398話 ハンナ・ウルリカ・グリーンの心
わたくしめやミーア殿下が企んだ通りに、近衛騎士たちは任務へとおもむきます。その先で、闇魔法使いと相対しました。部隊の多くが情報を持ち帰ることすらできずに死んでいったのです。
とはいえ、全滅まではしていませんでした。まだ生き残りがいる。ですから、次なる矢を打つために備えていたのです。
レックス殿を呼び出したのも、策の一部ではありました。レックス殿が近衛騎士の名誉を踏みにじれば、きっと近衛騎士は崩壊に近づく。そんな狙いもあったのです。もちろん、レックス殿に活躍させたいという意図もありましたが。
結果的には、二の矢も三の矢も必要ありませんでした。わたくしめの計画していないところで、近衛騎士の拠点は闇魔法使いに襲撃され、そして近衛騎士はわたくしめを除いて死んだのですから。
下手人である闇魔法使いは、レックス殿によって討ち取られました。わたくしめには、疑問もありましたが。闇魔法使いはどこで現れたのか。それを知ることはできなかったのです。
とはいえ、大きな成果を手に入れられたことは事実でした。ひとり、喜びの笑みを浮かべるほどには。
「これで、近衛騎士はわたくしめだけになりましたね」
ほの暗い喜びが、わたくしめの脳髄を犯すかのようでした。ゾクゾクした震えとしびれが、全身を満たしていたのです。
わたくしめがどれだけ近衛騎士たちを憎んでいたのか。それをようやく心から理解できたような気がしました。
ずっとずっと、無惨に死んでほしいと思っていたのです。居なくなってほしいと願っていたのです。消えてしまえと念じ続けていたのです。それが叶ったことが、わたくしめの胸を満たしていました。
「ようやく、レックス殿をバカにするだけの人たちは居なくなったのです」
レックス殿のために、わたくしめは頑張ったのです。レックス殿に褒めていただきたいという気持ちも、どこかにありました。ただ、わたくしめは隠そうとしていたのですが。
きっと、心のどこかで気づいていたのでしょうね。わたくしめのしていることは、間違っていると。レックス殿に誇れることではないと。それでも、わたくしめは進み続けようとしていたのです。
「今なら、もっとレックス殿と仲良くできるでしょうか……」
そんな妄想をしながら、わたくしめは次に向けて計画を練っていました。どうやって、近衛騎士を新しくしていくかと。
後になって気づいたことですが、わたくしめは歪みきっていたのでしょうね。本当に目指していたものを見失うほどに。
結局は、近衛騎士としてカミラ殿とエリナ殿が任命されました。彼女たちは、闇魔法使いを軽々と倒しました。あまつさえ、レックス殿に模擬戦で勝利を掴み取ってしまったのです。
レックス殿に買ったことが決め手となり、ふたりは近衛騎士となったのです。ただ、当時のわたくしめの心には、強い嫉妬があったのです。
自分の心に向き合えなかったことも、後の失敗を生み出していたのでしょうね。
「カミラ殿もエリナ殿も、とても強い。仲間として、頼もしいものです」
そう言いながら、心では納得していませんでした。わたくしめには、レックス殿に勝てる姿が想像できない。なのに、ふたりは勝っていたのですから。
焦りと怒りと嘆きとが、わたくしめの中に深く刻まれていたのです。ですが、見ないふりをしていた。高潔な騎士として、正しい言動をしようとしていた。無自覚なままに。込めるべき心を、見失ったままで。
「わたくしめも、同じくらい。いえ、もっと強くならなければなりませんね」
そんな決意は、わたくしめの中にはなかったのです。本当は、憎みすらしていたのかもしれません。レックス殿を奪われそうで。わたくしめの価値を失いそうで。
だからわたくしめは、一度折れることになる。そうと知らぬまま、ただ惰性で進んでいたのです。
「レックス殿に負けるのが、わたくしめだけであってはならないのですから」
そんな言葉も虚しく、わたくしめは失敗しました。闇魔法使いに挑みかかり、当然のように負ける。そして、自室で涙を流し続けていたのです。泣き声もあげることなく、ただはらはらと。
わたくしめは、何も理解していなかったのです。本当に持つべき心が、どんなものかを。強くなるために必要なものが、なんなのかを。ただ悲劇だと感じながら、嘆き続けていたのです。それこそが、わたくしめの愚かさを示す最たるものでした。
「わたくしめは、負けた……。レックス殿でもない、ただの魔法使いに……」
うつむいたまま、言葉をこぼしていました。わたくしめは、レックス殿に助けられた。そのまま、茫然自失として自室に帰っていった。わたくしめの目指していた騎士は、苦しいときにこそ立ち上がる。そんな事も忘れ去ったまま。
