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みつばち潜水艦  作者: 酒田青
みつばち潜水艦のピンチ
8/8

ぼくの羽

「いいお天気ですねえ」

「そうだなあ」

 起きがけのブギーとブーンは、黄色い朝日を浴びながら、ぴかぴかつるつるの体を光らせていた。プラスチック製のおもちゃみたいな二人の体はとてもきれいに見えた。首の周りの柔らかそうなえりまきも、ブギーのは大きくて寝癖がついていて、ブーンのはタンポポの綿毛のように真ん丸にまとまっている。

 ぼくは開いた扉の向こうを眺め、ああ、まぶしいなとつぶやいた。こんなに健康的な激しい日光を浴びると、ぼくは白い灰になってくずれおちてしまう。もしぼくが吸血鬼だったならばね。

 みつばちたちはぎゃあぎゃあわめきながら壁に張り付いていた。みつばち潜水艦の内部は、相変わらずデコボコで、壁は見事な金色だったけれど、これもまた見事な大穴が天井に開いているのだった。みつばちたちはなんとしても早く穴を塞ごうと白いミツロウをベタベタやっていて、それは驚くべき早さで進んでいる。もう五分の一は白い新しい壁になっているのだ。何という勤労意欲。そして何という乱暴さ。

 新しい壁を作るとき、みつばちたちは持ってきたミツロウをおもいっきりバシャバシャと壁にぶっかけるのだ。かかったミツロウは大半がこらえきれずにドロドロ下に落ちる。壁が更にボコボコになるが、そんなのは小さなこと。気にしないのだろう。とにかく、少しずつ、壁はできていた。

「ブギー、手伝え!」

 ブンブン声のみつばちの一人がとがった顔を覗かせた。とにかくみつばちたちはいらだっているのだった。目はつり上がり、触ると痛そうなアゴは暴力的にせわしくうごめいていた。

「今行く。さあ、降りようか」

 振り向いたブギーに従って、ぼくはうなずいた。うすうす感付いていたけど、ぼくは役立たずだ。こうやって毎日ブギーにおもりをしてもらうしかないのだ。

「今日は赤ちゃんたちのお世話はありませんから、ご心配なく」

 見送るブーンの一言がぼくをますます落ち込ませた。

 ――ねえ、ブギー。

 あわただしいホールの上空で直射日光を浴びながら、ぼくらは浮かんでいた。ブギーの薄く透明な羽は、忙しく、かしましく羽ばたいていた。

「何だ? 頼みごとなら後でな」

 言えない。ぼくと遊ばない? だなんて。

 ぼくはブギーと遊びたいのだ。ブギーと一緒にブンブン飛び回ったり、あの穴からスポーンと飛び出て、海の上を滑空したいのだ。一緒に大きな花にとまって蜜を吸いたいのだ。

 でも無理だなあ。ブギーは忙しいのだから。

 ――後でね。

「おう」

 デコボコな床に近寄ると、ブギーはポイッとぼくを床に落とし、大慌てで天井に向かった。おしりはしましま模様があざやかで、ぼくはブギーのみつばちらしさがつまらなかった。

 ぼくが飛べたならなあ。

 みつばちと一緒に働けるから役に立つし、外に出て遊べるから今より楽しいだろうに。でも仕方ない。ぼくはみつばちたちの邪魔をして遊ぶしかない。

 うなだれたぼくは、トボトボとはちみつ貯蔵室に向かった。れんげ、いるかなあ。

 ***

 いつきてもここはひんやりしている。教会のきよらかさとは違う、かといって倉庫の死んだような静けさとも違う、生きたものが潜んでいるような無言のざわめきのようなものをこの場所に感じる。はちみつは半分なくなってしまった。圧倒的だった山積みのはちみつの瓶は迫力を失い、命そのもののようだった黄金色の透明な液体は、寂しげにうずくまっていた。

