283話 ウェスの誓い
わたしは、ご主人さまのメイドとして、インディゴ家まで着いてきました。ヴァイオレット家の時もそうでしたが、わたしを選んでくれるという事実は、とても嬉しいです。
きっと、他の家にだって優れたメイドは居るのでしょう。むしろ、熟練のメイドをあてがわれる可能性は高いと思います。ご主人さまは、とっても偉大なんですから。フェリシアさまにとっても、ラナさまにとっても、すごく大事な人でもありますし。
ですから、今の立場はいつ失ってもおかしくはない。少なくとも、理屈の上では。もちろん、ご主人さまはそんな事をしないんですけどね。それは、絶対と言って良いと思います。
わたしにくれた温かさは、ずっと続いているんですから。ご主人さまがわたしの幸福を望んでくれていることくらい、分かるに決まっていますよ。
それに、大好きで居てくれることも。単なる奴隷で、いくらでも使い捨てられる存在でしかなかったわたしを。今の立場は、もう奴隷なんて言えませんよね。わたしは、普通の人として扱われているんです。いえ、もっと大事にされていますね。
「ご主人さまは、私のお世話で喜んでくれる。とっても嬉しいですっ」
正直に言えば、もっと優秀なメイドは簡単に見つかると思うんです。もちろん、私だって努力は欠かしていませんけれど。ただ、アリアさんと居ると経験の差を感じますからね。わたしは、単なる普通のメイドです。
そんな普通のメイドのお世話を、もっと優秀な相手より喜んでくれる。それこそが、ご主人さまの優しさの証だって思いますね。わたしだから嬉しい。別の言い方をすると、大切な相手だから嬉しい。素敵なことです。
つまりそれって、わたしを好きで居てくれる証拠なんですから。きっと、ずっと一緒に居たから。こう言ってはなんですけど、特殊な趣味ですよね。もっと美人も、もっと優秀な人も、いくらでも出会えるのがご主人さまなんですから。
ただ、わたしよりご主人さまが好きな人は、ほとんど居ないと思います。それだけは、自信をもって言い切れます。それは、ご主人さまだって分かってくれていると思いますけれど。
それは、わたしの気持ちを大事にしてくれている証ですから。胸がポカポカするって、きっとこんな感覚なんですよね。
「こうしていると、ご主人さまで良かったって思えますね。たぶん、メイドの立場の中でも恵まれていますからっ」
兎の耳が動いているのが分かります。ご主人さまに見られたら、恥ずかしいですね。その前に、アリアさんにたしなめられるでしょうけど。感情を表に出すのは、ご主人さましか居ない時。そうあるべきだと。
はしたないと怒られるようなことをしても、ご主人さまは許してくれます。きっと、他の家のメイドだと、あり得ないです。もちろん、甘えるつもりはないんですけどね。わたしは、この仕事に誇りを持っているんですから。
ご主人さまが喜んでくれることは、とても大切なこと。わたしの大事なやりがいです。
「感謝を細かく言葉にしてくれるなんて、すばらしいことですっ」
メイドの仕事なんて、やって当たり前。そんな物言いをしている人も、見たことがありますから。ありがとうと言ってくれるご主人さまは、とても素敵ですよね。
わたしが苦しんでいないか、悲しんでいないか、何度も気にしてくれる人でもあるんです。黒曜なんて、ただのメイドが持っていて良いものではありません。でも、わたしの安全を考えて渡してくれた。
メイドになったばかりの頃から、ずっと優しくしてくれました。その感謝は、きっとわたしにしか分かりません。
死んでしまうことが救いだと思っていた以前のわたしは、もう居ない。今のわたしにとって、ご主人さまこそが救いなんです。あの時右腕を失って、本当に良かった。今では、そう思えるんですよ。
「噂で聞く獣人の国にいるより、ずっと幸せなはずです」
人間なんて居ない楽園。そんな風に聞きますけど。ご主人さまが居ない場所が、楽園であるはずがないんです。わたしにとっての幸福の象徴は、ご主人さまなんですから。
