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それより少し前。
テーマパークの外れに陣取ったシラドは、いかにも不満げに頬を膨らませていた。
「この作戦のために、なんで僕の機械人形を何体も使わなくちゃいけないんだ?」
隣ではミリシアが、相変らずの無表情でたたずんでいる。
シラドの愚痴にも、振り返ることさえしない。和彦たちが入っていったお化け屋敷を、ただひたすらに見つめているだけだ。
ミリシアのそんな様子にかまわず、シラドはイライラと話し続けた。
「あんたのラズリーリャとかいうやつだけでよかったんじゃないのか? あの娘なんか、あんたの魔物にひと睨みされただけで、術にはまって言いなりになったのに。わざわざあの娘を操って、リューン・ノアをここまで連れてこさせて、そこで僕の機械人形と闘わせことに、なんの意味がある?
ましてや、あれはみんな作りかけの性能の悪いやつばっかりなんだぞ。何体あったところで、リューン・ノアに撃破されるのなんか、時間の問題じゃないか」
ミリシアは横目でじろりとシラドを睨んだ。
「うるさい」
「なんだよ、その態度」
シラドはすぐに沸騰した。
「僕の手伝いをすると言い出したのは、お前のほうからだっだろう? 僕の願いをかなえるために、魔物を呼びだしてやるって。それなのに今のところ、働いてるのは僕の機械人形ばかりだ。あんたの魔物は女を一人、催眠術にかけただけで……」
「今、あの魔物の力の源泉は、私」
「え?」
「私の生命力を使って、魔物は活動している。だから、無駄な力は使わせないで」
「力っていったって……」
「あの女はごく普通の、なんの力もないか弱い人間の一人だった。だからラズリーリャも、ほとんど力を使わずに支配することができた。けれども、意志の強い者を支配下におくためには、それなりの準備が必要」
ミリシアは両手を広げて周囲を指し示した。
「ここは、ラズリーリャにとって恰好の場所。たくさんの人々が欲望をもって集ってくる。喜び、悲しみ、怒り、憎しみ。それらをぶつけ、発散させている」
「テーマパークだぜ?」
シラドは皮肉に唇をゆがめた。
「こんなところに高いカネ払って自分からくる連中は、みんなおめでたい頭のハッピーなやつらに決まってる」
「幸せになりたいと願う人々の心の底には、不幸がある」
ミリシアは残酷なほどに平静な声でそう言った。
「ここにいるあの大勢の人間たちは、皆が、今の自分が幸せだからという理由で集っているの? そうではないでしょう。ここに来て幸せな気分を味わいたいという者は誰も、なんらかの心の飢餓を抱えているのよ」
ふむ、とシラドは納得してしまった。
テーマパークに行きたがる人々を小ばかにすることはあっても、その深層心理までは考えたことがなかったからである。
「ここに来てもっと幸せになりたい。そう考えている人間の心には飢えがある。現実に対する不満がある。ラズリーリャはそれを糧にして、力を増すの」
「どうやって?」
「エメロードの巫女である、私の導きによって」
そう言うなり、ミリシアは宙に向かって大きく手を広げた。
テーマパークの上空に渦巻く人々の感情を、自分の手の中に呼び込もうという恰好である。
目には見えなくとも、隣にいたシラドもその重たい気配を感じた。
慌てて、ミリシアのそばから跳び退いた。
「そう。そのほうがいい」
ミリシアはうっすらと笑った。
「他人の吐き出す負の感情は、重たいもの。うっかり体内に吸い込んでしまうと、吐き出すのに苦労する羽目になる」
手の中いっぱい集めた目に見えないものを、次にミリシアは地面へまき散らした。
それもただ放り出すだけではなく、ぐるぐると円を描きながら、自分もその縁を回っている。
自らの描いた見えない円の中へ踏み込まぬよう、彼女が細心の注意を払っていることが、見ているシラドにもわかった。
見かけでは何もないその円陣は、脇に立っているだけでも、空気さえどろりと淀んでいるように感じられた。
端に立っていると吸い込まれそうな気がしてきて、シラドはそっと後ずさった。
「ふう」
ミリシアが額の汗をぬぐった。
気が付けば彼女は全身がびしょぬれになるほど大量の汗をかいていた。顔色も心なしか悪くなったようだ。見るからに疲れ切っている。
すう、と手を上げる。
指さした先には、長い髪の女の幽霊のようなものがいた。
ミリシアの呼び出した魔物、ラズリーリャだ。
地面すれすれで宙に浮いて、こちらにふわふわと漂ってくる。ただし、動きは緩やかでもスピードは早かった。
その原因がすぐ後ろに見えていた。
「待てえっ!」
龍の形をした炎を両手に巻きつけた霊幻道士が、息せき切って追いかけてくる。
走りながら何度か炎の弾をラズリーリャに投げ付るが、そのたびにふわりとかわされて、ますますいきり立っている様子だ。
あまりにカッカしていて、目の前に見えない円陣が待っていることにも気付いていない。
ラズリーリャが先に円陣の中に入った。
とたんに魔物の身体が何倍にも膨らんだ。
髪の毛が四方八方に伸びて、それぞれが蛇のようにうねり始めた。円陣の中の空気に髪の毛が揺れるたび、火花が散った。
「な、なんだ?」
さすがに霊幻道士も驚いたらしい。
一気に突っこもうとしていたところ、自分で自分に急ブレーキをかける。
間に合わなかった。
片足が円陣の中へ一歩、踏み込んだ。
