551話 ちょっとした願い
俺達を見つけた兵士は、巡回の途中だったみたいだ。とはいえ、ひとりだけ。今すぐに殺せば、少なくとも今は逃れられるだろう。
だが、できることなら避けたいところだ。まだ、周囲には敵は居ない。大声を出される前に処理すべきではあるが、どうにかなる範囲でもあるはず。
そもそも、帝国との戦争の引き金になりかねない。今は慎重に動くべきだ。そうだよな。
敵は、ジロリと俺達をにらみつけている。さて、どう対応したものか。
「お前達、何が目的だ? それによっては……」
「まあ、落ち着いてよ。怖い顔をしていちゃ、大変だよ?」
ミュスカが首を傾げながら、甘い声で話しかけていく。とりあえず、会話で切り抜けようとしているらしい。なら、俺も合わせた方が良いな。ひとまず、悩み続けることだけは避けられた。
とはいえ、敵はミュスカの全身を舐め回すように見ている。なんというか、不愉快極まりないな。どう見ても欲望丸出しで、見ていられない。
「なかなか上玉じゃねえか。女連れで来る場所じゃねえぞ?」
「せっかくだから、思い出に残したくてね。ね?」
ミュスカは俺に話を飛ばしてくる。まあ、言い訳としては妥当なんじゃないだろうか。俺達が重要拠点と判断する場所だからな。ある程度は、知られている場所と言える。
ちょっとバカなカップルでも演じていれば、うまく切り抜けられるかもしれない。
「確かに有名ではあるが……。こんなところにか?」
疑問を浮かべたような顔をしている。少し困ったな。疑われているのか、どうなのか。
ただ、手は思い浮かぶ。これでダメなら、たぶん殺し合いになるが。うまく行ってくれると良い。そう祈りながら、俺は財布から金を取り出す。
「まあ、落ち着くと良い。……ほら、こういうのはどうだ?」
「話が分かるじゃねえか。……まあいい。さっさと散れ」
顔をほころばせながら、金銭を受け取っていた。その後、手を振って追い出そうとしてくる。金さえ手に入れば、用はないのだろう。
ひとまず、助かった。いちいち殺してばかりいたら、もっと簡単に殺すようになるかもしれないからな。暴力以外の手段で切り抜けられたのは、大きい。
「じゃあ、行こっか。あんまり変なところを見られても、困っちゃうからね」
「そうだな。じゃあ、達者でな。まあ、もう会うこともないだろうが」
そう言って、俺たちは離れていく。相手から見えないところまで移動して、転移で逃げていった。目標は達成できたので、十分ではあったのだが。
中間拠点にしていた場所に転移して、一息つく。まずは、大きな役割を果たせたな。
「ふう、ちょっと焦ったな。ミュスカ、助かったよ」
「レックス君こそ、私を助けようとしてくれたよね。いやらしい目で見られてたの、気付いてたし」
ミュスカは微笑みかけてきた。まあ、俺が嫌だっただけなのだが。気を使ったと言えば、使ったと言えるのか。
まあ、感謝は素直に受け取っておくべきだよな。無駄に謙遜しても、ミュスカはいい気分がしないはず。
「なら、お互い様ってところか。最後の最後に、困ったものだ」
「でも、後はゆっくり帰っても大丈夫だよ。急がなくてもいいし、のんびりお話でもしよ?」
俺の手を取って、そっと優しく告げてくる。安心させるような響きが、俺の心に素直に入り込んできた。
まあ、危険な場所への移動はもう終わった。そうなってしまえば、ある程度は緩んでも良いのかもしれない。
どの道、今日明日で戦争ということにはならないだろうし。帝国にも、準備というものがあるのだから。
「そうだな。人の少ない場所を選べば、大丈夫か」
「さっきみたいな場所でなければ、仮に見つかっても問題ないんだし」
「まあ、そうか。旅人とでも言えば、ごまかせそうだな」
俺の返答に、ミュスカは弾けるように笑った。ひとまず、いい感触と言えるだろう。
さっきのことは、もう忘れているような感じだな。あんまり不愉快になっていないようで、何よりだ。俺は、素直に話していけば良い。
「うん。レックス君は、私の魔力をどう思う?」
「強いが、穏やかだな。触れていて、優しい気持ちになれるというか」
「あはは、レックス君らしいや。私に、ずっと気を許してくれているんだよね」
ミュスカは邪神と関わりがあるのだろうが、だからといって敵だとは思わない。思いたくもない。俺の仲間として、何度も支えてくれた相手だ。
実際、今回だって助けてくれているわけだからな。今となっては、本物の善意を持ってくれていると言って良い。
「まあ、そうだな。ミュスカのことは、信じている」
「レックス君の行動が、その証だよね。私の魔力を、平気で受け入れているもん」
そう言われれば、そうか。疑っている相手の魔力なんて、怖くて受け入れられないな。闇の魔力なんて、人を人形みたいにできてもおかしくないのだし。
ミュスカさえその気なら、俺を殺すことだって簡単だろう。だが、受け入れている。俺も、思っていたより深く信じているのかもしれないな。少しくらいは、疑いが頭に残っているような気がしていたが。
だが、今の方が良い。心から信じられるのなら、それが一番だ。
「確かにな。何も考えていないだけかもしれないが」
「そんなことないのは、分かるかな。どっちかというと、レックス君は警戒心が強いし」
「まあ、そうか。確かに、最初はミュスカに警戒していたものな。悪かったよ」
「ふふっ、私だって裏切る気だったから、おあいこだよ。ね?」
そういうことを当たり前に言ってくるあたり、原作のミュスカとは明らかに違う。もっともっと、俺の信頼を稼ぐために善人を演じていたはずだ。
だからこそ、信じる気持ちも強まってくる。その反応まで計算されていたのなら、お手上げだよな。できる人ではあるが。
まあ、俺を殺せる局面なんていくらでもあった。だから、疑うのはいまさらでもある。そう思うと、もっと心から信じ抜いて良いのかもな。警戒なんて、全部捨てて。
「なら、そう思うことにするよ。今みたいな関係になれて、本当に良かった」
「私こそ。ずっと信じてくれて、大切に思ってくれて、ありがとう」
とても、とても穏やかできれいな笑顔を見せてくれた。心から、幸せを感じているような。
やはり、ミュスカは魅力的な人だよな。裏表が消えた今では、余計に。前だって、もちろん良かったとは思うが。裏切られる恐怖は、正直あった。
たぶん、俺に気を使ってくれているのだろうな。心の中に、疑いは今でもあるだろうから。それを軽くしようとしてくれているはず。ありがたい。
「こちらこそ、だ。俺のために、色々と明かしてくれただろ?」
「なら、レックス君好みの情報を教えちゃおうかな」
「いったい、何があったんだ?」
「国境沿いに、魔力を侵食させたよね? その近くの村が、襲われそうになっているんだ」
「それは……。助けに、行きたいな……。帝国の村なのか?」
「やっぱり、そう言うと思ったよ。私なら、見捨てていたんだけどね」
答えがないのが、答えか。本来なら、避けた方が都合が良いのかもしれない。だが、目の前で殺されると分かっている人を見過ごすのは、正直嫌だ。
ミュスカも納得してくれるというのなら、俺はやりたい。ただの自己満足だとしても、それでも。
「つまり、手伝ってくれるんだな? よし、行こう」
ミュスカは、当たり前みたいに頷いてくれた。
よし、困っている人たちを助けに行こう。




