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第十回

細心の注意を払いつつ、重い石の扉を押し開いた。鍵も、罠もない。あるいはその機能が失われたものか。戸の開く鈍い音が響くと、玄室内からの物音はぴたりと止んだ。


異臭、と思えた。

実際にはそれほど強い臭いではない。玄室には食物の()えた微かな臭いと、生きた人間の臭いがした。微かな臭いだ。空間が広過ぎる。


古の王の玄室は巨大だった。天井は高く、貧弱な灯は室の隅へは届かない。点在する柱の何本かが崩れるだけで、もはやこの遺跡の中枢は自らを支えきれなくなるものと思われた。しかしそれは遥かな未来の事だろう。居住区や他の通路と較べても、玄室の建築は強固の一言に尽きた。

中央に高くそびえる台座があり、急勾配の階段がその頂へと続いている。台座の基部には等身大の偶像がいくつも彫り出されていた。この辺りの石仏といったところだろう。遠目にも見事な意匠が窺えた。


私は腰の刀を抜き払った。

広がる闇に抜刀の余韻が嫋々と響く。

途端に飛んできた毒矢を、私は苦もなく避けた。


「お前は誰だ」


閃くものはあったが、敢えて尋ねた。


「噂の狂戦士はどうした。気配の消し方も知らないんじゃ隠れても意味がねえぞ」


私は無造作に台座に近寄って行った。近寄るにつれ、削られたばかりの石の匂いが独特の甘さを伴って鼻腔を撫でた。

台座の側の柱の影から、弩を片手に構えた男が半身を乗り出してこちらを見た。長く伸びた髪と髭の奥に、端正な目鼻立ちが見て取れた。

私の姿を一目見て、かつて優男であったろうその隠者は笑い出した。紙を丸めたような軽い無機質な笑いだった。


「何が可笑しい?」

「サンドラの奴がよ。気を利かせて君を通した――あのバカ」


私は刀を提げて隠者の傍らに立った。隠者は柱の前に座ったまま、落としていた角灯(ランタン)の蓋を開いた。暖かい光が周囲を照らし出す。弩を投げ出し、彼は板石の床から小振りな槌を取り上げた。

左手には、使い古した(のみ)の刃が光る。

問いかける間もなく、続けざまに二度その刃が振るわれた。張り詰めた気迫は殺気に近い。鳴り渡る槌の音が鈴々と、地の底の玄室を満たした。


「この遺跡は」


隠者が言った。不快な声だ。


「まだ完成していない。セイロン王は自分の死後二百年をかけて墳墓を完璧な状態に仕上げるつもりだった」


隠者の青い目が私を見上げる。ミノメールにも聞かされていない事柄だった。或いは隠者の妄想か、と思う。


「だが偉大なる王の死後、王朝は衰退した。何十人もいた工匠は一人残らず職を解かれ、墳墓は肝心の王の間を未完のままに残された」


私は隠者の眼前にそびえる柱を見た。

隠者がたった今、彫り抜いた石仏が、複雑な幾何学模様の空隙を見事に埋めて調和していた。五年の月日に幾体の像や模様を削り足したものか。視線を転じた台座の意匠は、完成しているように見えた。


「この玄室を見つけた時に思ったよ。この王の間を完成させられるのは自分だけだと」

「それで連れを番兵にしてお前は石工を気取ってた訳か。サンドラって奴が表で何人殺したか知ってるのか」

「知ってるさ。殺人は昔からあいつの趣味だ。俺が言ったって止められやしない。だから旅して暮らしてたんだ。だがここではあいつのおかげで助かっているよ――邪魔者はやってこないし、食料に不自由もせず。石工気取りで居られるからな」

「あいにく今日までだ。この遺跡を見たがってる友人がいるもんでね――連れに懸けられた賞金も頂く」


私は切っ先を隠者に向けた。


「これ以上、一刀たりともこの間を汚すな。どれだけ腕に覚えがあろうと、お前のしてることは破壊に過ぎん」


隠者の青い目が、理解できない、といった風にわずか曇った。


「あと二年もあれば装飾は完成するんだぞ? その友人には完成した玄室を見せてやればいい。その台座の半分は俺が仕上げた……俺はあるべきをあるべき場所に補っているだけだ」

「思い上がるな――お前がいまあるべきは地獄だ」


振り下ろした白刃が隠者の垢じみた首を叩き落した。重い音が響き、鮮血が生み出されたばかりの石仏を染める。

そして私は玄室の入口を見た。

巨大な二足の獣が、戦いの咆哮を上げて突入して来た。

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