「何が悪かったのです? なぜ、皆さんはわたくしめが勝てないと言っていたのです?」
自分に向き合わず、ただ周囲の問題ばかりを探していました。そんな姿は、わたくしめが嫌っていた近衛騎士と同じだということにも気づかずに。
わたくしめは、迷子でした。どこに進むべきか、分からないままでした。きっとひとりでは、立ち直れなかったのでしょう。
「分からない。何も、分からない……。どうして、わたくしめは……」
ずっと塞ぎ込んだままだったわたくしめを見て、レックス殿は立ち上がりました。俺の姿を見ろと言い、カミラ殿やエリナ殿に挑んでいったのです。負けた相手に、次は勝つために。
レックス殿は、どれほど傷ついても進んでいました。傷だらけになってまで、前を見ていました。その姿を見て、わたくしめの心は燃え上がったのです。
誰かのために立ち上がり、傷ついてでも進み続ける。そんな姿こそ、わたくしめの憧れた騎士だったのですから。レックス殿は、騎士の称号を得ずとも知っていたのです。本当に必要なことを。
わたくしめは、ただ近衛騎士を目指していただけでした。称号を目当てにしていただけでした。そんな自分の小ささを、少しだけ嘆きました。だけど、もっと強い炎が灯っていたのです。
レックス殿のように、わたくしめも生きてみたい。レックス殿に、尊敬されたい。レックス殿に、わたくしめを刻みつけたい。そんな心だけで、わたくしめは満たされていたのです。
だからわたくしめは、再び立ち上がることができた。レックス殿に誇れるわたくしめであることを目指すことこそが、わたくしめの新しい道だったのです。
「レックス殿……。おかげで、わたくしめは強くなれましたよ」
レックス殿の背中は、これまでの人生で見たすべてより輝いていました。きっと、生涯忘れることはないでしょう。わたくしめの魂に、強く強く刻みつけられたのですから。
わたくしめのために、傷ついてでも戦ってくれる。そんな人を裏切ったら、わたくしめは終わりです。
「あなたの想いは、何があっても忘れませんから。どんな未来でも、必ず」
だから、レックス殿の支えになりたい。レックス殿の笑顔を守りたい。そして何より、レックス殿にふさわしいわたくしめで居たい。
わたくしめの心には、新しい騎士の形を刻みつけられました。だからもう、迷ったりしない。そう思えたのです。
「わたくしめは、レックス殿の隣にいたい。誰よりも側で、あなたを見ていたいのです」
本当に憧れた騎士と、並んで戦いたい。手を取り合って、助け合いたい。それだけでなく、わたくしめを好きになってほしい。そこまで考えて、胸の奥が弾みました。
わたくしめは、ついに自分の心を見つけることができたのです。
「ようやく分かりました。わたくしめは、あなたが好きなんです」
それからのわたくしめは、どこまでも努力できました。以前より、ずっと強い心を込めて。そうするだけで、どんどん強くなれたのです。
邪神の眷属は、レックス殿が打ち破ってしまいましたが。今度はわたくしめが倒す。そんな決意を込めて、レックス殿と戦いました。
負けてしまいましたが、わたくしめに迷いはありませんでした。進むべき道をまっすぐに見据えて、歩み続ける。そんな覚悟が定まっていたのですから。
「近衛騎士は、これから忙しくなりますね。大変そうです」
カミラ殿やエリナ殿。わたくしめの仲間は、とても強いです。レックス殿に勝つほどに。ですが、負けません。騎士として、戦士として、恋敵として。絶対に、勝ってみせます。
わたくしめは、もう迷わない。目指すべき道は、ブレたりしないのです。だから、邪神の眷属を打ち破るほどに強くなってみせますね。レックス殿がいなくても、勝てるように。
そのために、しばらくはお別れです。レックス殿と離れることは、とても、とても寂しくはありますが。
「ですが、いい機会です。レックス殿に、わたくしめを素敵だと思ってもらいたいですから」
そのためには、どんな敵でも打ち破ります。どこまでだって成長してみせます。レックス殿が尊敬できるわたくしめを、あなたに刻み込んでみせますから。
「見ていてくださいね、レックス殿。わたくしめは、あなたが尊敬できる騎士になりますから」
ですから、ずっとわたくしめを見ていてください。あなただけ居てくれるのならば、わたくしめは無敵なのですから。
ただ、わたくしめを捨てようとしたのなら、きっとわたくしめはどこまでも堕ちていきます。
絶対に、見捨てないでくださいね?




