女装した夫が鬼にもてなされていました
「薔薇式部っ!来てくれたのか!」
「あらぁ……また随分と可愛らしい格好で」
私たちの登場にパッと顔を輝かせた雪也をまじまじと見つめる。
「完全にもてなされてるじゃないの。私、やっぱり帰ろうかしら?」
「この状況で呑気すぎるだろっ!」
唐衣に領布に、と奈良時代風の女装束を纏い、小鬼たちにお酌をされていた雪也が突っ込む。
「夫が女装して鬼に肩を抱かれているんだぞ!?焦れよ!」
「鬼などと冷たく呼ばないでおくれ、わしの蛍姫」
雪也の肩を抱いていた一本角の鬼が悲しげに眉を顰めて嘆くが、雪也は真っ赤な顔で喚いた。
「俺は雪也だ!蛍姫じゃないと、何度言えば分かるんだッ!!」
最初は慎重に様子を伺おうとした陽暁・笹野・私の三人組であったが、妖船の中からは踊り出したくなるような音楽に、弾けるような笑い声……つまりは、明らかに陽気な気配が漏れていたので、なんだかイケる気がしてわりと普通に登場したのだ。
すると。
「皇女様レベルのとんでもなく高級そうな絹の衣に包まれて、めちゃくちゃ大事そうにお爺さん鬼さんのお膝に抱かれて、楽しそうな小鬼さんたちにお酌やらマッサージやらのご奉仕をされている夫を前に、私はどう危機感を抱けば?」
「普通におかしいだろっ!」
心底疑問で首を傾げた私に、薄黄色の領布をふわりとたなびかせた雪也が、真っ赤な顔で叫ぶ。興奮のためかお目々が潤んで余計に可愛らしい。
「うーん、まぁねぇ……ねぇ鬼さん、そこで怒ってる男、うちの夫なのだけれど、どうしてこんな綺麗なお姫様みたいな格好をしてるのかしら?」
「おぉ、剛毅な人間の女子じゃなぁ!」
気のいいお爺さん鬼は、楽しげに雪也の肩を抱いたまま、不躾な質問を投げた私へにこやかに語った。
「この者は、我が最愛の女人……蛍姫に、瓜二つなのじゃ」
「蛍姫?」
「そうじゃ。わしが唯一惚れた女子じゃ。一目見て、蛍姫とそっくりじゃ!と思って此処に連れてきてな、姫の衣を着せてみたら、これがまあよく似ておる。わしは嬉しゅうて嬉しゅうて、大層気分が良いよ」
そう言って、鬼は巨大な盃に、これまた巨大な徳利からとくとくと酒を注ぐ。そして一息に呷ると、私たち三人へ朗らかに声をかけた。
「蛍姫によく似た者の縁者たちよ、そなたらも酒宴に加わると良い。今宵は宴じゃ」
「蛍姫様は、鬼さんの恋人だったの?」
「そうじゃ」
宴もたけなわとなってきた頃。
小鬼たちに飲まされた笑い上戸の笹野が、野球拳的なお座敷遊びに負け続けてほぼ裸の陽暁を見て笑い転げているのを横目に、しっとりと盃を重ねている鬼へと尋ねた。ちなみに雪也は死んだ目で鬼の膝に座り続けている。
「かれこれ二百年か三百年ほど前、わしと蛍姫はお互いに一目で恋に堕ちてのぅ」
「あら、素敵。ロマンチック」
「ほほっ」
照れている鬼、可愛い。今でも綺麗なお爺さん鬼だから、若い頃はきっとさぞやワイルドなイケメン鬼だったろう。そりゃ蛍姫様とやらも一目で惚れる。
「しかし、ふたりきりの蜜月はほんの十日ほどで、姫はあっという間に死んでしもうたんじゃ」
「あらぁ……」
思ったよりも儚い恋だったらしい。鬼はじわじわと紅い目に涙を浮かべ、膝に置いた手にぐっと力を込めて呻く。
「わしは……今一度、蛍姫に逢いたいのじゃ……」
よよよと泣き崩れる、美爺の鬼。わりと絵になるし、結構可哀想になってしまう。夫の誘拐犯なのに。
「蛍姫って、どんなお姫様だったの?」
「蛍は、人の帝の末姫じゃった。月のない夜のような黒髪に、夏の月のような白い肌の、大層美しく愛らしい姫じゃ」
お爺さん鬼は、嬉しそうに頬を緩め、夢見るような目で過去の恋人を語る。
「わしも当時は、まだ百かそこらの若造でなぁ。人間の姫に惚れるなんぞ鬼の風上に置けんと家を追い出され、姫を背負って界の狭間へ逃げたのじゃ」
「かっ、駆け落ちぃ!?情熱的!」
「ははっ、あの頃は若かったなぁ……なにも知らず、なにも考えていなかったのじゃ」
きゃーっ!と沸いた私の興奮に苦笑して、苦々しい後悔を瞳に宿した鬼は、静かに肩を落とす。
「界の狭間……人の世と妖の世の狭間に駆け込んでから、元から体も弱く、具合も悪かった姫は、すぐ床に伏せてな。ここの空気が合わないのかもしれぬと、人の世に戻ろうと言ったのだが……どうしても嫌じゃと、二人でいたいのじゃと、姫は泣いて拒んでなぁ」
鬼の紅目に涙が浮かぶ。顔を歪め悲痛な瞳で過去を見つめる鬼は、まるで血の涙を流しているように見えた。
「姫を探して帝が何百もの人間を使っておったからな、連れ戻されるのを恐れておった」
「帝のお姫様だものね……そっか……そうなのね……」
「はははっ、間抜けですねぇ」
「陽暁様!?」
しんみりとした空気の中で相槌をうっていた私は、突然頭の上から降ってきた嘲笑にギョッと振り向いた。
「さっさとまぐわればよかったのでは?」
「はははは陽暁様っ!?」
さすがにあまりにもな発言に、私が顔を引き攣らせながら止めに入ろうとした。しかし、続く言葉に瞠目する。
「人の女子でも、鬼の気を取り入れれば、多少は命を伸ばせたでしょうに」
「あ……っ」
そういえば、雪也が鬼に性的に頂かれちゃった場合はそうなるとかなんとか、さっき聞いたな。たしかに、そういう手もあったのか。
私がそう思って納得していると、鬼は年の功か、陽暁のデリカシー皆無な発言にも怒りを見せず、悲しげな苦笑を浮かべた。
「そうじゃな、知っておったよ」
「では、なぜ?」
ほぼ裸の陽暁が訝しげに首を傾げるも、鬼はぼんやりと過去を眺め、そしてどこまでも柔らかく微笑んだ。
「……だが姫は、ひとのまま死にたいと言うたのじゃ」
「え?」
私は目を見開く。ぽつりと呟かれた言葉は深い悲しみと愛おしみを湛えられていた。
「姫の望みは、叶えてやりたかった。……わしは、それが姫への愛だと思ったのじゃ」
「……鬼さん」
あまりに深い鬼の愛に、私たち人間は恥入り、口を閉ざした。
書いていたら4話に増えました。