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みつばち潜水艦  作者: 酒田青
みつばち潜水艦のピンチ
6/8

モグラの巣

 はちみつ研究室を出たぼくとブーンが元気にホールをあるいていると、どこか近くから何かがごとごとという大きな音がした。ぼくとブーンは顔を見合わせた。上空を忙しく飛び回るみつばちたちも、仕事を止めてざわめいた。

 ブオオオン。とてつもなく大きな羽音がした。そして指令室の大きな扉が激しく開いた。

「お前たち、気を付けな!」

 女王が顔を出し、ホールに響く大声をあげた。と、その時だ。

 ガタン、ゴトン、ドカン!

 ぼくらの体はいきおいよくどこかへ飛ばされていった。嫌な感触がして、ぼくは何か目の見えないところに落ちたようだった。

 ――何だ? 何だ?

「大丈夫ですか?」

 ブーンの弱々しい声がする。その他のみつばちの、うめき声もする。

 ぼくは気付いた。ここは光り穴の中だ。とてつもなくまぶしい。体が、濡れている。息ができない。抵抗が強くて手足をかくこともできない。ぼくはただ焦りながらゆっくりと沈んでいく。

「大丈夫か!」

 誰かがぼくを引っ張りあげた。胸に空気が通ったような安心感だった。誰だろうと考えずとも分かる。この力強い足を持つのは、ブギーだ。ぼくはぬるぬるする光穴から生還した。気持の悪い、さっぱりしない生還だった。それに体はピカピカ光っているし、床はぐらぐらと揺れている。良くないことだらけだ。

 ――何が起こったのかさっぱり分からないよ。

 ぼくの言葉はきれいにブギーの耳を通りすぎていった。ブギーもブーンもびっくりするほど大勢のみつばちたちも、女王も一点を見つめて動かない。緊迫した空気だ。なのでぼくも同じところを見上げてみた。ホールの天井付近。何か大きなものがごそごそと動いている。

「やばいぞ……」

 ブギーが深刻な顔で呟いた。何がだろう。それにあれは何だろう。

「も……」

 ブーンの声はいつにもまして弱々しい。

「も……」

 も?

「モグラ!」

 叫びが形をなした次の瞬間、みつばちたちがわあっとざわめき始めた。

「早く逃げろ!」

「逃げようにも、みつばち潜水艦がとまったら……」

「とにかく動かすんだ。早く早く」

 モグラがどうしたっていうんだろうと呆けたぼくをよそに、みつばちたちは慌てて操縦室に向かった。しかしそうは行かない。

「お前たち。落ち着きな」

 女王がそこにいた。あの大きな体で、天井に陰をつくって。

「しかし女王様。モグラですよ。モグラが我々のみつばち潜水艦を狙っているのですよ」

 みつばちのひとりが言った。女王とは対照的にひどく焦っている。

「お前ね、このみつばち潜水艦がどれだけ大きいか、忘れたのかい。もうモグラごときが狙って手に入る昔のものとはわけが違うんだよ」

 ふたりのやりとりを見ていたブギーの顔はみるみる明るくなった。ぼくはブギーの背中を叩いて尋ねた。

 ――モグラが何をするのさ。

「俺たちを食うんだよ」

 あっさりとした答えにぼくはギョッとした。本当だろうか。本当だろうな。ここで嘘を言うブギーじゃない。だけど、どうやって食べるというのだろう。この固いみつばち潜水艦の壁をガリガリと削って……。

 ガリガリという音が聞こえてきた。何かものをかじるような音だ。みつばちたちは青ざめている。

 壁を削って穴を開けたら、後はどうなるんだろう。まずザアッと土が中に入り……。

 コリっというかわいらしい音を最後に、砂がザアッと光穴の周りに落ちてきた。女王がまさかという顔をした。

 それから、けむくじゃらで不細工な鼻のモグラの顔が顔をだし……?

 何かが穴をバキバキと壊しながら突っ込んできた。あれは……。あの顔は……。

 ブーンが裏返った声で叫んだ。

「クマだあー!」

 クマ?

 途端にみつばち潜水艦はパニックになった。皆があっちこっちに飛び回り、壁を光らせる整備係のみつばちたちが手にしたバケツを落とした。ぼくとブギーとブーンはボトボトと落ちるはちみつを浴びながら、呆然と天井から覗く顔を見つめた。

 クマは確かにクマだった。黒い濡れた鼻に小さくつぶらな目。口から牙は……覗いていない。目をキョロキョロさせ、何かを一生懸命探している。

 食べるのだろうか? むしゃむしゃと? バリバリと?

 ぼくはまた想像しはじめてしまった。

 みつばちなら一口で何匹も食べられるだろう。その音は……考えたくない。……ところで人間は?

 ぼくはハッとした。ぼくは今、みつばち潜水艦に乗った小さな人間なのだ。食べようと思えば食べられる。その場合どうなるだろう。かじられる? すりつぶされる? ぐしゃぐしゃ? にちゃちゃ? 気味の悪い想像がとまらない。


「いい加減にしな!」

 ――はい!