わたしに手を差し伸べてくれたこと。ずっと大切にしてくれていること。そして、わたしを大好きでいてくれること。何もかもが、最高なんですよ。
結局、わたしなんて替えがきく存在でしかないんですから。少なくとも、能力面では。そんなわたしが幸せになれる場所なんて、他にはないんです。
だから、ご主人さま以上の人には出会えない。どんな世界であったとしても。きっと、間違いじゃないんです。
「でも、そんなご主人さまにも敵がいる。許しておいて、良いんでしょうか」
心の中で、炎が燃え上がっているのを感じます。理由なんて、簡単です。わたしの大切なご主人さまに、誰よりも優しい人に、敵意を向ける。そんな相手は、どれほどの罪人か。そんなの、考えるまでもありませんから。
ご主人さまなら、きっと許そうとしてしまうんでしょうけど。わたしは、その考えに従うべきでしょうか。
「なんて、答えは決まっていますよね。誰に聞いても、同じですよっ」
アリアさんも、ご家族も、ご友人も。みんな、許しはしないでしょう。わたしだって、同じ気持ちです。ご主人さまは、わたしのすべて。それを否定するのなら、わたしの敵なんです。
仮に、人間から獣人を解放しようなんて人が現れたとします。きっと、わたしは殺すでしょうね。ご主人さまとわたしを引き離そうとするんですから。
「わたしは、ご主人さまと一緒に居られる幸せを守るんですっ」
拳に力が入ります。やっぱり、ご主人さまが大好き。そんな考えが、心を満たしてくれます。わたし達の時間は、誰にも邪魔させませんよ。
「そのためには、ご主人さまを悲しませるような人は、いらない」
みんな、排除してしまえば良いんです。この世界には、必要ない人なんですから。わたしは、ご主人さまとわたしのために戦うだけです。
とはいえ、わたしが戦う必要のある相手なんて、少ないでしょうけど。今のところは、ひとりだけでした。
ただ、敵に対して容赦するつもりはありません。そんなこと、考慮にすら値しませんよ。
「でも、ご主人さまは知らなくて良いですね。その方が、お互いにとって良いでしょうからっ」
わたしが人を傷つけたと知れば、悲しんじゃう人ですから。なら、密かに始末する方が良い。わたしには、その力があるんです。
ご主人さまは、本当は人なんて殺したくないはずです。その代わりになるのだって、大事ですよね。
「お料理やお着替えのお世話だけして過ごせるのなら、それが一番なんですけどねっ」
わたしの作ったご飯を食べて笑顔になるご主人さま。少しだけ申し訳無さそうに、着替えを私に任せるご主人さま。そんな姿を見ることこそが、わたしの幸せなんですから。ずっと過ごしたい日常なんですから。
「でも、ご主人さまの優しさを理解しない人達がいる。残念です。とても」
初めにブラック家に居た頃も、アストラ学園でも、それから先でも。ご主人さまの邪魔をする人なんて、いくらでも居ましたから。可哀想だなって思います。大切なことが、何も分からないのは。でも、それが優しくする理由にはなりません。
「やっぱり、くだらない人は多いですね。分かりきっていた事ではありますけど」
ご主人さまを妨害する人たちは、いっぱい居ました。血がつながった相手にも。だから、本当の意味で信用できる関係なんて、この世には無いのかもしれません。
「そんな世界で、ご主人さまは特別なんですっ。それを汚すことは、許さない」
だから、打ち砕いてみせます。ご主人さまを汚そうとする全てを。わたしの世界に必要ない邪魔者達を。その先に、わたし達の幸福が待っているんですから。
「わたしの黒曜は、そのための物なんですっ」
ご主人さまの敵は、この武器で撃ち抜いてみせます。わたしの弱さで、油断させて。そのために、きっとわたしは獣人として生まれたんですから。
「ご主人さま。わたしは、あなたのために頑張りますからねっ」
もう、食べてほしいだなんて思いません。ただ、ずっと一緒に居てくれるだけでいい。ご主人さまなら、当たり前に叶えてくれること。
だから、わたしも応えてみせますからね。




