493話 カミラの愛情
あたしは近衛騎士になって、バカ弟と離れ離れになったわ。といっても、体だけのことではあるのだけれど。今でも、あたしの魔力はバカ弟に溶かし込んだまま。そこから、つながっているのだもの。
バカ弟がいま何をしているのかなんて、聞かなくても分かる。感情も、なんとなくは伝わる。だから、何も問題ないわ。
まあ、バカ弟はいろんな事件に巻き込まれているようだったけれど。特に苦戦している様子もなかったし、そこまで心配はしていないわ。ちょっと悩んでいる気はするから、話をしようか考えたこともあったけれど。
結局、本当に大事なことほど話さないのがバカ弟だもの。そこは、諦めていたわ。仕方のないやつよね。
しばらく離れていると、バカ弟が強くあたしのことを考えているのが伝わる瞬間があった。そのまま、通話を飛ばしてくる。あたしは、すぐに出たわ。これでも、お姉ちゃんだもの。弟の気持ちを、雑に扱う気はないのよ。
ほんと、お姉ちゃんが大好きだってことが分かったわ。声が聞きたくなって、顔が見たくなると言うのだもの。受け入れてあげるのが、度量ってものよね。
まあ、他の近衛騎士とも会いたいと言われたのは、シャクだったけれど。舌打ちをしそうになったわ。
それで、あたしたちでお茶会をすることになったのよね。まあ、普通の近況報告といった程度。それでも、バカ弟が喜んでいるのは分かったわ。嬉しそうな顔までしていたもの。子犬みたいなものよね、まったく。
ただ、それだけじゃないのがバカ弟よ。ちゃんと、強者としての側面も持っている。あたしとの模擬戦でも、全力で勝ちに来たもの。
その上、戦うたびに成長を見せていたわ。あたしやエリナ、ハンナの技を参考にしながらね。結局、誰一人として勝つことはできなかった。
一度勝ったくらいで、うぬぼれるつもりはなかった。けれど、どうしても差を感じてしまったわ。拳を握りそうなほどにね。バカ弟の前では、見せなかったけれど。
今バカ弟は、あたしたちとは離れているわ。それで、解散になったところ。あたしにとっては、都合が良かったわね。自分を振り返るきっかけになるもの。
与えられた部屋で、しっかりと戦いを思い返していたわ。次に、どうやって勝つかの道筋をつけるために。
「そう簡単にはバカ弟に勝てない。分かっていたけれど、腹だたしいわね」
あたしはただの一属性使いで、バカ弟は特別な闇魔法使い。その時点で、とても大きな差はあったのだもの。簡単に超えられる壁ではないことくらい、最初から知っていたわ。
それでも、感情が暴れ狂いそうになるのを感じてしまう。壁でも殴りそうなほどに。
一度勝ったからこそ、余計に心にトゲが突き刺さっていくのが分かるのよ。せっかく縮めた距離を、突き放されるようで。あたしは、静かに震えていた。
「魔法との合一では、上を行っていた。そんなこと、なんの慰めにもならないわ」
殴り合いで負けて、相手より重いものが持てると言い張るようなもの。無意味極まりない、無駄な考えそのものだわ。
勝てなければ、何で上回っていようと関係ない。そもそも、上回っているという言葉自体が、くだらない言い訳に落ちるのだから。どれほどの研鑽も技も、勝って初めて意味を持つものよ。
だからこそ、今のあたしになんて価値はない。少なくとも、バカ弟の敵としては。だったら、やるべきことは決まっているわ。
「まだ、もっと先を目指すべきなのよね。剣も、魔法も」
バカ弟は、魔法との合一に新しい形を見せた。一部分だけ合一を解いて、そこで新しい技を使う形を。
だったら、あたしもできるようになるべき。そうね。剣で心臓を貫かれても、そこだけ合一して避けるとかどうかしら。実現は、できる。やるだけよ。
ただ、それだけでは足りないはずよ。今回だって、少なくともあたしとの戦いの時は、合一の技能はあたしが勝っていた。けれど、結果は負け。あたしは、合一以外の武器を持たなければならないの。
思いつくものはある。腹立たしいけれど、とても有用と認めざるを得ないものが。
「……仕方ないわね。手段を選んでいる余裕は、あたしには無いわ」
そう。バカ弟は、とてつもない速度で進化している。なら、あたしには迷いもためらいも不要。どこまでもまっすぐに、強くならなくちゃいけないのよ。
誰がなんと言おうと、あたしはバカ弟に勝つ。そのために、何だってやるだけ。
「エリナの技、ちゃんと盗ませてもらわないとね」
かつては、バカ弟の師として剣を教えていた。今でも、関係自体は壊れていないみたいだけれど。当時は嫉妬したものよね。あたしには剣しかないのに、バカ弟は遊びで師を手に入れていたんだから。