 返事をしたのはぼく一人だった。みつばちたちは皆ピシッと体を落ち着け、女王を見つめていた。

 そうだ。彼女なら何でも出来る。

 ぼくは急に安心感に包まれた。そうだ。女王なら何でも出来る。

「あたしが何とかする」

 女王は落ち着き払って言った。みつばちたちは皆息を呑んだ。もちろんぼくもだ。

「して、どうやって? 女王様」

 みつばちの一人が尋ねた。中を探るクマの顔は見上げればすぐに見えるので、皆あえて上を見ないようにしていた。

「どうやってだって……?」

 女王がそのみつばちをみた。みつばちは頷く。

「はい」

「説得だ」

 大丈夫だろうか。ぼくはいささか不安になってきた。

「では、女王様……」

 さっきのみつばちが促した。

「うん」

 女王は堂々とあの顔のもとへ飛んで行った。クマは目をまるくしながらそれを見ている。ぼくたちはどきどきと見守った。女王がやっと高い天井、つまりクマの口付近までたどりついた。クマの丸い目は女王に釘付けだった。

「こんにちは」

 女王はしごく常識的な第一声を放った。ぼくたちはごくりと息を呑んだ。クマはいきなり口を開けた。

「パパ! でっかいみつばちの巣だよ。でっかいみつばちがいるよ」

 ……パパ?

「……パパ?」

 ブギーが横で呟いた。

「どうしたんだい、ぼうや」

 遠くから別の声がする。低くて優しい声だ。

 ぼくらが様子をうかがっていると、さっきのより更に大きなクマが穴から顔を出した。穴はバキバキだ。

「ほらほら。いっぱいみつばちがいる。きっとはちみつもたくさんあるよ」

 小さなさっきのクマがその横に顔を出した。鼻をぴくぴくさせてみつばつ潜水艦の甘い香りを胸一杯かいで、笑った。大きなクマは小さなクマの泥だらけの鼻をていねいに舐めてあげていた。微笑ましい光景だけど……。

「ほんとだねえ」

「ねえねえ、今夜ははちみつがいいよ」

「私ははちみつより、みつばちがいいなあ」

「パパ、あんなのぜったいおいしくないよ。変な色だよ。しましまだよ」

「大人になったら分かるさ。ぼうやだってはちのこは大好きだろう」

 この会話を、ぼくたちは唖然としながら聞いていた。クマの親子だ。クマの親子が夕食の話をしている。そう。ぼくらの。

「でもぼうや、いったいどうやってこんな穴を開けたんだい? ずいぶん大きな穴じゃないか」

 親グマの視線を避けながら、子グマはもじもじした。恥ずかしそうに親グマの耳につげる。

「ええ? モグラさんの穴を壊しちゃったのかい?」

「うん」

 親グマは怒っていないのに、子グマはビクビクと脅えている。

「モグラさんの穴を壊してるうちに穴が大きくなったんだね。でもそのおかげでこんなに大きなはちの巣を見付けられたんじゃないか。偉いぞ、ぼうや」

 どうやら状況が分かってきた。このみつばち潜水艦は、子グマが掘って壊したモグラの巣に落ちてしまったらしい。だから動かないのだろう。

「しかしモグラさんがいないねえ。どうしたんだろう」

 親グマが顔を上げてキョロキョロと辺りを見回した。子グマは目をシパシパさせながらみつばち潜水艦のぼくたちを見つめる。

「もしかして、ぼうや」

「うー」

「食べちゃったんだろう」

「ごめんなさい、パパ」

 子グマは涙目だ。

「ごめんなさいじゃあないよ。パパが良いという前にものを食べちゃだめだろう」

「ごめんなさい。お腹がすいてたから」

「モグラさんは何匹いた?」

「おとなが二匹に子供が十匹」

「食べ過ぎだろう」

「ごめんなさい」

「しょうがない。ぼうやは夕食抜きだよ。このはちの巣は明日食べなさい」

 親グマは厳しい目で子グマを見ると、いきなり消えて早速何かをしはじめた。ザッザッと砂をかくような音がする。これはもしかして……?

「ヤバイ。俺たちをみつばち潜水艦ごと持っていく気だ」

 ブギーが慌てて女王の元に飛んで行った。ぼくはブギーにしがみつかれながら上を見つめていた。女王はなにも言わず子グマの鼻の前にいる。どういうつもりだろう。動きも喋りもしない。まさか、怖がって口を聞けないんじゃ?

