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第一回

境界線という奴は、どうしてこう心を波立たせるのだろう。

国境の乾燥した地面に立って、一夜の友と背中合わせに、果てなく続く大地を見た。


「雪の降る町もあるってのに、この調子じゃ絵にもならねえ干物が二つだ」


遥かに望む山麓の、ずっと向こうに故郷があって、この季節なら紅の並木が、軒端に裾分けの錦を降らす頃だ。秋の終わりに木枯らし吹いて、燗の恋しい十二月が来る。友人のふるさとは年が年中、夏だとか。


「隊商でも通らないかねえ」


口調だけは明るいが、声は心なし掠れている。負傷の身では無理もない。友人は二十一歳だと言った。実際はふたつみっつ若いだろう。顔と言葉が幼すぎる。淡い黄色の肌はいずれくすんでいくのだろうが、いまは彼の童顔にひときわ若々しい印象を添えている。量の多い黒髪を包む布と、ゆったりとした衣服は共に白い。もっとも、砂埃で少なからず汚れていた。


「運頼みじゃ干からびるのが先だろうなあ」


私は遠い稜線を見ながら言った。彼処にも空と陸との境界がある。


実際、隊商などのなかなか通るルートではない。砂の荒野に点在する遺跡を興味本位で巡ろうという酔狂でもなければ、馬賊の多い危険地帯を誰が好んで通うものか。当の私と友人が、現に盗人どもの被害者だった。


昨日の暮れ時、旅行者を取り巻いていた十人ほどの賊を、颯爽と馳せつけた私が自慢の刀で追い払った。までは良かったが、逃げる不逞の輩が悔し紛れに放った毒矢で不覚にも馬を射られ、旅行者ともども徒歩での移動を余儀なくされた。

旅行者の名はミノメール、白服の友人そのひとである。彼は落馬の際に左手を骨折したようだったが、それで却って命を拾った。荷物を奪った盗賊達が彼に止めを刺す前に、私が通りかかったからだ。収穫()をすでに得ているだけに奴らの撤退は早く、報復も免れた。


危険を冒して助けた相手が無一文の怪我人と知った時には、落胆の念を禁じ得なかったことを告白しておく。国に帰れば幾許(いくばく)かの礼はできるそうだが、あいにく出向いてまで礼を受ける気はない。富豪の子という訳でもなさそうだ。かといって、ただ働きは信念に反する。

頭布を外した彼の髪が月明かりに意外なほど心を惹いたのを幸い、彼の貞操を頂いた。南方人の癖に学者だけあって初々しい。荒野の夜を存分に楽しめた。……怪我人を無理矢理? 失礼な。私くらいの美人に奪われて嫌がる方がどうかしている。しかし貴重な移動の時間を、交歓に費やしてしまったのは少々失敗だった。国境まで辿り着いて、太陽が中天にかかってしまったのだ。私はともかく、体力のないミノメールは休まないと暑さで身が持たない。


「一日か二日も歩けばオアシスがあるはずなんだけどな。私もこの辺は初めてだから土地勘がなくてさ」


国境と言っても警備隊の詰所などという気の利いた施設はどこにもない。見渡す限りの荒野には為政者たちの気を引くもの一つとてなく、ただ古人の残した小規模な古墳と、逞しい人々の素朴な暮らしがあるばかりだ。風化していく岩と、砂と、葉のない植物だけの大地に、金属製の大きな球体が、半ば砂に埋もれて点々と並んでいる。視界の端まで続く、人の背丈ほどの直径を持つその球体が、つまり国境線の基石であった。一人や二人でどうこうできる代物ではないが、十人百人集まれば動かせないことはない。砂の流れやごく稀に起こる地震でも位置が変わることがあるだろう。

数百年前にこの金属球を配した時から、時の為政者たちはこの辺境の領有権を野心ある第三者か自然の決定に委ねたいと考えていたに相違ない。


二、三発蹴りを入れて動きそうもないことを確かめると、私はミノメールを球体の陰になった固い砂の上に座らせた。折れた左腕を気遣ってやると、零れるような笑顔を見せて強がりを言ってみせる。私は脂汗を拭いてやる。これでは要らぬ情が移るばかりだ。


「サミュの遺跡の側のオアシスなら、ここから西北西に一日半だよ。夜になれば星で正確な方向が分かるから、明後日には着ける」

「物識りだな。水はもつか?」


小袖の襟を開いて風を入れる私から目を逸らして彼は肯く。


「見りゃあいいのに」

「からかわないでよ」


水はともかく、ルートが問題である。国境線の北側は馬賊の跳梁著しい無法地帯で、徒歩の二人が一日半も無事に通れる場所ではない。その辺の事情は学者のミノメールより私の方が詳しかった。私だけならどうにでもなろうが、この無邪気な連れを見殺しにしたのでは私の沽券に関わる。


真昼の太陽は依然中天にあって、遍く荒野を照らしている。

一夜の友を眠らせて、私は一人、見張りに立った。

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