記録される言動
その日から、リリアは「視線の数」を数えるようになった。
誰が見ているか、ではない。
どこにいても、何人分の意識がこちらに向いているか――それを、だ。
朝の回廊。
講義室。
食堂。
庭園。
どこにいても、必ず誰かが見ている。
(気のせい、じゃないよね)
そう思った決定打は、昼食後に起きた。
食堂を出ようとしたところで、若い文官が壁際の机に向かって何かを書き留めているのが目に入った。
インクの乾ききらない紙。
そこに並ぶ文字は、明らかに「観察記録」だった。
視線に気づいた文官は、慌てる様子もなく軽く会釈をした。
「失礼しました。業務ですので」
「……私の、ですか?」
問いかけると、彼は一瞬だけ言葉を選んだ。
「婚約者候補全員の、ですね」
否定しなかった。
(やっぱり)
リリアは、背中にじわりと汗が滲むのを感じた。
講義中、ノートを取る速さ。
質問に答える声の調子。
誰と話したか、話さなかったか。
それらがすべて、文字として残る。
午後の講義は政治基礎だった。
講師は中年の貴族で、回りくどい言い回しを好む。
「王妃とは、意見を述べる存在ではありません。
空気を読み、最適な選択を“導く”存在です」
その言葉に、数人の候補がうなずく。
リリアは、うなずかなかった。
だが、否定もしない。
(これも、記録されるんだろうな)
講義の終盤、講師が問いを投げかけた。
「王と貴族の意見が割れた場合、王妃はどう振る舞うべきか」
セレナが即座に手を挙げ、模範解答を述べる。
拍手。好意的な評価。
しばらくして、視線がリリアに向いた。
「……13番目の方は?」
一瞬、迷った。
何も言わなければ「消極的」。
答えれば「目立つ」。
どちらも、評価だ。
「……状況によると思います」
当たり障りのない言葉。
「具体的には?」
逃がしてくれない。
「誰の意見が、国にとって最も被害が少ないか、でしょうか」
正論だった。
だが、場の空気がわずかに冷える。
「それは、王妃が判断することではありませんね」
講師はそう締めくくった。
リリアは、それ以上何も言わなかった。
休憩時間。
イーサが近づいてくる。
「……先ほどの発言ですが」
「評価、下がりましたか」
先に言うと、イーサは苦笑した。
「下がった、というより……記憶に残りました」
「最悪ですね」
「王宮では、それが一番怖いです」
冗談めかして言われたが、笑えなかった。
夕方、候補者用の談話室で、別の異変が起きる。
数人の候補が、こちらを見てひそひそと話している。
やがて、その中の一人がわざとらしく声を上げた。
「慎み深くて、素晴らしい方ですわよね」
別の声が続く。
「ええ、何もなさらないのに、品があるなんて」
褒め言葉の形をしている。
だが、その実、皮肉だ。
(……噂、回ってる)
誰かが、評価を聞いたのだ。
もしくは、記録の一部が漏れた。
リリアは立ち上がり、その場を離れた。
背中に刺さる視線が、さらに増える。
夜。
部屋で一人、今日の出来事を反芻する。
(話さなくても評価。話しても評価)
つまり、ここでは「存在」そのものが評価対象だ。
何もしないことで目立ち、
答えれば解釈され、
沈黙すら意味を持つ。
「……逃げ場、ないな」
小さく呟いたとき、扉がノックされた。
イーサだった。
「これ以上は本来、口にすべきではないのですが……」
彼は周囲を確認し、声を落とす。
「記録は、点数化されています」
「点数?」
「はい。総合的に。
現在、リリア様は……下位ではありません」
その言葉が、胸に重く落ちた。
「……やめてください」
「え?」
「それ、知らない方がよかった」
イーサは黙り込んだ。
彼も分かっている。
この情報が、どれほど残酷か。
王妃にならないために動いているのに、
その結果が「評価される」という形で積み上がっていく。
リリアは、はっきりと理解した。
この制度は、
逃げる者を許さない。
拒む者を、むしろ取り込む。
(……じゃあ)
心の奥で、何かが切り替わる。
(評価されない方法じゃない)
(評価を、意味のないものにしなきゃ)
王妃にならないために、
ただ静かにしているだけでは足りない。
記録される言動の、その先へ。
リリアは、次の一手を考え始めていた。