「クマの子、お聞き」

 子グマがパッと視線を女王に移した。好奇心旺盛な目だ。

「パパ、おっきなみつばちが声をかけてきたよ」

 子グマはまた顔を上げた。すると女王の元にたどりついたブギーが勢いよく飛んでいき、子グマの大きな鼻にお尻の針をチクッと刺した。

「女王様の話を聞けっ。このガキ」

「何をするんだい、ブギー!」

 女王がブギーを叱った。その時だ。変な響きが聞こえてきた。

「ううううう」

 何だ? 何だか怨念を感じる音だけど。

「ううううう」

 これは……。

「パパー。みつばちがぼくを刺したあ」

 子グマが泣いていた。うめき声の正体。それは親グマの怒りの声だった。

「ぼうやに何をするんだ!」

 ガシャン。クマの親子が開けた穴は更に壊れた。親グマの布団みたいに巨大な手は、ぼくらには脅威だった。右往左往する。それでも破片からは逃れられない。

「まだエンジンはかからないのかい」

 女王が操縦室に向かって叫ぶ。操縦室からはへなへなの声が聞こえた。

「まだでえす。頑張りまあす」

「このまんまじゃ全壊だよ。急ぎな」

 女王までも焦り出した。大分やばい状況だ。親グマはバンバンみつばち潜水艦を壊しているし、子グマはわあわあ泣いている。隅っこの方で、ブギーは青ざめていた。あっちに行きこっちに行きこっちに、何をしようか悩んでいる。

 子グマの涙は上からポトポト落ちて来る。

「鼻が痛いよう。鼻が」

「この、この、この。よくもぼうやを」

 ぼくはブーンと共に、ピカピカ光る体を目立たせないよう群衆のなかに混じった。食べられなくはない。

「ええい、クマの親子、聞きな」

「うわあん。うわあん」

「このこの」

「あんたらにはちみつをたっぷりあげるから」

 途端に、破壊と轟音はピタっと収まった。ただ子グマが泣いているだけだ。

「うわあん。うわあん」

「みつばちさん、本当ですか?」

「そうだよ」

 女王は仕方がないといった感じに頷いた。親グマは嬉しそうに笑う。

「どれくらいくれますか」

「ひと瓶」

「少ないな」

「ふた瓶」

「ええい、この巣も食べてやる」

 親グマはまた巣に踊りかかった。

「半分やるよ!」

「交渉成立だ」

 親グマは満足げにうなずいた。子グマはまだ泣いている。

「うわあん。うわあん」

「ぼうや、もう泣くのはおよし。みつばちさんがおわびにはちみつをたくさんくれるそうだよ」

「そんなのどうでもいいや。鼻が痛いんだもの」

「ぼうやったら。さあ、みつばちさん、持ってきてもらいましょうか」

 みつばちたちはしぶしぶではちみつを取りに行った。いやなクマだ。ひとの弱味につけこんで。怒り出したのもわざとなんじゃないかと思えてくる。

 瓶はみつばちたちの手で、一本、また一本と運ばれていった。大きな瓶に十匹以上のみつばちが張り付き、まるでエレベータのようにスウッと天井に上がっていった。親グマは手をすりあわせて嬉しがっていた。後ろでは子グマが泣きながら放っとかれている。

「これで半分だよ。三十二本。満足かい」

 女王は親グマをにらみつけた。親グマは気にせず瓶をペロペロ舐めた。

「いやあ。おいしそうだ。ありがとう、みつばちさん」

「そんなのもらったってぼくは許さないやい」

「おやおや、ぼうやったら……」

 親グマは目を細めてじっと子グマを見つめていた。何か考え込んでいるようだった。はちみつの山を見、穴に落ちた巣を見下ろし……。

 それからしばらくして女王を見たときは、目つきが変わっていた。

「そうだな。なにもはちみつを少々いただいたところで、それで諦めるという法は無い……」

 女王はギョッとして、あわてて中に入った。

「エンジンは!」

「かかりまあす」

「早く!」

「いきまあす」

 みつばち潜水艦は穴を飛び出した。そこは広い野原だった。れんげの花はないけれど、大きなくすの木が一本しげる、見事な岬だった。波の音が聞こえる。海がそばにある。

「穴があいちまったからね。しばらく沈まずに行くよ。ブギーたち整備係は急いで天井の手当てをしな!」

 女王が叫ぶと、さっきまでしょんぼりしていたブギーが元気よく返事をした。

「はい!」

 みつばち潜水艦は重たげにグイインと鳴った。そして突如として動きだした。凄い早さだ。窓から外を見ると、みつばち潜水艦は下半分だけ土に埋まって地面をかいている。今までにない速さだ。

「ごちそう待てえ」

 親グマは体の脂肪を揺らしながら追い掛けてくる。子グマは相変わらずすねていた。

「海に飛込むよ!」

 女王が叫んだ。気付いたときにはぼくらは空中にいた。体がふわりと浮いた。無重力になったと勘違いした瞬間、みつばち潜水艦は潮の香りがする海にザブンと飛込んだ。波はざわめき、穴から中へと入ってぼくらを濡らした。ぼくらは海に入ったのだ。塩気とはちみつの香りが混じりあった不思議な味の空気を味わいながら、みつばち潜水艦の中のみつばちたちは何度も歓声を上げた。

 騒ぎ回り、中には早速はちみつ酒を飲み交しているみつばちもいる中で、女王はやれやれといった感じでちょっと微笑んだ。

 ここまでの出来事はたいそうなスペクタクルだった。もう二度とクマには会いたく無い、とぼくは心の底から思った。


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