辞退したいだけなのに
翌朝、リリアは鐘の音で目を覚ました。
王城の朝は早い。というより、音が容赦ない。眠気の残る頭を抱えながら身を起こし、天蓋付きのベッドを見上げて小さくため息をついた。
「……やっぱり夢じゃない」
豪華すぎる部屋。整えられすぎた空気。
昨夜は緊張であまり眠れなかった。
身支度を整え、指定された食堂へ向かう。廊下は広く、すれ違う使用人たちは皆一様に丁寧に頭を下げる。そのたびに居心地の悪さが増していく。
食堂に入った瞬間、空気が変わったのが分かった。
長いテーブルの両脇には、すでに何人もの婚約者候補が座っている。絹のドレス、宝石、洗練された所作。昨日よりもずっと、彼女たちは「戦闘態勢」に見えた。
(朝から、胃が痛い)
空いている席に静かに座ると、周囲の視線が一斉に集まる。
露骨に見てくる者、あからさまに無視する者、興味深そうに観察する者。
その中で、ひときわ冷たい視線が突き刺さった。
「……あなた、本当に婚約者なの?」
低く、しかしはっきりとした声。
声の主はマルグリット・フェインだった。短く結い上げた髪に、鋭い眼差し。武門の家の名に恥じない威圧感がある。
「はい。一応」
一応、という言葉を選んだ瞬間、数人が眉をひそめた。
「一応、ですって?」
マルグリットは鼻で笑う。
「この場がどういう場所か、分かっているの? 遊びじゃないのよ」
「分かっています」
リリアは視線を逸らさず答えた。
「だからこそ、私は――」
言いかけた言葉を、別の声が遮った。
「その辺にしておきなさい、マルグリット」
柔らかいが芯のある声。
セレナ・ローデンだった。背筋を伸ばし、穏やかな微笑を浮かべながらも、その目は決して甘くない。
「初日から騒ぎを起こすのは、王家への無礼よ」
「……ちっ」
マルグリットは舌打ちし、視線を逸らした。
場の空気が落ち着いたところで、リリアは内心で深く息を吐いた。
(早く辞退しよう。本当に)
朝食後、婚約者候補たちは王宮の規則説明を受けることになった。
広間に集められ、文官が淡々と説明を読み上げる。
外出制限、面会制限、行動記録。
それらを聞きながら、リリアの中で確信が固まっていく。
(これは、長く居る場所じゃない)
説明が終わり、解散の合図が出た瞬間、リリアは真っ直ぐ前に進んだ。
向かった先は、文官イーサだった。
「あの、イーサさん」
「はい?」
「婚約者を辞退する場合の手続きって、どこで――」
その言葉は、最後まで言わせてもらえなかった。
「それは、許可されていない」
低く、静かな声。
振り向くと、そこにいたのはアレクシス王子だった。
いつの間に来たのか分からないほど、気配が薄い。
「……許可、されていない?」
思わず聞き返すと、王子は小さく頷いた。
「正式な選定期間が終わるまでは、辞退は不可だ。例外はない」
その言葉は、あまりにもあっさりしていた。
「ですが、私は――」
「君が望んでいなくても」
遮るように、王子は言う。
「制度は、そうなっている」
その目が、じっとリリアを見つめていた。
試すようでも、責めるようでもない。ただ、事実を告げる視線。
リリアは拳を握った。
「……分かりました」
今ここで反論しても、意味はない。
そう判断して、頭を下げる。
だが、心の中でははっきりと決めていた。
(じゃあ、最後まで選ばれなければいい)
競わなければいい。
目立たなければいい。
王妃にふさわしくない存在でい続ければいい。
それだけの話だ。
去っていくリリアの背中を、アレクシスはしばらく見つめていた。
「……面白いな」
誰にも聞こえない声で、そう呟きながら。
リリアはまだ知らない。
「選ばれないための行動」が、最も王妃にふさわしくないはずなのに、
なぜか王子の関心を引きつけてしまっていることを。