 ――あーあ。

 ぼくの小さな声はとても奇妙に辺りに響いた。まるで音が膨張しているかのように思えた。

「はーやく、早く!」

 小さなつぶやきが耳に届いた。ハッとしてドアを見た。はちみつ酒貯蔵室のドアだ。

 静かに歩いた。バタバタ歩けば何かを逃してしまいそうだった。ぼくは冷たいドアノブを手で暖めるようにそうっとつつんで、ゆっくりと回した。

「早く、早く、早く、早く」

 ひそひそと声は呼び掛けてくる。軽やかで響きがやわらかなその声は、ぼくを待ちどおしいくらいに待ち望んでいた。

 ――れんげ。

「どうしたんですか?」

 いびつな予感のようなものが頭の中を走って、ぼくはそのまま固まった。

「昨日いらした、人間のお客様ではありませんか」

 緊張しながらゆっくりと振り返った。ブートルートはまるではじめからそこにいたみたいに、ひっそりと立っていた。

「はちみつ酒貯蔵室に何か用があるんですか?」

 ――えーっと……。

 ブートルートの優しげな顔をじいっと見つめた。ブートルートはいぶかしげに首をかしげた。丸い目、小さなあご、賢そうな長い触覚。触覚はぼくを指差すかのようにぴくぴく動いていた。……ブートルートはごまかせない。ぼくの本能はそう言った。

 ――あのね、ブートルート。

「こらっ。だめっ」

 れんげだ。これはまずい。心臓が縮むくらい恐ろしい。かなり怒っている。「こらっ」は相当なレベルの怒りだと、ぼくの本能はまた言った。

 ――つまり、ブートルート、ぼくははちみつ酒を飲みたくてここに来たんだ。

 もう、のどがからからでさ。暇でしょうがないし、アルコールでもあおらないとやっていけないというか。飲まないと手がブルブル震えるんだ。禁断症状ってやつかなあ。いやあ、つらいよ。はちみつ酒ってすごくおいしいし、もう最高だよ。はちみつ酒を作る君たちも最高! 君達なくしては生きていけないよ、ぼく。

 …………………………。

 ブートルートはしゃべらなかった。じっとぼくの顔を見つめていた。その表情には、哀れみが浮かんでいた。ぼくって何てかわいそうなんだろう。つくづく思う。今日からぼくはアル中の小学生になる。働いているみつばちたちを横目にうろうろと遊び、酒を飲むろくでなしだ。

 れんげは爆笑していた。ケタケタとカスタネットみたいに。この声はブートルートに聞こえているだろうか。聞こえてないんだろうな。

「少しなら、飲んでいいですよ」

 ブートルートがやっとしゃべった。この上なく優しい目だった。ぼくを哀れむのは止めてくれ! と叫ぶのはあきらめ、ぼくはへらへらと笑った。

 ――ありがとう。いやあ、あのう、うん。

 はちみつが不足している時にこんなろくでなしを養うなんてやってられない、とか思うかもしれないけど、全部うそなんだ! 許して! と土下座したりはせず、ぼくは笑いながらはちみつ酒貯蔵室にさりげなく入った。ブートルートは怒っていなかった。他のみつばちならいきなり僕の脳天にでかい針をチクッとやるところだろう。少なくともブギーならやる。

 ブートルートは扉が閉じるのをじっと見ていた。頭に響くれんげの笑い声を、聞かせてあげたかった。

 ***

 はちみつ酒貯蔵室はいつも通りだった。静かで、金色で、そわそわした喋り声が聞こえてきそうだった。

 ――れんげ。

「なあに」

 声は遠くから聞こえてきた。無数のびんがひしめく広い部屋の奥から。

 ――どこにいるの。

「ひみつ」

 何を言ってるんだ。ぼくを呼んだのはきみだろう。固い床はぼくのスニーカーが踏みおろされるたびにきちきちと鳴った。ミツロウだ。今ごろブギーたちはみつばち潜水艦の穴をミツロウでふさごうとやっきになっていることだろう。ブートルートがさっきのことをみんなに言いふらしはしないだろうか。ぼくの頭は後悔で一杯になった。ブートルートがしゃべったりしませんように。

 ――れんげ。きみのためにぼくは途方もないうそをついたよ。

 ぼくはまっすぐにそろった瓶のすきまを奥に奥にと歩きながら辺りを見回した。

「知ってる」

 声は遠くでクスクスと笑った。

「もっとましなうそをつけばいいのに。アルコールあおらなきゃやってられないって、中年?」

 ――もう、うるさいなあ。

 きみが本当のことを言っちゃだめだと言ったからしょうがないじゃないか。

 ――何で言っちゃいけないの。

「え?」

 ぼくは圧迫するような狭い道を突き当たりまで進んで、角を曲がった。瓶は進めば進むほど古くなっていく。色が濃くなり、金色よりも赤に近付いていく。まるで、血のような。

 ――きみが寂しいのなら、みつばちたちがきみを知ってくれた方がいいじゃないか。

 瓶は埃を被っている。みつばちたちが奥の瓶を空けないなんてもったいない。お酒は腐らないのかもしれないけど。

 ――れんげ?