今となっては、バカ弟の本気は分かるけれど。そうじゃなきゃ、エリナが感心するほどの剣技なんて使えない。どれほどの才能があったとしても、それだけに溺れるのなら潰れるだけ。あたしより属性が多い魔法使いの多くが、あたしの敵になれないように。
だからこそ、あたしはレックスを認めている。全身全霊をかけて挑むべき存在として。なら、バカ弟を超えるだけの本気をぶつけるだけ。それでこそ、お姉ちゃんってものでしょ。
「音無し自体は、放てなくもないわ。ただ、それじゃ論外だもの」
エリナは、それを常時放つという形を身に着けた。バカ弟には、通じなかった。ただ音無しを撃てるだけで満足していたら、何にも手が届かないでしょうね。
あたしなりに、剣技と魔法の形を極める。合一の、その先に行く。一度は奥義だった技だけど、もう通用しないのだもの。だからって諦めるわけがない。なら、答えは決まりきっているわ。
ほんと、生意気なやつ。一度刻みつけた証すら、遠くなるだけなんだもの。
「まったく、一度つかんだと思えば、すり抜けていくばかりよ。困ったものね」
たった一度だけ、手が届いた。それだけを胸に自分を慰めるつもりはないわ。無理矢理にでも、あたしのところに引きずり込むだけ。
「一度ギッタンギッタンにしただけじゃ、足りないわ」
消えない傷を刻み込めはした。けれど、肉体だけの話だもの。あたしとバカ弟の関係は、体だけで終わって良いものじゃないわ。
そう。レックスの魂にまで、あたしを刻み込む。まだ、満足するには早すぎるくらいよ。
「まだ、バカ弟を泣かせていないもの。もっと、もっとよ」
バカ弟は、涙を必死でこらえようとするでしょうね。泣くのはカッコ悪いとか思っているんでしょ。別に、どうでもいいことだけれど。
あたしにとって大事なのは、バカ弟の泣き顔を拝むことだけなんだから。力の差で、ねじ伏せてね。
「きっと、とっても可愛いんでしょうね。ゾクゾクするくらい」
想像しただけで、震えちゃいそうなくらいよ。胸の高鳴りも感じるわ。これこそが、愛情ってものよね。
どれだけ無様に泣こうと、笑いはしないわ。むしろ、優しく頭をなでてあげるでしょうね。
「あたしの手で、バカ弟を……。ふふっ、悪くないわ」
その瞬間は、とても満たされるのでしょうね。今からでも、分かりきっているわ。
だからこそ、強さに妥協なんてできないわよね。バカ弟を泣かせる瞬間を、少しでも早めるためにも。
弟ってのは、お姉ちゃんには逆らえないものよ。それを、心で理解させてあげる。
「もちろん、ただいじめるだけじゃないわよ。お姉ちゃんなんだから」
愛する弟だもの。いくらバカ弟だからって。ただ傷つけてそれで終わりなんて、かわいそうじゃない。
あたしには、いくらでも甘えても良い。それも、ちゃんと教えてあげなくちゃ。
「大事に大事に、可愛がってあげるわ。あたしの胸で、抱きしめてあげる」
ちょっとくらいイタズラしても、許してあげるわ。泣くほどのことがあったのだから、甘やかすのも大事なことよね。
お姉ちゃんに触れられるのなら、きっと大喜びでしょ。バカ弟は、単純なんだし。だから、存分に泣きなさい。
「バカ弟の涙を吸って、あたしの胸は満たされるのよ」
喜びも悲しみも、あたしがどれだけだって与えてあげるわ。だから、あたしに抱きついてきなさい。悔しさに打ち震えながら。痛みに耐えながら。
その全部を、あたしが塗りつぶしてあげるわ。優しく抱きしめて、胸で涙を拭ってあげる。そして、体温と優しい声で満たしてあげましょう。
あたしがそんなことをするのは、バカ弟にだけ。だから、ちゃんと感謝しなさいよね。
「そうと決まれば、また訓練よね。強くならなくちゃ、何も始まらないもの」
バカ弟に勝たなくちゃ、絵に描いた餅で終わるだけ。そんなこと、許さない。レックスの喜びも、悲しみも、あたしが受け止めるためにあるんだから。
お姉ちゃんってのは、弟だけを考えて生きるものなのよ。
「あたしの方が強くなったら、守ってあげてもいいわ」
バカ弟には、どうせ敵が多いんだから。代わりに殺してやることくらい、いくらでもするわ。
だって、お姉ちゃんが弟を守るのは、当然のことなんだから。未来永劫変わらない、摂理そのものよ。
「だから、バカ弟はあたしのものよ。体も、心も、ぜんぶ、ぜんぶね」
あたしの前で泣きなさい。笑いなさい。あんたのすべてを、抱きしめてあげる。
そのためだけに生きるのよ。ねえ、レックス?




