494話 エリナの興奮
レックスに剣を教えるためには、もはや今までの私では足りない。それは、以前から明らかだったこと。
だからこそ、私は自分の剣技をさらに先へと進めていく決意ができた。レックスの闇魔法を切り裂く剣も、そのひとつ。
とはいえ、ひとつだけでは不十分だ。レックスの才能を考えれば、どれだけでも不足を感じるほどなのだから。
私は、まずは自分を見つめ直すことに決めた。私自身の剣技に足りないものは何か、ずっと向き合い続けることで。
音無し。私の代名詞でもある、奥義そのもの。レックスに、最初に教えた剣技。それは、音すらも置き去りにする剣技ではあった。だが、その速度は一撃にだけ込められるもの。だから、もっと先があるということ。
カミラは魔法を込めた速さを常に保つことができる。レックスも、魔法によって加速できる。それに追いつくためにも、もっと速く、もっと鋭くする必要があった。
これまでは、相手の剣技を先読みすることで、先回りして剣を置くことで対抗してきた。だが、いずれ対応されることだ。そもそも、カミラもレックスも、もっと早くなるだろう。
ならば、私自身が速くなくてはならない。その道筋は、ひとつ。音無しを、連撃で使えるようにすること。すなわち、奥義でなくすことだ。ありふれた一撃として、使いこなさなければならない。
実現するために、私は自分の型から見直した。音無しは、足や尻尾の動きを剣にすべて込めることで速さを出す剣技。それを変えるということは、腕の振り方も足の使い方も尻尾の動きも、全部見つめ直すことが前提になったということ。
最初は、満足に剣も振れなくなった。どうやって剣を振っていたのか、分からなくなる瞬間もあった。カミラは、怪訝そうに私を見ていた。ハンナは、心配そうにしていた。弱くなったのだから、当然だろう。
それでも、任務で不覚を取ることはなかったが。自分を見失った私でも、そこらの雑魚よりは強かったようだ。
ただ、しばらくは同僚たちに迷惑をかけることもあった。頭を下げて、食事をおごったものだ。
結果として、私は音無しを通常攻撃に落とし込むことができた。コツは単純で、足を極限まで浮かせないこと。すべての力を、地面に叩きつけることだった。
その成果を手に、私はレックスと模擬戦をおこなった。敗北したとはいえ、レックスに新しい道を伝えることができた。それだけでも、師としては十分だろう。
実際、私と同様に音無しを使い続けようとしていたからな。まだ未熟ではあったものの、ある程度は形になっていた。本当に、恐るべき才能そのもの。
「レックスは、そろそろ明確に自分の型を見出してきたようだ」
私の剣技を取り入れつつも、自分なりに改変している。魔法と合わせた剣技ということもあり、当然の判断だ。
そもそも、私は獣人でレックスは人間。どうあがいても、身体構造の違いという点からは逃れられない。レックスは尻尾を生み出す魔法を作ってこそいるものの、それ以外にも差異はあるのだから。
ならば、レックス自身の型を見出したほうが、より強くなれるのは必然だろう。
「本来なら、喜ばしいことのはずなのだがな……」
どうしても、拳を握りしめてしまう。レックスの剣技を私の色に染め上げることが、できないということに。
理屈では、分かっている。今の形が正しいと。それでも、感情は着いてきてくれない。
その理由は、明らかだ。レックスの剣技に、カミラやハンナの影響も感じ取れてしまうから。切磋琢磨し合う関係なのだから、当然ではあるのだが。
「私の色から遠ざかっているという事実が、否定できない」
歯噛みをしてしまうほどの悔しさが、私の中にある。もはや、レックスの剣技を私で染め上げることは不可能だろう。
ならば、私の影響する割合を高めることが、今できること。つい、そう考えてしまう。
「レックスにも、自分に合った型というものはあるのだが」
身長も体格も、何もかもが違う。闇魔法という存在もある。だから、私に染め上げることは正しくない。分かっている。分かっているんだ。
それでも、どうしても望んでしまう。レックスの魂まで染まるほどに、私の剣技を刻みつけたいと。
本来、音無しというものは、剣だけで発動できるものではない。レックスが、見せた技のようにはいかない。魔力で操作しているのは、分かっているが。
つまり、私の剣技を大幅に改造したということ。それも、私の形とは程遠く。何を意味するのかは、明らかだ。