 何で黙っているんだろう。ぼくは一番奥の瓶にたどりついて、キョロキョロした。何にもない。

「ねえ、そんなこと言えるの?」

 声が思いもかけず近くから聞こえてきたのでギョッとした。耳元でささやかれたような気がした。

 ――わっ。

 体は瓶にぶつかって、耳が濡れたような瓶の壁にくっついて気味悪さに慌てて離れた。あたりは薄暗くて、とてもじゃないけど落ち着ける雰囲気ではなかった。……ホラー?

 ――何を言ってるのさ。早く姿を見せてよ。怖いだろ。

「そんなこと言っていいの?」

 背筋がゾッとした。この声は、ぼくの背中、つまりは瓶の中から聞こえていた。れんげって、もしかして……。

「私の姿を見て、そんなこと言えるの?」

 ぼくはおそるおそる振り返った。そこにいたのは――。

 ――なあんだ。

「え?」

 瓶のなかには何もなかった。はちみつだけだ。だけどれんげはいた。ふわふわした髪を舞い上がらせ、膨らんだスカートを揺らして、そこに佇んでいた。ただし、影として。

 夢とおんなじじゃないか、とぼくは思った。はちみつ酒の一番古い瓶は一番分厚い埃をかぶり、赤い中身は色に濃淡を作って女の子の形をした影絵を作っていた。影絵はほっそりとした手を頬に当ててため息をついた。

「驚かないの。つまんない」

 ――つまんないって、きみ、さんざんぼくに言ってたじゃないか。姿を見られるのが怖いって。

「怖かったけど、いざ見られてみたら、ぎゃーとかわーとか言ってもらえないとつまんない気がするわ」

 なんだそれ。

 ――きみの体ってさ。

「なあに。スケベなこと言うの?」

 れんげはオレンジ色のてのひらを瓶の壁にぴったり当てた。

 ――いやいや、きみの体って、つまりははちみつ酒のカスでできてるの?

 ……いわなければよかった。次の瞬間、ぼくは髪を逆立てたれんげを見ながら思っていた。何故だかぼくの体が宙に浮いている。

「カスじゃなくて」

 非常にドスのきいた声だった。ちょっと、女王に似ているかも。

「エキス」

 エキスとはずいぶんあいまいで都合のいい解釈だ。現実にぼくが見ているれんげの体には、ツブツブのはちみつの塊や古い花びらなんかが混じっているのだった。

 ――エキスエキス。そうそう、ぼくエキスって言おうとしたんだ。間違えた。

 体はどこにもぶつかりようがなかった。重力は僕のからだのどこにもかからず、ぼくは夢のなかにいるように逆さまになり、れんげと目が合い、……落ちた。ズキズキと痛む体とぐるぐると回る頭を抱えて立ち上がると、ぼくはよろけながられんげのいる瓶に手をついた。

 ――きみって不思議なことができるんだね。

 れんげはしゃがみこんで顔を手で支え、横目にぼくをにらんでいた。と言っても影絵なので目がどこにあるのかわからない。しかし何となく、視線みたいなものを感じる。

「私って、いろんなことが出来るのよ」

 ――だろうね。

「はちみつ酒を作るのは私。みつばちの安全を守るのも私。私がいるみつばちの巣は栄えるのよ」

 この騒がしいみつばち潜水艦の様子を思い出した。陽気にぎゃあぎゃあと騒ぎながら暮らしているみつばちを支えているのは、こんなに静かで寂しいところに一人いるれんげだったのだと思うと、いたたまれない気がした。

