優しくそう言った。
何故だか涙が溢れてきた。
『いやだ。嫌だよ・・・どこにも行かないで、ずっと一緒にいてよ』
自分が何故こんなことを言っているのかわからない。
『お前・・・』
『私を一人にしないでよ。もう一人は嫌だよ。何で、何で皆どっかいっちゃうの?どうして私は一人なの?』
今まで無意識に押さえ込んでいた感情が、溢れて止まらなかった。
『お前・・・やっぱり一人は嫌だよな。でも、俺にはどうすることもできねえよ』
『一緒にいてよ。捕まらないで』
この状況でそんなことが無理なことはわかってる。
『俺何かと一緒にいたって、仕方ねえだろ』
『そんなことないよ。家族と一緒にいたときみたいに、すごく楽しかった。あなたの優しさ嬉しかったよ。あのね・・・
私の名前ね。川杉レイっていうんだよ。司郎さん』
『そうか』
司郎さんは、優しく微笑んでくれるだけだった。
『お前には、これからいい仲間が出来るさ。きっと明るくて笑顔の絶えない可愛い子だったんだろうなあ』
司郎さんはそういうと立ち上がった。
ダメ。
行かないで・・・
でも、もう止められない。
私は同じように立つと、司郎さんをじっと見つめた。
『いつか俺が・・・罪を償って出てきたら、この家に来てもいいか』
涙が流れるばかりで、私はその言葉に答えられなかった。
『そんなに泣くと、可愛い顔が台無しだ。本当に悪かったな』
司郎さんは、そう言って私を抱きしめた。
最初の日に感じたぬくもりとは違っていて、暖かいのに、私の心は冷たいままだった。
このままずっとこうしていられたら・・・
『そろそろ時間だ』
警察はそのまま男を連れて行った。
自分の心の中は、また氷のように冷たくなってしまった・・・




