289話 ラナの妥協
あたしは、レックス様に尽くすための手段を考えていました。インディゴ家の当主になってからも、ずっと。
レックス様が喜んでくれると考えただけで、胸が熱くなります。体が火照るような感覚があります。だから、そのためなら何だって捧げる。そんな未来を目指して、突き進んでいたんです。
ただ、あたしの計画に、大きな支障をきたす事件があったんです。そこからです。あたしの考えが変わったのは。
「フェリシアさんには、してやられましたね……」
フェリシアさんは、ブラック家とヴァイオレット家の同盟を宣言する場で、レックス様の頬にキスをしました。誰が見ても、フェリシアさんがレックスさんを好きでいることなど分かります。そして、その情報は広まっていきました。
レックス様とフェリシアさんは、お互いを想い合っている。そんな噂にまでなっているという知らせまでありました。思わず、歯を食いしばってしまいましたね。
あたしは、大きく出遅れてしまった。それも、あたしの目の前で。止められなかったことは、何度も悔やみましたよ。
「あれで、外堀は大きく埋められたと言って良い。なら、正攻法は分が悪いです」
少なくとも、同じ手は封じられました。あらゆる意味で、得策ではありません。レックス様と結ばれようとすることも、かなり厳しくなったでしょうね。
フェリシアさんはレックス様のパートナー。そんな風聞が、本当に広まっていましたから。彼女の狙いは分かっていたのに、手を打てなかった。これは、完全に失策ですよね。自覚した時には、唇を噛みましたよ。
あの一手で、あたしの取れる戦略の幅は、大きく縮まったと言って良いでしょう。
「下手な手を打てば、あたしは単なる泥棒猫になってしまいますから」
先に手を打った者が強い。当たり前の事実を、強く突きつけられていましたね。外堀を埋めるというのは、周りに対する牽制でもあるんです。
言ってしまえば、レックス様に手を出す女は、ヴァイオレット家に喧嘩を売るに等しい。それだけではありません。すでに決まった相手がいる男に手を出す女だと思われるのです。
まあ、そのような恥程度なら、立場がなければ気にしなかったのでしょうが。アバズレと思われるだけでレックス様が手に入るのなら、安いものですから。
ただ、インディゴ家の立場が揺らいでしまえば、あたしが当主の座を追われてしまえば、レックス様に迷惑をかけてしまう。その事実が、あたしの足を止めていました。
「そうですね……。単に恋人の立場を狙っても、今から挽回するのは難しいです」
フェリシアさんが大きな失策を犯さない限りは、難しいでしょう。真正面から攻めるのは、避けるべきでしょうね。
本当に、よくできた手を打たれたものです。対応する立場になったら、よく分かりますね。完全に、後手に回ってしまいましたから。拍手でも送りたいくらいですよ。レックス様を奪おうとされていなければね。
まあ、レックス様が一人の女だけを愛する必要はありません。そんなに小さな人ではありませんから。というか、むしろ複数人に手を出してもらわないと困ります。あたしの居場所が、無くなってしまいますから。
とはいえ、他の女と同じ立場に収まってなんて居られない。少なくとも、何か特別でありたいんです。レックス様にとって、必要な存在でありたいんです。
「なら、別の立場を目指すしかないですよね。レックス様にとっての、唯一無二を」
そのためには、どうするべきか。しっかりと、策を練らなければいけません。フェリシアさんに負けない立場を手に入れるためにも。
つまり、あたしの持っている強みを、個性を、最大限に利用する必要があるんです。
「今のあたしは、レックス様に売られた女。そして、貴族の当主」
あたしが売られたことすら、うまく考えれば強みになるはずなんです。だって、レックス様はお優しいですから。あたしの心に、寄り添ってくれる人ですから。その心を活用しようとするあたしは、悪い子ですけどね。
そして、貴族の当主であること。単に当主というだけなら、フェリシアさんだって同じです。ですから、別の使い道を探す必要があるでしょう。
「あたしの立場を、正しく利用しないといけません」
貴族でありながら、レックス様とは対等でない。その状況を、全力で活かしていく。それが、正しい戦略というものです。
あたしは、レックス様の傍に居る。それだけは、何があったとしても譲れないんですから。
「そうですね。前から持っていた方針を流用しましょうか」
もともと、インディゴ領を拡大しようと考えていました。レックス様のお役に立つために。さらなる力を手に入れて、より活躍するために。
あたしは、魔法の才能という意味では凡庸です。ですから、もともと考えていたことではあります。自分の領地を利用することで、レックス様との関係を変えるのだと。
「あたしは、レックス様に全てを捧げる。それは、今でも変わっていませんから」
あたしが持つ全てを、ね。当然、そこにはインディゴ領も含まれます。ですから、捧げるものを多くするのも、大切なことですからね。
そして、あたしとレックス様の関係は、フェリシアさんとレックス様との関係とは違うものになります。きっと、フェリシアさんは対等を望んでいますから。あたしは、レックス様の下でいいんです。下がいいんです。
「だったら、あたしの全てがレックス様のものだと知らしめましょう」
大勢の前で、あたし達がどんな関係かを示してみせます。レックス様の忠実なる配下だと。あたしを慕う者たちには、しっかりと教えてあげないといけないですね。レックス様が、どれほど偉大かを。
そして何より、レックス様との関係を邪魔される訳にはいきません。今度こそ、クロノのような邪魔者は生まない。あたしを慕うからといってレックス様を敵視するような愚か者は。居たとしたら、処分するだけです。
あたしは、レックス様のものになるんです。それが、あたしの道です。
「恋人になれないとしても、傍に居られるのなら良いんです。もともと、立場が違うんですから」
あたしは、レックス様に売られた。その事実は、消えたりしないんですから。そんな相手を妻にするのは、難しいでしょう。どう考えても、釣り合いませんから。
ならいっそ、下であることを追求するだけ。レックス様に、しっかりと仕えるだけなんです。
「ふふっ、これで、名実ともにレックス様のしもべですね。あるいは、奴隷でしょうか」
頂いたチョーカーは、首輪の代わりにしましょう。あたしは、レックス様のためだけに生きる。その証として。うん、悪くないです。
レックス様に使っていただけると思うと、背筋に痺れが走ります。思わず、震えてしまうほどに。想像するだけで、素晴らしい未来ですよね。
「レックス様は、自分からは望んだりしない。だからこそ、あたしは特別になれるんです」
おそらくは、しもべも奴隷も痛ましいものだと思っているのでしょう。ですから、他の人を同じ立場にしようとしない。それこそが、あたしの願いを叶えてくれるんです。
「良いですね。あたしだけの特別。気分が乗ってきます」
つい、笑顔になってしまいますね。はしたない顔をしているでしょう。レックス様には、見られたくないような。でも、とっても清々しいんですよ。とっても、楽しみになってきました。
「そうとなれば、具体的な手段を練らないといけませんね……」
あたしの頭が、どんどん回っていく感覚がありました。きっと、今までの人生で一番。
レックス様。あたしは、あなたと幸せになりますからね。