とたんに地面から、黒いねばねばした何かが沸きあがった。
ラズリーリャと霊幻道士の姿は、その黒く重い霧の中に隠された 。
8
「小夜子、小夜子!」
蘭堂教授の何度目かの呼びかけで、小夜子はうっすらと目を開けた。
「わたし……ここはどこ?」
「病院よ! お前は救急車で運ばれたのよ!」
「ええ?」
「お前、覚えてないの? お化け屋敷で、整備不良の人形がショートして燃え始めたとき、たまたま近くにいて火事に巻き込まれたのよ。ちょうどお前が人形に背中を向けていたときに、急に火を噴いたんですって」
「え、背中……?」
小夜子は無意識に手を背中へ回そうとして、顔をしかめた。
「いったあーい!」
彼女の背中は、最初に案じていたほどの火傷ではなかった。医者も、ここ一両日はヒリヒリするでしょうけれど、痕も残らず治りますよと太鼓判を押してくれた。
それが、救いといえば救いだ。
「お前、和彦さんにお礼をいわなきゃ。だって、和彦さんがかばってくださらなかったら、お前は今頃、火だるまになってたかもしれないんですってよ。現に、お前が救急車で運ばれた後にお化け屋敷は丸焼けになったって、和彦さんが……」
「和彦さん……お化け屋敷……?」
小夜子はあやふやな調子で呟いた。
ベッドから置き上がろうとして、背中の痛みに悲鳴を上げる。とっさに自分の身体を支えてくれた和彦を見上げて、驚きの目を見張った。
「あ、あなたは……!」
慌てて部屋の中を見渡して、そこに氷浦教授を発見して、もっと驚いた顔になった。
「あなた方、覚えてるわ。私がお母さまの学会についていったときにお会いした……確か、氷浦教授? そして、こちらの男の方は教授の息子さんとうかがった覚えが……どうしてあなた方がここにいらっしやるの?」
「まあ、何を言ってるんです、この子は」
困惑で半泣きになった蘭藤教授が、自分の娘と氷浦親子を等分に見比べながら言った。
「あなたがどうしても和彦さんともう一度会いたいと急に言いだしてきかなくなったから、無理を承知でお見合いの手筈を整えてもらったんじゃないの。何をいまさら、知らない人みたいに」
「私が、お見合い⁉」
小夜子は目を丸くした。
「馬鹿な事いわないでよ、お母さま。誰がそんな、ちらと見ただけの男の方と……いえ、確かにあのとき、ステキな方だなあとは思ったけれど」
そう言いかけて、小夜子は真っ赤になった。
氷浦教授と和彦は素早く目くばせを送りあった。
やはり小夜子は、魔物に操られていたのだ。
「まあまあ、蘭堂くん」
氷浦教授が事態の収拾に乗り出した。
「小夜子さんは思いもかけずこんな怪我をして、今は気が動転しているんだよ。少し落ち着いて、休ませてあげなくては」
「あ、ああ。そうですわね」
「本当に申し訳ない。うちの息子がついていながら、可愛いお嬢さんに怪我をさせるようなことになってしまって……」
「な、なにをおっしゃるの」
蘭堂教授は慌てて両手を振った。
「元々はこちらが無理強いしたお見合いでしたのに。和彦さんもこんなに傷だらけの泥だらけになって。そんなになってうちの娘を救い出してくださったんですから、感謝の一言ですわよ。なのにうちの娘ときたら、自分が言い出したお見合いのことさえ忘れてしまっているなんて……」
たぶん、魔物に術をかけられてから後のことは、小夜子の記憶には残っていないのだろう。
学会で和彦を見て好感を抱いたことまでは覚えているのだから、そこをやつにつけこまれてしまったのだ。
やつ、と考えて和彦はきゅっと唇をひき結んだ。
アイザス・ダナもジャメリンも、今までこういった狡猾な手段を用いたことはなかった。基本的に彼らはこの世界を下に見ており、ゆえに文化や人々を知ろうとはしないからだ。
しかしこれは、この世界のことを知り尽くした者による作戦だった。
シラドめ。
あの機械人形たちが、これがあの男の仕業であることの、何よりの証拠だ。
一目見た相手に淡い思いを抱いた女性の、その気持ちを利用する。その女性に、見合いという口実で和彦を引っ張ってこさせる。そのテーマパークの中に罠を仕掛けて待つ。
なんと卑劣な。
選んだ舞台がお化け屋敷というのも、いかにもシラドらしい選択だった。
そんな卑劣なやつの手先に使われ、火傷まで負わされた小夜子は、不幸という他はない。
不幸なのは母親の蘭堂教授も似たようなものだった。
氷浦教授と楽しく会食していたところをいきなり呼び出され、娘が救急車で運ばれたと知って、危うく彼女は失神しかけたそうだ。そのうえ、氷浦教授に支えられてなんとか病院に駆けつけてきたら、娘は今までのいきさつを綺麗に忘れているときた。
「それでは、蘭堂くん。あまり大勢でいると病人にもよくないだろうから、我々はこれで」
和彦の目線を受けて、氷浦教授が慇懃に言った。
「何かお役に立てることがあったら、いつでも声をかけてください。我々は明日まで、今泊まっているホテルにおりますから」
「え、ああ。なんだか、もう」
蘭堂教授は髪を振り乱し、途方に暮れていた。
「小夜子、本当に和彦さんのことを覚えていないの? あなたの命の恩人でもあるんですよ」
「そんなこと言われても……」
もう一度、目を上げて和彦を見た小夜子は、真っ赤になった顔を隠すために、ふとんの中に潜りこんでしまった。
微笑ましい光景ではあったが、それに微笑み返していたら、またぞろ面倒事が始まってしまう。
和彦はあえて厳しい表情を保ったまま、父親をうながして病室を出た。