観察者の視線
アレクシスは、王城の執務室で書類に目を通しながら、先ほどの出来事を反芻していた。
婚約者候補の一人――リリア・エルノア。
13番目。平民出身。後ろ盾なし。
普通なら、この制度に最初から呼ばれること自体があり得ない存在だ。
(それでも、彼女はここにいる)
机の上に広げられた選定記録には、簡潔な文字でそう記されている。
推薦者:王命
理由:適格
あまりにも曖昧で、そして強引な一文。
アレクシスは、軽く眉を寄せた。
この婚約者選定は、表向きは「公平」だ。
だが実際には、貴族間の力関係、派閥、将来の政略が複雑に絡み合っている。
だからこそ、彼は最初から期待していなかった。
十三人並べようが、選ばれる顔ぶれはほぼ決まっている。
――そのはずだった。
今朝の食堂。
彼女は、誰よりも場違いで、誰よりも冷静だった。
(辞退を申し出る婚約者、か)
これまで何人もの候補を見てきたが、王妃の座を前にして「なりたくない」とはっきり態度で示した者はいない。
遠慮や建前ではない。本気で、拒否していた。
それが、どうにも引っかかる。
「殿下」
控えめなノックの後、側近が入ってきた。
「婚約者候補の午後の予定ですが、庭園散策の後、自由時間となっております」
「……そうか」
アレクシスは書類を閉じ、立ち上がった。
「庭園に行く」
「殿下?」
「少し、様子を見たい」
庭園は、王城の中でも比較的「緩い」場所だ。
格式ばらない分、人の本性が出やすい。
予想通り、婚約者候補たちは小さな集団に分かれていた。
笑顔の裏で牽制し合い、視線で探り合う。
その光景を一歩引いた位置から眺めながら、アレクシスは目当ての人物を探す。
――いた。
リリアは、庭園の端、噴水から少し離れたベンチに一人で座っていた。
誰とも話さず、花を眺めている。
(避けているな)
孤立している、というより、意図的に距離を取っている。
王妃候補としては致命的な立ち回りだ。
アレクシスは、ゆっくりと歩み寄った。
「一人か」
声をかけると、リリアは驚いたように顔を上げ、すぐに立ち上がって頭を下げた。
「殿下。失礼しました」
「座っていい」
「……はい」
再び腰を下ろす彼女の様子は、過剰に怯えてはいないが、決して馴れ馴れしくもない。
距離感が、妙に正確だ。
「庭園は好きか」
「静かな場所は、好きです」
即答だった。
「賑やかなのは?」
「苦手です」
迷いも、取り繕いもない。
その答えに、アレクシスは思わず小さく息を吐いた。
「なぜ、この場にいる」
核心に踏み込む問い。
普通なら、模範解答を用意する。
だが、リリアは少し困ったように眉を下げた。
「……分かりません」
「分からない?」
「選ばれたから、来ました。でも、理由は聞いていません」
正直すぎる。
それでいて、諦めきったような声音。
「王妃になりたいとは思わないのか」
沈黙。
リリアは一瞬だけ視線を伏せ、それからはっきりと言った。
「思いません」
その言葉には、揺らぎがなかった。
「私は、選ばれないように過ごすつもりです」
アレクシスは、確信した。
この少女は、嘘をついていない。
(……危ういな)
制度にとっても、王家にとっても。
だが同時に――
(最も、王妃制度から自由だ)
それは、今の王国に最も欠けている視点だった。
リリアが立ち去った後も、アレクシスはしばらく庭園に立ち尽くしていた。
13番目の婚約者。
余分で、不要で、選ばれないはずの存在。
――それでも。
「君は、何を壊すつもりだ?」
小さく呟いたその声は、期待とも警戒ともつかない色を帯びていた。
王妃にならないと宣言した少女が、
王国の核心に触れ始めていることを、彼だけが理解し始めていた。




