428話 歪みの中で
ひとまず、ブラック家で抱える事業や問題については落ち着いていると言って良い。解決したという意味ではないが、状況が大きく動くこともないといったところ。
今の段階で、どれだけ手を打てるかが勝負を分ける。ということで、闇魔法の侵食については大きく範囲を広げておいた。俺の仲間がいる場所には、いつでも防御魔法を展開しているし転移もできる。
ということで、次に何ができるかを考えているところだ。あくまで、俺にできることは闇魔法の運用。分かってはいるのだが、つい頭を働かせてしまうな。
そんな風にうなっていると、心配そうな声が届いてきた。
「レックスちゃん、大丈夫なの? 変な人に、妙なことを言われたりしていない?」
モニカは眉を寄せてこちらを見ている。変な人というのは、誰を差しているのだろうか。ブラック家に対して流れる噂を聞いたのか、あるいは新しい人員に対してなのか。
いずれにせよ、今のところは気にするようなことは言われていない。正確には、どう対処すべきかくらいは考えているが。モニカの心配するような、心が苦しいみたいな事はないのは確かだ。
「問題ないよ、母さん。むしろ、新しい仲間ができて順調なくらいだ」
「マリンさんね……。レックスちゃんが認めたのなら、多くは言わないわ」
少し歯に物が詰まったような言い方をしている。思うところがあるというのは、分かる。アカデミー出身者への差別なのか、あるいは新しい人に対して警戒心を持っているだけなのか。それとも、マリンに対してなにか感じるところがあったのか。
どれであったとしても、マリンに今のような態度を見せないでほしいものだ。モニカがきっかけでマリンが離れるようなことになれば、俺はどうして良いのか分からなくなってしまう。
まあ、モニカは俺を大事にしてくれていることだけは間違いない。そこを攻めるのが良いだろう。
「俺にとって大事な仲間だということは、覚えておいてくれ。好きになれとは、強制はできないが」
「分かっていますわ。レックスちゃんの大事な人を、遠ざける気はないですもの」
微笑みながら、そう言っていた。なんだかんだで、俺のことをしっかり愛してくれているんだよな。どこか歪んでいるとはいえ、嬉しい感情ではある。
これまで、ずっと接してきたからな。どんな本性であれ、情が湧いているのは事実なんだ。それに、きっと今のモニカならば、ことさらに人を傷つけたりしないはず。そう思える。善性の発露ではないことは、分かってしまうが。
だが、構わない。結果として行動に問題がないのなら、どんな内心を抱えても良い。それは、ミュスカとの件で確信したことだ。良い人を演じ続ける腹黒だったわけだからな。それでも、仮面に価値がある。そう決めたんだ。
なら、迷わず進むだけだ。俺はモニカを信じる。ミュスカを信じているのと、同じように。
「それなら、安心だな。まあ、俺の見る目がない可能性もあるが。そこは、気にしてもらえると嬉しい」
「レックスちゃんは、やっぱりわたくしを大事にしてくれるのね……」
「当たり前だろ。母親を大事にするなんて、そうおかしなことじゃない」
「母親として、なのね……」
目を伏せて、胸を手で抑えていた。少しだけ、理由が分かってしまう。モニカは、俺を男として見ている。だからこそ、母親という立場が邪魔に思えるのだろう。
父を殺したのは俺で、モニカを歪めたのも俺だ。だからこそ、絶対に否定だけはしてはならない。俺だけは、絶対に。そうだよな。
「どうかしたか、母さん? 何かあったら、言ってくれよ」
「ねえ、レックスちゃん。お願いがありますの。聞いてくれる?」
「よほどの無茶でなければ、まあ……」
「レックスちゃんを傷つけたりしない。約束しますわ。レックスちゃんの大切な人も。だから……」
「ああ、分かった。なんでも言ってくれ、母さん」
「母さんじゃなくて、モニカって読んで……? ねえ、レックスちゃん」
熱情を感じさせる目で、そっと俺の頬に触れてくる。愛しい男にするかのように。俺は、少しだけ息を呑みそうになった。全力で、こらえた。
「それは……。いや、分かったよ。モニカ。これで、良いんだな」
「ありがとう、レックスちゃん……。あなたは、本当に優しいわね……」
俺の頬を撫でながら、柔らかく微笑んでいた。これが、俺なりの責任だ。モニカの夫を殺し、苦しみの中へと追いやったことへの。
父は殺すしかなかった。モニカですら、そう言うだろう。王家への反乱を企てていたのだから。それでも、愛する夫だったはずだ。それを失った傷がどれほどか。俺には推し量ることすらできない。
なら、良いじゃないか。母に甘い言葉をささやくのだとしても。それで、モニカが救われるのなら。
「とはいえ、場所は選ぶからな。いくらなんでも、公の場では無理だ」
「ええ、分かっていますわ……。それでも、ふたりの時間だけは……」
懇願するかのように、モニカは語る。俺という存在がなければ、立っていることすらできないかのように。
モニカを壊してしまった俺の罪を、あらためて思い知らされる。結局のところ、俺にモニカは救えないのだろうな。それでも、俺は寄り添い続けるだけ。少しでも、心が癒やされるようにと。
「そういうことなら、できるだけ時間を作るよ。とはいえ、忙しい時もあるだろうが」
「本当は、ずっと……。なんてね。わたくしも、分かっていますもの……」
とても寂しそうに、モニカは薄く微笑みを浮かべた。俺には守るべきものがある。それは、モニカだけではない。だからこそ、すべての時間をモニカに捧げることはできない。どうか、許してほしい。
だが、だからこそ希望につながるのかもしれない。俺以外の存在に、愛着を持つ機会になるのかもしれない。そんな希望を込めて、俺はモニカの両手を握った。
「できればでいい。メアリやジャン、俺の仲間たちにも優しくしてやってくれないか?」
「レックスちゃんが望むのなら、やりますわ。あなたのためだけに、わたくしは……」
今のところは、俺のために義務感で仲良くするのだろう。だが、メアリは良い子で、ジャンは立ち回りがうまい。他のみんなも、それぞれに魅力的だ。
だから、いつかモニカの心を溶かしてくれるかもしれない。俺には、きっとできないことだ。
それでも、今はモニカを支え続けよう。少しでも、きっかけをつかみやすくなるように。
「ありがとう、モニカ。これからも、よろしくな」
「ええ、ええ……。わたくしの、レックスちゃん……」
「俺は、モニカにも幸せになってほしいと思っている。それだけは、伝えておきたい」
「レックスちゃんがいてくれる限り、わたくしは幸せですわ。だから、ブラック家の妻として、役割を果たしますわよ」
そう言って、目を細めた。冷徹さが見える瞳で、ブラック家らしさを感じさせた。
もしかしたら、敵の存在はいい材料になるのかもしれない。八つ当たりの対象としてではあるが。
俺も、心の中で冷たい計算をしている。ブラック家に、染まってきたのかもな。だが、染まり切ったりはしない。そうなってしまえば、染めた家族たちこそが悲しむのだから。
俺は固く誓いながら、モニカに笑顔を向けた。
「ありがとう、モニカ。お前が手伝ってくれるのなら、百人力だ」
「まずは、ブラック家の敵を探すべきですわね。任せてくださいな、レックスちゃん」
「そうだな。噂話にも、どうにか対処しないとな」
俺の言葉に、モニカは唇を釣り上げた。本当に敵だというのなら、俺はモニカの蛮行を見過ごすかもしれない。そんな思考が、頭によぎった。