 ――大変だね。

「そうでもないわ。ときどきいたずらして遊ぶのよ。みつばちの夢を覗いたり、はちみつ酒を作らなかったり、光はちみつをはちみつ酒の瓶に入れてみたり、見習いみつばちがはちみつ酒の用意をしているときに瓶のなかにつきおとしたり」

 終りの方はそうとうやってるなと思いつつ、ぼくはとにかくうんうんとうなずいた。れんげは立ち上がってぼくのそばに立っていた。

 ――どうして今までみつばちたちに姿を見せなかったのさ。

「だってみんな怖がるわ。私はみつばちじゃないし」

 ――ぼくだってみつばちじゃないよ。

「色々できるからこわがられるわ」

 ――そんなこと。

「それにバレたら怒られることをかなりやってるのよ」

 ――……。

 さすがにそれはフォロー出来なかった。ぼくは長い年月遊びまくっただろうれんげの所業に思いをはせたが、やっぱりみつばちに怒られるだろうなと思った。

 ――じゃあ、ぼくが友達になるから、もう寂しくないね。

「そうね」

 れんげはにっこりと笑った。頬の形が丸く盛り上がったからよく分かった。れんげは、本当にかわいらしい形をしていた。

「一つ、願いを叶えてあげる」

 れんげはれんげらしくないことを言い出した。

「空を飛べるようにしてあげる」

 体が急激に熱くなるのがよくわかった。どうしてれんげはぼくの願いが分かったのだろう。可能性が見えた瞬間、ぼくは嬉しさで倒れそうになった。れんげはそんなぼくを笑顔で見つめている。

「というかそれしか出来ることが思い付かない。はちみつ酒を沢山飲ませてあげる、っていっても、大して嬉しくないわよね」

 それはそうだ。しかし、れんげの出来ることっていうのはみつばち潜水艦内のことだけなのかもしれない。れんげは嬉しそうにポーズを作っていた。グラビアアイドルばりのセクシーポーズで、合わせた手の人指し指をぼくに向けて止まっていた。ぼくはおいおい、それはないだろうと言いかけたが、れんげはそれにおかまいなしに続けた。

「待っててね。それっ」

 体がふわっと軽くなった。と思うと体は浮いていた。背中に不思議なものを感じた。これは、羽だ。見えない羽だ。音も立てずに忙しく羽ばたいて、静かに体を浮かせている。

 れんげは瓶の中でにこにこと笑っていた。ぼくはれんげに感謝した。嬉しくて嬉しくて、ぼくは部屋をヒュウヒュウと飛び回った。積み上げられた高い瓶の上も軽々飛べる。れんげは拍手してくれた。おめでとうと言ってくれた。更にそんなに喜んでくれて嬉しいわと言い、最後にはいつまで飛んでるのよ、もうあきあきなのよ、とっとと消え去れと罵倒していなくなった。

 仕方がないのでぼくは飛びながら部屋を出た。扉の前で考え事をしていたブートルートにぶつかり、謝りながらホールに出た。

 いきなりブカニロフにぶつかった。ブカニロフは驚きながらぼくを見、どうしたんだお主と言ってくれた。

 光り穴の光を浴びながら上に飛び上がると、ブーンにぶつかった。ブーンは急いでいたらしく、ぼくだということに気付きもせずに特別育児室に向かって飛んで行った。

 ぼくは次々とみつばちにぶつかりながらホールのてっぺんを目指した。みつばちたちはこんにゃろうとかべらぼうめとか言いながらぼくに体当たりした。

 最後にぶつかったのはブギーで、ブギーは一番やわらかな新しいミツロウのところにいた。ぶつかった勢いでミツロウに突っ込んだブギーに、飛べるようになったからって調子に乗ってあちこち行くのはよせと言われた。

 ぼくは空へと飛び上がった。潮の香りが強く鼻に押し寄せてきた。やっと壁を乗り越えて見えたのは、見渡す限りの青い海だった。雲は朝の光を浴びて桃色に染まり、空は微妙な色合いをかもしだしていた。陸は遠く後ろに小さく見え、ぼくは自分が住んでいた場所からかなり離れてしまったことを実感した。

 飛べるんだ。これからみんなのように飛んで、役に立てるんだ。胸が一杯だった。

 まあ、みつばち潜水艦に戻ったぼくは、ぶつかった無数のみつばちによって袋叩きにされるわけだけれども。


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