「他の誰かが影響を与えた証でもあるということ、だものな」
つい、黒い感情が胸の中で暴れまわってしまう。言葉として、あるいは動作として吐き出したくなるほどに。
いっそ叫びだせたら、どれほど楽なことか。レックスに感情をぶつけられればとすら、思ってしまう。
「良くない感情だとは、分かっているのだが……」
どう考えても、私の抱えているものは嫉妬でしかない。ヘドロのような黒い感情が、へばりつくようだ。
「まったく、女々しいものだ。いつから、私はここまで弱くなった?」
レックスと出会う前の私は、どうやって強くなるかを考えていた。それと、どうやって成り上がるか。他のことなど何も見ずに、ただまっすぐだった。
転じて、今の私はどうだ。すぐに感情を乱して、レックスのことばかり考えてしまう。まったく、困ったものだ。
「いや、違うのかもな。私は、ただ捨て続けてきただけ。それだけだったんだ」
私には、大切なものなど無かった。それが、客観的に見た事実だろう。守りたいものも、守るべきものも無かった。
それこそが強さだという考えも、確かにある。捨てることが容易いならば、簡単に逃げられる。命を拾う上では、どう考えても効率的だ。
根無し草であった私にとっては、正しい答えだった。今は、間違いなく選べない道だ。レックスを捨てることなど、あり得ないのだから。
「どうしても捨てたくないものを手に入れたら、これか……」
私は、まったくもって変わってしまった。レックスを染め上げるどころか、私が染められていたのかもな。
だが、悪くない。今の私は、案外嫌いじゃないんだ。レックスに、似ているからかもしれないな。
「レックスは、抱えることで強くなっている。ならば、私もそうあるべきなんだ」
レックスと出会ったから弱くなったなんて、恥だろう。師としてふさわしくない。弟子を得て強くなるならともかく、弱くなるなど。
だったら、私は強くなるだけだ。単純な話でしかない。
「私は、レックスの師。それに恥じない自分を、見せ続けなくては」
さらなる高みを、目指し続ける。そうしなければ、置いていかれるだけだろう。レックスにも、カミラやハンナにさえも。
ならば、立ち止まっている時間などない。もっともっと、鍛錬を続けなくては。
「近い内に、レックスも常に音無しを使えるようになるはずだ」
一度見せただけだが、おそらくそれで十分だろう。レックスは、圧倒的な才能を持っているのだから。音無しそのものを容易に覚えたくらいだ。造作もないんじゃないだろうか。
まあ、習得できないというのならば、それはそれで悪くない。一度、手取り足取り教えてやれば良い。
ただ、きっと次に会う時には極めてすらいるだろう。そんな予感があった。
「だからこそ、私はその先にたどり着かなければ。新たな技が、必要だな」
音無しに足りないものは、単純な威力。速さこそあるし、切れ味も悪くない。だが、硬いものを叩き切るほどの技ではない。
レックスの魔力に剣を潜り込ませることも、悪くはなかった。だが、もっと別の手段を持っておくのも大切なことだ。防御を貫くほどの威力が、理想だろう。
道筋は、見えている。速さを威力に転化すれば良い。そのために鍵となるのは、腕の使い方だろうな。
すぐにでも、完成させたいところだ。そうでなくては、レックスに新しい道は示せない。
「それすらも、レックスは超えるのだろう。おそらくは、容易に」
ただの剣士としてすら、圧倒的な才能がある。にもかかわらず、レックスの最も優れた部分は魔法なのだから。
私など、簡単に破ることができるはずだ。魔法との合一も、更に進化させるのだろう。
「もしかしたら、私に消えない傷を刻み込むのかもな……」
そんな想像をして、私は舌なめずりをしていた。どんな感情を抱いているのか、誰の目にも明らかになるだろう。おそらく、顔も歪んでいるのだろうな。
「くっ、はしたないぞ。そう興奮するようなことではないのに……」
そう自分に言い聞かせても、息が荒くなるのを感じる。私の中で、何かが爆発しそうになっていた。
レックスに組み伏せられたいとは、以前から考えていた。だが、それだけでは足りなくなってきたのだろう。私は、所詮はただのメスだということだったのかもな。
「レックス……。お前のせいで、私はおかしくなってしまったんだ……」
おかしな妄想をして、興奮して息を荒らげる。私は、そんな存在ではなかった。
だから、責任を取ってくれ。そうだろ、レックス?




