利用価値
その噂は、誰かの口から直接聞いたわけではなかった。
けれど、王宮という場所では、空気が先に語る。
廊下ですれ違うときの視線。
談話室で交わされる声のトーン。
名前が出た瞬間に生まれる、わずかな沈黙。
(……決められたな)
分類は終わった。
リリア・エルノア。
無害ではない。
だが、主役でもない。
使える。
午前の講義後、老女官に呼び止められた。
「あなたに、個別課題が出ています」
差し出された紙には、簡潔な指示が書かれていた。
地方都市の紛争事例を読み、
双方の妥協案を提示せよ。
期限は、三日。
(私に、調整役をやらせる気か)
否定する理由は、ない。
逃げても、評価は下がらないどころか、疑われるだけだ。
「承知しました」
老女官は、短く頷いた。
資料室で、分厚い記録を読み進める。
読みながら、リリアは気づいた。
(これは……)
紛争そのものより、
貴族間の面子と利権のぶつかり合い。
どちらも、譲る気はない。
だが、破綻すれば損をする。
妥協点は、ある。
夕方、資料室にイーサが現れた。
「個別課題、ですか」
「はい」
「狙い撃ちですね」
「でしょうね」
リリアは、紙に視線を落としたまま言った。
「断らないのが、正解です」
「ええ」
イーサは、少し迷ってから続けた。
「ただし、うまくやりすぎると、
さらに“使われる”立場になります」
「それでも」
リリアは、静かに答えた。
「使えないより、ましです」
夜遅くまで、案を練る。
片方を立てれば、片方が反発する。
だが、双方に“逃げ道”を用意すれば、話は変わる。
(責任の所在を、ぼかす)
あえて、曖昧にする。
決断したのは、相手自身だと思わせる。
三日後。
提出された案は、即日回覧された。
評価は、控えめだった。
「現実的」
「摩擦を抑える案」
だが、その裏で、別の動きがあった。
談話室で、候補者の一人が声を潜めて言う。
「ねえ、あの子……使えるわよね」
「敵に回すより、味方にしたほうがいい」
その言葉が、耳に入った瞬間。
(来た)
セレナが、再び近づいてきた。
「ねえ」
「何でしょう」
「正直に聞く」
彼女は、真剣だった。
「あなた、誰につく気?」
リリアは、少しだけ考えた。
「誰にも」
「……それは、無理よ」
「そうですね」
否定はしなかった。
「でも」
リリアは、淡々と続けた。
「私を使うなら、条件があります」
「条件?」
「私の名前を、前に出さないこと」
セレナは、目を瞬かせた。
「功績は、いりません」
「変な人」
「ええ」
リリアは、薄く笑った。
「王妃になる気がないので」
その言葉に、セレナは声を失った。
「本気?」
「本気です」
沈黙のあと、セレナは小さく息を吐いた。
「……分かった」
それは、同盟とも違う、奇妙な合意だった。
夜、自室に戻り、リリアは一人考える。
(利用価値がある、か)
嫌な言葉だ。
でも、現実的だ。
切れない存在になるには、
誰かにとって必要であること。
王妃には、ならない。
けれど、
王妃選考の裏側で、静かに使われる存在にはなる。
それは、望んだ未来ではない。
だが、拒否して潰されるよりは、ずっといい。
十三番目の婚約者は、
今日も盤上に残っている。
名前は前に出さず、
それでも、確実に影響を残しながら。




